「ベトナムをカブで縦断する」。
そう決まってからは、なにか・・・落ち着かなかった。
「海外」となれば、これまでだって、少なからず心配事はあったけれど、これほどまでに「心配」が、心に重くのしかかったことはなかった。
「ベトナム政府の公安が、ロケに同行します」。
「これは、絶対条件だそうです」。
ビザを申請するにあたり、旅行社からそう言われた。
「それはちょっと、ヤバイな」。そう思った。
当然だろう。
公安官の前では、ベトナムの印象を著しく低下させるような言動は、厳に慎まねばならない。
しかし、これは「どうでしょう」にとって大問題だ。
特に、「ストレート主体」の配球で、世界各国に罵声を浴びせ続けてきた「豪腕エース・大泉洋」にとってそれは、勝負球を失うに等しい。
「いいか?表現方法には気を使え。カーブなり、シュートなり、とにかく変化球。ド真ん中だけは避けろ!」
「わかりました」
「よし!来いッ!」
「うわっ!ひどい国ですね、ここは!」
「あぁッ!」
エースの右腕から投げ出された豪速球が、ド真ん中どころか、公安官の顔面を直撃するデッドボール。
哀れ「豪腕」は、ベトナム政府に一時拘束され、彼の「見事な豪速球」を記録したテープも没収。
こと相手が、「社会主義国」という、なにかしら「別世界の人間たち」という印象がどこかにあって、これは冗談では済まされないような気がした。
「ここは撮ってはいけない」「あそこに行ってはいけない」。制服姿の公安に、そんなことを言われながら、ロケをするなんて、とてもじゃないが出来ない。
「心配」が、重くのしかかった。
しかし、これは、結論から言えば、全くの杞憂だった。
それどころか、今回のロケに同行してくれたベトナム政府のタインさん、フンさん(通訳)は、実に献身的で、我々に気を使ってくれた。
毎朝、彼らは、冷たい飲み物をクーラーボックスいっぱいに積み込んで、休憩のたび、出演者のふたりに手渡していた。
「うわっ!危ねぇ!ひどいなここは!」
豪腕が直球を投げ込むたび、フンさんは「ははは!そうでしょう?」みたいな感じで、笑っていた。
こんなことがあった。
あるレストランの駐車場で、足の不自由な少年が、物乞いをしていた。ベトナムでは、戦争時に米軍が使用した枯葉剤の影響が今も残り、奇形児が多い。
折れ曲がった両足を引きずりながら、ウロウロしているその少年を、残念ながら、ぼくは直視することができなかった。
しかしタインさんは、ニコニコしながらその子に近づき、声をかけた。
「足はどうした?」「そうか、おまえも大変だな」
多分、そんなことを言ってたんだと思う。
「じゃ、がんばれよ」最後に肩をポンとたたいて、いくらかお金をあげていた。
それが、可哀相な「物乞い」に対して、「いくらか恵んでやる」という態度ではなく、親戚の子供に、お年玉をあげるような、そんな嬉しそうな顔を、タインさんは、していた。
「あの人は、できた人だなぁ」
一部始終を、嬉野くんも見ていたらしく、あとで、そう言っていた。
タインさん、フンさん、「会えて良かった」と思えるような人たちだった。
さて、もうひとつの「心配事」。
それは、もちろん「ベトナムの交通事情」だ。
どんなガイドブックを見たって、
「ハノイやホーチミンの大都市は、道路を横断するにも、かなりな注意が必要。」
「レンタルバイクもあるが、日本人に運転は無理。絶対オススメできない」
などと書かれてある。
それでもミスターは、今年の正月、プライベートでベトナムを訪れ(奥様が、ベトナム料理店を経営しており、かなりなベトナム通なのだ)、その事情を多少なりとも経験している。
バイクだって、毎日のように乗ってる人だ。
「なんとかなるかもしれない。」そう思える。
しかし、「なんともならん人」もいる。
大泉さんだ。
彼のバイク経験は、生まれてこのかた「どうでしょう」の「カブ企画2回のみ」。
いくらなんでも、そんな男を、「カブ洪水」の中に放り込んだら、2秒と持たずに、この企画は、「なんらかの形」で終わりを告げるだろう。
考えれば、考えるほど、「心配」はつのる。
「いっそ自分が乗って事故った方が、よっぽど楽だ。」そうも思った。
出来ることは、「なるべく交通量の少ない、安全な地点を出発点とする」それぐらいのことだ。大都市を抜ければ、あとはなんとかなる。
それで、ハノイの中心部から、やや外れた場所に立つ「日航ホテル」を、出発点とした。
しかし、だ。
「やや外れた」ぐらいじゃ、たいして効果はなかった。
「あぁ緊張するなぁ」
出発直前、カブにまたがる二人を見て、嬉野くんがボソッと言った。
この言葉が、4人に共通する心境、そのものだった。
走り出したあとは、ご覧の通りだ。
ハノイを抜けるまで、およそ30分。
不謹慎だけど、「興奮したなぁ。」
それまでの「心配」が大きかっただけに、実際、ハジけるような「興奮」だった。
「ラストラン」「最後の旅」そんな感傷めいたものは、微塵もなかった。
ただ、ホーチミンが近づくにつれ、その感情は、押さえ切れないものになっていくのだが・・・。
さて、「ベトナムの交通事情」。
「カブの群れ」は、ある程度予想していたことだが、「都市を抜ければ、なんとかなる」というのは、大間違いだった。
「追い越し」の方法が、危険極まりない。
対向車は、こっちに車がいようがいまいが、おかまいなし。どんどん飛び出してくる。
特に車に乗っている私と嬉野くんは、恐怖で身動きがとれなくなった。
でも、不思議と、対向車に「怒り」は感じず、割と早く、「ベトナムの交通事情」に納得し始めた。
ここは「カブ天国」。車は、圧倒的に少数。少々センターラインをハミ出したところで、カブはみんなよける。
「お互いよけるのが当然じゃないか」
そう思えば、車同士だって、対向車がハミ出してきたところで、こっちが路肩によければ、充分にすれ違える。
日本人が眉間にシワ寄せて「危ないじゃないか!バカ野郎ッ!」というのは、逆に過敏すぎるんじゃないか?そう思った。
だからベトナムの車は、常にクラクションを鳴らして、自分の存在を、周囲に知らしめている。
日本じゃ、クラクションが鳴ればビクッとする。
「おい!邪魔だ!どけ!」「なにやってんだ!」が、クラクションの意味だからだ。
でもベトナムは、「はいっはーい!通りますよぅ!」プップー!「はいどーも!」というのが、その意味だ。
それが徐々にわかってくると、「恐怖感」は、無くなって、それがベトナム人の「あいさつ」のようにも思えてきた。
そうは言っても、実際は「おい!おい!おーいッ!」と思うことは、何度もあったが。
さて、第2夜。ベトナム縦断初日は、そんな「ベトナム交通事情」だけでは、済まなかった。
こっちの行動を見透かしたように「降ったり止んだりする雨」。
カッパを着込めば、ものの10分で雨は止む。
「なんだよ。面倒くさいなぁ」なんてしばらくカッパを脱がないでいると、「じゃぁ」ってんで、ギンギンに太陽を照らして、カッパを着込んだ男たちをムレムレにする。
「くそっ!」ってんで、カッパを脱げば、「じゃ、いくよ!」ってな感じで雨が降る。
「ふんっ!どうせすぐ晴れんだろ?」
なんつってカッパを着ないで走ってると、
「はは!引っかかった!」
なんつって、ドシャ降りだ。それも、慌てるぐらいの「豪雨」だ。
おかげで、女性視聴者の皆様に大サービスの「セクシーショット」をおみまいするハメになった。
ベトナムは、タダ者ではない。
第3夜。初日の目的地・ヴィンまで、あと130キロ。
「もうお腹いっぱいだ」
我々だって、そう思った。
でも。まだまだ、ベトナムさんの「仕掛け」は、これだけでは済まないのである。