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認知症になっても不幸じゃない

2017年2月28日放送

神奈川県茅ケ崎市に住む67歳の男性。
前頭側頭型認知症、ピック病を患っています。
現在、要介護2。
男性は茅ヶ崎市役所の文化推進課長として働いていました。

2006年2月。56歳の時、ある奇妙なことが起きました。
市役所へ出勤する前に立ち寄ったスーパーで突然、警備員に呼び止められたのです。

男性は当時を振り返ってこう話します。
「警備員にチョコレートのお金を払っていないと呼び止められた。私は自分で払ったと言ってトラブルになった」
なぜ万引き犯にされるのか?
身に覚えがなかった男性は「きちんと話せば分かってもらえる」と思ったそうです。
しかし、男性は逮捕されました。

男性は市役所で多くの実績を残していました。
閑散としていた「茅ヶ崎海水浴場」をサザンオールスターズにちなみ「サザンビーチちがさき」と名前を変えたほか、2000年夏にはサザンオールスターズのライブを実現させ、大きく報じられました。
逮捕から2週間後、男性は懲戒免職処分となりました。
結局、起訴猶予処分とはなりましたが、長年勤めた職を失いました。
実はこの時すでにピック病を発症していて、チョコレートを無意識に棚からとっていたのです。

「認知症ということは、私も家族も予想も想像もしていなかった。最初の2、3年は引きこもりのような状態が続いた」と男性は振り返ります。

認知症の専門家によりますと、ピック病は非常に珍しく発見も難しいということです。
「前頭葉はものを考えたり、プログラムする以外にも、感情をコントロールしたり、理性の源でもある。ピック球という、異常なたんぱく質が特に前頭葉と側頭葉に増えることによって、そこの神経細胞が溶けてしまって症状が出る」(ときわ病院 宮澤仁朗院長)

働き盛りの56歳で発症。
男性を立ち上がらせたのは若い時からの趣味、写真でした。
今も風景や家族の写真を夢中で撮り続けています。
取材した日は大雪の中、道庁赤レンガ庁舎や大通公園の写真撮影を楽しみました。

男性は5年ほど前、本を出版しました。
『ぼくが前を向いて歩く理由』(中央法規出版、2011年)です。
若年性認知症の患者やその家族を勇気付ける本として話題を呼びました。

札幌の講演を手伝う人がいました。
七飯町で介護事業を営む50代の女性です。
男性の書いた本に感動した一人です。
女性は、日頃男性を介護している奥さんのリフレッシュのためにもと、講演会以外にも年に数回、男性を北海道に招いています。
女性は電話で奥さんから話を聞くなどして、家族の代弁者として講演会に同席しています。

男性は毎晩、1日1回1錠の薬を飲みます。
アルツハイマーの薬です。
11年間飲み続けていますが、主治医も効果のほどは分からないそうです。
ピック病は日本では難病に指定されています。

「今は基本的に一人でお店に行ってはいけないと言われている。でも物が増えている
ということは自分で買い物をしたか盗ってきてしまったか。それが分からない」(男性)

ピック病は無意識の行動以外にも症状があります。
「活字を読んでいくのが頭に入ってこない。新聞は見出しだけ読んで、興味があるものは読むが、途中で疲れてしまう」
「家内から指摘されてこんなことがあったのか。俺はそんなことしていないよって」
「夫婦でいると家内は結構大変だなって思うが、なかなか感謝の言葉を言えない」(男性)

男性は「認知症になっても自分らしく生きる」ための講演会に講師として招かれました。
「サラリーマンがネクタイを締めてスーツ姿で通勤するのを見るのは本当に苦痛だった」
「初期の段階や若い人の認知症はできることがいっぱいある。認知症になっても残っている能力を生かして楽しむことができる」(男性)

講演では、若いころから趣味を持つことの大切さを語りました。
「私は写真という趣味があった。趣味を持っていない人は認知症になっても進行が進んでしまう」
「講演で全国をまわる中で新しい出会いがある。失ったものより認知症になったから得られたことの方が多い。だから認知症で多少不自由になっても不幸ではない」(男性)

講演を聞いた人は「以前は認知症になったらどうなることかと思っていたが、皆さんに話したり、地域の人に助けてもらえると分かって、どんなに心強かったか」と話しました。

「家族や地域や支えてくれる人の社会環境が整えば、認知症になったとしても楽しみは持てると思う。本のタイトルじゃないけど、前向きに生きれるようになっている」(男性)

認知症の発症から11年。男性は今、前を向いて歩いています。

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