一度だけ、嬉野くんとふたりで旅をしたことがある。
あれは、嬉野くんが、それこそ何かに取り憑かれたように「四国R-14」の脚本を書いていた、2000年の夏のことだ。
あらかたストーリーは出来上がっていたようだが、
「肝心のラストシーン、結末がね、全然見えないんですよ・・・どうしましょうか」
なにやら「他人ごと」みたいに言い放ち、
「やれやれ困ったもんだ・・・」
なんて言いながら、いくつかのマンガ本や、「日英同盟」なんて歴史本を読みふけり、明らかに現実逃避を始めた・・・。そんな時期であった。
「そんな時期」ったって、のんきにしてる時期でもなく、早いとこ先生に書き上げていただかないと、撮影の準備も始められない。
多少の焦りを感じた私は何度となく先生をせっついた。すると先生は、
「やっぱりこういう時は、現場に行って、イメージを膨らますものじゃないかなぁ」
「日英同盟」から顔を上げて、そんなことを言った。
「なんだい?四国行ったら、ラストシーンも見えてくんのかい?」
「だと思うんだよねぇ・・・こういうものは」
またしても「他人ごと」みたいな言いっぷりで、彼は無責任に「四国行き」を希望した。
確かに高名な作家先生なら、ふらりと現場に赴いて、「うむっこれだッ!」なんて良いアイデアが浮かぶ・・・ありそうな話だ。
しかし、にわか脚本家・嬉野くんの、そんな「作家気取りの執筆旅行」に、会社が金を出すはずもなく、だからと言って、このままじゃ嬉野くんの「日英同盟」が読み進むばかりだと痛感した私は、結局のところ、
「さぁ!待ちに待った脚本が完成しましたぁ!もうね、さっそくですけどね、四国にロケハンに行ってまいりま~す!」
会社に大ウソこいて出張届を提出し、嬉野くんとふたり、四国・香川へ旅立ってしまったのである。
高松空港に降り立つと、嬉野先生は、なにかに解き放たれたかのように、楽しげだった。
「藤村くん、うどん食いましょうよ!うどん!」
空港でレンタカーを借りてるそばから、先生はうるさかった。
ふと見ると、カウンターの上に、「ご自由にお持ち下さい」と書かれた高松市内の案内図と並んで、「オススメ!うどんマップ」なるものがあった。
私は、何気なく一枚をポケットに突っ込んで、先生とふたり、小さなレンタカーに乗り込んだ。
「まずは、例の寺に行くか」
「うどん食ってからね」
「はぁ?なに言ってんのよ!」
「いいじゃないの。うどんぐらい」
「おい、あんた大丈夫か?ちゃんと台本書き上げなよ。こっちは会社にウソついて来てんだから」
「大丈夫ですよ」
言いながらも嬉野くんは、楽しそうだった。
後部座席には、いつものおふたりが座っているわけでもなく、嬉野くんはカメラを回すわけでもない。
「お気楽な旅」に見える「どうでしょう」だが、そうは言っても嬉野くんも私も、ロケ中はかなりな緊張感があるものだ。
今回は、仕事でありながら、仕事でないような・・・んなこと言ったら怒られるけど、そんなあやふやな旅だった。
「おっ!うどん会館なんてものがあるぞ!」
前方に大きな看板が見えて来た。
「行きますか」
「行きましょう、行きましょう」
うどん会館は、やけに広く、がらんとして、客はいなかった。
「ぼくは、肉うどん」
嬉野くんのうどん発注率、そのおよそ7割は「肉うどん」が占める。
ついでに言えば、彼の外食率、その9割は「カレー屋」が占める。
ならば「カレーうどんにすりゃいいじゃないか」と思うが、カレーうどんは食わないらしい。「うどん」といえば「肉うどん」だ。
しかし残念ながら、うどん会館の「肉うどん」は、特に美味くもなかった。
「なんだよぉ・・・」
先生は、気分を害したようだった。
「そういえば・・・」と、私はポケットの「オススメ!うどんマップ」を取り出した。
今思えば、この一枚の手書きのプリントが、
「素晴らしき!奥深き!尊敬に値する!讃岐うどんの世界!」
その入り口に、我々を導いてくれた「バイブル」だった。
それで、だ。
ここで諸君にひとつ言っておかなければならないことがある。
これから「素晴らしき!(中略)うどんの世界」を、「我々の実体験」を元に語るわけだが、実は、これを読んでしまうと、あなたが「本物の讃岐うどん」に出会った時の感動を、「半ば失う」ことになる。
我々は、皆さん同様、「四国のうどんは美味い」ぐらいの印象しか思っていなかった。
せいぜい「山田家さんのざるぶっかけは美味い」「それより高知のいろりやさんの方が美味い」。そんなもんだ。
実は、その程度の予備知識で「本物の讃岐うどん」、いやこの場合「讃岐うどん屋」に飛び込んだ方が、「その時の驚き」と「感動」は大きい。
我々の体験を、皆さんがこの場で「擬似体験」してしまうと、「驚き度」は当然低くなるのだ。
「ならば、将来香川を訪れる、その時のために、これ以上は読まん!」
かたい決意をしたあなた。
あなたには、こう申し上げておこう。
「余計な本は買うな。四国のロードマップを1冊購入し、『飯山町西坂元』の『中村』といううどん屋へ行け」
もしくは、
「坂出市横津町3丁目の『彦江』に行け」(こっちの方がオススメ)
きっと「讃岐うどんの世界」、その「真髄」を理解できるハズだ。
まぁ、そうは言っても、
「うーむ!オレは読み進むべきかッ!」
眉間にシワ寄せて悩む必要もない。
我々だってまだ「ディープな讃岐うどん界」の入り口に立ったばかり。全てを理解したわけではない。ここまで読んだら、軽い気持ちで読み進んでもかまわん。
さて、「オススメ!うどんマップ」を、テーブルに広げてみると、うどん屋の店名と、その「ひとくちメモ」が、左右ズラリ書かれていた。
中にひとつ「肉うどんがオススメ」と書かれた店があった。
「おっ!嬉野くん、これ・・・」
「あっ!肉うどん!」
「行くか?」
「行きます」
「じゃぁ、ここ寄ってから、寺に行こう。ちょうど途中にあるし・・・」
「行こう!行こう!」
「よし、よし」
とりあえず、先生のご機嫌が直らないことには、執筆活動もままならない。どうせ「寺への道中」。我々は、もう一軒、うどん屋に立ち寄ることにした。
地図通りに進むと、その店はすぐに見つかった。
「飯野屋」という。
店先ののぼりには、誇らしげに「肉うどん」と書かれてある。
「やややっ!のぼりにも肉うどんとは!」
「これは、期待できますよ」
先生のご機嫌も急上昇。
店に入ると、さっきの「うどん会館」とは打って変わり、お客さんが多い。
「もう昼時をとうに過ぎているのに、この賑わい!」
「藤村くん、これですよ!」
おばちゃんが来た。
「ハイ!なんにしよります?」
「肉うどん!」
「ハイ!肉うどんね、そちらは?」
「こちらも肉うどん!大盛りで。」
「おっ・・・藤村くん大盛りかぁ」
「あんまり、あんたが肉うどん!肉うどん!ってうるさいから、本当に肉うどんが食いたくなったんだよ!」
先ほど来、私の味覚は、「うす口のダシ汁に、肉の油がほどよ~くとけこんだ、おいし~い肉うどん」、その理想像をやけにリアルにイメージ・・・
「ハイ!肉うどんね」
「早っ!」
半分イメージしたところで、早くも肉うどん登場となった。
見れば、イメージした通りの「理想的な肉うどん」。
「食いますか」
「食いましょう」
ずず~っ。
「あっ・・・」
「ウマイこれ・・・」
ふっふっ~。
ずず~っ。
「いやぁ!うまいコレ!」
ごくっ。
「くぅ~っ!全部、ツユ飲んじゃったよぉ~」
我々は、たいそう感激した。美味い肉うどんを食った。
「なかなかやるじゃんか!このうどんマップ!」
私は、マップを広げて、「肉うどんがオススメ」と書かれたその店に、大きな丸をつけた。
「よし、合~格!」
左右あわせて20ぐらいある店のひとつに丸がついた。
「うーん・・・まだたくさんあるなぁ」
もう・・・お気づきであろう。
この時点で、私にとって「先生の執筆活動」なんてもんは、
「あんたが、夜中にひとりで書けばいいじゃないの」
ぐらいの極低い地位に追いやられており、それより目下の最重要課題は、
「ここにある20店、全てに合格マークをつけたい!いやッ!つけねば!」
という個人的な「チャレンジ」に完全に移行していた。
「さぁ!嬉野くん!次はどこにしようか!」
「寺は?」
「いいよ」
「・・・」
「おっ!これはなんだ!」
「・・・?」
「裏庭から、自分でネギを取ってくるうどん屋・・・」
「自分でネギを?」
「裏庭から取ってくるんだと!」
「どういうことだ・・・」
「どういうことだろう!」
「行って・・・みるかい?」
「あ?」
「行き・・・ますね?」
「行きます!」
すぐさま車に戻った我々は、もうなんのためらいもなく、寺とは反対方向の、そのうどん屋へ向かった。
そのうどん屋。店名を「中村」といった。
【つづく】
いやぁ、いい気になって書いてたら、ものすごく長くなったので、今回はここまで。次回、いよいよ!「讃岐うどんの素晴らしき世界」へと、みなさまを誘います。