南平岸ユメミル工房

【藤村・嬉野 本日の日記 試し読み】

1996年に北海道で始まった「水曜どうでしょう」は、6年後の2002年秋、「原付ベトナム縦断1800キロ」という企画で、週一回のレギュラー放送を終える。

ぼくがレギュラー放送をやめようと考え始めたのは、大泉くんに告げるさらに1年ほど前、2001年のことだったと思う。その夏、カナダのユーコン川をカヌーで下りながら、「来年からはもうしばらく、こうやって海外に来ることもないんだろうな…」、そんなことをぼんやり思っていたのを記憶している。

ぼくと嬉野くんは毎日、番組のホームページに「日記」を書いている。書き始めたのは、ちょうどそう、2001年の春のことだ。別に意図的にそのころから日記を書き始めたわけではない。事実、当時の日記を読み返してみても、ぼくらは「番組の終わり」など意識せずに、のんきな日々の出来事や、粘っこい番組宣伝を繰り返していた。

その当時から今も続く日記を本にまとめようと思った。

日記はナマの証言である。そこには、今となっては思い出せない細かな日常が綴られている。これをまとめ上げるのは、いわば「どうでしょう史」の編纂である。意義深いことだ。だが本にするとなれば、膨大な日記をただ羅列するだけではいけない。当時の歴史的背景を記述し、補足し、考察を加え、読めば当時の状況が一目瞭然で
わかる、そこまでやって初めて読み物として成立するのだ。ただ、でも、それはとてつもなくめんどくさい。めんどーくさいが、実に意義のあることである。そう思って、ぼくはこの一大事業を嬉野くんに託した。

嬉野くんは当初、かなりゴネた。「別に本にしなくてもいいんじゃないの?」、そんな消極的発言を繰り返した。
「いいからやんなさいよ」
「そんなに言うならあんたがやんなさいよ」
「忙しいもん。あんた今ヒマでしょ」
「ヒマじゃないって」
「いいからやんなさいって!」
最終的には半ば強制的に押し付けた。

いやいやながら作業をはじめた嬉野くんではあったが、しかし、昔の日記を読み返すうちに、当時の思い出が次々によみがえってきたのであろう、やがてこの歴史的大事業にのめり込んでいった。そして彼は半年あまりの時間を費やし、読みごたえのある圧倒的な量の文章を完成させた。

しかし…それはすべてボツとなった。

どうもこう、しっくりこなかったのだ。

ぼくは嬉野くんに執筆を依頼するにあたり、こう言った。

「この本は、普段ホームページを見ていない人にもわかるような読み物にしてほしい」

だから彼は、当時の背景を丁寧に説明し、当時のぼくらの感情を補足し、懐かしさをもって、当時の日々を丹念に書き綴った。でもそれが、こそばゆかったのだ。自分たちで自分たちのことを文章にする、それは客観的に見ると、とても気恥ずかしいことだったのだ。

ぼくは、大きな間違いをしていたことに気がついた。

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