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ノブコブ吉村、HTBに突然現れる!

テレビ

戸島龍太郎(プロデューサー)

2019/09/02

令和になっても平成ノブシコブシとして活躍している吉村崇君が8月某日、HTB5階のスタッフルームにやってきた!

吉村君とは6年ぶりの対面。
「久しぶりです、戸島P、変わんないっすね」とあの人懐っこい笑顔に癒される。気さくさはあの頃と変わらない。

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実は平成ノブシコブシ初の冠番組を制作したのはHTBだ。

2010年に「ヨルオシ!」、2013年には「ヨルオシ!!」を北海道ローカル番組として深夜に放送。

謎のUFOパークを訪ねたり、催眠術にかかってみたり、相方 徳井健太君のおじいちゃんを捜しに別海町に行ってみたり、不気味なカエル記念館に行ってみたり。

東京キー局ではやらないことをやってみようという実験的な番組だった。

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6年ぶりの会話で吉村君がまず話してくれた思い出は、大好物の「ガラナ」を番組オリジナルで作ったこと。
七飯町のガラナ製造メーカー・小原の協力を得て、吉村&徳井が好む味にガラナの濃度を濃く、炭酸をガツンと強めに調整し作っていただき、なんと一般のスーパーマーケットで販売もしたのだ。

その名も「破天荒ガラナ」
そこそこ売れた記憶がある。もう賞味期限が切れて飲むことは出来ないが、私の自宅には記念の1本が保管されている。

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今やキー局の番組で吉村君を観ない日はないほど活躍しているが、札幌のFM局でレギュラー番組を持っていてたまに札幌に来ているという。
HTBで今回再会出来たのも、その収録を終え、吉村君の高校時代の同級生でHTB社員・営業部の中見宏君を訪ねたことで実現したのだ。

「またHTBで番組作りましょうよ」と嬉しいことを言ってくれる。
「いいねー!今度ゆっくり話そうよ」。
再び一緒に番組を作ることを誓い、東京に帰る彼の姿を見送った。

初の冠番組で一生懸命ロケに向き合っていた青年も来年は40歳、さらなる活躍を期待している。
健康には気を付けて!

戸島龍太郎(プロデューサー)

1967年宮崎県宮崎市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、1990年に北海道テレビに入社。報道記者を経て、1991年7月「気分は天気730」ディレクターに。その後1993年5月から4年4か月「マイステーション」のニュースキャスター。1997年9月から1年間、奥様向けバラエティ番組「今日もすっぴん」のスタジオMCを経験し、1999年から情報番組「夕方Don!Don!」の中継リポーターやスタジオMCを担当。

2003年からは報道部に籍を移し、中継や特集担当の記者として飛び回る。その一方でテレビ朝日系列全国ネット番組「心の中の国境」(投手スタルヒンの生涯を追った番組。出演:徳光和夫)、「青いツバメ」(小樽出身の国際政治学者秋野豊のドキュメンタリー。出演:泉谷しげる、優香)、「旭山動物園日記」(出演:関根勤・麻里、キャイ~ン・ウド鈴木、中山秀征、優香、次長課長)、テレメンタリーなどを制作。2008年にはHTB開局40周年記念番組「カムイの夜明け」(出演:宇梶剛士)を制作。木彫り熊のルーツはスイスにあることを紐解いた。

2009年4月から1年間「イチオシ!」のニュースの編集長、2010年4月からはプロデュース部のプロデューサーになり、HTB深夜開拓魂(毎週木曜日深夜)シリーズを担当。「平成ノブシコブシのヨルオシ!」「我思う、故に我ラーメン」「美女動画」「もしものが~まる」「帰省なう」「探検!秘境駅」「壇蜜古画」等を制作。

2012年2月25日に放送した「時を超えたエール」では、さっぽろ雪まつりの大通会場に出来た福島県会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」をきっかけに、北海道と東日本大震災の被災地福島の200年にも渡る長く深い絆を描いた。2013年7月、夕方の情報番組「イチオシ!」のチーフディレクターに。プロデューサーになってからは特別番組「さよなら江差線」「カイミの104kmふれあいウォーク」「六角精児とカイミの鉄道で行こう!」を制作。

2018年6月からは「イチモニ!」のプロデューサーに。特別番組「イチモニ!イチオシ!新春初合体スペシャル」を制作したほか、「イチモニ!スペシャル 挑め!超過酷な絆のレース」(2019年7月13日放送)のプロデューサーも務めた。

現在は「おにぎりあたためますか」のゼネラルプロデューサー。
9月16日(月・祝)午後4時から放送する「宇梶剛士と土屋まりの鉄道で行こう!留萌線の旅」のプロデューサーも務める。

この記事を書いたのは

戸島龍太郎(プロデューサー)