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テレメンタリー2024「きょうも0人 ~芸備線 無人駅の守りびと~」【再】

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8月28日放送「原付ベトナム縦断1800キロ」第5夜

藤村 | 2002. 9/ 3(TUE) 14:09


 ハノイの「カブ洪水」を抜け、郊外の「危険な対向車」に肝を冷やし、洪水を伴った「記録的な豪雨」に体を冷やしたベトナム縦断初日。290キロを走破して、ヴィンに到着。

 「初日が明らかにヤマだった」
 「もう、これ以上のことはないだろう」

 4人が、4人ともそう思った。

 「しかし、明日は、全7日間のうち最も長距離移動」
 「距離的なことを言えば、明日がヤマ」

 2日目。ヴィン→フエ間、390キロ。

 カブの1日当たりの限界走行距離は「300キロ」。
 日本で過去2回、合計2000キロ以上を走破した経験から得た限界値である。

 しかし2日目。蓋をあけてみれば、ミスターがトランシーバーを紛失するという致命的なアクシデントはあったものの、走行自体は順調で、「ベトナム政府予測」を2時間以上も上回る午後5時40分、フエに到着した。

 「以外と、いけますね」
 「車は走りにくいけど、カブは走りやすいんじゃないですか?」
 「そうですね。日本よりずっと楽ですよ」

 カブに関して言えば、車であふれかえる日本よりも、ずっと走りやすい。

 そう実感したのである。

 翌3日目は、フエ→ホイアン間、150キロ。

 「今日は距離も短いですから、フエの王宮跡を見物しましょうネ」
 「でも、ニャンさん。今日は峠越えがあるんでしょう?」
 「大丈夫ですネ。そんなにたいしたことはないです」

 ニャンさんは、朝から余裕の表情で、我々を王宮に案内した。

 結局、フエを出発したのは午前10時半。かなり遅いスタートである。しかし、ニャンさんの言葉どおり、峠越えは、たいしたことはなく、午後4時にはホイアンに到着。

 「岩石障害にはびっくりしたけど、やっぱり、ベトナムは走りやすい」

 我々は、確信したのである。

 さらに、この「ホイアン」の町。入ってすぐに気づいたことだけれど、「どこか落ち着いた雰囲気」のある町だった。

 ベトナムで、こんな印象を受けた町はここだけ。

 その昔、朱印船貿易の時代、各地に「日本人町」が作られた。代表的なものが、タイのアユタヤ、フィリピンのマニラ、そしてベトナムのここ「ホイアン」であった。全盛期には、千人以上の日本人が住んでいたという。

 そんな歴史が、少なからず影響しているのだろうか、とにかく日本人の我々には「好印象」の町だった。

 さらに!だ。この日泊まった「ホイアン・ビーチリゾート」というホテル。これが、また良かった。

 豪華さはないけれど、コテージタイプの部屋は、クーラーが効いて、清潔で落ち着く。ベランダに出て缶ビールをプシュッと開けると、目の前にはゆったりとした川の流れ。

 旅の疲れが、スっと癒される。これぞ本来のリゾート。

 そして、ホテルの前にはプライベートビーチ。

 そのビーチでの顛末は、放送でお話したとおり。

 「大泉くん!そこの監視台に登れ。写真撮ってやる」
 「よし!」
 「おっ!大泉くん!誰か溺れてるぞ!」
 「えっ!どこ?」
 「違う違う!そういう雰囲気の写真を撮るっつってんだ」
 「なるほど」
 「行くぞ。あっ!溺れてる!」
 「おわッ!あそこだーッ!今行くぞーッ!」
 
 カシャ!

 「いいねぇ!」
 「よかったですか」
 「緊迫感があった」

 「じゃ、次はビーチを颯爽と走る大泉さん」
 「いいですなぁ!」
 「ほれ!向こうから」
 「走ってくればいいんだね」
 
 「いいかぁ~!」
 「はぁ~い」
 「よーし!全力疾走でぇ~!」
 「ぬぅりゃぁ~ッ!」

 カシャッ!

 「いいねぇ!」
 「良かったですか、ハァハァハァ・・・」

 「じゃ、次はプールで飛び込みだ!」
 「行きますか!」
 「いやぁ!リゾートだなぁ!」

 その一部始終を、ミスターは、

 (あぁ、今見つかったら、絶対にオレも走らされる・・・どうかヤツらに、気づかれないように)

 そんなことを念じながら、ビーチに寝そべって黙って見ていたというのだ。

 そのミスターの姿。実は「大泉さんが激走してる写真」に、偶然写っている。上半身裸で、黒いパンツの男。探してみてくれ。

 その後も我々は、プールに場所を移し、美貌の欧米婦人がプールサイドで読書にいそしむ横で、

 「うりゃぁ!」
 バッシャーン!
 「おっ!藤村君!飛び込み上手いじゃないか!トドみたいだぞ」
 「そうだろぉ!」
 「オレにも教えなさいよ」
 「よし!いいか大泉くん、飛び込みは、思い切りが大事だ」
 「そうか」
 「ほらッ!あそこで子供が溺れてるぞッ!」
 「なにッ!」
 「行けッ!飛び込んで助けろ」
 「うぉりゃーッ!」

 ビッターンッ!

 「うわっ!腹打ったッ!痛いぞこれは!」
 大泉さんは、腹部を真っ赤に腫らして、プールサイドに倒れこんだ。
 「頭からいけ!頭から!ほらッ!キミのおふくろが溺れてる!行けッ!」

 特訓は、日没まで続いた。

 ホイアンという町。そして、このホテル。なんにせよ「気分が良かった」。

 その夜。

 「そういえば、ホイアンの町は、世界遺産らしいよ」
 「いや、ぜひ見物したいですなぁ」
 
 「でも、明日は、なるべく早く出発した方がいいってニャンが言ってたな」
 
 「そんな、大丈夫でしょ?少しぐらいなら」
 「そうだな。今のとこ順調だもんな」

 前日、390キロを走破した余裕からか、ミスターも特に異論はなかった。
 
 なぜニャンさんが「早く出発した方がいい」と言ったのか。
 
 その理由など、気にも留めていなかった。

 危ないね。

 「映画」なら、絶対にこの後、こいつらは巨大な生物に食われるか、連続殺人犯の5番目ぐらいの目立たない犠牲者となるのが定石だ。

 そして案の定、我々も「ベトナムさん」の餌食となった。

 4日目。

 ホイアン→クイニョン間、約300キロ。

 出発前から、「異変」はあった。

 とにかく暑いのだ。たまらずミスターは、長袖を切って、ノースリーブにした。

 昨日までも、確かに暑かった。ベトナムだもの、当然だ。

 しかし、この日の気温は尋常ではなかった。さらにこの地域の多くが「砂地」で、路面の照り返しがスゴイ。上から下から、暑さが身を包む。

 「胸毛あふれる、いぶし銀のレスラーに、寝技をガッチリきめられているような暑さ」

 大泉さんは、そう表現した。身の毛もよだつ暑苦しさである。

 初日の「豪雨」に続く、ベトナムの「自然の猛威シリーズ」。

 「猛暑」。

 しかし、これだけでは済まなかった。

 ベトナムさんは、「ここぞ!」という時に、エース級を惜し気もなく投入する。

 「悪路」だ。

 これもまた半端ではない。

 全行程300キロ、その大部分が、未舗装のダートコースなのである。

 林道を求めてあちこち走り回るオフロードバイク野郎だって、300キロもダートが続いては、「もう結構」である。

 それが、こっちはカブだ。

 その上、こっちは調子に乗って、ホイアンの街角で見つけた「ジャックフルーツ」なる巨大な果物を、大泉さんの荷台に載せた。

 値段は500円。安い。

 しかし、その重量。実は「子供一人分」どころではない。ふたりがかりじゃないと持ち上がらないほどに、重い。

 それを、「視聴者諸君もお待ちかねだしね」などと軽い気持ちで、大泉さんの荷台に載せてしまった。

 なるべく軽く、車高は高く。オフロードバイクの基本だ。

 ずっしり重く、どっしり低く。大泉さんのカブだ。

 それで、悪路を300キロ。身の毛もよだつ恐ろしさである。


 「油断」の上に「油断」を重ね、そうして「最も過酷な一日」は、目的地クイニョンまで50キロを残し、遂に、日没を迎えた。

 「夜間の走行は危険ですので、絶対におやめください」

 旅行社の注意書きには、そう書かれてあった。

 しかし、どうにもならない。
 クイニョンまで辿り着かない限り、もう泊まる所がないのだ。

 「行くしかない」

 ベトナム縦断4日目。「猛暑」と「悪路」の第4ステージ。

 「空気を読めない」ベトナムさんは、これに「ナイトステージ」を加えてきた。明らかに「やり過ぎ」である。

 (そういえば・・・街灯とか、見たことないよなぁ)

 私は、それに気づいて、ハッとした。

 「どうなるんだろう・・・『暮れる』とこれって・・・」

 「ベトナムの夜って・・・どうなるんだろう」

 
 なにか、とんでもないことが、ふたりの身に迫ってきているような、原始的な「闇」への恐怖感が、私の中で暴れ出していた。

 「怖いですねぇ・・・」

 ニャンさんの歌声が、どこか物悲しげに響く。

 そして窓の外には、「ベトナムの暗闇」が、もうすぐそこまで、迫ってきていた。