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3月20日(月) 山田佳晴(報道デスク)
札幌市の人口を超える人の波が1本のストリートを歩いていく。
その数、200万人(主催者発表)。
みんな口々に「戦争反対」を叫んでいる。3年前ロンドンで取材したデモ行進だ。
「デモに参加したのなんて初めて」。
参加者の中には、フツーのお父さんがたくさんいた。お母さんがいた。子供たちがいた。フツーのひとたちが列車やバスや自家用車で英国中から集まってきた。そうでもなければ、200万人なんて集まれるはずがない。
しつこいけれど、200万人はすごい人数だ。目の前をいつまでも通り過ぎていく人々の姿を見て、胸が熱くなった。
しかし、フツーのお父さんやお母さんや子供たちの声は届かなかった。
英国のブレア首相は、このデモからしばらく経った2003年3月15日、ブッシュ大統領と会談を行うため、「同盟国」スペインのアゾレス諸島に向かった。
「国連の決議なんて要らない」。
イラクへの攻撃開始はここで決められた。密談だった。
異様な空気の記者会見場。ブッシュとブレア、2人の首脳の顔は緊張で少し引きつっているように見えた。大量破壊兵器が見つかっていない段階での宣戦布告。ましてブレア首相は、英国民が大反対していながらの「アメリカ追従外交」だったのだから。
「ついにこんなアホな戦争が始まってしまう」。
会見場を出たわたしは中継車がスタンバイしている場所に車で向かった。そこは牛の牧場で、牛のフンだらけだった。
3月19日(日本時間では20日)、TVでバグダッドへの空爆を見た。たちの悪いハリウッド映画を見ているようだった。
あれから3年。フツーのお父さんやお母さんや子供たちはイラクでどんな生活をしてきたのか。あの「200万人」のほとんどを占めたフツーのひとたちは、英国でどんな3年間をすごしてきたのだろうか。そして、日本でわたしたちは…。
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