4月5日火曜日。
藤村でございます。
まだまだ、日常には戻れない混沌とした状況の中で、
毎日を過ごしている人々も数多くいることでしょう。
そんな中でも、新たな生活が始まった人もいるでしょう。
うちの長女も、関西の大学に進学し、札幌の我が家を巣立っていきました。
北海道と本州の間の物流が不安定で(今はずいぶん回復しましたが)、
引っ越しの手配がつかず、私と、こんど中学に上がる坊主とふたりで先週末、
長女の身の回りの荷物を抱えて、いっしょに関西まで運んできました。
北海道の、特に女の子が、本州の大学に行くのはとても珍しいらしく、
周りからは「本当に行くの?」と言われていたそうでありますが、
うちは親が親ですから、「遠い土地に行ってみる」という思いも強く、
迷わず北海道から出て行きました。
彼女がこれから住む新しい土地を、いっしょに歩き、あれこれ必要な物を買いました。
ちょっとヒールの高い靴を札幌で買って履いてきたのに、
買い物の途中で「足が痛い」と、2千円のペタペタの靴を買って、
「やっぱりこの方がいい」と言っておりました。
小さな部屋で荷をほどき、整理をしました。
坊主は、姉の部屋に置かれた新品のこたつに入り、
「これいいなぁ、これいいなぁ」と、しきりに言っておりました。
北海道には、こたつを置いてある家がほとんどないですから、
初めてのこたつに肩までもぐって、
「これいいなぁ」と
ずっと言っておりました。
夜は焼き肉をたらふく食べて、新たな門出を祝いました。
私と坊主が札幌に戻る日、
最後に近くのショッピングセンターでいっしょにケーキを食べました。
姉は弟の顔を、やたらと触っておりました。
弟は、いやがる風でもなく、触らせておりました。
店を出て、駅に向かってショッピングセンターの中を歩いていると、
弟は、気を利かせたつもりか、
急に「じゃ、ここで」と、姉に向かって別れのあいさつをしました。
「おまえここじゃねぇだろ、とりあえず駅までいっしょに行こうや」
そう言うと、坊主は黙って、また歩き出しました。
駅に着いて、改札口が見えてきたところで、
長女に、
「じゃぁ、な」 と、
立ち止まらずに、軽く言い、
長女は、
「うん」
と言って、そこで立ち止まって、軽く手を振りました。
坊主も黙って、ちょっとだけ姉に向かって手をあげました。
改札口に入って、チラリと後ろを振り返ると、
もう長女はすたすたと歩き出していました。
ペタペタの2千円の靴をはいて。
その姿を見ながら、
彼女が小学校に入って、最初の登校日の日に、
こっそりあとから玄関を出て、
長い坂道を下りていく、小さい背中をしばらく見送っていたのを思い出しました。
「小さいなぁ、でも、ひとりで歩いてるなぁ」
と、思いました。
今、駅の向こうの雑踏を歩いていく長女の背中も、
やはり「小さいなぁ」と思いました。
でも、「ひとりで歩いているなぁ」と。
関西空港に向かう電車の中で、長女からメールが来ました。
「さみしくてしにそうだけど、がんばるわー」 と、ありました。
初めて、「さみしい」という言葉を、長女から聞きました。
「また焼き肉食べに来るからな」 と、返しました。
「がんばれよ」 とは、書きませんでした。
がんばるに決まってるから。
もう言わなくても、ひとりで、がんばるに決まってるから。
2011年4月。長女は巣立っていきました。
【ここから嬉野さんにのこけし日記】
2011年04月7日(木)
嬉野です。
この頃は「こけし」が気になる。
いやぁ、時節がら「なにをおまえは呑気な…」と思われるんだろうけどさぁ、
どうにもこけしが気になる。気になるのよ奥さん。
さっきまでね、藤村くんの書いた、父と娘の親子別れの日記を読んで、
掲示板には、「涙がこらえきれませんでした!」って、
感涙の投書が続々と届いているというこの最中、
その今この時に、
だれからも共感されそうにない、
こけしの話題を書く私。
「藤村さんの日記に戻してください!」
非難の投書も陸続と来そうな今日この頃、
ほとんど世間を敵にまわしての「こけし」話。
それも、なんらかの結論なり教訓なり叙情なりがあるならばまだしも、
たんに個人的な、「気になる」という、
ただそれだけの想いの吐露。
そう。吐露だけなの。
そう、あれはね奥さん。(しのごの言いながら、もう一方的に始めちゃってるんだけど…)
今年に入ってすぐの頃でありましたよ。
ある日、書店にまいりますとね、
平積みにされていた「こけし」の本がありまして、
本の腰巻には、さくらももこさんのコメントがあり、
それで「おや…」と思い、手にとってぺらぺらとページをめくりますと、
そこには、こけしの写真がふんだんにありました。
その写真が私には好かったのかもしれません。
その時から、すっかり「こけし」にやられてしまい、
以来、現在に至っても「こけし」が気になる私であります。
あれから会う人ごとに「こけし、好いよね」という話をします。
しますが、いまいち気合の入った返事はもらえない。
どうやらみなさん「こけし」には興味があまりないようでね。
こけし、可愛いんだけどなぁ。
そう思うばかりであります。
そこへ今度の震災で。
こけしの里はみな東北です。
こけしたちは、どうしておるのでしょうか?気になります。
こけしの工房で、こけしを生み出しておられる、
こけしの生みの親である職人のみなさんは御無事であられましょうか?
こけし道具は無事でありましょうか?
在庫の「こけし」たちは?
気になります。
こけしの顔。
今まで、まじまじと見たことがありませんでした。
それなのに、あの日、「こけし」の本をぺらぺらとめくった時、
私は生まれて初めて「こけし」たちの顔をまじまじと見たのでありました。
「こけし」には顔があるの、奥さん。
それが見てるうちに、なんとも好い顔に見えるの。
人はね、表情から、実に多くのものを読み取って、勇気づけられるんだね。
そう思いました。
その時、私は、そこで見た、
こけしの顔のいちいちに、
少なからぬ衝撃を受けてしまった。
ようするに、思い知ったのね。
可愛い顔というものを、自分は常日頃、どのように思っていたのかとね。
パッと見て、すぐに「あら可愛い」と、思うものばかりしか、
今の時代には生き残れない。
それなのに、ここにある、
この「こけし」の顔、
これはなんだ。
これが可愛いのか?
この顔が可愛いと評価できるのか?
なんだ、このびんぼくさい顔は?(中にあったんです。ある地方のこけしの顔にね)
そんな衝撃を受けながらも、
それでもその顔が、私めがけてビンビンに何かを飛ばしてくる。
なんだか強く思いつめたような顔なんです。
何かを懸命にこらえている顔なんです。
口元を真一文字にして、それでも、まっすぐ前を向いている顔なんです。
見ながら、私は思い出していたのかもしれません。
「あぁ、そうだ。そういえば、昔、こんな顔をした子供たちがいたぞ」と。
今の時代の可愛い顔は、今の時代を享受しての顔なんです。
でも、世の中がこうなる前、
子供たちに、いろんな仕事があった昔、
学校から帰っても遊びに行けず、でも、おかあさんが大変だから、私は何も言うまい。
小さな妹の世話をしなければならないから、私は何も言うまい。
そんな顔したような「こけし」がね。
5体ばかし集まって、ならんでいる写真などもありまして、
そんなのを見てますと、
なんだか、そこに、ほんとに、こどもたちが集まっているような気がしてくるのよ奥さん。
いったいどんな時代に、こんな顔をしたこどもを自分は見たのだろうと、
思い返しても思い出せないけど…。
こんな顔をしたこどもは、今の時代には、もういないなぁ。
なぜなら、こんな顔をする必要がないからだよね。
人の表情は、時代とともに変わるんだね奥さん。
それなのに、そんな子が、いなくなった今も、
そんな顔を「こけし」に描いている人がいる。
ずっとそんな顔を描いているの。
忘れていた顔に慰められるということもあるのね。
と、いたく感慨にふけっておりましたある日。
女房が、私の部屋へやってきて、
「これあげるよ」と、
2体のこけしを持ってきたのですよ奥さん。
「あ!こけしじゃん!どーしたのこれ!」
「昔、もらったの、あげるよ」
「いいの!?もらって!?」
「いいよ、じゃまだから」
「じゃま…」
「置くとこないもん。ずっとしまってた。これほら、首んとこ回すとキュッキュッって音鳴るんだよ」
「あ!あ!それ鳴子温泉のこけし!ここほら、この本のここに特徴、書いてるもん」
「ほんとだ。有名なんだね」
「すげぇ!いいの?ほんとにもらって?」
「いいよ、じゃまだから」
「…」
今、私の部屋の3段チェストの上で、
山形と鳴子の2体のこけしが仲良く肩を寄せ合って並んでおります。
可愛いのです。
あぁ、もっと欲しい。こけしが欲しい。
いずれ、世の中がもう少し落ち着いたら、東北へ「こけし」を求めに行こうと思う私であります。
まぁね、この時節、そんなおめぇの都合はどーでもいいなぁって、
やっぱ、みんな思ってるんだろうなぁ。
可愛いんだけどな、「こけし」な。
ということでね、
各自の持ち場にも、飾ってもらいますよ、いずれ、「こけし」ね。
はい。じゃぁまた明日。
いやもう、まったく届かねぇだろうなぁ…。