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8月1日(火) 山田佳晴(報道デスク)
「そう言えば、自分も赤痢で隔離された!」
きのう、就寝前の布団の上で、小さな頃の記憶がよみがえった。
なぜこんなことを突然思い出したかというと、遅ればせながら読み始めた「東京タワー」で作者のリリー・フランキーさんが同じような体験談を書いていたからだ。
4歳か5歳のころだ。当時通っていた小樽市内の保育所で、園児のひとりに赤痢の疑いが出たのだ。わたしを含む何人かの園児は二次感染を疑われ、隔離病棟に強制的に入れられた。映画「12モンキーズ」に出てくるような施設だった。
わたしがどこから施設に「連行」されたのかは記憶がないのだが、母は悲惨だった。
買い物か何かの帰りだったという。自宅前に保健所の車が止まっていて、「山田さんですね」「はい、そうですが」のあと、有無も言わさず車に入れられたというのだ。
車の窓には鉄格子がついていて、まさに「強制連行」だったという。近所のひとに目撃されないように気をつけながら、流れる車窓(鉄格子付き)で外の世界を見ていた、と母は言う。
こうして「12モンキーズ」の施設には、家族5人のうち、わたしと母と姉がまず「連行」されてきた。
施設の中では自由に移動することができた。廊下には子供から大人までいろんなひとたちが大勢いた。子供たちはよく遊んでいた。宿泊研修のように楽しかった。
数日したら、父も「連行」されてきた。楽しさが倍増したことを覚えている。収容所で家族が再会する喜びというのはこういうものだろうか。
家族のうち、なぜか兄だけは隔離されなかった。理由はまったくわからないが、「お兄ちゃんだけココに来れなくて可哀想だな」と思っていた。ヘンな話だ。
どれだけの間、隔離されていたのかは憶えていない。でも、ある日突然「無罪放免」になった。
「東京タワー」の中でも、「ほんとうに赤痢の疑いなんてあったのかしら」という看護婦さんの独白が紹介されている。今とは違って「疑わしきはどんどん隔離」という政策が取られていたのかもしれない。1960年代の話である。
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