ハノイの「カブ洪水」を抜け、郊外の「危険な対向車」に肝を冷やし、洪水を伴った「記録的な豪雨」に体を冷やしたベトナム縦断初日。290キロを走破して、ヴィンに到着。
「初日が明らかにヤマだった」
「もう、これ以上のことはないだろう」
4人が、4人ともそう思った。
「しかし、明日は、全7日間のうち最も長距離移動」
「距離的なことを言えば、明日がヤマ」
2日目。ヴィン→フエ間、390キロ。
カブの1日当たりの限界走行距離は「300キロ」。
日本で過去2回、合計2000キロ以上を走破した経験から得た限界値である。
しかし2日目。蓋をあけてみれば、ミスターがトランシーバーを紛失するという致命的なアクシデントはあったものの、走行自体は順調で、「ベトナム政府予測」を2時間以上も上回る午後5時40分、フエに到着した。
「以外と、いけますね」
「車は走りにくいけど、カブは走りやすいんじゃないですか?」
「そうですね。日本よりずっと楽ですよ」
カブに関して言えば、車であふれかえる日本よりも、ずっと走りやすい。
そう実感したのである。
翌3日目は、フエ→ホイアン間、150キロ。
「今日は距離も短いですから、フエの王宮跡を見物しましょうネ」
「でも、ニャンさん。今日は峠越えがあるんでしょう?」
「大丈夫ですネ。そんなにたいしたことはないです」
ニャンさんは、朝から余裕の表情で、我々を王宮に案内した。
結局、フエを出発したのは午前10時半。かなり遅いスタートである。しかし、ニャンさんの言葉どおり、峠越えは、たいしたことはなく、午後4時にはホイアンに到着。
「岩石障害にはびっくりしたけど、やっぱり、ベトナムは走りやすい」
我々は、確信したのである。
さらに、この「ホイアン」の町。入ってすぐに気づいたことだけれど、「どこか落ち着いた雰囲気」のある町だった。
ベトナムで、こんな印象を受けた町はここだけ。
その昔、朱印船貿易の時代、各地に「日本人町」が作られた。代表的なものが、タイのアユタヤ、フィリピンのマニラ、そしてベトナムのここ「ホイアン」であった。全盛期には、千人以上の日本人が住んでいたという。
そんな歴史が、少なからず影響しているのだろうか、とにかく日本人の我々には「好印象」の町だった。
さらに!だ。この日泊まった「ホイアン・ビーチリゾート」というホテル。これが、また良かった。
豪華さはないけれど、コテージタイプの部屋は、クーラーが効いて、清潔で落ち着く。ベランダに出て缶ビールをプシュッと開けると、目の前にはゆったりとした川の流れ。
旅の疲れが、スっと癒される。これぞ本来のリゾート。
そして、ホテルの前にはプライベートビーチ。
そのビーチでの顛末は、放送でお話したとおり。
「大泉くん!そこの監視台に登れ。写真撮ってやる」
「よし!」
「おっ!大泉くん!誰か溺れてるぞ!」
「えっ!どこ?」
「違う違う!そういう雰囲気の写真を撮るっつってんだ」
「なるほど」
「行くぞ。あっ!溺れてる!」
「おわッ!あそこだーッ!今行くぞーッ!」
カシャ!
「いいねぇ!」
「よかったですか」
「緊迫感があった」
「じゃ、次はビーチを颯爽と走る大泉さん」
「いいですなぁ!」
「ほれ!向こうから」
「走ってくればいいんだね」
「いいかぁ~!」
「はぁ~い」
「よーし!全力疾走でぇ~!」
「ぬぅりゃぁ~ッ!」
カシャッ!
「いいねぇ!」
「良かったですか、ハァハァハァ・・・」
「じゃ、次はプールで飛び込みだ!」
「行きますか!」
「いやぁ!リゾートだなぁ!」
その一部始終を、ミスターは、
(あぁ、今見つかったら、絶対にオレも走らされる・・・どうかヤツらに、気づかれないように)
そんなことを念じながら、ビーチに寝そべって黙って見ていたというのだ。
そのミスターの姿。実は「大泉さんが激走してる写真」に、偶然写っている。上半身裸で、黒いパンツの男。探してみてくれ。
その後も我々は、プールに場所を移し、美貌の欧米婦人がプールサイドで読書にいそしむ横で、
「うりゃぁ!」
バッシャーン!
「おっ!藤村君!飛び込み上手いじゃないか!トドみたいだぞ」
「そうだろぉ!」
「オレにも教えなさいよ」
「よし!いいか大泉くん、飛び込みは、思い切りが大事だ」
「そうか」
「ほらッ!あそこで子供が溺れてるぞッ!」
「なにッ!」
「行けッ!飛び込んで助けろ」
「うぉりゃーッ!」
ビッターンッ!
「うわっ!腹打ったッ!痛いぞこれは!」
大泉さんは、腹部を真っ赤に腫らして、プールサイドに倒れこんだ。
「頭からいけ!頭から!ほらッ!キミのおふくろが溺れてる!行けッ!」
特訓は、日没まで続いた。
ホイアンという町。そして、このホテル。なんにせよ「気分が良かった」。
その夜。
「そういえば、ホイアンの町は、世界遺産らしいよ」
「いや、ぜひ見物したいですなぁ」
「でも、明日は、なるべく早く出発した方がいいってニャンが言ってたな」
「そんな、大丈夫でしょ?少しぐらいなら」
「そうだな。今のとこ順調だもんな」
前日、390キロを走破した余裕からか、ミスターも特に異論はなかった。
なぜニャンさんが「早く出発した方がいい」と言ったのか。
その理由など、気にも留めていなかった。
危ないね。
「映画」なら、絶対にこの後、こいつらは巨大な生物に食われるか、連続殺人犯の5番目ぐらいの目立たない犠牲者となるのが定石だ。
そして案の定、我々も「ベトナムさん」の餌食となった。
4日目。
ホイアン→クイニョン間、約300キロ。
出発前から、「異変」はあった。
とにかく暑いのだ。たまらずミスターは、長袖を切って、ノースリーブにした。
昨日までも、確かに暑かった。ベトナムだもの、当然だ。
しかし、この日の気温は尋常ではなかった。さらにこの地域の多くが「砂地」で、路面の照り返しがスゴイ。上から下から、暑さが身を包む。
「胸毛あふれる、いぶし銀のレスラーに、寝技をガッチリきめられているような暑さ」
大泉さんは、そう表現した。身の毛もよだつ暑苦しさである。
初日の「豪雨」に続く、ベトナムの「自然の猛威シリーズ」。
「猛暑」。
しかし、これだけでは済まなかった。
ベトナムさんは、「ここぞ!」という時に、エース級を惜し気もなく投入する。
「悪路」だ。
これもまた半端ではない。
全行程300キロ、その大部分が、未舗装のダートコースなのである。
林道を求めてあちこち走り回るオフロードバイク野郎だって、300キロもダートが続いては、「もう結構」である。
それが、こっちはカブだ。
その上、こっちは調子に乗って、ホイアンの街角で見つけた「ジャックフルーツ」なる巨大な果物を、大泉さんの荷台に載せた。
値段は500円。安い。
しかし、その重量。実は「子供一人分」どころではない。ふたりがかりじゃないと持ち上がらないほどに、重い。
それを、「視聴者諸君もお待ちかねだしね」などと軽い気持ちで、大泉さんの荷台に載せてしまった。
なるべく軽く、車高は高く。オフロードバイクの基本だ。
ずっしり重く、どっしり低く。大泉さんのカブだ。
それで、悪路を300キロ。身の毛もよだつ恐ろしさである。
「油断」の上に「油断」を重ね、そうして「最も過酷な一日」は、目的地クイニョンまで50キロを残し、遂に、日没を迎えた。
「夜間の走行は危険ですので、絶対におやめください」
旅行社の注意書きには、そう書かれてあった。
しかし、どうにもならない。
クイニョンまで辿り着かない限り、もう泊まる所がないのだ。
「行くしかない」
ベトナム縦断4日目。「猛暑」と「悪路」の第4ステージ。
「空気を読めない」ベトナムさんは、これに「ナイトステージ」を加えてきた。明らかに「やり過ぎ」である。
(そういえば・・・街灯とか、見たことないよなぁ)
私は、それに気づいて、ハッとした。
「どうなるんだろう・・・『暮れる』とこれって・・・」
「ベトナムの夜って・・・どうなるんだろう」
なにか、とんでもないことが、ふたりの身に迫ってきているような、原始的な「闇」への恐怖感が、私の中で暴れ出していた。
「怖いですねぇ・・・」
ニャンさんの歌声が、どこか物悲しげに響く。
そして窓の外には、「ベトナムの暗闇」が、もうすぐそこまで、迫ってきていた。