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【独自】前長官の告白 海上保安庁から自衛隊への応援要請なぜ遅れた 知床沖観光船沈没事故から2年

乗客乗員26人のうち、20人の死亡が確認された一方、残る6人の行方は今も分かっていません。家族2人の帰りを待つ、十勝地方に住む男性。事故発生当初から、疑問に思っていたことがあります。

家族が行方不明の十勝地方の男性:「海上保安庁に連絡(通報)をしてから、ヘリが着くまで3時間かかった。どうして、そんなに時間がかかってしまったのか。海上保安庁がすぐに動けないなら、警察や自衛隊に要請してヘリを飛ばせたのではないか、そうすれば救えた命もあったのではないか、と思っています」。

「KAZU I(カズワン)」が沈みそうだと、海保が最初に通報を受けたのは午後1時13分。現場に最も近い釧路航空基地のヘリは、当時、別の業務にあたっていて、現場に着いたのは通報から3時間以上経った午後4時半でした。海保が自衛隊に応援を要請したのは、さらに3時間以上が経過した午後7時40分。

なぜ、もっと早く対応できなかったのか。当時の海上保安庁のトップが、初めてテレビカメラの前で取材に応じました。

海上保安庁・奥島高弘前長官:「第1報で情報が入った時には、とにかく旅客船ということですから勢力を惜しむなという話、指示はしたと思います。(ヘリの)到着が遅くなったということで、やきもきしながら待っていた」。

通報の3時間後、現場海域に到着した釧路航空基地のヘリ。これはその時、ヘリが撮影した映像です。そこに手掛かりとなりそうな物は、何一つありませでした。

奥島前長官:「『破片もか』『油もか』『本当に何もないのか』と聞いたと思います。『全くない』ということで、正直、私も長いことやってきましたけれど、非常に驚いたというのが率直な感想」。

40年に及ぶキャリアの中で、数多くの海難事故に対応してきた奥島前長官にとっても、想定外の展開でした。結局、自衛隊に派遣を要請した時には、通報から6時間以上が経っていました。

奥島前長官:「いつからいつまで何を、どの海域で、どんな勢力が必要なのか具体のお願いをする。具体のお願いをするから、それなら受けられます、受けられません(となる)。具体のお願いをするというのが、当時のルールだった。まずは自分たちの勢力で、目でまず状況を見ましょうというところから始まったので、結果的にルール通りにやったら遅くなった。よく様子は分からないけれど、見てくれという要請のスキームを作っておくべきだった。中央(海保本庁)の責任だと思っている」。

事故の1カ月後、奥島前長官は海難事故の際には自衛隊への派遣要請を早めるよう全国の海上保安本部に指示しました。海保はその後、釧路基地のヘリを1機増やした他、高度な海難救助が可能な「機動救難士」を新たに9人配置。知床エリアにも、通報から1時間以内に機動救難士が駆け付けることができるようになりました。しかし、道北の一部は、今もいわゆる「救助の空白地帯」のままです。

なぜ、事故を防げなかったのか。なぜ、いち早く助け出せなかったのか。知床の海は今もその教訓を突きつけています。

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