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2009年1月5日(月)

嬉野です。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いをいたします。

さて、皆様、新春2009年のお正月をいかにお過ごしでありましたでしょうか。
わたくしは、お正月の二日に温泉に行ってまいりましたよ。

したが奥さん、温泉といいましても市内にある銭湯でございますよ。
でもちゃんと温泉なのです。
歩いていくには遠いですが、我が家のそばまで無料送迎バスが来るのです。
うちの女房がその事実を発見いたしました。
だもんですから奥さん、
わたくしは、さっそくそのバスに乗ってね、
いざ初湯へと洒落込んだのでございますよ。

乗り込みますと車内はおじいさま、おばあさまで込み合っておりました。
やがて私もお仲間だなぁでございますよ。
誰だってやがて年を取る。
そのことが間違いのないことだと実感するまで、少なからず時間を要しましたが。
この頃はもう疑う余地は無い。
そんなこんなを思いながら椅子に座りますと、
バスは雪景色の道を動き始めたのでございます。

私が生まれ育った九州の実家には内湯がありましたのでね、
長いこと私は銭湯というものを知らぬままに育ってまいりました。

あの頃は今のように日帰り温泉たらいう施設も世間には無く、実家の家業が寺でございましたから訪れる信者さんの手前、家を空けるわけにもいかぬということで家族旅行もならず。ために温泉町に繰り出す機会にも恵まれぬまま、いつしか私は面識の無い他人の前で裸になり湯船を同じゅうして湯に浸かるという経験を持たぬままハイティーンになってしまったのでございます。

あれは私が18の年でございました。
私は東京の親戚の住むアパートに厄介になっておったことがございました。
あの頃の東京にはお風呂の無い賃貸物件はざらでございました。
ですから、その親戚が住まいしますアパートにも当然のごとく風呂が無かった。
ほとんどの人がお金が無いから風呂付のアパートなんか借りなかったのでございます。
だからアパートは風呂無しトイレ共同の安い物件が主流でございましたよ。

なぁに、住まいに風呂が無くたって少しも困らないのでございます。
だって近所の夜道を少し歩けば銭湯がある。
それは江戸の昔から続く独身者の多かった東京の文化でもあったわけでございますからね。

だからということで、
私はその晩、一人で近くの銭湯へ出かけました。
あの頃は都心の夜道も物騒ではなく、繁華街へ出ない限りは東京の町に喧騒は無く、道ばたにヒキガエルもおりましたくらい。

さて、教えられた通りに歩くこと10分。
私は迷うことなく銭湯の前に出たのでございます。
だって奥さん銭湯の煙突は意外にデカくてね、遠くからも好い目印になるのよ。

それに、暗い町並みの中、銭湯の前だけには明かりがこぼれていましたしね。

上がり口で履物を脱いで木作りのロッカーに履物を入れました。
ガラガラと引き戸を開けると「いらっしゃい」と言うおばさんがおりました。
銭湯の番台に座るおばさんでございます。
その番台に小銭を置くとおばさんが何がしかの釣銭をくれました。
と、そこまでは私も、テレビの人気シリーズ「おかみさん。時間ですよ」で銭湯のシステムを学習しておりましたから堂々たるものでございます。

しだが奥さん、次の一歩を踏み出した時。
私は俄かに「はっ」としたのです。
だってそっから先どうすればいいかが分からないことに気づいたのです。

いや、番台で銭湯代は払った。それはもう払いました。
だからあとは裸になって湯に浸かるだけなの。
もちろんそう。そりゃ分かる。
でも奥さん。
私はいったいどこで着ているものを脱げばいいのでしょう。
そして脱いだものをどこに仕舞えば好いのでしょうか。
その場所が分からないぞ、と、思ってしまった瞬間に。
私は一人心中で、うろたえ始めたのでございます。

だって奥さん、周りの人間がびっくりするような所で脱ぎ出すわけにはいかんでしょ。

「ちょっ、お兄さん、あんたそんなとこで服を脱ぎ出したらまずいですよ」と言われるようなところで脱衣行為に移るわけにはいかない。
そんなことを思ってしまったわけでございます。
さぁ、こうなりますとバカのように私の頭の中はパニクってしまうわけで。

つーか、少し落ち着きゃ好いのです。
ためしにしばらくそこにぼうっと突っ立って、辺りの人間のやってることを観察すれば好いのです。

で、えぇ、しました。

したら皆さんロッカーの前で裸になってる。
あぁなるほど。ここで脱いで、して、このロッカーに脱いだもの入れれば好いんだ。
なぁんだ。と。
ようやく落ち着きを取り戻しまして手近のロッカーの取っ手に手をかけて開けようとしました。したが開かない。

開けようとして開かないというので、再び私は一人心中で激しくパニックに陥る。

「なんで開かないんだよ!」
動揺を隠しながらも力任せにガンガン取っ手を手前に引くのだけれど開く気配無し。

その時、木作りのロッカーの真ん中にステンレス板が貼ってあって、そこに「10」という数字があるのが目に入る。
しかも、その「10」と書かれた数字の上に細く横長に切れ込みがあるのが見えた。
「なんだ、ここに10円入れるのか」。

私はやっと合点がいったのでございます。

「それにしても」と、
私はおのれの落ち着きの無さを恥じ入りながらも、
「まったく東京というところは世知辛い。こんなところでも金を取るのかよ」
そう思い、一人前に舌打ちをしながら、財布を取り出しまして、このステンレスの切れ込みのところに10円玉を入れたのです。
で、泰然自若とした鷹揚さでもって取っ手を静かに手前に引こうとした。
したども、またもやガンとして戸は開かないのです。

「なんだこの野郎!金だけとって終わりってか!」
と、怒り心頭に発しまして、
つかんだ取っ手を力任せにがちゃがちゃやる。やるんだけどけど開かない。
その時、何気に横のロッカーが目に入る。
なんと開いてる。
しかも中は空。

「あれ…なにこの状態」
私は隣の開いてるロッカーの戸をパタンと閉める。
と、この隣のロッカーの戸の真ん中にも同じようにステンレスが張ってあって、
そこには「11」と書いてある。

「あら」
なんのことはない数字は料金表示ではなく、たんなるロッカーの通し番号。
見れば、ステンレスの切れ込みにはロッカーの鍵がささっている。
またしても私の早とちり。

「あぁ、ねぇ…」
私はここでようやくシステムの全てに合点が行き、ようやく脱衣すると、ここに衣服を仕舞い、パタンと戸を閉め、金属札の鍵を抜いて「10円損したけどまぁいいかぁ」てなことを思いながらエヘラエヘラと湯船へと向かったのでございます。

まったくもって「何事にも先達はあらまほしきもの」とは、よくぞ言ったものよと思いながらもね、私は、初めての大きな湯船で面識の無い他人様と湯船を同じゅうしながら、熱い湯に茹だっていく脳みそで、なんとなく都会人になったような気がして満足げな気分だったのでございます。ねぇ、懐かしい。

あ。
話はこの後にもう少しありましてね。
すっかり暖まって好い心持ちで湯から上がってまいりますとね、
なんと脱衣所がちょとした騒動になっているんですよ。

ロッカーの前で素っ裸の男の人が顔の血管浮かせながら顔を真っ赤にして怒鳴りまくってるんですよ。

「誰だ!こんないたずらするやつは!」なーんつって。

「あれ?どうしたんだろう。いったい何があったんだろう」。
「でも、それよりあの人はどうして服も着ないで裸のままで怒っているんだろう」。
「変な人だなぁ」てなことを思いながら、呑気に見てましたらね。
その人、どうも私のロッカーの隣の人らしくてね。
なんだかロッカーの鍵が壊れて開かないらしい。

「あれま、気の毒に」と思いながら
自分のロッカーの「11」の上の切れ込みのところにカギ札を差してね、
カチャっと言うまで押し込んだらロッカーの鍵が開いてね、ふたが開くもんだからさぁ、
「あれ。そういえばオレの10円」。
と、閃いた瞬間にね、瞬時にしてオレは状況を理解したね。

だって、お風呂屋のお兄さんがドライバーみたいなものをステンレスの切れ込みに入れてね、中に入ってる異物を取ろうとしてあせりまくってる風情なんだもの。

「あぁ、なるほど、あそこに10円入ってっから、そらカギささらないわ」
「あぁ、で、不本意ながらも裸で怒ってんだあの人。あぁ、ねぇ」と思いながらもね。
だからと言って、この納めようの無い愁嘆場で、
「お畏れながら、その儀は私めが」と名乗り出たところでね。
今更目出度くカギが開くわけもなく。おじさんの怒りが引くわけでもなく。
ただいたずらに叱られるばかりよなぁと思えた瞬間にね、
オラァ黙っておこうと決め込んだね。

あとは必死で動揺を隠しながら平然とした風でもって着替えをし終えてね、
走り出したいのを必死で堪えてね、出口の引き戸を閉めて靴を履くや否や、
おらぁ一目散に駆け出したよ奥さん。

だって、悪気は無かったんだもん。
いたずらじゃなかったんだもん。
ごめんよおじさん。
今頃もうあの人も70過ぎたろうなぁ。
お元気だろうか。
まさか、30数年経った今も、いまだにカギが開かず、あの風呂屋の脱衣所で裸のままということもないですよね。

あれから30数年。
時代は移り、世相は変わり。
東京の銭湯の数も減りつつあると聞きますが、
いかに、おじさん、息災であれ。
そして、どうぞいつまでも、お達者で。

あの時の若者も50の坂を上ろうとする年を迎え、
なにとぞ世のため人のためになりますようにと考えおる次第。
あなたのあの日のお怒りは静まらずとも、あの日の怒り無駄にはせじと精進潔斎の日々でございますことは天日の下に偽り無しでありまする。

ということでね、奥さん。

「何事にも先達はあらまほしきもの」。
で、ございますよと、強く、言っときますよ。

以上!
本日の日記終わり。
また明日!

解散!


(19:13 嬉野)

1月7日水曜日。

遅れましたが皆の衆!

あけましておめでとうございます。

新年早々から編集室にこもり、いまだDVDの編集に猛進しております藤村でございます。

現在「サイコロ5」の最終夜を編集中。

10月過ぎから続けてまいりましたこの作業、ようやく終わりが見えてまいりました。

いよいよラストスパート。

ということで、気の利いた話をできる余裕もなく、あとはDVDをじっくりご覧あれということで、2009年初頭のご挨拶と代えさせていただきまして、

私は引き続き編集室に入ります。

よし、それでは皆の衆もそれぞれの持ち場で奮闘せよ。

解散!

また明日!

ぬぅえやぁーッ!


(20:05 藤村)

2008年1月8日(木)

嬉野です。

今日も皆さんお元気でしたか!
明日も陽気に平気に生き抜きましょう!

解散!

また明日!

のうんりゃぁぬぅえやぁーッ!

以上。


(18:51 嬉野)

2009年1月8日(木)

嬉野です。

今日も皆さんお元気でしたか!
明日も陽気に平気に生き抜きましょう!

解散!

また明日!

のうんりゃぁぬぅえやぁーッ!

以上。


(12:13 嬉野)

2009年1月14日(水)

嬉野です。

えぇ先ほどまで、私のやっつけのような日記がですねぇ、
なんと一週間近くもね、
世間様にさらしっぱなしになっておりまして。

たった今、慌てて取り込んだんでございますがね。
いやはやお恥ずかしいことで申し訳なし。

あれね、出しっぱなしになってたあの日記がね、
もう少し中身のある日記であればまだしもね、

「のうんりゃぁぬぅえやぁーッ!」

なんてなね、
意味の無い掛け声で終わってるようなろくでもないしろものがさぁ、寄りによって出しっぱなしになっちゃっててね、
あれでは、まるで取り込み忘れの洗濯物がさぁ、
雨ざらしのままびしょびしょになったところへ日が差してね、
埃もいっぱい飛んできて、排ガスで汚れて変に黒ずんで乾いちゃったタオルのような感じでお恥ずかしい限り。

なになに?
そういう回りくどい言い訳が、だいたいにしてメンドイ?

あぁなるほど、ねぇ。

そうですか。そうですか。
はいはい。
すんませんでしたね。

なに?
「はい」は一回?

あぁ、ねぇ。

ということでね、明日は某所でDVDの副音声が収録されます。
はたして今回の豪華ゲストは誰なのか!
気になるところ!

あぁ、あんまし気にならんか。
あぁ。

ということでね、本日は解散!







(15:53 嬉野)

2009年1月19日(月)

嬉野です。

冬です。
まぁいちいち確認することも無い話ですが。

ですが、今は冬です。

「青春・朱夏・白秋・玄冬」

古代中国のおっさんが、このように四季を色でもって表現したという話でね。私が青年の頃になんかの本で読みましたよ。

ですから「青春」というのは若い頃の一時期を指して言うのではなくして、本来「春という季節は青でもってイメージしますよねぇ」と、古代中国のおっさんが何かに書いてね、世間の人に「そうですよねぇ、そうでしょ」と確認したということに過ぎない。

で、それを受け取って古代中国の世間の人も「まったくそうだよなぁ」と確認した。ま、したかどうかは知らんが。

白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まず 漂う

そんな風にね、かつて日本でも高名な詩人のおっさんがね、
歌を詠んだくらいだから、春は目に沁みるような真っ青な空と海に暖かに包まれる時節だね。
(これはまぁ、夏の描写だったかもしれんが)

夏は勿論、朱い太陽がじりじり照りつけてね、
世間が朝から朱色に見えそうな気がしますから異論なし。

ただ秋は、なんで白い秋なんですかねぇ。

木々の葉は紅く色づき、西日も赤いし。
北原白秋さんに聞けば分かるのでしょうかねぇ。

ひょっとして風の色なのかもしれない。
空も青く天高く、山は色づく実りの秋。
それでもそこに吹く風が変わる。
「その風がねぇ、白いですよねぇ」と古代中国のおっさんが…

なんです?

「あんたの推論は意味が無いから興味ない」?

まったくです。
その言葉を待っていたのであります奥さん。

とにかく行き先も無く碇を上げ、
帆を張ってしまいました本日の日記。

そもそも沖へ漕ぎ出すとて、向かうあてもありませんでしたので、奥様方の怒号を受けたを潮に、このあたりで浜へと引き返すといたしましょう!返しましょう。返しましょう。

さて、昨年末に冬至も過ぎまして、
夕方の4時には真っ暗な夜になっておりました札幌地方も、
この頃は幾分日が長くなってまいりました。

これからは日々、ただ日を送るごとに春に向かっていくばかり。
そんなふうに自らを励ましております今日この頃。

寒くて暗い北国に生活し、長くて重苦しい黒い黒い冬が通り過ぎるのをじっと待ちながら日を送る者にとっては、ただただ長閑な春の日の訪れることが無性に嬉しいということがあります。

重石が無くなる瞬間のその喜びだけは、
断じて失いたくないと、ぼくは北国に住むようになってから、思うようになって行ったのですよ奥さん。

なに?
よくわからない?
というか、どーでもいい?

はいはい。
おじゃましましてね。

さて、先週末市内某所で執り行いましたDVD副音声収録も滞りなく完了しまして。
今回は安田顕さんを特別ゲストにお招きして、興味尽きないお話の数々を収録。請う御期待!

解散!

無意味な日記ではあったが、こらえてくれ!
そしてまた明日もおいで。

そうそう、センター試験ご苦労様でしたね。
「試験に出る」の問題が今年も出たそうでね。
お喜びの方がおられましたよ。

「あなたの人生のお役に立つ 実用本位 水曜どうでしょう」

今年もよろしく!




(15:39 嬉野)

1月20日火曜日。

やぁどうも!藤村です。

ちょっとフランクにご挨拶してみましたよ。

皆さんご機嫌いかがでございましょうか。

私はDVD第11弾の編集に終わりが見えてまいりまして、ようやくひと段落ついたところでございます。

「桜前線」「十勝二十番勝負」「サイコロ5」。

今から11年前の98年春から初夏にかけて作られた作品であります。

この年の夏にはアラスカへ行きシェフ大泉が登場、冬には短編の名作と呼ばれる「車内でクリスマスパーティー」が作られるなど、番組が勢いよく加速していく、まさにそんな時期。

番組に力がみなぎっている、もう走りたくてしょうがない、走らせろ、それが98年だったような気がいたします。

時は流れて2008年の年末。

DVDの前枠撮影のために久々に顔を合わせたどうでしょう班。

大泉洋35歳。鈴井貴之46歳。

前回の「ヨーロッパ20カ国」からも、すでに2年あまりが経過。

どうでしょうさん的には、ずいぶん前に走るのをやめ、まぁゆっくり歩こうやと言うのも束の間、今や縁側に座り込んで毎日茶をすすっているような状態。

そんなどうでしょうさんが、「よいしょ」と、久々に腰を上げたかのような今回のDVD用の前枠撮影。

本編の方は98年、力みなぎるどうでしょう班。

かたやオープニングの前枠に登場するのは、2008年の年の瀬
に「んどくせぇなぁ」と多少は腹に持ちつつ集まってきたどうでしょう班。

しかし、です。

しかし、歳をくって毎日茶をすすっている2008年のどうでしょう班の方がおもしろい。

前枠も後枠も、その場に板付きで中身のある話なんか一個もしてないのに、なんだかおもしろい。ずっと聞いていられる。

「歳を重ねる」というのは、これは絶対的な力なんだなぁとつくづく思ったのであります。

2008年は、皆様にテレビでお会いすることはできませんでしたが、このDVDでは、オープニングから「今の大鈴」がしっかりと皆様の前に登場し、ダラダラとしゃべっております。

これは「テレビではできない」「DVDというメディアだからこそできるおもしろさ」だと、私は実感したのであります。

DVD第11弾はこの前枠後枠も楽しみにしていて下さい。

ささ、では編集もラストスパート。

がんばってまいりましょう。

(15:02 藤村)

1月21日水曜日。藤村でございますよ。

DVDのオープニング、北海道テレビって社名が最後に出るonちゃんのアニメーション。「CI」って言います。

前回はジブリでも活躍中の高坂さんに作ってもらいました。

かなり手間のかかった着ぐるみonちゃんのCGでありました。

そして今回のDVD第11弾でも、このオープニングアニメを、ある方に依頼。

それが本日、届きまして、さっそく見みましたら・・・

いやぁーおもしろい!

今回は、セリフも入っておりまして、ちょっとしたミニコントの様相を呈しているアニメ。

キャラクターとしてonちゃんが出てきますが、今回の主役はなんと・・・


嬉野先生!


嬉野先生がなんとアニメで登場!

これはいいですよ。もう意味がわかりません。

詳細はまた後日。

とりあえずは本日解散!

また明日集合!


(19:46 藤村)

2009年1月25日(日)

嬉野です。
長く生きているといろいろのことを思います。

昨年末だったか年始だったか、どこかの放送局の番組で、
どこやらの高僧が生前言われていたというお言葉を聞きましたら、百歳を越えるその高僧である老僧は言われましたね、

「わしは、悟りとは、いつ死んでも好い思えることやと思うておったが、それは間違いやった。死ぬことより、平気で生きることの方がよっぽど難しい。毎日、平気で生きることは、ほんまに難しい」

わたしゃね奥さん。
なるほどねぇと、思いましたよ。

「毎日平気で生きることは難しい」

やっぱりそうだったんですよ。

平気で生きることは難しいんですよ。
しかも毎日なんてあなた。ねぇ。

だって、わたしらは平気で笑ってる日もあるけれどね、
ふんふん♪と歌いたくなるように楽しい日もあるけれどね、
不意に思わぬ事態に踏み込んで、悩んでしまうことだってあるわけさ。
したら奥さん、そん時ゃへこんでへこんでね、
へこみすぎてそこから出て来れなかったら、もうもうそのまま憂鬱な日々を送るはめになるわけよ。

まったくもってままならんのが己の心ですよ。ねぇ奥さん。

いったい人の気持ちってなぁ、誰が操縦しているのでしょうね。
だって、自分のことだから自分の気持ちなんて自分でどうにでも出来そうなのに、自分ではどうにも出来ないのよ。

だから、毎日、平気で生きることは難しいのよ。

わたしらは、その難しいことを毎日やろうとしている。
だったら毎日は平気でいられないというのは当たり前のことなのよ。

だって百年以上も生きてきた人がそう言い切るんだもの。

百年生きる。

奥さん考えてごらよ。
そらもうそれだけで大変なことよね。

そういう人の話が聞ける。
それは、テレビを見てて好かったなと思う時よね。

じゃ、また明日。




(19:08 嬉野)

1月26日月曜日ですよ。藤村ですよ。

昨年秋から作業を始めたDVD第11弾の作業が、やーっとのことでほぼ終わりを迎えております。

今週中には私の作業はすべて終了。内容をチェックしたあと、パナソニックさんに送られてDVD化されるという段取りであります。

皆様の手元に届くまでは、まだ少々お時間がかかると。

さて、先日お話をいたしました、今回のDVD第11弾のオープニングを飾るアニメーション。

主役はなんと嬉野先生。

日記ではずいぶん悟りを開いたようなことを書いておられますが、こちらのアニメでは大暴れ。

「嬉野だ!」

と叫んで登場するや、弊社のイメージキャラクターonちゃんを乱暴に殴りつけて帰っていくという、そんな内容の短いアニメ。

制作してくれたのは、「秘密結社鷹の爪団」などのフラッシュアニメを作っているFROGMAN(蛙男商会)。

彼の作る、実になんというか、明らかに「やっつけじゃねぇか!」みたいなアニメは、ほんとおもしろいですよ。

ほとんどの作業を彼ひとりでやり、声もひとりで何役もやる。

いい声してんだ、これが。

今回は、onちゃんのニセモノ「offちゃん」の声をFROGMAN。

onちゃんを私。

そして、正義の味方「嬉野さん」を、嬉野さんが演ずるという、そりゃぁもうテレビじゃできませんよ、ここだけですよ、という声優の布陣でお送りいたします。

いやでも、実際に社内で観た人たちにはバカ受け。

嬉野先生、いろんな意味でおそるべし。

ではまた明日。

藤村でした。







(19:51 藤村)

2009年1月27日(火)

先日アニメになりました嬉野です。
とにかく藤村先生の御指導のもと、
言われるがままにやりまして、

私には何が面白いんだか分かりませんが、
あの方が、「いやぁ今の絶叫は琴線に触れました!」とか、
なにやら爆笑して喜ばれるものですから、よく分からんが、この人が満足してるんだから、まぁ好いのだろうと思って録音を終えて東京から帰って来た次第で。はい。

もうね、なんでもやりますよ。やれる範囲のことはやるの。
いいのもう、今年50だから。

さて奥さんね。

慣れ、不慣れということを感じさせられる瞬間というものが、どうもあります。
アニメの話じゃないですよ。いや、それもそうだけど、その話じゃないの。

慣れ不慣れというのはね、往々にして仕事に対して深刻にあったりするのですが。
そのことをなんかの拍子に思い知らされてね、
焦る時が、誰の人生にもあったろうし、
この先もあるだろうし、
今現在もあるだろうしね。

で、まぁ、慣れるには時間の問題、個々の能力の問題など、いろいろあるような気がするのだけれど。でも実際、慣れるということはどういうことなのかということを考えたことがなかったのですが。えぇ、この前考えました。
聞きたいですか?

「…」

聞きたいですか?

「…」

おかしいですねぇ。声が聞こえてきませんねぇ。
聞きたくないんですか。

なに?
また長くなるんでしょう?

当たり前じゃないですか。

途中で飽きませんか?
知りませんよそんなこたぁ。

だいいち聞いてくれようがくれまいがね、
ワタシャ聞かせますよ、勝手に。

「…」

ということでねぇ、慣れ不慣れという…。
何ですか?

なに?なんでもない?
でもあなた今、手を上げたじゃないですか。

なに?勝手に上がってしまった?
自分の手がですか?
自律神経の方に異常がある?
腱反射?
診断書もあります?
見ますか?
見ませんよ。

えぇ、ということはあなた、特段わたしの発言を阻止したいというアクションではなかったのですね。
あぁ違う。なるほど。そーですか、そーですか。
じゃぁ続けて好いですね。
はい。はい。

ということでね、慣れ不慣れの話ですけどね。
私が、そんなことを考えてしまったのにはそれなりに切っ掛けがあってね。
その話をこれからするんですが。

それは今年の年始のことでした。
私は一人、居間でテレビを見ておりました。
正月はテレビを見るに限ります。
いや別に、面白いとか面白くないとかじゃなくてね、
することが思いつかないのでテレビをつけるというあれです。

一番ダメなね、時間の潰し方です。はい。

ちびっ子がね、こういうことをしていては立派な大人にはなれませんが、中年は好いんです。おっさんはね、もうこれ以上特別どうにかなるわけでもないのでね、他人様に迷惑を掛けないように自戒の念に努めれば、あとは多少のことは勘弁してもらえるのです。

で、私はテレビを見ていたわけです。

盆栽の番組でした。
いや、とくに盆栽に興味があったわけではないです。
ただなんだか静かな番組だったから。

もうね、この頃は見てても静かかどうか、地味かどうか、その辺の価値観でチャンネルをそのままにするかしないかを決めるわけですよ。

で、その番組は静かに進行していたんです。
で、見てました。

でまぁね、盆栽にも興味が無いわけではなかったのでね、

だってあなた、植物のミニチュアでしょあれ。
すっげぇ小さな柿の木に、秋になるとすっげぇ小さな柿の実が赤く成ったりするじゃないですか。
興味深いですよね。

えぇっと。
そこの人。あなた。

あなたトイレに行きたいんですか?
違うの?
でも、さっきから貧乏ゆすりしてねぇ、気になるんですよねぇ。
違うんですか?トイレじゃない?
あぁ、癖。癖ね。
じゃ、しょうがないですねぇ。
多少のことは私も我慢しますから。
だからあなたも我慢して。

とにかくねぇ、他の人はもうみんな帰っちゃったからさぁ、
あんたしか居ないのよ、ここには。

何、何、なにを今頃になってあたりをキョロキョロ見回してビックリしてるのよ。
ね、あんたしかいないでしょ。

だからね、あんたはもう席を立てない。
分かりますね。
もう最後まで私の話に付き合ってもらいますよ。

ほんとにねぇ、タイミングと言うのはねぇ大事なの。
席を立つにもタイミングがあるからね、その間を外したらもう観念するしかないわけです。
分かりますね。

分かってる?
さすが。

ということでねぇ。
えぇ…、と、なんでしたっけ?
盆栽?
あぁそうそう、盆栽。
いやぁ助かる。あなたみたいな人いてくれると。
この頃はさぁ、遠まわしに伏線しゃべってる途中で本線の話の方を忘れちゃうのよねぇ。

早くやれ?
あぁ…。

でまぁね、盆栽の話ですよ。
というか盆栽番組の話です。

盆栽を教える先生もね、お若いお綺麗な御婦人で。
進行役のお姉さんもお若いお綺麗なお嬢さんで。

盆栽話も華やいだ雰囲気の中で進行しておりまして。
そのムードが妙にのどかだったものですから、ワタクシ、一人でポケーっと眺めておりまして。

でまぁ、いよいよこれから二人でね、実際に鉢にこの盆栽を生けていきましょうよという話になって。
で、そん時、お二人の前にそれぞれに盆栽キットが並べられ、鉢に土を盛って植物をこれに生けて、と、先生が実地に指導する。
それに促されて進行役のお嬢さんも見よう見まねで視聴者の代表として盆栽を鉢に生ける。

ところがまぁ実際にやってみると先生が言うように簡単じゃない。

なんでもそうです。慣れてる人がやると簡単に見えるけど、実際やってみるとうまくいかずに四苦八苦する。あります。あるんです。そーいうことはいっぱいある。そんなことばかりが人生みたいなことです。ねぇ奥さん。

で、慣れていないことを人前でやらされると人間はオタオタするのです。
あります。私なんか常にオタオタしております。

で、その進行役のお嬢さんも若干オタっておられたように見受けました。
先生の方はと見ると、こちらは悠然たるもので鉢に土を入れ植物を生け、土をかけるのが実に自然な動き。

お姉さんの方は、どうして思い通りならないのかしら、どうすれば上手くいくのかしら、そもそもどう進めていけば好いのかが既に分からないのかしら、と、なにやらどこやら焦りと不安げな表情ばかりが垣間見えてしまったりで。

でまぁこのように書いていくとね、そのお嬢さんのことをとやかく言っているように読めるかもしれませんのでね、それはまったく私の本意ではないのでこの辺りでやめますが。

私はその時ねぇ奥さん、今やその醸しだす雰囲気のまったく違ってしまったお二人を眺め比べながら思ったのです。

そもそも、この二人は何が違うのだろう、と。

盆栽先生の醸し出すムードと、
盆栽初心者のお姉さんが醸してしまうムードは明らかに違うのです。
それは眺めているだけで分かるんです。

盆栽先生の醸しは和みであり、盆栽初心者のお姉さんの醸しは焦りだったのです。

では、お二人は、いったい根本的に何処が違っていたのだろう、と。
私はその時に思って、次の瞬間、なんだか分かったような気がしたのです。

その違いは、そのお二人のその時の気持ちの置き場にあるような気がしたのです。

つまり簡単な話です。
盆栽先生は、自分の気持ちを目の前の植物に向けていた。
この子をどうしたら快適に生けてあげられるだろうかと、そればかり思っていた。
それだけ。
だから盆栽先生の気持ちはその時、植物にあった。
盆栽先生の手は、その気持ちに操られて動くばかり。

一方、盆栽初心者のお姉さんは、自分が予想していた以上に盆栽を生けるのが思うようにいかずショックだった。そのことで若干パニックになりだした。で、そこから先は、そのパニックな自分をとにかくどうにかしたい思いで手一杯だった。
だからその時のお姉さんの気持ちはいつまでも自分の中にあった。
だから当然目の前の植物は、気持ち的に、ほったらかしにされていた。
そしてただただお姉さんはパニックになって、とにかく一刻も早く自分が楽になりたいという気持ちだけでいっぱいいっぱいだった。

そこに。
つまり、かたや植物に、かたや植物をほっといて自分にという、
この気持ちの置き場の違いに。
この時の二人の醸すムードが違ってしまう原因があった。

私はそう思ったのです。

大事なことは目の前にある盆栽のことを考えてあげることだった。

どうしたらこの子を快適にしてあげられるか。
考えなければいけないのは、そのことだけだった。

そう考えたらね奥さん。
その瞬間から、なんだか物事は簡単なことのように思えてきたのよ。

つまり、作業に不慣れであっても、目の前の植物をどうしたら快適にしてあげられるだろうと思い遣るスタンスさえ見つけられれば、基本的には好いということだものね。

植物に気持ちを向ける。
そのスタンスに立てば、その後は、目の前にいるその子のために何を覚えて、どう構ってあげれば良いのだろうと考えられて、ぼくらは人間らしい気持ちになれる。

そのスタンスは、人として一番楽なスタンスだと、ぼくは思いましたの奥さん。

でも、普通、慣れない内は、自分がどう見られてしまうかとか、もっとできる人間に見られたいとか、万時人前ではそつなくありたいなどという思いが強いものだからね、いつまでも気持ちが自分にばかりに向かって、自分にばかり執着してしまう。

でも、それだと盆栽はね、きっといつまでたってもほったらかしなのよ。

そんなんじゃぁ、誰もそんな自分に共感してくれない。
当たり前のことだよねぇ。

年始の我が家の居間でね、40代最後の正月を迎えて、ワタクシは一人しみじみと思ったのです。今更のようにね。

生きていればね奥さん、仕事が出来ないとか言われてね、バカにされたり、軽んじられたり、舐められたりするものでね、
そんな憂き目に会いたくないから、まったく分かんなくても、とにかく分かったような顔でね仕事が出来る振りをしたり、文句言わせないように無闇に牙を剥いて威嚇したり、ただただ不安で焦るばかりだったりするんだけど、でも、そういう生活って、やっぱりしんどかったりするのよね。
でも、それがしんどいのはさぁ、いつまでも気持ちが自分の中にばかりあってね、盆栽を見失っているからなのよね。

盆栽を見失わず、盆栽の気持ちを考えて、盆栽がすくすくとそだつことを目指す。
それがただひとつの仕事を覚えるコツのような気が今はします。

母親や父親になった人が、生まれてきた子を大事に育てるためにさぁ何をしてあげようかと思い遣る。それが全ての仕事と言う名の盆栽に立ち向かう手本であるように思えます。

それだったら、当たり前のことだし、
そういう親を見てると、少々子育てに不慣れでも傍で見ていて心が和む。
知らないことを教えてあげてもきっと素直に聞いてくれる。

慣れない仕事をする時は、わりとパニックになってるからね、
そういう時は、自分の頭が普通に働くようにまず落ち着くのが大事よね。
そして当面、出来ないことは、出来る人に任せれば好いと結論する。
そうすっとその分ホッとするの。
ホッとすると余裕が出来るのよ。
余裕を作らないと出来ることも出来なくなるのが人間よ。

出来ないところは誰かが助けてくれる。

そう思い込んで他人を信じる。
これって、難しいけど、逃げられない時にはやってみる価値はある。

そうしてそのことで自分の頭がリラックスしたら物事はまた考えられるようになる。
したら自分に出来ることは出来るようになる。

出来ることは頑張れるものね。
そして自分が頑張れることだけはとにかく頑張る。

だってさぁ、人間はみんな、本当は頑張りたいのよ。

ただ頑張れることと頑張れないことがあるから。
だから出来ることはとにかく頑張る。
出来ないことは頑張れない。
それだけ。

別に演説する気じゃぁなかったんだけどね。
年よりはくどくていけないね。

じゃ、また明日。

最後の人は、明かりを消して帰ってくだ…。

あぁ。
もう、さっきのあいつも帰って、オレだけか。

じゃ、電気消して、オレ、解散。

(20:10 嬉野)

2009年1月29日(木)

嬉野です。

なんだか今日の札幌は気温が高くて春のようでガス。
道の雪が融けて流れて水びたし。

春近し、と言うには早し、まだ一月、でガス。

「でがすた!」

なんてな駄洒落を、
昔だれかがどうでしょうの中で言った気がする。
誰だ。
思い出せない。
うーむ気持ちが悪い。

だいたい何を何と駄洒落たのかすら思いだせない。

お。
そーだった。

壁に掛けられた絵を見て、コメントをつけることを強要されていた頃の大泉さんが、
ヨーロッパで、壁にあった絵画の額縁に記載してあった、
画家のドガのスペルを「デガス」と読み間違えて、

「デガス…、この絵はねぇ。でがすた!」

なんてなことを苦し紛れに言い放った時に言ったね。

…。

まぁ、だからどーだという話ですよ。

えぇ、えぇそーですよ。

ねぇ。
ということですから、
もうね、解散してください。

終了~!

また明日ね。

明日も来るのよ、奥さん!
奥さん以外の人もよ!


(15:21 嬉野)

1月30日の金曜日でがす。藤村でがす、と。

さぁーDVD第11弾、本日すべての素材がめでたく完成いたしました。

秋以来の編集室ごもりも、これにて終了。

あとは皆様のお手元に届く春4月を待つばかり。

今回のDVDは、久々に顔をそろえた「DVD版の前枠後枠」や、「オープニングCIアニメ」あたりをまずは楽しみにしていただきたい。

いや、もちろん長い時間をかけて再編集した本編が一番のオススメではありますが、みなさんに放送で流すのではなく、「DVDというモノ」として買っていただく。そう考えると、DVDをひとつのメディアとしてとらえ、「DVDだからできること」をどれだけ付加できるか、が大事なのであります。

DVDというメディアをただ「テレビの放送をキレイに録画したモノ」ととらえるのならば、誰だって自分で作れる。わざわざ数千円も出して毎回買う必要は、次第になくなってくる。

「DVDというモノ」の特性を考えて、「単なるテレビ録画ではないモノ」に仕上げてから市場に送り出さなければ、テレビ業界が「ソフトの二次展開」などともてはやしているDVD市場も、やがて自分たちの手で枯らしていくことになる。

「ウケた番組はとにかくDVD化」「どこもやってんだから」「今がチャンス」と、「映像の権利を保有している」という権利概念だけの安易な判断で2時間そこそこの録画素材をDVDに焼いて売り出すようなことを続けていると、やがてテレビ番組のDVDなど誰も見向きもしなくなってしまう。

「ソフトの二次展開」という言葉だけがテレビ局の中で蔓延し、「モノとしての実体」の伴わない安直なDVD販売が、テレビ番組のDVD市場自体を、視聴者にとって魅力のないものにしつつある・・・。

DVDは、時間軸の中で流されていくのが宿命だったテレビ番組を、時間軸の呪縛から解き、視聴者の手元にずっと置いてもらえる、視聴者の中で生き続けることを可能にしてくれたメディアである。

DVDは、決して「二次展開という権利概念の商売道具」ではなく、「テレビ制作者と視聴者の電波を介さない初めてのつながり」である。

テレビ制作者は、これを忘れてはいけない。

DVD作りを5年続けてきて、最近強くそう思うのです。

ま、とにかく今回も、4時間あまりの水曜どうでしょうDVD、まもなく完成であります。

ということで、奥さん本日は解散でがす!


(19:48 藤村)

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