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6月6日(火) 山田佳晴(報道デスク)
毎日毎日よくもこれだけ大きな事件があるものだと思う。日々、センセーショナルなニュースが垂れ流されている中で、5月17日の党首討論は世間では忘れられてしまった印象だ。
党首討論はとても興味深かった。民主党の小沢さんは、なぜこうも凶悪事件がつづくのか、日本の教育の本質が問われているのではないかと首相に詰め寄った。これに対して小泉さんは、「教育は愛だ」と答えた。「子供を抱きしめてあげよう」というようなことを言っていた。テレビの前で笑ってしまった。誰あろう、小泉さんが家庭での愛の重要性を訴えるとは。
しかし、「家庭人」としての小泉さんは、日本の社会では問題視されていない。
英国のメディアは逆だ。
ブレア首相が英国国教会の信者であるにもかかわらず、妻のシェリーさんと子供たちが信じているカトリックの教会に毎週礼拝に行っていることを伝える。ブッシュ大統領とブレア首相がアフガンやイラクで戦争を始める前、2人が一緒に祈ったのではないかと見る英国の記者もいて、どういう「信仰」にもとづいて両首脳が「テロとの戦い」にのめり込んでいったのかを探る手立てにもなっている。
一国のリーダーが、ひとりの人間としてどういう「成り立ち方」をしているのか。「これはプライバシーだから…」と言って、英国のメディアが政府首脳の「人間性」に踏み込むのをためらうことはない。
小泉さんはなぜ教育という「国家百年の計」に熱心ではないのか(国会での答弁を何度も聞くかぎり、熱心だとはとても思えない)。もっと「人間・小泉」に迫る報道があってもよさそうなものだ。
一方で、容疑者に対して「何でもあり」なのは相変わらずだ。
秋田県の小1男児殺害事件。容疑者は逮捕の直前、「写すのをやめてください」と報道陣に叫んでいた。それを無視する形でTVカメラとスチールカメラが本人をぐるりと取り囲み撮影し続ける映像が何度も放送されている。
このメディア・スクラムは、警察が容疑者の家の前で24時間張り込むことに引っ張られる形で始まったようだが、上記のシーンは「カメラによるリンチ」以外の何物でもない。
四六時中カメラを向けられイライラしない人間はいないだろう。それでも「どんな取材にも怒っちゃダメよ、容疑者なんだから」とでも言うのだろうか。
事件は解決に向けて大きく動き出したが、嫌なものを見させられた。こういうのは「報道の正義」でも何でもない。 |