ウラの更新が遅れていました。申し訳ない。
とりあえず前々回の「チーム40登場」の「第4夜」から。
放送前、私は「第4夜」が、好きだと書いた。
気に入ってる点は、いくつかある。
まず、3日目の行程が「わかりやすかった」こと。
3日目の行程【フエ→ホイアン間】は、150キロと距離も短く、「3つの峠越え」そして「中部最大の都市・ダナン」という、非常にわかりやすい「通過ポイント」があった。
多分、見ている皆さんも「あぁ、今2つ目の峠を越えた所だな」「じゃぁ、そろそろ昼食だ」そんなふうに、我々のスケジュールを把握できたハズだ。
これは、番組を楽しんでいただく上で、実は、とても大事なことだ。「ライブ感」とでも言おうか。
ヒゲ面の私の横に座り「共に旅をしている」。そんな疑似体験を、「より確か」なものにするためには、「時間経過」と「距離進行」を理解してもらうことは、かなり重要な要素なのである。
「第4夜」は、実は「30分間」で、「3日目のちょうど丸一日分」を見てもらった。
作り手の自己満足だけれど、「1日の動き」が、よく整理されて「わかりやすかったんじゃないか」と思ってる。その意味で、好きなのだ。
2つ目。ミスターの車載カメラ、アクションカメラマン・嬉野くんの映像など、「画」にバリエーションがあった。
特に、フエの町を走り抜けるミスターの「車載カメラの映像」そして「音声」は、「車の中にいた私」にも知り得なかった「生々しいベトナムの喧騒」「けたたましいトラックの爆音」を、臨場感たっぷりに伝えた。
「いやぁ!こんな騒々しいとこ走ってたんだぁ・・・こりゃぁツライわ!」
今更ながら私自身、ふたりが置かれていた「過酷な環境」を、痛感した次第である。
3つ目。「チーム40(フォーティー)」。無論、これだ。
「どうでしょう」では、喋らない方の2人が、揃って主役に踊り出たのは「トラだって!シカでした」事件以来のことだろう。
それも今度は、「強力なタッグ」を組んで、鬼のような追い越しを繰り返し、「チーム40」などと暴徒化したタッグネームまで付けてのご登壇だ。
まぁ、当の本人たちは、そんなネーミングで呼ばわれていようとは、夢にも思ってなかったんだろうが。
それにしても、あの場面。おふたりのキャラクターがよく現れている。
ミスターは、「どうでしょう」のロケ中、往々にして「これは、テレビ撮影」という事実を忘れる。「忘れる」と言うか、横に追いやる。
「そんなことより、まず目的地到着が先決!」
海外ロケにおいては、特に、彼のそういう「責任意識」は強くなる。
「でも、カメラに映ってなけりゃ、なんも意味ないですよね」
そんな大泉さんの「正論」は、彼の前では「バカもの!」と一喝されて終わりである。
今回も、ご多分に漏れず、後方車両の「カメラ映り」などという「些細な問題」は気にせず、とにかく「己の行く手を阻む者は、全て追い抜くべし!」とばかり、先を急いでいた。
それは、たとえ嬉野くんが後ろに乗ろうとも、だ。
そういえば、嬉野くんを乗せた後で、ミスターが不思議なことを言っていた。
「嬉野さんを乗せたら、疲れが取れましたよ」
バカ言うな、逆だろう!と思ったが、本当に疲れが癒されたらしい。
すると嬉野くんが、
「やっぱり僕の乗り方がいいんですよ」
やけに自慢げに言った。
実は嬉野くん、「二人乗りのプロ」だ。プロったって「運転する方」じゃない。「後ろに乗っけてもらう方のプロ」だ。運転者は、彼のカミさんだ。
あそこのカミさんは、ちょっと男まさりな方で(いや、この言い方は怒られるな)、まぁとにかくスゴイ人で、大型バイクを乗り回し、あちこちキャンプしながら旅をする「根っからのツーリングライダー」だ。
嬉野くんは、その後ろに乗っけられて、日本中を何百キロも引き回された(いや、こんな言い方も誤解を生むな)、まぁとにかくそんな経験の持ち主なのだ。
「後ろに乗る者は、運転者の安定を保つため、常に『ニーグリップ』を効かせることが重要なんです」
嬉野プロは、「乗車姿勢の心得」を、そう言った。
『ニーグリップ』つまり、両足の膝で、運転者の太もも付近をガッチリと固める。これが、安定感を高めるポイントなのだ、と。
「なるほど、結果その『ニーグリップ』が、いい具合に、ミスターのツボをグリグリと刺激してたんですね?」
大泉さんは、嬉野くんを「マッサージ効果」のように言っていたが、あながち否定できない話だった。
話を戻そう。
「カメラ映り」を気にせず猛進するミスター。
一方、その後ろに乗った嬉野くんも、別の意味で「カメラ映り」を気にしちゃいない。
「なぜ!バイクに乗ってまで風景を撮っているんだ」
「んなもん!車の中でいっくらでも撮れるだろう」
「なんで大泉さんを撮らないのよ!」
誰しもが抱くであろう当然の疑問である。
しかし、嬉野プロは、まるでそこに「深い撮影意図」でもあるかのように、哲学者然とした風情で、「鉄橋」などを撮影しておられる。
考えてみれば、実にマイペースなお二方なのである。
彼らに比べれば、私と大泉くんは、常識人である。
普通の人々である。
「40(フォーティー)は、また抜く気でしょうか」
「40(フォーティー)のスピードが上がっただけでしたね」
いつのまにやら「フォーティー」と略語で呼ばわれ、ただ猛然と目的地を目指し突っ走る異常人たちの後姿を、テレビ的常識人たる大泉さんと私は、黙って追いかけるのみ。
今となっては「なぜ四十男が二人乗りをして、ベトナムを走っているのか」、その真意すら誰も理解できない。
思い起こせば、「どうでしょう」が始まった当時、大泉くん以外の3人は30代だった。それが今や、30代は私ひとり。
いつのまにやら「どうでしょう軍団」の中心が、40代に移行しつつある。
「おい・・・大丈夫かよ」
四十を数年後に控えた私は、正直不安にもなる。
しかし、心配は無用なのだ。
「チーム40」は、すでに走り出している。
私と大泉くんを蹴散らすぐらいの猛スピードで突っ走っている。
「一生どうでしょうします」。
普段は無口な四十男二人の後ろ姿を見て、この言葉に、なんだか自信が湧いてきたことだけは、確かだ。
私は、だから、「第4夜」が、好きなのである。