「リターンズ」で放送された「過去の秘蔵VTR!一挙公開!」。
ミスターと大泉さんのデビュー当時のお姿を目の当たりにし、まるで「我がこと」のように「気恥ずかしさ」を覚え、「見なきゃよかった」と後悔の念を抱いた方々。
お気持ち、お察しいたします。
「ハイパーメディアパーソナリティー」など、誰がそんな男のファンになりましょうか。
とっくりセーターの胸部をハート型に切り取り、露出した乳首を目にみたて、「ET!」などと下世話な腹芸を見せるローカルタレントに、誰が「洋ちゃんかわいい!」などと言いましょうか。
しかし、過去があるから今がある。
今回は、放送には登場しなかった、まだまだいっぱいある!「我々の過去のお仕事」を、懐かしさも込めて、回顧してみたいと思う。
私が、制作部に異動したのが95年の4月。
「どうでしょう」がスタートする1年半前のことであった。
担当することになったのは「モザイクな夜」という深夜番組。
アーティストのインタビューや、お色気、そしてナンセンス・バラエティーなど、とにかく「思いつくことは何でもやっとけ」という、ちょっと乱暴な番組であった。
出演者は、ミスター「鈴井貴之」、そして「森田政仁」という私と同期の男性アナウンサー。その他、レポーターとして「田中まもる」通称マモちゃんという、ミスター主宰の劇団に所属していた役者さんなど数名。
後年、そのマモちゃんが、一念発起して東京へ出て行くことになり、その後任として採用されたのが、当時学生だった大泉さんである。
スタッフは、現在「巣」を担当している杉山くんがチーフ。今はコスタリカ在住の清水くん他、私を含めても5名程度。
これに、東京でフリーのディレクターをしていた嬉野くんが、その後、加わることになる。
この番組、恐ろしいことに月曜日から木曜日までの深夜、毎日やっていた。
勢い、たった5~6名のスタッフでは、「思いついたことは、何でも」やっていかないと、制作が間に合わなかった。
「過去の秘蔵VTR」としてご紹介した、パロディードラマ「占畑(うらはた)任三郎」など、まさにこの「思いつき」で「とりあえずやっとけ」の典型。
当時、「古畑任三郎」が高視聴率を取っていた。私は、「今がパクリの旬!」とばかり、ミスターに脚本を依頼。
「古畑・・・見たことないんです」と、及び腰のミスターであったが、数日で脚本を書き上げ、おまけに田村正和のモノマネもマスターしてきた。
モノマネは、ちっとも似ちゃいなかったが、顔は激似だった。
西村雅彦の今泉慎太郎役には、大泉さん。
顔はちっとも似ちゃいなかったが、雰囲気はちょっと似てた。
撮影は、夕方に始めて、翌朝5時には終了。
とにかく時間がないから、30分のドラマを一晩で撮ってたわけだ。
それでもオープニングは、チャチな編集機で「よくやったもんだ」と今でも感心するほど「本物そっくり」だった。
こういう「思いつき」で、好き勝手に作った作品が、他にもいっぱいある。
「ドキュメント・プラモデル」。
小学校3年生の男の子が、「生まれてはじめてプラモデルを作る」。その一部始終を丹念に追ったドキュメンタリーである。
「丹念に」と言ったって、3時間ほどだ。
しかし、その3時間の間にも、ちゃんとドラマがある。
小さな弟に邪魔されながらも、少しづつにカタチになっていく「真っ赤なポルシェ」。
作っていく男の子の顔は、いつしか「男の顔」「職人の顔」になっていく。
エンディングは、しかし、悲劇だった。
完成したポルシェを大事そうに見つめる男の子。しかし、彼が目を離した一瞬のスキに、魔の手が伸びる。
幼い弟がポルシェをわしづかみ。するとタイヤが一個もげ落ちてしまったのだ。
「兄に気づかれてはまずい!」と焦った弟は、一瞬思い悩んだ末、なんと!そのタイヤを食っちまったのだ。
弟がタイヤを食う瞬間のスロー映像に、ミスターの重々しいナレーションがかぶさる。
「彼は・・・食っちまいやがった」
私が初めて作ったドキュメンタリー作品である。
「黄金の仏像を探せ!」。
当時「徳川埋蔵金を探せ」とかいって、赤城山あたりをショベルカーでガシガシ堀まくるというモノスゴイ番組があった。結局、見つからなかったが、かなりな高視聴率だった。
「ならばオレらは、見つけてしまえ!」ということで作ったのが、これだ。
ちなみに、作ったのは私ではない。嬉野くんだ。私は、といえば「黄金の仏像捜索隊」の隊長役。もう、思いっきり「主演」だ。
で、私の部下の「隊員役」が、なんと!大泉さんだった。
今考えると恐ろしいが、あくまでも私が「主演」で、大泉さんは、「脇役」。
そしてこれが、私と嬉野君、そして大泉さんの3人が、初めて顔を合わせた仕事だった。
台本はあって、なきがごとく。
だだっぴろい空き地を大泉さんと二人で駆け回り、
「隊長ッ!」
「どうしたッ!大泉君!」
「なにか出てきましたッ!」
「うーむ!これは鎌倉中期の農具の破片じゃないか!」
全部大ウソだ。
「よし!大泉君」
「はい」
「ここだッ!ここを掘れ!」
私が命令すると、大泉さんは大きく手を振りながら、本物のショベルカーを誘導して、本気で5メーターぐらい掘り返した。
たまに大泉さんを穴に突き落とし、
「どうしたーッ!」
「うわぁーッ!隊長ーッ」
「大丈夫かーッ!」
もう、思い出すのも恥ずかしいぐらいのサル芝居をふたりで打ちまくっていた。
ひとしきり掘り返すと、最後は、デブのカメラマンに金粉を塗りまくり、パンチパーマのヅラをかぶせて穴に埋め、ショベルカーで掘り出して「見つけたぞーッ!」。
寒さでぶるぶる震える「黄金の仏像」を見事、発見したのである。
大泉さんの第一印象は「この人はいったい何者なんだ!ディレクターのくせに主演して・・・それにしてもまぁ、ウソ八百、笑わずにできるもんだ」そう思ったらしい。
今だったら、絶対にやらない。必死だったあの頃だからこそ、できたことだ。
ちなみにこのシリーズ。大泉さんは出ていなかったが、「雪男を探せ!」というのもあり、隊長である私は、やはり「雪男」も発見した。
同じく、デブのカメラマンを真冬の雪山に放り出し、すっ裸で走らせて、「見つけたーッ!」と叫んだのである。
似たようなものに「ザ・スプーク」(「スクープ」ではなく「スプーク」)という、報道番組のパクリもあった。
スタジオに「ニュースステーション」ばりのセットを作り上げ、男性キャスターにミスター。他に女性キャスターと、「論説委員」として大泉さんが抜擢された。
スタッフの私は、スタジオ収録の日が近づくと、ひとり高台公園に出かけ、灰皿だのフランスパンだの、ひどい時には丸椅子をも空中に放り投げ、自前のホームビデオで撮影し、挙句「UFOが札幌市上空に飛来!」などと、すがすがしいほどのウソをついて、ニュース映像を作り上げていた。
それを、鈴井キャスターと、大泉論説委員が、大まじめに解説するという、かなりシュールな内容だった。
「こちらが、今回札幌に飛来したUFOの模型ということですが・・・」
テーブルの上には、何の造作もしていない「フランスパン」が、まんま置いてある。
「これは葉巻型と呼ばれるUFOで・・・」
「ちょっと待って下さい。これ・・・パン・・・じゃないですよね?」
大泉論説委員が疑問を呈するが、
「いえ、模型です」
鈴井キャスターは、キッパリと言い張る。
「そうですか?」
論説委員は、模型をかじる。
「意外と美味しいですけど・・・」
「それでは、続いてのニュースです」
もう、シュールさも度を越して、どこで笑っていいんだかもわからない。
他にも、私は、支笏湖くんだりまで出掛け行って、動物型の浮き輪を沖に漂流させ、「シッシー出現!」のスクープ映像をモノにし、また、若手のカメラマン助手に銀粉を塗りたくって、「宇宙人」をも作り上げた。
そのたびに、ミスターと大泉さんは、苦笑しながらも、必死な思いで解説していた。
さらに、毎回「驚くようなゲストが電話で生出演!」というコーナーがあった。
スタジオからミスターが呼びかける。
「今回も素晴らしいゲストの方と電話が繋がっています。早速、呼んでみましょう。もしもし・・・」
「はいはい」
「あのう・・・雪男さんですか?」
「はいそうですけど」
「今、なにをしていらっしゃるんでしょうか」
「えー・・・ちょっと飲んでました」
「飲んでた・・・あの、ちなみに何を」
「もっぱら焼酎だね」
「焼酎・・・あの、失礼ですけど、雪男さんとお呼びしてよろしいんでしょうか?」
「名前は佐藤ですけど・・・」
「えっ!」
「あっ・・・」
ガチャ。
「あっ!雪男さん!」
ツーツー・・・・。
パターンは毎回決まっている。
「もしもし・・・」
「はい、もしもし」
「あの・・・マリリンモンローさんですか?」
「はい、マリリンですよ」
「マリリンさん、今なにをしてらっしゃいました?」
「えー・・・ちょっと焼酎をね」
「飲んでらした・・・」
「飲んでましたぁ」
「ところでマリリンさん、休日はどのように過ごしてらっしゃるんでしょうか?」
「もっぱら、釣りだね」
「釣りですか!」
「石狩だと、ここんとこホッケの調子がいいから」
「石狩!って・・・石狩に住んでらっしゃるんですか!」
「あっ・・・」
ガチャ。
「あっ!マリリンさん!」
雪男だろうがマリリンだろうが、電話の声は全部、私。
制作サブでディレクターをやりながら、電話コーナーになると、声の出演をしていた。
スタジオを運営する技術スタッフたちの、「おもしろいのか?これ?」という冷たい視線が痛かった。
安田さんとの出会いは、大泉さんより前のことだった。
自分で脚本も書いた、はじめてドラマ。その出演者として紹介されたのが安田さんだった。
「9回裏2アウト満塁・代打山本君」という、これこそ恥ずかしくて絶対見せられない「スポ根ドラマ」だ。
9回裏、万年補欠だった山本君に回ってきた最初で最後の打席。それをまぁ、ドラマチックに・・・。
というドラマだったが、ストーリーはよしとして、最大の問題は「その第1打席だけで、30分のドラマを作る」という、時間軸に明らかに無理のある設定だった。
さらに大きな問題は、安田さんだった。
「バットって・・・こうやって持つんですよね」
申し訳なさそうに尋ねる安田さんを前に、私は卒倒しそうになった。
安田さんは、出会った時から、「無類の不器用」だった。
安田さんとはその後、「ホワイトストーンズ」で引き続き仕事をした。
「ホワイトストーンズ」も、あのころは1日か2日で撮り終えるといういい加減さ。
ミスターたちが、へらへらの演技をしても、私は「OK!すばらしい!」と絶賛し、出演者たちの度肝を抜いた。
「今のリハーサルじゃなかったの?」と慌てるミスターに構わず、「じゃ、次!」と、撮影を進めた。とにかく「日没までに、全部撮る!」というのが目標だったのだ。
でも編集してみると、やっぱり「ミスターの気の抜けた笑顔」が少し気になった。
「モザイクな夜」の1年半。いろんなことを学ばせてもらった。
「それにしてもちょっと、藤村隊長と大泉隊員は見てみたいなぁ」
いやいや、そんな事は、思ってはいけない。
期待するほど、おもしろくはないんだ。
でも、そんな数々の試行錯誤があって、今の「どうでしょう」がある。
「モザイクな夜」がなければ、私も嬉野君も、ミスターと、そして大泉くんに、決して出会うことはなかっただろう。
で、最後に、とっておきの知られざる過去を・・・。
私は、ミスターの夫人、現オフィスキュー副社長とも、コンビを組んで出演したことがある。