内藤大助
1974年8月30日生まれ
出身地:虻田郡豊浦町
元WBC世界フライ級王者(第36代)
“最短男”というニックネームでファンに親しまれ、現在も人気は衰える事を知らない。
現在37歳、現役か、引退か。ボクシング人生の岐路に立つ。
オフィシャルHP:http://daisukenaito.com/
内藤大助
1974年8月30日生まれ
出身地:虻田郡豊浦町
元WBC世界フライ級王者(第36代)
“最短男”というニックネームでファンに親しまれ、現在も人気は衰える事を知らない。
現在37歳、現役か、引退か。ボクシング人生の岐路に立つ。
オフィシャルHP:http://daisukenaito.com/
実家に帰省した、元ボクシング世界王者・内藤大助。
夕食のジンギスカンを親子で囲みつつ、久しぶりの団らん。
内藤がボクシングを始めてから、小さい頃に比べて
顔が「ボロボロになった」というお母さん。
顔をまじまじと見ながら泣き笑い。
夜も更け、内藤はお母さんに日頃のグチをぶつけ始める。
「世界王者になっても母親に褒められた事がない」という内藤。
「そんなことはない、よくやったと言った」という母。
食卓を囲みながらの親子バトルが始まった。
何を言っても母に否定される内藤。
内藤家親子マッチは息子のKO負け。
面と向かえば、言い争いになることの多い内藤親子。
スタッフだけにお互いの本音をそれぞれ語ってくれた。
プロボクサーになってからも、アルバイトで生計を立てていた内藤。
練習に打ち込みたい試合前の支えとなったのが、母親からの仕送りだった。
その時の支えがあったからこそ、今の自分があるという。
“やっと今、その時恩を返してるし、これからもずっと返し続ける”という内藤。
親が子を守るのは当たり前だという母。
遠くに住んでいても、何かと気遣ってくれる
息子の気持ちに感謝しているが、
“ありがとうを言うのは死ぬときです”という母。
翌朝、次に里帰りするまでのしばしの別れ。
(息子が)帰ってきたら、せわしないけども、顔を見ると安心するという母。
「相変わらず」「ケンカできるぐらいがいい」という息子。
口には出さずともキモチは同じ。
これがこの親子のカタチなのだろう。
「ケンカするほど仲がいい」
この親子を表すにはピッタリな言葉だ。
今回帰省するのは、元ボクシング世界王者、内藤大助。
1974年豊浦町生まれ。高校卒業後上京、ボクシングに出会う。
32才で世界タイトル獲得。現在37才。ボクシング人生の岐路に立つ。
青春時代をすごした思い出の部屋…。おもむろにタンスの中を見ると
ゲーム機や、当時のアイドル写真など・・次々と出てきたのは、時代を象徴する品々。
世界王者とて、通った道は同じようだ。
そして、ディレクターが大量のノートの中からスゴイ落書きを発見した・・・
そして、内藤の人生に大きな影響を与えた中学校で、
当時、いじめっ子のことをみんなの前で厳しく叱ってくれたという
中学校3年間の担任・佐々木秀俊先生を呼んでいた。
「自分も学校の先生だけど、俺が言っても響かない心に、君の言ったことが響く存在になったと思うから…。だから、この先リングの上か、リングの外かわからないけど。
どっちにしても勇気を与えられる存在でいてほしいな…と思ってます」
という恩師からの言葉は、決断を控える内藤の心に深く響いたに違いない。
午後8時、実家へと戻った内藤。
家族との久々の団らん。
夕食は、離れると恋しくなる道民の味ジンギスカン。
内藤が食べたい料理は作ってもらえなかったという夕飯の思い出話に…
「親が出したモノは何でも食べなさいって主義だからね。
子供を主にしては出さなかったの」というお母さん。