管轄区域は東北6県でエリア内の1万2000人、特に宮城県には4500人の韓国人が住んでおり、ビザの発給や在外登録手続きなど行っている。東北に唯一ある外交館であり、日本に駐在する外国公館の多くが、放射能汚染を恐れて、館員を早々に本国に帰したり、業務の一部を京都や大阪に移すところが少なくなかったが、被災地のただなかにある仙台の韓国総領事館では、誰一人退く者はなかった。震災以来、パク総領事を先頭に不眠不休の救援活動を展開し、東北地方在住の在日韓国人らの大きな希望となった。ファン氏は特別に取材を許可され、ここで寝泊りしながら領事館に避難してくる人々を取材し続ける。
彼らが撮影した映像を入手し、被災直後の救助の様子を初めて伝える。寝泊りする施設をあてがわれず、雪の降る夜に寒さで眠ることもできなかったなど、厳しい体験にトラウマになる隊員もいる中で、帰国した後に日本の復興に役立つための新たな訓練を始めるなど、日本に届かなかった彼らの想いを伝える。
幸せな国際結婚カップルの家庭が不幸のどん底に落とされた。消防団員として住民の避難誘導にあたっていた夫は、義父とともに死亡。3人の子供を抱える彼女のお腹には4人目が宿っており、臨月が近い。避難所ではコンクリートむき出しの冷たい床に布団を敷き、座って耐える日々。韓国総領事館の職員が説得し、領事館に来るよう促しても動こうとしない。「もう日本人だからお世話になることはできない」。しかし病院で母子ともに生命に危険な状態であることが判明。歯を食いしばって気丈に振舞っていた彼女が見せた涙の訳とは…。逆境の一家に新しい命が生まれるまでを密着したヒューマンドキュメント。
幼い子供たちと必死に悲しみに耐え、いったんは帰国するものの再び被災地に戻り、日常を取りもどそうと葛藤する。妻を失った心の深い傷と、津波で流された自宅の再建を誓うまでを追う。
更に福島の放射線被害で苦悩する農家や酪農家、南相馬で家族がバラバラになりながらもいつか親子そろって店頭に出る日を願う魚店の店主ら、ファン氏が取材で出会った被災地の人々の苦悩や奮闘ぶりを、素朴な疑問と隣国の友人としての優しい目線で描いていく。