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これまでの大雪像


 雪像説明

雪像完成予想図
(陸上自衛隊第18普通科連隊提供)

 今から140年前の1864年(元治元年)、徳川幕府 が蝦夷地(北海道)の直轄統治機関として置いたの が「箱館奉行所」です。正確には「箱館御役所」と いいます。
 箱館奉行所は、蝦夷地の開拓・統治機関であるに留まらず、当時の徳川幕府にとって最重要課題となっていた、アメリカ・ロシア・イギリスほか海外諸国との外交窓口であり、北辺警備をも受け持つという、まさに"北の要衝"でした。奉行所は幾つもの建物が棟を連ねていましたが、玄関のある中心になる建物は、東西60m×南北90m、壮麗な入母屋造りの大屋根に太鼓櫓を戴いた堂々たる姿でした。
 日本初の洋式城郭として名高い「函館五稜郭」の二重の堀と土塁は、このとき箱館奉行所の外側を囲い守るために造られました。
 その後、五稜郭・箱館奉行所は蝦夷地開拓を目指す、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍によって一時占拠され、明治新政府との間による「箱館戦争」の主舞台となりました。
 戦争終結後の1871年(明治4年)、新政府が札幌に開拓使を置くにあたって、奉行所の建物は、その資材を開拓使本庁舎(札幌)建設に使うために解体されました。
 役所としては4年、建物としても僅か7年の短い命でしたが、箱館奉行所は北海道の歴史上、その役割ばかりでなく、自らの資材を次代に引き継いだという意味に於いても、まさに現在の北海道庁の "ルーツ"とも言える重要な存在だった訳です。
 右手に立つのは土方歳三の像です。新撰組副長から旧幕府脱走軍の陸軍泰行並となったあと、箱館戦争で新政府軍との戦いに敗れ、35歳の若さで戦死しました。
 雪像は、昭和女子大学・平井聖学長、函館市教育委員会、五稜郭タワー、土方歳三資料館(日野市) ほかのご指導を得て、北海道テレビと陸上自衛隊第 11師団第18普通科連隊が独自に想像復元したものです。

〜五稜郭築城140年〜大雪像「箱館奉行所と土方歳三」概要
高さ 13m
25m
奥行 25m
制作期間 1/7〜2/3(28日間、予定)
使用雪量 3,200トン(5トントラック640台分)
制作要員 延べ4,500人
制作 陸上自衛隊第11師団第18普通科連隊
北海道テレビ放送株式会社

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