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2月27日(月) 山田佳晴(報道デスク)
「トリノ」が終わった。2月も終わる。2月といえば、作家の司馬遼太郎さんが亡くなったのが10年前の2月12日。2月はいつも以上に司馬さんを偲びたくなる。
言葉を扱うことを生業(なりわい)にしているくせに、自分が日本語を「意識」するようになったのは数年前のことだ。イスラエルでパレスチナ人によるインティファーダ(民衆蜂起)を取材し、その帰路、たまたま暇つぶし用でカバンに忍ばせていた司馬さんの「梟(ふくろう)の城」を読んだ。両目からウロコが計2枚落ちた。日本語って、こんなに美しいものだったのかと。
久しぶりに日本語に触れたことも大きかったのかもしれない。とても新鮮に響いた。司馬さんの文章のリズム感、表現の繊細さ、そして力強さが。
一方で、TVニュースにはなんと空虚な言葉があふれているのかと思ってしまう。
「警察と消防で火が出た原因を調べています」。当たり前だ。調べていなければ、職務怠慢でそのほうがニュースだ。
「警察が犯人の行方を追っています」。とほほ。
週末、某キー局のニュース番組を見ていたら「〜を取材しました」が連発されていた。報道機関は取材することが大前提だと思っていたのだが。
スポーツの原稿もそう。たとえば、先日のサッカー・日本代表対インド代表の試合。「終わってみれば6対0で日本の勝利」という。「終わってみれば」って、試合終了のホイッスルを聞くまで、原稿を書いたひとはこの点差に気がつかなかったのだろうか。
司馬さんが生前、TVのニュースをどれだけ気にしていたのかはわからない。が、もし司馬さんが生きていたら、TVニュースの空虚な常套句の数々にあきれてしまうかもしれない。司馬さんに笑われない原稿とは何なのか。そんなことを思いながら過ごしていたらあっという間に2月が終わろうとしている。
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