2002年7月12日、我々は、「ひとつの旅」を終えました。
この旅は、我々にとって、「重要な意味を持つ旅」となりました。
「水曜どうでしょう」は、この旅をもって、番組に一度、「ピリオドを打つ」ことに致し
ました。
番組開始から、6年もの長い間、本当に、ありがとうございました。
ただ、誤解しないで頂きたいのは、
これをもって、「水曜どうでしょう」に幕を下ろすわけではありません。
逆に、「ひとつの決断」をしたのです。
我々、どうでしょう班4人は、「一生どうでしょうします!」
そういう決断をしたのです。
全員がジジイになって、誰かが死ぬまで、「水曜どうでしょう」を続けていこう、と決意したのです。
そのために、今、「ひとつのピリオド」を打たせてください。
少しだけ、休ませてください。
そして、今後は、我々のわがままではありますが、一生続けられるようなペースで、「水曜どうでしょう」を作っていけたら、と思っています。
具体的には、現在のような、週一回という放送スタイルではなく、盆と正月くらいの「寅さんペース」かな、と考えています。
いづれにしても、現在は、最後の旅を終えたばかりで、「いつ、もう一度、みなさんとお会いできるのか」、ハッキリとしたことはわかりません。
でも、必ず、また4人で、旅に出たいと思っています。
・・・以上が、先だって行われた「記者発表」の席上、読み上げた正式発表です。
「どうでしょう」に、一度、ピリオドを打つ。
考えはじめたのは、もう1年以上前でしょうか。
そう、思うに至ったのは、先にあげた「一生続けていくための手段」として。
そして、さらに「大きな2つの要因」が、あります。
そのひとつは、ビデオ・DVDでの「永久保存版・どうでしょう全集」の完成。
「どうでしょう」という番組を、我々の納得のいく「完全なる形」で、残したい。
そのための時間が、必要になったのです。
我々は、二人でロケの準備をし、二人で編集をしています。
「番組をやりながら、ビデオを作る」ことはできません。
どちらも、片手間ではできないんです。
どこかで、「番組をやめて、ビデオを作る」という決断が必要です。
「もうそろそろじゃないか」、そういう気持ちになったのが、1年ほど前だったということです。
「ビデオ制作は、他の人に任せられないのか?」
できません。
ビデオは、放送された素材を、そのまま使うのではなく、イチから全て作り直すつもりです。
「ビデオを作ることより、どうでしょうを続けてもらうことの方が、重要だ」
「番組あっての、ビデオ販売じゃないか」
そういう疑問は、当然、社内からも出ていました。
しかしながら、私と嬉野君の中で、先にあげた「完全なる形で残したい」という欲求が、ゆるぎない強固なものになりました。
「どうでしょうビデオ・DVD全集」を作ります!作らせてください。
そして、もうひとつの要因。
「水曜どうでしょう」以外で、みなさんを楽しませることは、できないだろうか?
そういう欲求です。
2年前、半年間の休業期間中に、「四国R-14」というドラマを作りました。
作り終えて、いろんな反省がありました。正直、みなさんを「満足させる」には、ほど遠いものだったと、感じています。
だからこそ「もっと!」という欲求が、強く残っています。
ミスターは、「映画」という、とてつもなく大きなフィールドに、足を踏み入れました。
これは、すごいことです。
「よーし!おれらだってやりますよう!ミスター」
そう心の中でつぶやくと、なんだか、とてもうれしく、楽しい気分になりました。
今、「やってみたいこと」。
それは、「テレビ」「映像」の世界ではありません。
「芝居」です。
大泉さんはじめ、チームナックスのみなさんに感化された、と言ってもいいかもしれません。
自分に染み付いた「どうでしょう味」を駆使して、「映像」以外の手段で、お客様に楽しんでいただく。
大いに「笑って」いただく。
そう「笑って」・・・だから、あの、「芝居」という言い方は、ちょっと違うな。
えーと「喜劇!」・・・とも違うな。
まぁ「お笑いコント」・・・これが一番近い・・・かな。
やってみたいですなぁ。
思えば、私は、6年間の「どうでしょう」の中で、鈴井貴之という「異才」と出会い、大泉洋という「天才」と出会い、そして、嬉野雅道という「一生の伴侶」に出会ったような気がします。
以前、嬉野君が、ボソッとこんなことを言いました。
「ぼくはね、藤村くん。キミにいろんなことを話し掛けるのが、ぼくの一生の仕事だと思ってるんだよ。」
言われた時は、「なに言ってんだ?このひと・・・」そう思っていました。
でも、少し経って、その言葉の重みに気づいた時に、涙が出ました。
彼は、ぼくが忙しそうに編集してる時に、決まっていろんな話をしてきます。
半分うわの空で聞きながらも、「なるほど」と思ったり、「いや、それは違うな」と反論してみたり。でも、そうすることで、確実に、ぼくの思考は、固まることなく、少しづつではあるけれど、動き続けることができているんだろうと思います。
「それが、ぼくの一生の仕事だ」
そんなことを言ってくれる人間に出会えた幸福。
私は、嬉野くんとの「共同作業」に、「強い可能性」を確信しています。
彼となら、今後も「なにかを生み出して」いけるような気がします。
今回の決断を、大泉さんに言ったのは、半年ほど前のことだったでしょうか。
「どうでしょうを、一度、やめようと思う。」
大泉さんは、なんとなく予想していたように、
「そうですか。」
そう言って、少し考えたあと、
「藤村さんたちも・・・他にやりたいこともあるでしょうしね・・・寂しいですけどね」
そんなことを言いました。
寂しいことなど、ひとつもない。
これからも、ぼくらは、大泉さんと一緒に、いろんなことをやりたいと思っている。
「そうですか。それなら、やっぱりドラマがいいですね。ぼくが、カッコよく見えるやつ。もしくは、泣かせるやつ。」
「そうか・・・おれは、次回ドラマやるんなら、怪獣モノにしようと思ってるんだけど」
「怪獣モノ?なに言ってんのあんた。おれ、そんなもんには出ないよ。どーせ、おれが食われるんだろ。それ見てあんた、ゲラっゲラっ笑うんだろ」
「違いますよ。大泉さんは、怪獣ですよ」
「顔出ないじゃないのよ!」
「主役ですよ」
「うるさいよ」
今後も、いつまでも、「ぼくらは、ぼくら」なのです。
DVDには「特典」として、「出演陣」「D陣」による、副音声の解説付!
ビデオ第1弾として発売され、あっという間に完売してしまった「サイコロ1」のDVD版は、すでに「藤村・嬉野両ディレクターの副音声」を収録した試作品が、完成しています。
まぁ、「解説」と言ったって、我々が、DVDを見ながら、思い出話やら、編集の裏話やらを、とつとつとしゃべり続けるという、それほどたいした特典ではありませんが、画面上では、あんまりしゃべらない嬉野君の、味のあるお話が聞けて、それはそれでおもしろいんじゃないでしょうか。
今後は、「大泉・嬉野組の副音声」「鈴井・藤村組の副音声」など、いろんな副音声コンビが登場予定。
「放送」以外でも、みなさんに「どうでしょう」を楽しんでいただけるように、全力をあげます。
9月から制作体勢に入ります。発売時期など、未定ですが、たとえば、「毎月1タイトルづつ出して欲しい」とか「半年ごとに、まとめて出してほしい」「価格は、いくらぐらいが適当か」「パッケージは」「DVDの特典映像には、こんなものを入れてほしい」などなど、みなさんのご希望を、遠慮なく掲示板に投稿してください。
我々の当分の仕事は、これに全力を尽くすことになります。
さて、ということで、以上が、藤村くんからの皆さんに対するメッセージです。
そういうことになるんです。これからね。
今までやれなかったいろんなことに手を染めながら、
ぼくらは、一生、どうでしょうすることになるんですよ。きっとね。
だから、できればね、一人でも多くの人にこれからも付き合ってもらいたいんです。
本当の最終回を迎える日までね。