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過去の放送

2008年4月12日放送

第50話 「北の海の誇り/砕氷型巡視船「そうや」」

オホーツクの海をゆったりと漂う流氷。その足取りを最初から最後まで見守り続ける船は北の海の誇りです。
1月。凍てつく海であがく波が流氷の到来を予感させます。荒れ狂う冬の海に出て行くのは砕氷型巡視船「そうや」。荒波の向こうに横たわる冬の旅人たちを探すための航海です砕氷能力を備えた巡視船「そうや」は、流氷による海難防止のため、観測活動をしています。
冬の間荒れることの多いオホーツク海域では一夜の航海で船は氷の塊と化してしまいます。
余計な重さをかけないため極寒の中、船上では乗組員総出での氷落としが続きます。
進む先に氷の原を見つける時、この船から「流氷初日」の知らせが届けられ、北の海はやがて冬の旅人に埋め尽くされるのです。


2008年4月5日放送

第49話 「地球の予言/雪の結晶」

真冬の大雪山が凛とした姿で私を迎えてくれました。その麓の町を目指すのは、雪の言葉に出会うためです。真冬の大雪山の麓に、一片一片の中に詰まった言の葉をひとつずつ読み解こうと長い時間をかけて雪の結晶と向き合う小笠原正さんが今年もそこに来ていました。結晶の撮影をするには気温の低さと風がないことが絶対条件です。雪の洞窟での地道な作業の中に別世界が浮かび上がります。雪景色の中に散らばるわずか数ミリの大自然の言葉。その美しさの虜になった小笠原正さんは集めた言葉をつなぎながら、この星の今を伝えようとしています。


2008年3月29日放送

第48話 「雪の花びら~雪月花」

一年の半分近くを「雪」とともに暮らす北海道。「雪害」「耐雪」などと酷評される雪の暮らしも、一方では、「利雪」「親雪」などの言葉とともに多くの詩の一節にも取り上げられ、ロマンチックな対象として愛される存在でもあります。
「雪は天から送られた手紙である」と謳ったのは北大の故中谷宇吉郎博士でした。
随筆の中にはこう書き記されています。「何時までも舞い落ちてくる雪を仰いでいると、 いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きて来る」と。
宝石箱のトビラをあけると、そこに雪の結晶が光り輝いていました。


2008年3月22日放送

第47話 「開拓使誕生物語12 ~ジャーマンスピリットが生んだ開拓使の誇り」

旧東ドイツの首都、ベルリンで散策を楽しんでいます。およそ1000にも及ぶ醸造所があると言われるドイツでは様々なビールを味わえます。それぞれの醸造所の誇りは、お抱えのマイスターです。優秀なマイスターが誇りを持って作るビール。常に本物を目指す職人のこだわりの歴史を紐解くと1516年に最初に施行された「ビール純正令」に行き当たります。法令を布いてまでビールの味を守り続けてきたドイツでは今、2つの大学に「ビール学部」が開設されています。
日本人初のビアマイスター、中川清兵衛はドイツで頑固なまでのジャーマンスピリットを持って味へのこだわりもしっかり学んできました。その情熱が、北海道開拓使の誇りを掲げる味を生み出したのです。


2008年3月15日放送

第46話 「開拓使誕生物語11 ~ドイツに残る中川清兵衛の足跡」

長い間発見されなかった中川清兵衛に関するドイツの地元新聞の記事が見つかりました。 醸造技術習得のために単身外国からやって来た青年を称える記事が載った新聞は 1873年3月23日付のもの。そこには日本の紹介と共にこんな言葉が記されています。「我が国に溶け込むために注いだ清兵衛の情熱は称賛に値する。」 19世紀末のフュルステンバルデの町。一人ここに暮らし、懸命に修行の日々の中で、文化の壁を乗り越え粉骨砕身でビールの醸造技術を学んだ中川清兵衛。 博物館に掲げられた彼の功績に触れる時北海道人としての誇りを新たにするのです。


2008年3月8日放送

第45話「開拓使誕生物語10 ~北海道開拓の一大産業を担う第一歩」

1872年明治5年、ドイツ日本公使館の全権大使である青木周蔵に見出された清兵衛は、 ベルリンから程近くの小さな町、フュルステンバルデのビール工場で醸造人として働くことになりました。現在その工場跡地の地下には、当時清兵衛も何度も足を踏み入れたであろうビールの貯蔵庫だった場所が残っています。北海道開拓の重要な産業として位置づけられたビールの製造。日本人初めてのビール醸造技術者として、その一翼を担わされた清兵衛は、2年間ほとんど休むことなく醸造技術を習得していきました。
ドイツの小さな町に初めて異国からやってきた日本人。 この町の博物館から発見された当時の新聞記事には、清兵衛の活躍ぶりを驚愕をもって大賛辞を送っているのです。


2008年3月1日放送

第44話「開拓使誕生物語9 ~異国にかけた清兵衛の志」

1864年元冶元年。清兵衛は開国を待たずにイギリスへと密出国しました。その後、アメリカ、イギリス、フランスを経てドイツへと渡り、それぞれの国で、異文化を吸収して、ドイツ北部の港町、ブレメンハーヘンに降り立ちました。清兵衛は、異国の地で発展するビール産業を垣間見ることにより、そこで働くマイスターたちと交流を持つことになり、ドイツ人の家庭で下僕として働くことになりました。
産業革命後のヨーロッパは清兵衛にとって、見るもの聞くものすべてが新鮮で驚きの連続でした。


2008年2月23日放送

第43話 「開拓使誕生物語8~情熱が染め上げた星・五稜星」

北海道開拓使のシンボル、五稜星。開拓使付属船の船長が大海原で唯一の道標であったこの星を初めて北海道のシンボルとして船に掲げたと言われます。
明治5年9月当時開拓使次官であった黒田清隆は七稜星への星型の変更を願い出ますが、その構想はあっさり消えてしまったと言われます。
以後、五稜星はさまざまな施設に掲げられ北海道に暮らす人たちにとって未来を照らす星となりました。開拓使の缶詰工場などでも使われた五稜星は、やがて札幌を象徴するビールのラベルを飾るのです。サッポロビールの生みの親、中川清兵衛にとってこの星は自らの情熱で赤く染め上げた熱き魂の星なのです。


2008年2月16日放送

第42話 「開拓史誕生物語7~手紙に滲む職人の想い」

明治9年、札幌に誕生したビール醸造所。多くの人に愛されるその味は日本初のビール醸造人中川清兵衛の志と、開拓史の夢が、今も支えているのです。
中川清兵衛が、あまり年が違わないことから姉と呼んで慕っていた養母にあてた手紙。
そこにしたためられていたのは開拓史麦酒醸造所が開所式を迎える喜びと職人としての誇りが輝いていたのです。


2008年2月9日放送

第41話「開拓使誕生物語6~内なる魂との会話」

幕末期、日本人初のビ-ル醸造人中川清兵衛は、誰からの援助もなく一人、海外へ飛び立ちました。彼は1848年に新潟、与板の御用商人の家で生まれ、一人渡英後、ドイツに渡りベルリン郊外ティヴォリ麦酒醸造所で、2年間過酷な生活を虐げられながら醸造法を取得し帰国しました。その技術は開道まもない札幌の地で大輪の花を咲かせるのです。
その大胆な中川清兵衛の行動の裏に隠された真実を探ります。