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2011年3月12日~18日の日記

藤村、嬉野 | 2011/03/20(Sun) 14:35:45

【2011年3月12日(土)】

嬉野です。

今朝、東北の津波被災地の空からの映像を見て、
あまりの被害規模の大きさに泣きそうになりました。

市町村ごと津波で壊滅しているではありませんか。
あそこで暮らしておられたみなさんは、
全員避難されていたんでしょうか?

被災地で避難生活をされている方が、
おそらく膨大な数、おられると思います。

ご家族と連絡がとれない方々は、
心配で堪らないだろうと思います。

携帯電話も繋がりません。
かろうじてメールは飛ぶようでしたが、
宮城、山形では全域で停電が続いているようなので、
やがてバッテリーも切れてしまうでしょう。

余震はこの先1ヶ月続くおそれがあるとのこと。
それも震度7クラスの余震も心配されており、
さらなる津波の可能性もあるとのことです。

避難生活は長引くかもしれません。

東北は昔から、
どうでしょう贔屓の土地柄であります。
それを思い、あの被災映像を見ると胸が痛いです。

みんな!無事でいてくれ!

北海道も沿岸部で津波被害がありました。
それでも、札幌の街は、被害には至らず、
本日も朝から平静です。

それぞれに厳しい状況だと思いますが、
それでも各自の持ち場で奮闘いただきたいと思います。

がんばってくれ!



【2011年3月14日(月)】


嬉野です。

うちの藤村は、あいにく、先週末から出張中であります。
もちろん「本人無事!」の確認は得ておりますから、
御心配には及びません。

おそらく出先で、あの方も、
諸氏の無事である事を祈っておるはずです。

こういう非常時には力強い言葉を吐いてくれる人ですが、
おりませんので、本日も嬉野であります。

さて、東日本の太平洋沿岸の町々に甚大な被害をもたらした大津波発生から4日目となり、
深刻な被害状況が明らかになる中、
それでも、水没した町の避難所に、
命からがら退避した方々が、
孤立しながらも健在だったことが分かりはじめています。

本当に好かったと思いました。

被災地に家族のある方、
友人知人のある方、
安否の連絡がつかないことは、
そうとうの心労になります。
一刻も早く、連絡がつくことを願います。

報道によれば、
避難所でも、水や食料が充分ではないとのことですから、
孤立した退避場所におられる方々は、何の補給も無い中、
寒さと空腹に耐えながら頑張っておられるものと察します。

自衛隊の救助も始まっているものと思います。

昨日辺りから、テレビ報道でも、
被災地のみなさんの声が聞けるようになり、
ホッとする自分がおりました。

やっぱり人が生きていてくれればうれしい。
心強いと思いまました。

福島では原子力発電所が大変なことになっております。
被災地域では、徐々に電気も復旧し始めているもようですが、
水道は断水が続いているようです、
食料もまったく足りていないそうです。

津波被害が激甚過ぎて、
テレビでは、ほとんど報道されませんが、
茨城でも被災されている方が多数おられます。
その方々も、同じように避難所で配給が足りず、
自宅の水道も止まった中で、
強い不安を感じておられるようです。

長野でも強い地震があり、
栄村では雪崩があり、孤立している方々がおられるという、
文字スーパーでの報道を見た覚えがあります。

電力も足りていませんから。
首都圏のみなさんが、
そうとうにご苦労されている様子を、
朝からテレビ報道で知りました。

今後も、強い余震が心配されています。

これは我々日本人にとって、
未曾有の国難なのだと思います。

津波、地震の激甚なる被害はもちろんのこと、
日本経済も深刻なことになるかもしれません。

昨日には戻れない。

被災された方々だけでなく、
日本人全体に、重大な事態が起きたのかも知れません。
これからは、しばらく、
何が起きるか分からない日々が続くような気がします。

それでも、ぼくらはそれらの事実を引き受けて、
乗り越えて行くのだと思います。

被災したみなさんは、
みんな、今、生きることに懸命だと思います。

避難所でお世話されている職員の方も懸命に尽力されています。

被災地に救助に入った自衛隊も警察も消防も医療関係者も、
海外からの救援隊も含め、皆、持てる技術と経験を総動員して、懸命の救助にあたっておるのだと思います。

ぼくらは、それを見守りながら、
ぼくらの日常をいつも通りに過ごすべきです。
そうして力を貯えるべきだと思います。

どうしたってお金が足りませんから。

明治の終わりに、アメリカのサンフランシスコで大地震があり、その時、日本人は、そうとうの義捐金を送ったのだそうです。
それを忘れなかったアメリカの新聞は、「関東大震災」で今度は日本の首都圏が甚大な被害を受けたと知るや、新聞紙上でキャンペーンを繰り広げたそうです。

「いまこそ日本の人々に受けた恩を返す時だ。金額の多寡を問うものではない。それぞれの力に応じて日本に義捐金を送ろう」と。

日本には、まだまだ、危惧されている巨大地震がたくさんあります。
それがいつ来るかは分からない。
それを思えば、これは他人事ではないのです。

しかしながら、今回、
我々は被害を受けず健在です。

日本は全滅したわけではないのです。

我々には、被災地に手を差し伸べる用意と力がある。

今回の震災で日本経済が打撃を受けるのであれば、
それを挽回するのが、被災しなかった我々の務めだと思います。

ぼくはやっぱり日本が好きです。
日本人が大好きです。

大好きだった風景や人の営みが破壊されて、
ぼくはとても悲しい。

それでも生きている人が多数いるのを知って、
嬉しかった。

ぼくらを取り巻く環境がどう変わろうと、
ぼくらは生きていくばかりです。

ひとりでは生きていけない時代に入ったのだとぼくは思います。

他人を助け、助けられることがなければ、
生きてはいけない時代が来たような気がします。

力を合わせて生きる。

でもそれは、人類誕生の昔から、
ぼくらの祖先が、繰り返してきたことだと思います。

それをもう一度、ぼくらは思い出す時代を迎えた。
そんな気がします。

それでは諸氏、
本日も、各自の持ち場で、どうぞ、奮闘願います。



【3月15日(火)】

藤村でございます。
先週末から関西に行っておりまして、そのまま東京へ入る予定でしたが、昨夜、関西から直接、札幌に戻って来ました。

この数日間の出来事で私は、今まで感じたことのない「日本人の誇り」を強く感じました。

それははからずも、被災した東北、関東の人々が、身をもって示した誇りでありました。

略奪どころか、そこにある食料を分け合う人々。スーパーの前に、駅に、整然と並ぶ人々。世界中がその姿を目の当たりにして驚いている。

空になったコンビニで数十万円が盗まれた、放置された車で車上荒らしがあったという記事が、新聞の片隅にありましたが、そんな程度。

ほぼすべての日本人が、「今、そんなくだらないことをして何になるんだ」と思っている。

電力が足らなくて計画停電をするとなれば、全員が節電をして、急激に電力消費量が減った。この、意識の高さ。

誰が貼り出したのか、安否情報を書いた張り紙が、いろんなところに貼ってある。線路脇の踏切にも貼ってあった。避難所の扉には、「寒いので必ず閉めましょう」という張り紙もあった。なんという、秩序。

昨日は、気仙沼で津波襲来の誤報があった。しかし、それをとがめるのではなく、「津波が来なくてよかった」と思う人々。

地震直後に、女子高生を救うふたりの男性の姿があった。その男性の奥さんは、すでに津波で流されていたという。もしこの男性が、その事実に泣き崩れていたら、この女子高生を救うことはできなかっただろう。この、強さ。

避難所の学校で、ヘリポートを示す「H」の文字が書いてある。その文字の上で、男の子たちがドッジボールをしているのが見えた。この、たくましさ。きみらのような子供がいれば、日本はまだまだこれからも元気だ。

悲嘆に暮れ、泣き崩れるのは、まだもう少し先のことだ。今は、今ここにある状況を乗り切ることだ。少し乗り切ることができたら、そのときには、みんなで声を上げて泣こう。でも、今は、まわりに「大丈夫だ」と言って、見栄をはって、気丈に振る舞っていこう。

日本に、強力なリーダーシップを取る政治家はいない。だからこそ日本人は、自分たちで、この状況を少しずつ打開していくための秩序と、強さと、たくましさを持った。ぼくは、それが世界に誇るべき日本の姿だと思う。

日本の将来に悲観する必要なんかない。

それぞれの持ち場で、今、できることをやる。

嬉野さんは、掲示板を更新しております。ぼくは、編集室で、新作の編集をしております。

明日、岩手と福島では、新作の第二夜が、今のところ放送される予定です。

バカバカしいです。どうしようもなくバカバカしい。しかし、この30分だけでも、笑って過ごせることができるのなら、それが今、われわれにできることです。

来週水曜日は、DVD「アメリカ横断」が受け渡しとなりますが、東北以北では、物流の関係から、まだどうなるかわかりません。今は、食料などの物流が最優先。もう少し、待ちましょう。

東北、関東以外のわれわれが今、できることは、不安にあおられて、水や食料、電池を買占めたりしないことだ。

買い占めれば物資が足りなくなり、値段が上がる。当然のことだ。

われわれは、今、ここにあるもので、なんとでもなるんだから。

さぁ、来週、東京で開かれるはずだったコフェスタPAOも中止になったことだし、じっくりと新作を編集します。

そして、こちらにも頻繁に顔を出すようにします。

各自の持ち場で粛々と!解散!



【3月16日(水)】

藤村でございます。

昨夜は雪が散らついていましたが、朝になると、札幌はとてもいい天気でございました。

家の前の雪かきをして、駐車場の氷を割って、ウォーキングに出かけました。

すると、雪に埋もれていた川沿いのサイクリングロードが、すっかり除雪されていて、地面が出ておりました。

ウォーキングをランニングに切り替えて、久しぶりに走ってみました。

冬の間は走ってなかったので、まぁゆっくりと。

やがて、向こうからおっさんが走ってきて、「やぁー久しぶりですねぇ」と。

ランニングの季節には、よくすれ違う人で、あの人も、走り出したのでありましょう。

お互い手をあげて、「やぁー久しぶりですねぇ」と。


北国にも、ようやく春が来ております。

春はもう、すぐそこまで来ております。


新作の放送が、どうなるかわかりませんが、編集は粛々と進めております。
今日は、「第八夜」と「第九夜」のスーパー付けをしておりますよ。
去年のわれわれは、まだまだ、のんびりと旅を続けております。


あの、あれです。

いろいろ落ち着いたら、来年あたり、また「祭り」をやりましょう。

もうあれから何年経ちましたっけ?5、6年経ちましたっけ?

あのときも、特に派手な出し物はありませんでしたが、とりあえずまた、やりましょう。今度はもうちょっと暖かいときに。でもう、子供は早く寝かして、おっさんたちだけで、夜通し飲みながら、みたいな感じの、ぐだぐだで。あーそりゃもう、朝まで付き合いますよこっちも。

それまでにね、おっさんたちも体力をつけて。いいですよ、ランニングは。別に全部走らなくてもいいんです。カッコ悪くてもいいんです。途中で疲れたら歩けばいい。今日は走りたくないと思えばサボればいい。そうすれば、長く続けられますから。何年も続けられますから。

今年一年は、きっと体力勝負の年になりますよ。日本という、とても弱った国を支えるのは、われわれサラリーマンですからね。上はもう、昔からあてになりませんから、この国は。ビシッとね、働きましょうよ、われわれが。

あ、奥さん方もね、もちろん、よろしくお願いしますよ。
そりゃもう、日本を支えているのは、昔から奥さん方ですからねぇー。
「祭り」のときはもう、奥さん方が主役ですよ。そりゃもう、うちの大泉洋さんやらミスターさんやらがもう、奥さん方をご接待しますよ。えーもう、ご要望とあらば、彼らは裸おどりでもなんでも喜んでやりますよ。あーもう、嬉野先生だってね、いっしょに踊りますよ。
わたしはね、もう隅っこの方でね、おっさんたちとぐだぐだと飲んでますから。

祭り、やりましょう。

「集え!真駒内へ!」ってね。

大丈夫、バキッとやるから。

だからね、案ずるな!と。

今できることは、とりあえず、ライトオフ!と。

ロビンソンが言ってますよ、きっと。

「あーそんなことしちゃダメだよー、電気なくなっちゃうよー」って。

よし!じゃあ、本日も働こう!



【2011年3月17日(木)】

嬉野です。

現在、携帯から、どうでしょうのHPに参られますと、
「メッセージ壁紙ダウンロード」なる項目が新設されておりまして、そこから、

【案ずるな!】【ライトオフ!】【バキッとやるから】

という、各自の持ち場で奮闘するみなさんへ向けた、
どうでしょうメッセージが受け取れるようになっております。

えぇ、昨日のことであります。

わたくしが、編集室への階段を昇っておりましたら、
反対に上から降りてくる人がおりまして、
見ましたら、うちの藤村先生で。

擦れ違いざまに私に数枚の紙切れを見せてくれまして、

「これ、これから、携帯に上げてもらおうとおもって」

と、申しますので、どれどれと見ますと、

【案ずるな!】【ライトオフ!】【バキッっとやるから】と、

書かれておるのでありました。

「あ、なるほど…」

私は、それらの文言に不意を突かれて、
はなはだしく気の抜ける思いでありました。

気の張った毎日が続いています。
もちろん気を抜いては踏ん張れない方々もおられます、

それでも、張り詰めてばかりもいられないものです、

そこへもってきて【ライトオフ!】

少なくとも私はその場で気が抜け、
そして思うのでありました。

「やはりこのおやじ、只者ではない…」、

というか、

「おそらく地球人ではないのだろう…」と、

この状況で、この対処、
常人にできることではございません。

あの方を見ておると安心することがございます。

わたくしは、
ただただ深い畏敬の念が湧きあがるのを覚えながら、
担当部署へ急ぐ、
うちの藤村大先生の後ろ姿を見送ったのでありました。

ということで、
現在、携帯から、どうでしょうのHPに参られますと、
「メッセージ壁紙ダウンロード」の項目から、
上記しました三枚のメッセージが受け取れます。

「これから随時、増やしていくんんだ」と、

大先生は、力強くおっしゃっておられました。

ただ、
この期に及んで、
【バキッとやるから】を選んだ、
その真意のほどは、よくわからんの…ですが。

さて、本日も、被災地の諸氏の書き込みを中心に、
掲示板更新しております。

やはりいろんな場所で、いろんな状況の人が踏ん張っておられるようです。読みながら見守ります。

震災の日から数えて7日目ですから、
おなかへったろうなぁと思います。
踏ん張り続けるのも、そろそろ辛くなって来たろうなぁ。

不自由な身体で被災して辛い思いをされてる方がおられました。
でも、みんなで見守っております。

掲示板には、粉ミルクを満載したトラックが東に向かいましたとの情報もありました。

きっともう少しなのだと思います。

原子力発電所もやがて沈静に向かうはず。
ぼくは、そう信じることにしました。

だって、現場の人は命がけです。

今日の札幌は、時折、かなりの雪が舞います。
寒いです。
被災地も寒いです。

東北に早く救援物資を届けてくれ!
ガソリンを届けてくれ!
はやくみんに、あったかいご飯を食べさせてくれ!
あったかい場所で眠らせてあげてくれ!

日本中の人が、胃をキリキリさせながら祈っております。

救援物資を輸送中のみなさん!
なにとぞよろしくおねがいいたします!

では本日も、各自の持ち場で、
できうる限りの、奮闘をいたしましょう。




【3月18日(金)】

嬉野先生もすでに書いておりますが、藤村も書いてございます。

今日は、一番下の坊主の小学校の卒業式でした。
式に出て、またこうして会社で新作の編集をしております。

坊主が生まれたのは、98年。
すでに「どうでしょう」を始めて2年が経っていたころでありました。
とくに感慨深いものがあるわけじゃありませんが、この番組も長いこと、飽きずにやってるもんだなぁと、ふと思いました。

昨夜は、ちょっと遅くまで雑誌の原稿を書いておりました。

「あなたは3月11日に地震が起きたとき、どこでなにをしていましたか?」
「その後の3日間、どこでなにをしていましたか?」
「そして、そのとき、あなたは、なにを思いましたか?」

ある雑誌から、それを日記のように記してほしいと。
で、考えました。自分は、なにを思っていたんだろうと。

あの日の夜、テレビを見て、
「これは、たいへんなことになった」
という認識が、まずありました。
「日本は、たいへんなことになった」と。
悲しいとか、怖いとか、そういう感情は、ありません。
ただ、テレビの映像を見て、「たいへんなことになった」と。

そして、
「これからは、とくにかく働かないといけないなぁ」と。
テレビでは、町全体が壊滅したところもあると言っている。
「これを立て直すには、とにかく働かないといけないなぁ」と。

今までは、家族のために働いている、という意識も大きかったけれど、これからはちょっと、この国のために働かないとなぁ、と。

そして、それはたぶん、「長いことになるだろうなぁ」と。

何年かかるかわからないけど、その間に、日本には、いろんなことが起こるだろうけれど、自分はそんなことにあわてずに、とにかく働いて、少しずつ直していくしかないなぁ、と。

世間の流れとは無関係に、長いことおんなじことをやるのは、自信があるから、慣れてるから、だから、たぶん、おれは働けるなぁ、と。

覚悟とか、決心とか、そんなたいそうなものではなく、ただ、自分が働ける分野で、これからのサラリーマン人生を、この日本という弱った国のために、もう少しだけ上積みして、働けばいいわけだから。

そのぐらいの心意気と体力は、まだまだおっさんにも充分ありますから。

そう思うと、目先のことに右往左往しても仕方がないって、思えてきますから。買い占めとか、そんなもん無意味だってわかりますから。それよりも大事な部分が見えてきますから。

どうせこれからの道のりは、長いんですから。

だから、今は、「募金」も「節電」も、無理のない範囲でやればいいですよ。

あわてて募金しちゃって、今月のガス代払えないっていう人がいましたけど、そんなことしてたら長くできませんから。今、「節電!」ってがんばってると、「節電しなくていい」っていう日を待ち望んでしまうから。たぶん「節電」ではなく、これが「通常」になることも、どっかで思っておかないと。だって、これからぼくらは、将来のために、ちゃんと選択しなければいけないから。危険なものに頼ってまで、これまでと同じ電気が欲しいのかどうか。

「何もできない自分がもどかしい」
「暖かい部屋にいる自分に罪悪感がある」

そんなことを思っていると、長くできませんよ。いいんです。今はなにもできませんよ。ちっぽけな人間なんですから。当たり前じゃないですか。でも、長いことやれば、その長い分だけ、ひとりの力は大きくなりますから。それが、小さい人間の力の見せ所なんですから。

あんた方も、長いこと「どうでしょう軍団」の一員をやってるんでしょう。

ぼくらの力ってのはたぶん、「恥ずかしながら、長いことやってます」っていう、そこぐらいしかないでしょう。

でも、そこなら自信があるはずでしょう。

それ以外は、ただのバカの集まりなんだから。

でも、長いことやってると、いいことあるって、わかってるでしょう。大きな力になるって、わかってるでしょう。

だったら、じっくり腰をすえて、「よぉーし、待ってろよぉ」と。

「やるときは、やるからぁ」と。

「バキーッとやるからさぁ」と。

コブシだけをこう無駄に握りしめて、「うぉう!」っと出しておきなさいよ。

今は、そのぐらいでいいです。

でも、長くやるから。もういいって言ったって、やるから。

よし、じゃぁ、日曜日は休日出勤するから。

それまで、各自、できるだけ暖かくして、手元に王子の衣装があれば、それも着て、「避難所で一泊!」と言って、寝ましょう!

解散!


2011年3月18日(金)

嬉野です。
先ほど掲示板よりピックアップ。

●この場をお借りして‥‥
(株)リアルドッグフード@北海道
私達は北海道の余市でドッグフードを製造している、小さな小さな会社です。
私達に何が出来る?と散々話し合い、決めました!
被災地には人だけでなくペットも沢山います。食べ物が無く餓死してしまったり、飼い主さんとはぐれ、どこかで何匹も預かって下さっている方も沢山いらっしゃるそうです。そこへ、私達のドッグフードを自ら届ける計画を立てました。
フェリーで被災地に向かいます。
しかし、問題がありこの掲示板をお借りしました。
私達が製造出来る量ではとうてい足りなく、空っぽの車で被災地へ向かう事になってしまいます。道内のペット関係のお仕事をされている方の一人でもこの掲示板を見て、私達にペットフード(種類は問いません、現金は受付出来ません)の寄付をお願い出来ないかと思っている次第です。
詐欺も多く、直接お会いしてのお願いでもなく、なかなか集まりません。
しかし、時間がかかっても、ほんの少しの量でも、必ず届けたいという強い気持ちに嘘はありません。
何かしたいと考えている同業者の方がいらっしゃいましたら、どうか、ご協力をお願い致します。

また、被災地の方々へお願いがあります。あちこちで情報を募っていますが、これもまたなかなか集まりません。
ペットフードが足りていないペットの避難場所や個人でペットを預かっている方などの情報が欲しいのです。
また、直接私たちとコンタクトをとっていただける方がいると幸いです。

真剣にご協力頂ける方はメールを下さい。

うれしぃ、ふじやん、この内容がこの掲示板に相応しくないと判断された場合は載せなくて結構です。でも、もしも載せて頂けたら、本当にありがたく思います。

どうでしょう予約済です!
楽しく明るい気持ちでたくさん笑いたいです。
そのために、私達に皆さんの少しの協力をお願い致します!

●長野県でも
しろくま@長野
栄村では約1700人が避難生活中です。90歳のおばあちゃんが救援物資のおやきを貰って『ありがとうと言う言葉と涙しか出ない』って。
長野県で救援物資や募金募集始まったからとりあえず自分に出来る範囲で参加しました。

●要請で
名無しの土建屋@帯広
会社の要請で道路を復旧させるため明日から被災地に向かい瓦礫を撤去しながら被災者に届ける物資を運ぶためのトラックが通る道路を作ります、私は土木技術者として今まで生きてきてこれほど仕事に対して燃えることはありませんでした、だって非力な私でも被災者のために力を尽くせると思うと本当に技術者でよかったと思います。いつかこの道路を走るトラックの中にはどうでしょうの新作のDVDを運ぶかもしれません、私は藩士として技術者としてなんとか被災者のために持っている力を全て使い果たしたいと思います。文章がズタズタですがどうかご勘弁を…

ということで、
支援活動の現場は、なかなか報道できない現状のようなので、現在、そしてこれから、救援作業、物資輸送、さまざまな支援作業に従事されるみなさん、すでに懸命に活動中のみなさん、ご多忙とは思いますが、些細な事でもかまいません、ここをご覧であれば掲示板に書き込みください。