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14:48

特捜9 season6 #9【再】

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今、私たちにできること ――3.11を風化させない

【とき】
2016年3月5日(土)午前11時~午後5時
【ところ】
地下歩行空間 札幌駅側イベントスペース(北3西3)

出演者からのコメント

国井美佐

国井美佐
福島で暮らす方は、今も「風評被害」に苦しんでいるといいます。
放射能は目に見えないため、消費者が不安になることも確かです。
それでも何かチカラになりたい、そう思っている方は多いはず。
私もその一人です。
地域メディアとして、被災地と北海道をつなぎたい。
その思いから、福島に行って農家さんの苦悩を聞き、どんな検査をしているのか取材。
その模様はイベントでもご報告します。
会場には福島応援マルシェをつくりました。農家さんが手塩にかけて育てた農産物を味わってみてください。
――被災地で暮らす方たちの、ほんの少しでも力になりたい。
北海道と福島、離れていても人と人がつながる時間をつくれたらと思っています。
今回は親子で参加しやすい“ひろば”になっています。
皆さんのご来場をお待ちしています。

菊地友弘

菊地友弘
2011年3月11日。私の故郷、岩手県釜石市を津波が襲いました。ついさっきまで笑顔に包まれていた故郷が、あっという間に黒い海に飲み込まれていく映像を、私はただただ見つめることしかできませんでした。しばらくして、その映像を見ることもできなくなりました。悲しみ、絶望で胸がいっぱいになり、パンク寸前の状態まで追い詰められていました。そして感じた自分の無力さ。
あれから5年が経とうとしています。震災当時、保育園に通っていた姪も甥も小学生になり、明るい毎日を送っています。しかし、被災地の人々が向き合わなければいけない現実が厳しいものであることに変わりはありません。
今年は、「未来をあゆむ君たちへ」をテーマに、これからを担っていく子どもたちとともに東日本大震災について考える時間にしたいと思っています。一人よりも二人、二人よりも三人。支えが多くなればなるほど、強くなれます。今もなお、皆さんの力が必要なのです。

大野恵

大野恵
あの日から、間もなく5年。「本当に、あっという間でした」 震災後、福島から家族4人で北海道に避難され、去年、この先もずっと北海道で暮らしていくことを決意した女性は、こう言いました。
そして、ふるさとを離れて避難された方の中には、「まだ生活の援助を受けているのか」 という心ない声に苦しむ人も多く、ひとりひとりの心の支援が今はもっと必要な時期だ、とも。

これからの未来のこと
生まれてくる子どもたちのこと
一緒に、考えてみませんか。

佐藤麻美

佐藤麻美
震災の時生まれた子どもたちは、今年5歳です。
今、息子が3歳なので、5歳というと随分お兄ちゃん、お姉ちゃんのように思えます。
1月に札幌でも大きな地震がありましたが、その時保育園にいた息子に聞くと、「保育園が揺れたの。先生に言われてしゃがんだ。」としっかり報告してくれました。怖くはなかったそうです。
3歳でも地震の揺れがわかり、先生の指示で行動できたことに少し驚きました。
こんな風に息子と会話でき、彼の意見を聞けるようになってくると、あの震災をどのタイミングでどんな風に伝えようかと考えます。
メディアに関わる人間だからというだけではなく、日本人として、母親として、「東日本大震災」にまつわる様々な出来事や沢山の人の思いを後世に伝えていく役割があると、私は思っています。

西野志海

西野志海
震災直後、被災地で目にした光景は今でも忘れることができません。去年再び被災地を訪れる機会がありましたが、道路や建物の復興は進んでも、被災した方の心など目に見えないところに影を落とし続けていると感じました。
震災から5年。私たちができることは何なのか改めて考えたいと思います。
今回私は、震災をテーマにした絵本の朗読ステージを企画しました。たくさんの方に足を止めて頂き、被災地に心を寄せるきっかけとなればと思います。

福田太郎

福田太郎
あの瞬間、私は都内の大学の野球場にいました。くしくも対戦相手は、遠征に来ていた岩手のチーム。試合後、選手たちが「家族と連絡が取れない。」と話していたことを、今も鮮明に覚えています。
以来、他人事と思えず、毎年被災地を訪れています。そのたび思うのは“当たり前と思っていることは、当たり前じゃない”ということです。
アナウンサーとして、誰かに何かをお伝えする立場になったいま、被災された方“から”の想いだけでなく、被災された方“への”想いも、丁寧に言葉をつむぎ、届けたいと思っています。5年、10年、これから先も、自分に何が出来るか。日々、考えます。そして、ずっと“つなぎ”続けます。

五十幡裕介

五十幡裕介
当時、大学1年生。1人でサークル活動の買い出し中に、地震は起きました。
衣料品店の棚から物が次々と落ち、他のお客さんと共に避難。
宮城出身の店員にワンセグテレビで状況を見せると、その場で泣き崩れました。
岩手出身の友人は、実家に何度電話をしてもつながらない。
都心の電車がストップし、やむを得ず大学に宿泊。近くのコンビニは既に食料が買い占められていて、
大学から支給の水と乾パンで一夜を明かしました。
今も自分の中に鮮明に記憶されていることに、改めて事の大きさを感じます。
東北に住んでいなくても、私にとって「自分事」です。
皆さんと共に被災地を自分事として向き合う時間にできたらと思います。