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8月22日(月) 山田佳晴(報道デスク)
駒苫が感じた重圧はどれほど大きなものだったろう。一度頂点を極めた者に集まる過剰なまでの期待感。これをプレッシャーと思わない人間はいないだろう。しかし、甲子園で勝ち進んでいく中で、香田監督やキャプテン・林くんの口からたびたび出てきた言葉は、「試合を楽しみたい」だった。
「楽しむ」。英語でよく使われる言葉だ。「エンジョイ・ユア・ヴェイケイション」(休暇を楽しんで)とか、「アイ・エンジョイド・ビーイング・ウィズ・ユー」(ご一緒できて楽しかったわ)とか、食堂では「お召し上がりください」の意味で「エンジョイ・ユア・ミール」(食事を楽しんで)と言われる。仕事の会話でも「エンジョイ」という単語が使われることは珍しくない。欧米の文化やライフスタイルが、「人生を楽しむ=エンジョイ・ライフ」という精神で成り立っていることは、日常の会話からとてもよくわかる。
日本はどうだろうか。卑近な例で全体を推し量るのはちょっと乱暴かもしれないが、出張に向かう記者やカメラマンに「取材を楽しんできて」と声をかけることがある。悲惨な事件や事故の現場でもないかぎり、短い記者人生なんだ、楽しまない手はないと英語の表現を真似して言うようにしていたのだ。すると、「なにを言ってるんだ、このヒゲおやじ」とでも言いたげな、けげんな顔をされる。あるいは「いやあ、大変なんですよ」とかわされる。職場で「楽しむ」という言葉をキャッチボールすることは、ことほどさように難しい。
日本語の「楽しむ」は、遊びや趣味や行楽などの場合で使われるのがほとんどだ。まじめに取り組むべき事なのに「楽しむ」なんてちょっと罪悪感があるわ、という感じだ。そういう社会だからこそ、重圧に押しつぶされそうになるほどの大舞台で「楽しむ」ことを忘れなかった駒苫野球部の「文化」が広がっていくと、もっと社会は「大人」のそれになっていくような気がする。もっと人生は楽しくなっていくような気がする。もちろん、「楽しみたい」と言ったその陰で、林くんたちの努力は並大抵ではなかった。薄っぺらな「楽しみたい」じゃなかったことが大前提ではある。 |