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韓国のジャーナリストが東日本大震災発生後に一人現地入りし、長期取材を行った

1週間の予定だった取材はトータルで120日に及び、韓国と被災地を行き来しながらこの一年を記録し続けた。韓国メディアのテレビクルーは地震発生直後、かなりの数が被災地に入ったが、福島原発での放射性物質漏れをきっかけに一斉に本国に引き揚げた。ファン氏は自国のメディアと入れ替わるように来日し、韓国で唯一、現地に長期滞在して取材を続けたビデオジャーナリストである。
ファン氏が拠点としたのは仙台韓国総領事館。在日韓国人の救援に奔走する職員に同行しながら、愛する家族や家、財産を失い、深い悲しみの淵にある多くの在日と向き合った。そこに映し出されたのは、「戻っておいで」という祖国からの誘いを断り、悲しみをこらえながらもう一度この地で頑張ろうと復興を誓う遺族の姿だった。

この番組は、外国のジャーナリストの目に震災直後からこの一年間の被災地の在りようがどのように映ったのか、そして本国で報道されている論調と、実際に起きていることの違いを伝えていく。2012年3月上旬に韓国SBSでドキュメンタリー番組として放送されるが、日本の視聴者にもぜひ見てほしいというファン氏のたっての願いを受けて、HTBとの国際共同制作が実現した。日本での放送に向けて追加取材と再編集を行い、広く日本国内での放送を目指していきたい。

  • 番組の舞台は在仙台大韓民国総領事館
  • 地震の翌日に、海外から一番乗りした韓国の救援隊
  • 消防団員の夫を亡くし…残された韓国人臨月妻(石巻:ホン・ギョンイム42歳)
  • 日本人妻を津波に呑まれた韓国人男性(キム・イルグァン)
  • 番組は、日韓で国際結婚を果たした2つの家族のドラマを中心に展開する

管轄区域は東北6県でエリア内の1万2000人、特に宮城県には4500人の韓国人が住んでおり、ビザの発給や在外登録手続きなど行っている。東北に唯一ある外交館であり、日本に駐在する外国公館の多くが、放射能汚染を恐れて、館員を早々に本国に帰したり、業務の一部を京都や大阪に移すところが少なくなかったが、被災地のただなかにある仙台の韓国総領事館では、誰一人退く者はなかった。震災以来、パク総領事を先頭に不眠不休の救援活動を展開し、東北地方在住の在日韓国人らの大きな希望となった。ファン氏は特別に取材を許可され、ここで寝泊りしながら領事館に避難してくる人々を取材し続ける。

彼らが撮影した映像を入手し、被災直後の救助の様子を初めて伝える。寝泊りする施設をあてがわれず、雪の降る夜に寒さで眠ることもできなかったなど、厳しい体験にトラウマになる隊員もいる中で、帰国した後に日本の復興に役立つための新たな訓練を始めるなど、日本に届かなかった彼らの想いを伝える。

幸せな国際結婚カップルの家庭が不幸のどん底に落とされた。消防団員として住民の避難誘導にあたっていた夫は、義父とともに死亡。3人の子供を抱える彼女のお腹には4人目が宿っており、臨月が近い。避難所ではコンクリートむき出しの冷たい床に布団を敷き、座って耐える日々。韓国総領事館の職員が説得し、領事館に来るよう促しても動こうとしない。「もう日本人だからお世話になることはできない」。しかし病院で母子ともに生命に危険な状態であることが判明。歯を食いしばって気丈に振舞っていた彼女が見せた涙の訳とは…。逆境の一家に新しい命が生まれるまでを密着したヒューマンドキュメント。

幼い子供たちと必死に悲しみに耐え、いったんは帰国するものの再び被災地に戻り、日常を取りもどそうと葛藤する。妻を失った心の深い傷と、津波で流された自宅の再建を誓うまでを追う。

更に福島の放射線被害で苦悩する農家や酪農家、南相馬で家族がバラバラになりながらもいつか親子そろって店頭に出る日を願う魚店の店主ら、ファン氏が取材で出会った被災地の人々の苦悩や奮闘ぶりを、素朴な疑問と隣国の友人としての優しい目線で描いていく。

黄聖淵(ファン・ソンヨン)氏

1969年8月生まれ ドキュメンタリー番組制作会社「スカイフィッシュメディア」代表

学生時代にテレビドキュメンタリーの制作を目指すが韓国に専門学校がなかったため、1992年日本に留学し、日本語学校に通いながら東放専門学校でテレビ制作について学び、小津安二郎の作品に影響を受ける。
卒業後、1994年、韓国MBCに入社、バラエティを担当するがドキュメンタリーが作れる環境を求めて2002年SBSに転籍。その後2006年にドキュメンタリー専門の制作会社「スカイフィッシュメディア」を創設する。“水”をテーマとしたドキュメンタリーのシリーズで、数々の賞を受賞し、現在、ソウル大学で教壇にも立つ。

黄聖淵(ファン・ソンヨン)氏