北海道の小さな村の工場で作られるギターが世界へ 受け継がれる職人の技と夢
2024年 9月13日 17:45 掲載
人口約950人、山あいの小さな村・西興部村(にしおこっぺ)です。ここに世界中の演奏家が使うギターの本体を製造している第三セクター「オホーツク楽器工業」があります。従業員はおよそ40人、村で一番大きな工場です。木と向き合う高い技術が評価され、日本のギターメーカー「フジゲン」からの発注を受けて、ギターのボディの部分を製造しています。
エレキギターのボディはほとんどが「木」で作られます。弦を強く張っても歪まない強さと、演奏しやすい軽さが求められるためです。本体の形を切り出すまではほとんど機械で行います。
■向井地紀幸工場長「これはNCルーターといって、あっちでも見てもらった機械ですが、今この形から、この形にしています」
そしてマイクを埋め込む穴などを切り込んでいきます。1日に多い時は100体、年間で2万体を生産します。機械で削り出したボディは、表面が荒い状態です。ここからの工程は職人の高度な技術が求められる手作業になります。
■高橋涼太さん「目で見て、手で感覚で確認して、って感じでやってますね。木はどうしても動いちゃうものなので、形も違いますし、柔らかさも違う。そこをうまく綺麗に整えていくのは、なかなか難しいところがある」
佐呂間町出身の高橋涼太さんは音楽が好きという純粋な思いから、19歳の時にこの工場に就職しました。日々感じるのは「木」という素材の難しさです。
作業中にわずかな凹みを見つけました。水をつけてアイロンで温めると、凹んでいた部分が膨らんで浮き出てきます。微妙な熱加減で表面を平らにしていきます。
■高橋さん「この辺は完全に手作業なので、しっかり人の目で見て、直していかないといけない」
研磨の次は塗装です。わずかなチリやホコリが紛れ込むだけで商品になりません。空気中のホコリや余分な塗料を吸着するオイルを流しながら塗装を行います。この道30年、塗装技術部門のトップを務める藤田さんは、最も神経を使うといいます。
■藤田伸一課長「比較的作業的には単純作業ですけど、単純作業の方が逆に難しいかもしれない。常に同じ状態キープするって言うのが。答えが見つからない、なかなか。これといった答えが」
ボディ作りは最終工程です。塗装したものがこちらの作業場に移されて、研磨されて磨く工程になります。羽布と呼ばれる研磨用のモップで最後の仕上げです。
■向井地紀幸工場長「仕上げてもらって、できてんですけど、みなさん映りますか?」「これが鏡面仕上げですね」
出荷できるかどうか検品作業を行っているのは、坂本琢磨さん(23歳)です。ギター制作などを学ぶ専門学校を卒業後、埼玉県から移住してきました。
■坂本琢磨さん「自分の持っている技能を生かせる場所というと、結構限られてくるんで、それで自分の道を探していきたいというので、チャレンジしてみようとこっちに来た。どんどん自分のスキルが上がっているなとすごい感じられるので、周りの人に教えてもらったときは、本当に1日で上達したって感じられる」
受け継がれていくものづくりの技術。小さな村のギター工場に若者が集まります。ギターに注いだ愛情が次の夢に繋がっていきます。
ヤマモトアラタさん(26歳)は札幌で音楽活動をしています。去年、今年と2年連続で北海道を代表するロックフェス、ライジングサンロックフェスティバルに出演を果たしました。ギターとの出会いは9歳の時でした。彼が手にしているフジゲン製のアコースティックギターは約50年前に作られたものです。ミュージシャンを目指していた父親が小学生の時に手に入れたものでした。
■ヤマモトアラタさん「父親がいきなり、奥からギターを出してきて、それがこのギターだった。もうかれこれ20年近くは、このギター弾いている」「受け継ぐっていう形でも、このギターを持つ意味合いがある。作り手もそうですし、弾き手もそうですし、いろんな人の思いが詰まったもの」
■西興部村菊池博村長「若い人を中心に村も支援して、将来的にも、発足当時からの木材に関わる村ということで、ギターの生産を続けていくように村としても支援していかなきゃいけない」
西興部村はいまギター産業と若者への支援に力を注いでいます。ギターの原料となるシナノキは、かつて西興部村でも生産されていましたが今は海外からの輸入と道内の他の地域からの木材に頼っています。西興部村は2021年からシナノキの植樹をはじめました。毎年およそ1000本を植えています。ギターの原料となるまで太く育つのは、およそ80年後。小さな村で生まれたギターが、これからも弾き手の夢を鳴らし続けます。
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