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絞首台に上がったエース

2015.08.14 イチオシ!で放送

北見市の野付牛中(現・北見北斗高校)で
野球部のエースだった平手嘉一(ひらて・かいち)。
甲子園をめざし、スタルヒンと投げ合ったこともある。

室蘭に連合国の捕虜収容所があったことは、
いまではあまり知られていない。

そこで所長の任にあたっていた平手は戦後、
捕虜に対する虐待を理由にB級戦犯として死刑判決を受ける。

裁判は不当であると、同級生たちが助命嘆願を集めるも思い届かず、
平手は1946年8月23日 絞首刑により人生に幕を下ろした。

残された後輩たちは、
平和への祈りを込め、追悼の碑を建てた。
平手の死は何だったのか。
戦後70年、改めてその意味を問う。

シベリア抑留

2015.08.13 イチオシ!で放送

強制労働、飢え、マイナス40℃を下回る極寒。

57万5000人もの日本人抑留者の内、5万5000人が死亡したとされる。

HTBがカザフスタンで独自入手した資料。

過酷な抑留生活。
思想教育を巡る日本人同士の対立。

「シベリア抑留」の隠された真実が明らかになった。

女たちの戦争

2015.08.12 イチオシ!で放送

戦争の苦しみは、戦地に赴いた兵隊たちだけのものではない…

夫を、子どもを、送り出した女たちは
涙をこらえ、国防婦人会を組織し、軍を支援した。

女学生は何のためかわからない勤労奉仕に身を捧げ暗い青春時代を過ごした。

故郷から遠く離れた満州で夫を亡くした妻は
長い長い引き揚げの途中、つぶやいた
「鳥になりたい…」鳥になって日本へ飛んでいきたいと・・・

残された女性たちが証言する、戦争の記憶とは。

闇に葬られたタコ部屋労働

2015.08.11 イチオシ!で放送

戦争中に行われた幌加内町の雨竜ダム建設工事。
全長200メートルを超える巨大なコンクリートの壁は
朝鮮などから集められたのべ600万人の労働者の手によって作られた。

動員された朝鮮人などの労働者たちは
タコ部屋と呼ばれる過酷な環境のもと厳しい監視下に置かれた。
逃げ出そうとして捕まったものの中には激しい暴行をうけ命を落としたものもいたという。

こうした過酷な労働環境で多くの犠牲者が出たが、
その事実は戦後長い間、犠牲者の遺骨とともに闇に葬られてきた。

戦後70年ー。声なき犠牲者の叫びに耳を傾ける

激動70年伝え遺す・学徒出陣・特攻隊

2015.08.10 イチオシ!で放送

雨降る中、青年たちが銃を手に行進する…
1943年(昭和18年)に明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)で行われた出陣学徒­の壮行会。

第二次世界大戦末期、敗戦の色が濃くなってくると国は
それまで免除していた学生たちを戦場へ送ることを決める。
そこには札幌市に住む男性もいた。

彼は、その後特攻隊に選ばれるが奇跡的に生き残る。
釧路市でも特攻隊に選ばれ生き残った男性がいる
「全軍特攻へ敵機を撃ち落とすのではなく、いかにぶつかって相手を倒すか」
そればかり研究するようになった。

彼は終戦後「書」に思いを託すようになる。

先に飛び、帰ってこなかった仲間…
生き残った2人の元特攻隊員は
戦後70年の節目の年に、いったい何を思うのか…

終戦3日前…421人の集団自決
~生存者と旧日本兵、それぞれの麻山事件~

2014.08.15 イチオシ!で放送

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鈴木幸子さん(1936年生まれ)

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里瀬勝さん(1924年生まれ)

取材を通して

山上 暢 記者

鈴木幸子さんの取材中、
一緒に暮らすお孫さんが外出から帰ってきました。

一目散に、ソファに座るおばあちゃんの元へ駆け出す男の子。

「取材中だから!」と叱りつつも
顔をくしゃくしゃにして迎えるおばあちゃん。
家族で暮らす、当たり前の幸せがそこにはありました。


でも戦争は、それを奪ったのです。


里瀬勝さんの取材で一番印象に残った一言があります。
「開拓団の人たちを助けなかったことに悔いはない。“軍人”だから」

でも最後にポツリと言いました。
「命令違反でも助けられなかったのは“人間”として残念だった」


生死の狭間で怯える子どもたちを助けるという人として当たり前の行動。

でも戦争は、それを奪ったのです。


『今を生きる私たちの当たり前は、戦争がないからこそ成り立っている』


集団自決という「当たり前ではない悲劇」に
違う立場で遭遇した2人の話から
それを強く感じました。

「銃口」が今訴えること
~三浦綾子の遺言~

2014.08.14 イチオシ!で放送

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熊谷礼子さん 1949年生まれ
(三浦綾子著「銃口」のモデルの1人・小川文武さんの娘)

取材を通して

鶴羽舞子 記者

治安維持法による言論統制で
50人以上もの教師が一斉に逮捕された
”北海道綴り方連盟事件”を描いた、
三浦綾子さんの小説「銃口」。

モデルの1人となった教師の小川文武さんは
三浦さんの取材を受けるまで、
家族にすら勾留され酷い拷問をうけた経験を
打ち明けることが出来ませんでした。

小川さんの娘さんの
「隠さなければ生きていけない人がいっぱいいた」
という言葉が印象的でした。

平和な世の中のために、戦争のない世の中のために・・
小川さんが半世紀以上隠し続けた経験を打ち明けた重みを感じました。

遺された家族の悲しみ
~父の遺骨を探し続けて~

2014.08.13 イチオシ!で放送

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天羽宏さん(1932年生まれ)

取材を通して

北村玲奈 記者

終戦の直前に戦地に赴き、そのまま帰らなかった父。

当時は男は戦争に行くのが当たり前だと思っていて、
止めたりすることは考えもつかなかったと天羽さんは悔しそうに言いました。
そして、こう続けました。
「教育は怖い。いま、心からそう思う」

戦後69年がたち、変わろうとしている日本を見て、
今こそ戦争を知る人がその悲劇を語るべきと、
父の遺骨を探しに行ったフィリピンで見た
悲惨な状況を話してくださいました。

折り重なる骨、狭い穴の中で武器を手にしたまま亡くなった兵士…
「尋常じゃない光景」
日本に戻っても、夫の名誉の戦士を誇りに思い、
頑張っていた母には話せなかったそうです。

二度とこんな悲しい思いをする家族があってはいけない。
悲しみは死ぬまで続くから。天羽さんは何度もそう言いました。

函館空襲 狙われた青函連絡船
~友を失った元国鉄マン~

2014.08.12 イチオシ!で放送

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金野 功さん(1927年生まれ)

取材を通して

古川匡 記者

8月9日、金野さんの自宅を訪問すると、
テレビで、ナガサキの平和祈念式典の模様が流れていました。

広島・長崎の悲劇を思い起こすとともに、
式典の前日に行われたアメリカ軍による
イラク空爆に胸を痛めたという金野さん。

第2次世界大戦から70年が経とうとする今でも、
戦争で人と人が尊い命を奪い合っている…

この現実に対する、
金野さんの言葉が、強く心に響きました。
「戦争に勝者はいない、すべてが敗者なのです。」

その日、根室が焼けた
~空襲、北方領土…戦争に翻弄されたマチ~

2014.08.11 イチオシ!で放送

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富山清人さん(1919年生まれ)

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近藤敬幸さん(1930年生まれ)

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渡辺健三さん(1935年生まれ)

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中田勇さん(1928年生まれ)

取材を通して

及川桂司 記者

市街地の8割が消失するという
甚大な空襲の被害をうけた根室。

空襲で焼け出され、
逃げるように渡った北方領土でも占領にあうという、
不運が重なった人もいました。

無念や怒りは察するに余りあります。

戦後69年、
北方領土問題はいまだ解決していません。
漁業や人的交流で
現在もなお不利益をこうむり続ける根室にとって、
「戦争」はまだ終わっていないともいえます。

極寒のシベリア抑留
”生き地獄”元兵士は…

2014.08.08 イチオシ!で放送

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青木 勇雄さん(1921年生まれ)

必死に生きのびながら、
死体を埋めていく…仲間の死をどのように見つめてきたのか、
想像を絶するような体験に言葉を失う場面がたくさんありました。

部下や友人が亡くなっていくなか、自分だけが生き残ったことに
「罪悪感」も感じたという青木さんの言葉。

戦争は終わったあとにも深い傷を残す。
絶対に繰り返してはいけないと感じました。

聞き手:原 彩菜 記者

遺体の口からアリの列
~メレヨン島 飢えとの戦い~

2014.08.07 イチオシ!で放送

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柿本胤二さん(1920年生まれ)

メレヨン島に上陸した約6000人の日本兵は
1年半で6割以上が戦死。

その多くが”餓死”だと聞いて衝撃をうけました。

敵と戦う前に空腹で死んでゆくことすら、当時の日本では
“名誉の戦死”だったのでしょうか。

この事実を知らなかった自分を恥ずかしく思うと同時に、
強い悲しみと疑問を感じました。

聞き手:瀬戸川雄一記者

ヒバクシャは私たちだけに…
~福島出身、広島で被爆した男性の想い~

2014.08.06 イチオシ!で放送

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服部十郎さん(1929年生まれ)

原爆が落ちたあの日から服部さんが抱えていたのは、
生まれたての子どもを助けることができなかったという後悔でした。

そのとき、服部さんはわずか16歳。
夢に、希望に満ち溢れるはずの10代から背負い続けた罪の意識。

なぜ、そんな思いをしなければならないんだろう。
なぜ、その悩みを、苦しみを抱えながら生きていかなければならないんだろう。

服部さんが私たちに伝え遺してくれた記憶から
戦争の理不尽さを強く感じました。

聞き手:山上暢記者