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9月3日月曜日。

ほぼ1ヶ月ぶりの登壇となりました、藤村でございます。

今年の夏は、「幸せハッピー」というドラマ作りで終わりました。今はまだぼーっとしておりまして、気が利いたことも頭に浮かばない状態であります。

今週末、9月8日土曜日は岩手県洋野町の図書館におじゃまいたしまして、嬉野先生とともに「本」について語るという催しが開かれます。岩手近隣のみならず、遠くから足を運ばれる方も多くいらっしゃるそうでありますな。

みなさまとお会いできることを楽しみにしておりますぞ。

じゃじゃじゃじゃじゃあじゃあ、明日からまた出張に行ってきます。

九州大佐々木先生の書いた本、「結局、なにがおもしろいのか~水曜どうでしょうのしくみ」は、これは興味深いですよ。

では、岩手で。



2012年8月30日(木)

嬉野です。

みなさん、
ご無沙汰をしております。

ドラマ撮影も無事に終え、
わたくしもリハビリを終えまして、
本日、出社しております。

あれから藤村さんは風のように掻き消えて、
この只今も、
またぞろ、どこぞの空の下を流れ流れておられるもののようであります。

そんな本日の札幌、天候は酷熱。
残暑というにもほどがあるだろう!
といったていたらくであります。

さて、足かけ2年に及ぶ準備期間の果てに、
怒涛の撮影を終えましたドラマ「幸せハッピー」は、
その、いっけんして感じる平凡なホームドラマ的物語展開とは裏腹に、随所に激烈な感情が噴出する、
じーっと今という時代を見据えるドラマになっているのだという予感があります。

そこにはやはり、
主演の渡辺えりさんから発せられた、
激烈なるエネルギーの横溢が、
揺るぎなくあってのことだと思うのです。

えりさんの牽引力。増幅力。呪縛力が、
突如、シーンに、不吉なまでの緊張感をもたらすのです。

そして登場人物のキャスティングが全てにおいて、
見事にはまっているからこその共鳴振動的、波紋の広がり方。

ホームドラマの仮面を被って見る者を油断させ、
不意に深淵を覗き込ませるような、
そんな普遍的なテーマを、じーっと見据えて、
淡々と綴る、テレビドラマ。

そいうものになるのだと強く予感するのであります。
奥さん、ここはひとつ、どうぞご期待くださいますように。

さて、もうひとつ。
これは本の話題です。

今、Amazonさんのページをのぞくと、

「結局、どうして面白いのか 水曜どうでしょうのしくみ」

という、ナイスなタイトルの本の予約が始まっています。

著者は、九州大学の臨床心理学の先生である佐々木玲仁さんです。

これは、
ご自身も水曜どうでしょうのヘビービューアーである佐々木先生が、2009年から、ぼくと藤村くんに対して行ったロングインタビューをもとに、二年以上の歳月をかけて書き上げられたもので、

制作者サイドであるぼくら二人の自覚、無自覚、
意識、無意識の領域にまで分け入って、
結局、なりゆきと、ぐだぐださで展開しているだけと思わせがちな水曜どうでしょうという番組の中に、実は、結果的にどういった仕掛けが施されてれてしまっているのか。

もう何度も見て、熟知していいるシーンなのに、
何度見返しても面白いと思えてしまうのは何故なのか、
その理由の底には、いったいなにが横たわっているのか。

水曜どうでしょうという番組に、
無自覚に近い形で隠されていた、面白さの仕組み。
そこを解き明かしてみようという熱意ある試みの本なのであります。

もちろん番組裏話的な本ではありません。
ですから読破するにもある種の好奇心と熱意と根性がいりますが、
でも、そこを押して渡ると、渡った先の最後に、
なぜか、じーんとしてしまう、
作り手のぼくらすら気づいていなかったことに気づかせてくれる、
そんな興味深い本になっているのであります。

我と思わん、水曜どうでしょうヘビービューアーの猛者のみなさんには、ぜひ、一番槍で読み進んでいって欲しい一冊なのであります。

では、諸君。
本日も各自の持ち場で奮闘願います!
久々に言いましたね。

では、またあした。


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(16:38 嬉野)

9月18日火曜日。藤村でございます。

ドラマ「幸せハッピー」の撮影を終えて、しばらく出張に出ておりました。

東京では、劇団「ヨーロッパ企画」と次の映像制作の打ち合わせをしたり、次のどうでしょうフィギュアの打ち合わせをしたり、ドラマのエンディングテーマのレコーディングをしたり。

そして東北では、宮城女川を半年ぶりに訪れました。

震災から1年半が経過した女川の町は、津波で破壊された建物がほとんどすべて撤去されて、町がさら地になっておりました。そのさら地には、草がたくさん生えておりました。

「やっぱり、植物は強いんですよね」

蒲鉾屋「高政」の高橋くんは、そう言っておりました。

高台の病院の駐車場に建てられたプレハブ小屋にある「女川さいがいFM」に顔を出し、番組に出演しました。

元気づけるとか勇気づけるような話が我々にできるわけもなく、ただ「藤村さんにとって幸せとはなんでしょうか?」と問われて、「幸せというか、人が生きている意味は、人と会うことだと思う」と答えました。

嬉野さんは、「生き物は、森や海があれば、そこの恵みで生きていけるでしょう。たぶん人間にとっての森は人で、人々の恵みで生きていける」と言いました。

あとはただ笑って1時間ほど話をして、プレハブ小屋の居酒屋で、鯨の刺身やサンマの刺身をみんなでたらふく食べました。

こうして女川には、顔見知りが何人もできたから、私も嬉野さんも、これからもちょくちょく女川を訪れることになるでしょう。

我々はガレキをどかすということもなく、ただ彼らと会って酒を飲んでたらふく食って帰るだけだから、ガレキがなくなっても、彼らがそこにいる限り、これからも女川を訪れることになるでしょう。そして、少しずつ変わっていく女川の町を、彼らの生活を、これからも興味深く見ていくと思います。

女川には、我々にとっての豊かな森があるわけですから。


さて、急な告知でありますが、明日19日水曜日!札幌パルコで開催中の大宮エリー「思いを伝えるということ」展でのトークイベントにわたくし藤村、出演いたします。時間は夜7時から。飲み友であります大宮エリーとのぐだぐだなお話しをヒマな方はぜひ。トークはどうあれ、展示の内容はすこぶる評判が良いと聞いております。入場料300円は安い!ぜひ。

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(13:50 藤村)

2012年9月20日(木)

はいこんにちは奥さん、
嬉野です。

ただ今、札幌パルコで開催中であります
「大宮エリーさん展」が、おもしろそうだから、
早く行かなきゃと思っております木曜日の私であります。

さて奥さん、今年3年ぶりに撮影の運びとあいなりました
ドラマ「幸せハッピー」のエンディングテーマを、

ぬぁんと!あの斉藤和義さんに歌ってもらっておりますの!

そのレコーディングの日の写真もあわせて、
今朝、ドラマ撮影日記のページにアップしましたので、
まだのお方はどうぞごらんくださいませ!

「ぬぁんで あの名もなきテレビ局に!」と

業界は震撼することでありましょう!

それとね、

九大臨床心理学の佐々木先生が、
札幌のぼくらのもとに3年近くも通われて、
せっせとインタビューしながら分析を続け書き表され、
このたび目出度く出版の運びとなりました、

「結局どうして面白いのか 水曜どうでしょう のしくみ」も、

あっと言う間に初版を売り切って増刷の運びとなったとのこと、
なるほどなるほどと思っております。

さすがにいまや各業界、そして、
社会の多方面に潜伏しておられますどうでしょう藩士のことです。

本好きの読み手の方も多数おられるようで、
あのように文字ばっかりの本にも喰らいついていくような、
練達の読書猛者が果敢に突進しておるのでしょう、
まことにもって頼もしい限りでございます。

「結局、面白さなんて理屈じゃないよ」という
ご意見もあるだとおもうのですよ。

それ、まったくそうなんですよ。
理屈は理屈でしかないですからね。

それでもね、ぼく思うんです、

面白さの周辺に行きつこうとして、
道に迷わないための理屈はあるような気がするのです。

それは、「そもそもの話」ということに
なるんだと思うんですね。

「そういえば、おもしろいって、どういうことなんだろう」

それを考えることの面白さは、
結局、番組を見て面白がってる頭とは違うのですからね。

だから、そういう頭にも興味のあるみなさんには、
とても好い本だと思うのです。

「水曜どうでしょう」という
あなたのよく知っている番組が対象になっていてね、
それを作ってるディレクターが対象になっていてね、
そいつらのしゃべったことを、心理学の先生がどう解釈するのか。

ぼくらの話している理屈だけでなく、
心理学の先生は、
なぜ、その言葉を使ったのかまで見てしまう的なことですからね。

ぼくらにしても、番組という品物を整えていく作業の中では、
常に考え考えしながら仕事はしているのですからね。

だから、そこに理屈が無いはずがないのです。

「なんとなくそうしたいと思ったからそうした」

現場ではその感じです。
だって、そうでなければ、
次々と過ぎ去って行く現実に対応はできないですから。

でも、あとで振り返れば、そのなんとなくにも、
言葉という理屈に変換していくことができることに気づく。

生きていればいろいろな経験をしているのです。
そこで見つけたこともみんなたくさん持っている。

そんなことは聞いてくれる人がいれば、
ぼくら誰もが話してしまうものなのです。

話を聞いてくれる人に、話しながらね、
自分の考えが、整理されていく感じもありましたよ。

佐々木先生は、
つまり練達の聞き手なのだと思いました。

そろそろ世間も秋めいて涼しくなってまいりますからね、
秋の夜長の眠れない夜の過ごし方には、

「結局どうして面白いのか水曜どうでしょうのしくみ」

は、もってこいではないでしょうか奥さん、

と、私は、今一度、ここで、あからさまに宣伝しておきますよ。

それでは、本日も諸氏!
各自の持ち場で奮闘願います!

解散!

また明日。



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(17:22 嬉野)

2012年9月26日(水)

嬉野です。

マンション規約に「人に迷惑をかける動物は飼ってはならない」というのがあります。

私なんかは、「じゃぁ、しつけの行き届いた犬は大丈夫ね」と解釈してしまうのですが、世間的にはそういう意味ではないんですね。

「動物はいるだけで人に迷惑をかけるものである」という認識から入らねばならないのだそうで。

だから、どんなに好い子にしていても、動物というだけで「迷惑」と思う方がいるので、動物である限り「人に迷惑をかける存在」というのはぬぐえないのだ、と、読まねばならないのだそうです。

つまり、努力してみんなに受け入れてもらおうと頑張っても、受け入れてはもらえないということらしいです。

受け入れてもらえない理由は、「動物だから」、です。

聞いて、私は少しポカンとしました。

だって、もしマンション規約に「住人に迷惑をかけるような人間は居住してはならない」と書かれていたら、「そらそうだ、そんな人に住んでもらっちゃ困る」と思うだけです。

だったらオレは大丈夫。
そう思います。

でも、違うと言われるのです。

「お前は人間だろ?だったら、そうってだけで住人に迷惑をかけるんだから、お前は住んじゃだめなんだよ」って、言われる。

そこある理由は、「お前だから」、です。

何かをしたからではないのです。
どれだけ努力してまじめに生きても、
お前は、お前だから受け入れないんだよ、と言われるのです。

そんな悲しい話って…。

昔、日本がアメリカと戦争をしている頃、
「汚いジャップは出て行け!」という言葉があったそうです。

日本人は憎まれていたそうです。
だから「日本人は汚い」と言われた。

正直な人も、まじめな人も、温厚な人も、勤勉な人も、清潔な人も
日本人であると「汚い」と言われた。

「偏見」が生まれたのでしょうね。

「汚いジャップは出ていけ!」

もしこの言葉が、特殊な日本人を指しているのでなく、日本人すべてに向けられていると思えた時。
そこには偏見があるということです。

普通の生活感覚であれば、公正な視点が存在しますから、汚くない者は居ていいという限定的な表現とならねばならないはずの文章です。

ならば「人に迷惑をかける動物は飼ってはならない」という表現も、公正な視点があれば、限定的な意味にとらえられる。

ですが限定的ではなく動物すべてを指していると読めるなら、その人には、偏見があるということです。

昔、犬に噛まれた。
それから犬が怖くなった。
それは気の毒なことです。
死に至ることもあるのですから。

お母さんにそんな経験があったかもしれない。
だからお母さんはとにかく犬が嫌いだったかもしれない。
だから自分も犬が嫌いに思えてきた、ということかもしれない。

「嫌なものは嫌なんです。分かってください」
そんな気持ちもあると思います。

でも、いろんな犬がいる。
人間もいろんな人間がいる。
ひとりひとり違う。
分かって欲しい。
ぼくを気に入ってください。
ぼくを受け入れてください。
そんな風に思って生きている人もいる。
そんな風に思って動物と生きている人もいる。

いつも公正な視点を持つ。
それが普段の社会です。
健全な人々が営む社会です。

学校から、いじめがなくならない。

「いじめてないですよ」
「あいつ、いじめられてるんだって」
「あの子可哀そう、いじめられてるんだよ」

ぼくも、いじめられた上に、そんなことを周りからささやかれたら、多分、生きていけないと思う。

だって、「お前はお前だから受け入れない」
そんな理不尽な拒絶をされながら、「あぁ、自分はいじめられているんだ」と思いながら、でも「いじめられている」と思いたくないから、必死で平気な顔をしていなければならないような気がして、よけい悲しくなって、そして、そんな日々が終わらないと思えば、多分、生きてはいけない。

どうしてぼくを受け入れてくれないのですか。
「だって嫌なんです。嫌なものは嫌なんです」
そんなふうに言う人が一人じゃなくて。
全員に言われるって。
誰も自分に口をきいてくれないなんて。
昨日もひとり、今日もひとり、明日もひとり。
いつもひとり。

みんな「いじめ」と言っているが、これが「いじめ」だろうか。

ぼくは違うと思う。

今、いじめと呼ばれているもの、それは、「迫害」なのだと思う。

「いじめ」呼ばれると、子供じみた風に聞こえる、

「いじめられている」と、親しい人に言いたくないのは、
「いじめられている」という表現の中に、自分が、一人前でない感じがするから、だからなんかものすごく悲しいのに、「いじめられていること」が恥ずかしいことのようにも思えてしまって、自分で自分にがっかりする、とても自分が情けない者に思えてしまう、打ち明けたら、自分を愛してくれている人をガッカリさせてしまうように思えて、親しい人にほど打ち明けたくなくなる。
だって自分を愛してくれている人は、最後の砦に思えるから。

言葉が違うのだ。

もう「いじめ」「いじめられている」ではないのだ。
今のこれは、もう「迫害」なのだ。

校内迫害。

「迫害されているのです」と、打ち明けるべきと思う。

迫害されれば、人は生活ができず、死に至こともある。

「いじめ」でこどもが死ぬのではない。
そんなものでは人は死なない。
あれは「迫害されている」のだ。
迫害されれば、人は死ぬ。

当たり前のことだと思う。

昔に名づけた「言葉」は、そのままだが、
社会で起きている現象は、場所は同じでも時間の推移とともに、
その中身が少しずつ少しずつ形を変えているのだ。
現象の中身が変わったのならば、名づけた名前もその変化にともなって変えていかねばならない、別の災いを招くことになるからだ。

だから「迫害」と変える。
「迫害されている」と変えるべきと思う。

「おかあさん。ぼく学校で迫害されているの」

迫害ならば、情けない気持ちにはならない。
断固戦いあるのみ、と、思える。

まぁ、そんなことを思いましたから書きました。

いいかげんな男が、いいかげんな頭で書いてるだけですから、信ぴょう性はまったくないです。

たんなる、あてずっぽうの思いついたがままの話です。

ということでね奥さん。
本日も各自の持ち場で奮闘ください!

昨日と同じことを今日もやる、そして明日もやりましょう。

目立たないところで奮闘してる目立たないやつがね奥さん、
意外に今の日本を底で支えているんですよ。
この理由の見えない平穏と秩序はね、そういう人がたっくさんいるから支えられている、ぼくは本当にそう思うんです。

ではまた来週!
解散!



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(17:54 嬉野)

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