ベトナム縦断第3夜。
あまりにも多くのことが起こりすぎて、テレビ的には、いささか「詰め込み過ぎ」の感も否めないが、それでも、実際「いろんなこと」が起きるんだからしょうがない。
「え?」「あ?」「なに!なにッ!」言ってるうちに、ドンドン話が進んでしまったので、ここでちょっと、「第3夜」の出来事、整理しておこう。
ハノイを出発して、およそ5時間。初日の目的地・ヴィンまで、あと130キロという場面から「第3夜」はスタート。そう、「第3夜」にして、まだ「初日」だ。
確かに初日は、いろいろあった。
「ハノイの雑踏」「迫り来る対向車」「10分単位で変わる気候」、そして最後に、「豪雨」。
昼食を終えた後も、「豪雨」は収まらず、カミナリを伴って、ますますその勢いは増してきた。
「ベトナムの雨季って、いつもこんなに降るんですか?」
ニャンさんに聞くと、
「いえ・・・ベトナムでもこんな雨は、ナイデスネ」
「あっそうなんですか?」
言われて、後部座席を振り返ると、ニャン、フン、タインのベトナム3人組が、じぃ~っと窓の外を見つめている。
ベトナム人にも、珍しいほどの「記録的豪雨」だったらしい。
そりゃそうだ。
今年は、「世界的な大雨」で、特にヨーロッパと東南アジアが壊滅的な打撃を受けた。その真っ只中に、我々は突っ込んでいたのだ。
出発前、旅行社から、
「スコールに遭ったら、バイクの走行は不可能です。そうなったら『停滞』もあり得ます」。
そう言われて、予備日を2日取った。
しかし、「記録的な豪雨」でも、止まることなく走り続けた二人には、もはや「土砂崩れ」「大地震」など、具体的かつ大規模な災害が目前で起きない限り、『停滞』はあり得なくなった。
初日は、290キロを走破して、午後6時、ヴィンに到着。
「サイゴン・キムリエン」という、その町一番のホテル。しかし、1泊およそ4千円。物価はとにかく安いのだ。
2日目は、ヴィンから、390キロ先のフエを目指す。
全行程7日間のうち、最も長距離の移動区間である。
タインさんは、「夜8時ごろに、到着でしょう」と言っていた。そう言われたら「じゃぁ6時に着きましょう」、変な負けん気を出すのがミスターだ。
午前8時、ミスターを先頭に、ハイスピ-ドでヴィンの町を出発。
まず現れたのは、「アヒル障害」である。画面では分かりにくかったが、二人の目の前、道路いっぱいにアヒルが大行進していた。そりゃ、驚く。
次に現れたのが、「牛」だ。「Gメン」ばりの堂々の行軍。
初日は「カブ」「自転車」「歩行者」など、主に「人的障害物」が路上に出現したが、2日目・第2ステージからは、「動物障害」も出現し始めた。
なかなかに楽しい「ドライビング・ゲーム」である。
そう。この「ベトナム縦断」は、まさにプレステあたりにありそうな「ゲーム」を体感しているようだった。
様々な障害をクリアしながら、1800キロ先のゴールを目指す。タイムリミットは7日間!
スーパーカブ・ドライビングゲーム「ホーチミンへの道」。
このゲーム。
難しいのは、なにも「障害」は、路上に出現する「障害物」だけに留まらない。
プレイヤーの命綱「通信手段」までも奪う。これを奪われたプレイヤーは、後方から出現する「危険な追い越し車両」に対し、全く「無防備」になる。本来なら、ヒゲ面の支援者から「はい!車来ます。気をつけて」と、事前に危険を知らせてもらえるが、それが無くなる。
しかし、一番大きな問題は、「次の交差点、左です」「この先のレストランに入って下さい」、そんな指示を全く受けられなくことだ。
だって、プレイヤー自身は、「道順」を全く知らないのだ。
難しい!というより、これでは、ゲーム進行自体が、ほとんど不可能になる。
まぁ、それぐらい、ミスターが「トランシーバー」を落としたのは、痛かった。痛すぎた。
確かに普段からしゃべらない出演者ではある。だからと言って、
「特に、番組上、支障は・・・」
んなことでは済まされない大問題なのだ。
「ラスト・ラン」。
ホーチミンに着く直前、ミスターに語り掛けたい。
「ミスター・・・今、なにを考えてますか?」
ミスターは、なんと答えるだろうか。
我々3人に、そしてテレビの前のみんなに、どんな言葉を残すのだろうか。
「どっかに売ってないのかな?」、タインさんに聞いたところ、「ベトナムでは、トランシーバーは売っていない」と言われた。もう「八方塞がり」である。
しかし、なんとかしなければいけない。
そして、後日。我々は、「ウルトラC」技を繰り出して、この危機を脱することになる。
さて、この日。もうひとつの事件が起きた。
大泉さんのカブのカギが、走行中に抜けて、無くなったと言うのである。
「走行中にカギが無くなる」
普通、こんなことあり得るだろうか?
「カギが抜けたらエンジンが、止まるんじゃないの?」
いや。「エンジンが掛かったままの状態」で「抜け落ちた」から、そのまま走り続けたのだ。
あの時、大泉さんは、
「あぁ、終わった・・・」と思ったらしい。
そりゃそうだ。カギがなけりゃ、ガソリンタンクを開けることもできないし、なにより、もうエンジンを掛けられない。
「なんてことだ・・・」そんな脱力感と、「自分の不注意でこんなことに・・・」そんな罪悪感で、大泉さんは、呆然と立ち尽くしていた。
そこに、ベトナム人マジシャンが現れた。
「大丈夫デスヨ。ミスターのカギを使えば、大丈夫レスヨ」
最初、なにを言ってるのか分からなかった。
しかし、実際、そのマジシャンは、我々の目の前で、ミスターのバイクからカギを抜き取り、大泉さんのエンジンを掛けて見せた。
「カギは、どちらも、使えますヨ。」
んなバカな。
にわかには、信じられない事態だった。いくら同じ車種とは言え、カギまで同じじゃ、その主目的である「防犯目的」が、何ら果たせないじゃないか。
困惑する我々の前に、今度は、ベトナム政府公安官のタイン氏が現れて、こう言った。
「イージー、イージー!オンリー5ミニッツ」
「5・・・ミニッツ?」
「イエース」
カギなんか無くしたって、どうってことない。んなもの5分で作れる。
彼は、そう言ったのだ。
ベトナムを走るカブは、かなり年季の入ったものが多い。従って、カギ穴も「摩擦」でゆるくなってしまうらしい。だから、たいがいどんなカギも、入ってしまうし、走行中落ちることもままあるという。
そのため町のあちこちに、カブのカギを作ってくれる店があると。
従って「防犯」のためには、バイクには、自転車のような「車輪ロック」がついている。確かに、二人のカブにも、頑丈なロックがついていた。
「ベトナムじゃ、カギを無くしたって、走れるんだね。」
「すごいな。ベトナムは。」
私は、妙に感心してしまった。
この国は、やはり「カブ天国」。バックアップ態勢が、万全なのだ。
翌朝、タインさんがニコニコしながら、カギを持ってきた。
「5ミニッツ?」
「イエス!5ミニッツ!」
彼は、朝早く、近くのバイク屋へ行って、実際5分で、大泉さんのカギを作ってきたのだった。
2日目は結局、ミスターの目標設定をも楽々クリアする午後5時40分。フエに到着した。
「ベトナムは、カブに関して言えば、日本より、よっぽど走りやすい」
390キロをいとも簡単に走り抜けた我々は、そう確信した。
「こうなれば、1日400キロ以上の走行も不可能ではない。なんなら1日早くホーチミンに着けるかも」
そんなことも思った。
しかしこれは、ベトナムさんが巧妙に仕組んだ、心理的な「ワナ」であることを、我々はその時、全く気づかなかった。
この「油断」が、後日「とんでもないしっぺ返し」となって、二人に襲い掛かることになる。
さて、フエの宿は、「フォーンザン・ホテル」という、これまたフエ一番の老舗ホテルだった。
「このホテルには、宮廷料理の体験ディナーがあるんですよね?」
私は、ガイドブックに書かれていた記事を示して、ニャンさんに聞いた。
「あぁ・・・ありますけど、高いデスネ」
「ニャンさん、お金は、大丈夫ですよ。予約してくれますか?」
「あぁ・・・でも、高いデスネ」
「お金は、大丈夫なの!ニャンさん!」
どうも、歯切れが悪い。そこで、
「どうですか?フンさんも、タインさんも、ごいっしょに」
矛先をベトナム政府に向けると、それまでニコニコしていたフンさんが、
「いや!私たちはいいです!どうぞ!みなさんで」
やけに慌てた様子で、キッパリ断ってきた。
「そうですか。じゃ、ニャンさん、予約お願いしますね」
「でも・・・高い・・・デスヨ」
「いいって!」
私に言われたニャンは、フンさんを実に恨めしそうに見ていた。当のフンさんは、顔をそむけて、ケラケラ笑っていた。
(なんで、そんなに嫌がるんだ?)
その理由は、後でようやくわかった。
「宮廷料理」。一度は体験してみるべきである。しかし、二度と体験しないであろう食事である。
ひとり40ドル(約5千円)。フエの「フォーンザン・ホテル」でいつでもやっている。
ちなみに、王様が歌った「恋人よ」。
その後、王様は、ベトナム人奏者達を特訓し、最後には「演奏付き」で、ちゃんと(?)歌い切った。
放送ではカットしたが、何年後かのDVD発売の折りには、日の目を見ることになろう。
さぁ、「ベトナム縦断」は、いよいよ「3日目」に突入。
フエから、150キロ先のホイアンを目指します。距離は短いが、山あり、大都市ありの起伏にとんだコース。
そしていよいよ、カブにつきものの「積み荷」が、満を持しての登場となります。
「第4夜」。私は好きです。お見逃し無く!