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7月25日(火) 山田佳晴(報道デスク)
ジダンがしたのは、頭突きだった。
サッカー選手だけに、ハンドは使わないのか、と思ったが、過去には相手を平手打ちしたこともあったという。激しい性格なのだ。
頭突きを、ジダンは相手の胸に打ち込んだ。激しい性格なのはわかったが、なぜ胸か。顔やアゴ、それにミゾオチなど急所をはずすだけの最低限の理性はあったということか。
いずれにしても、フランス代表の仲間を10人にしてピッチを去ってもいいというだけの覚悟はあった。なければ、あれだけ「個人的」な報復を、優勝がかかったあの瞬間にできるはずがない。
ほめられた話ではない。
ほめられた話ではないが、ジダンはフランスを代表する前に、アルジェリア移民の一家を代表しているのだ、と思った。その「代表」でいるためには、フェアプレーよりも大切なものがあるということなのだろう。
FIFAの調べでは、相手のマテラッツィは「人種差別的な発言はしていない」という。
しかし、こういう視点で調査が成立していること自体が、現状を物語っている。
ピッチの上で、スタンドで、人種差別的な罵声や嘲笑はどんどんひどくなってきているのがヨーロッパの現状だという。
意識しようとしまいと、イタリア人、つまり「差別する側」から侮辱の言葉が出ることの重さは、同じ人種の中での罵りあいとはワケが違うのではないか。ドイツ大会は、「人種」というキーワードをこれまで以上に印象づけることになった。
ジダンはフェアプレーの精神を踏み外した。テレビで子供たちに謝った。でも「いちばん大切なのはサッカーのキャリアよりも家族だ」という激烈すぎるほどのメッセージを示した。
ジダンは最高のサッカー選手である前に、家族にとっては「最高の息子」であり、「最高の弟」だった。
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