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特捜9 season6 #9【再】

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嬉野先生「写真集にかける熱きコダワリ」

藤村 | 2003. 3/20(THU) 17:48


 【~序章~】

 先生が写真集の構想に着手されたのは、もう、ずいぶん前のことになります。

 1年以上前でしょうか。

 あのころ先生は、のんびりと1枚づつ写真を眺めながら、

 「あぁ~この写真はいいなぁ。ね、いいでしょう?」

 などと、こっちが鬼のように編集している傍らで、実に呑気に、ロケ写真の整理などをしておりました。
 正直「いいから早く整理しろ。忙しいんだから」と思ったこともしばしば。
 しかしながら先生は、同じ写真を、何度も何度も、繰り返し飽きずに眺めておりました。

 いつだったか先生が、1冊の写真集を持って来ました。

 「藤村くん、これ、いいでしょう」

 正直「うるせぇな」と思いつつ、差し出されたその写真集を見ると、それは、国語辞典のような、とても分厚いものでありました。
 正直「なんじゃこれ」と思いつつ中を見るとそれは、数十年前の東京の風景が、ただただ最後まで、何の説明もなく、淡々と並んでいるものでありました。

 「いいでしょう」

 先生は、多少、返事を強要するような口調で言いました。

 「まぁ。」
 「ね。いいでしょう?」

 先生は明らかに、私の「いいね!」という返事を期待しているようでしたが、私はそれには答えず、単刀直入に尋ねました。

 「で?」

 すると先生は、意を決したように、こう言いました。

 「これで行こうと思います」

 こうして、「どうでしょう写真集2」は、第1弾とガラッと雰囲気を変え、バカみたいに写真が並んだ、バカみたいに分厚い、バカみたいな重い写真集になってしまったのです。

 そしてこの決断が、先生を、そして関係周囲を、大きな騒動へと巻き込むことになったのです。


 【~嬉野先生・格闘編~】

 嬉野先生が「今回の写真集は、こんな感じで行きたい」そう言って持ってきたのは、国語辞典のような厚みを持ったバカみたいな重い写真集だった。ページ数は600ページを超え、集録されている写真は700枚を超えていた。

 それを初めて見せられた時、一番慌てたのはプロデューサーの四宮さんだった。「慌てた」というより、力なく笑った。

 「ははは。ウソでしょ?ははは。」

 ウソでないことは四宮さん自身、よく分かっていたはずだ。ぼくらが「これで行きたい」と言ったら、めったなことでは引き下がらない。

 「ははは・・・重いね」。

 あきらめ半分、四宮さんは、もう一度力なく笑った。

 こうして、「どうでしょう写真集2」は、とにかく写真数の多い、見ごたえのある、分厚い写真集を目指すこととなった。

 目指すことにはなったが、四宮さんはプロデューサーとして、頭の中でいろんなことを考えていた。

 まずは「コスト」。そんだけの厚みになったら、とにかく原価は高くなる。ちなみに嬉野先生が持って来た600ページの写真集は4400円。3年前に発売した「どうでしょう写真集1」は、2500円だった。「いくらなんでも4千円は超えられない」。

 さらに「流通」の問題。DVDと同じく、全国のローソンで予約販売することが既に決定している。しかし、「国語辞典並みの厚さ」となれば、その重量は相当なものだ。コンビニを見回していただければわかるが、こんな重量級の物品は見当たらない。ましてや書籍コーナーに辞典など並んじゃいない。何冊の予約が入るか見当もつかないが、いずれにしても「物流」は、大変なことになるだろう。

 いろいろ考えて、四宮さんは聞いた。

 「実際、嬉野くんは、コレと同じ600ページぐらいを考えているの?」
 「いや、ここまではならんでしょう」

 その一言に、四宮さんは安堵した。

 「そうだよね!ここまではなんないよね」
 「そりゃそうですよ」
 「で、どのくらい・・・」
 「写真は、400枚ぐらいじゃないですか。ページは、だから300何ページ・・・」

 (それでも、そのぐらいにはなるのか・・・)

 国語辞典が、小学生用になったぐらいのことだったけれど、それでもかなりな重量減。四宮さんは少し安心した。

 そうして、いよいよ先生の写真集の編纂作業が始まった。

 先生はまず、参考にした写真集と、ほぼ同じ大きさのスケッチブックを購入した。
 ここに一枚一枚の写真を貼っていき、実際に「生写真による写真集の原型」を作ってしまおうというやり方だ。原始的だ。

 ところが、実際に生写真を貼ってみると、それは先生がイメージしていたものとは、大きくかけ離れたものになった。

 あたりまえだ。写真はすべて同じ大きさのサービス版。何枚並べたって単調なだけ。
 それに、写真の質感が違う。実際に写真集になる時は、写真をスキャンして紙に印刷するわけで、当然「生写真」とは違う。

 (これじゃダメだ・・・)

 先生はいきなり壁にぶち当たった。先生は写真の質感も含めて、なるべく「完成品に近いもの」を自分の手で作り上げたかった。
 
 そうじゃないとイメージが沸かない!
 そうじゃないと写真集はできない!

 (なんとかしなければ・・・)

 先生は立ち上がった。そして、この時こそ、先生の恐るべきコダワリが、周囲を巻き込み始めた瞬間だった。

 先生は考えた。

 (自由に写真の大きさが変えられて、それを紙に印刷できる手段・・・)

 目をつけたのが、編成部にあるパソコンとプリンターである。編成部では、番組宣伝用に、写真をそのままスキャンして印刷できる高性能のプリンターを持っていた。

 (こいつはいい・・・)

 先生はさっそく編成部に、高性能プリンターの貸し出しを具申した。

 「これ、借りてもいいですかね?」
 「あ、大丈夫だと思いますけど・・・何をするんですか?」
 「写真を印刷したいと思いましてね」
 「取り込むのに時間かかりますよ」
 「あ、そうなの?ふーん・・・」
 「何枚ぐらいやるんですか?」
 「1500枚」
 「!・・・」
 「多い?」
 「いや、多いとかって言うより・・・無理です」
 「そうなの?」

 先生は、1999年以降のロケ写真、およそ4500枚の中から、めぼしい写真を1500枚に絞り込んでいた。これらをとりあえず「全部」紙に印刷して、スケッチブックにレイアウトしながら、最終的に400枚を選ぼうと思っていたのである。

 しかし、いくら高性能とはいえ、写真を1枚1枚スキャンして印刷するには、膨大な時間がかかる。それが1500枚ともなれば、いったいどれほどの時間を要するのか。とにかく「コピー」とは訳が違うのだ。

 普通ならここで諦める。しかし、先生は、1500枚の候補作を1枚1枚スケッチブックに貼りながら、その写真の順序、レイアウトを決めたかった。

 そうでなければイメージが湧かない!
 そうでなければ写真集は作れない!

 あの時、ぼくは何度も言った。

 「とりあえず生写真で、500枚ぐらいに絞り込めないのか?」
 「本当に印刷しなきゃダメなのか?」と。

 「ダメなんだ」と。「それは絶対に譲れないんだ」と。 先生は力強く言った。

 バカがつくほどの「コダワリ」だった。

 その日から、先生は制作部ではなく、編成部に出社し始めた。そして高性能プリンターの前に陣取り、1500枚の写真を一枚づつパソコンに取り込み、一枚づつ紙に印刷するという気の遠くなるような作業を、本気で始めたのである。

 ある意味「不法占拠」とも取れる先生の行動ではあったがしかし、HTB編成部はこの「熱きコダワリ」の前に無条件降伏。パソコン1台と高性能プリンターを明渡したのであった。

 それが、去年の12月のことである。

 この時先生は、「それでも1週間もあれば終るだろう」ぐらいに思っていた。しかし、いつのまにやら年も越え、1月も過ぎ、プリンターの不法占拠は2月初旬まで続いた。

 1500枚の写真を印刷するのに丸2ヶ月かかった。この間、先生に蹂躙され続けた編成部の高性能プリンターは、インクもカスカスになって、「最終的には、カラーなんだかモノクロなんだかわからんくなった」という。

 しかし、実はこの時、編成部以外にも、先生の「コダワリ」の犠牲者となった人々がいる。

 先に述べたとおり、先生は印刷された写真を、実際にスケッチブックに貼りながら、あれこれレイアウトしたいと考えていた。「コレはこっち」「この写真はあっち」という感じで印刷された写真を、貼ったり、剥がしたりしながら・・・。

 (そうだ!貼ったり、剥がしたりしなきゃなんない)

 先生は、プリンターから出てくるペラペラの紙を見ながら思った。

 (これじゃ、破れちゃう・・・)

 確かに普通の紙じゃ、一度貼ったら二度と剥がせない。作業にも支障が出る。でも「カード」みたいな厚みがあれば・・・。

 (よし・・・)

 先生は、すぐさま次のターゲットを絞り、行動に出た。ターゲットにされたのは、美術のビジービーさんだ。

 「あのね、ちょっとお願いがあるんだけどさ」
 「なんですか・・・」

 ビジービーさんは、恐れていた。「どうでしょうさん」からの「お願い」と言えば、それは「ある程度の覚悟」が必要なことである。

 「ちょっとイラスト描いてほしいんだけど」と言われて、プロレスラーのイラストを一枚描けば、「四の字固めやってるやつも描いて」「そんで、それをパラパラ漫画みたいに動かして」「あと、チョップも」と、結局「ちょっとしたお願い」がエスカレートし、最終的には「ある程度アニメーションじゃん」というものを描かされてしまう。

 「なんですか・・・」

 ビジービーさんは、注意深く聞いた。

 「実はちょっとね、写真を印刷したんだけどね。これを厚紙でウラ張りしてカードみたいにしてほしいわけ」
 「あぁ、なるほど」
 「いい?」
 「そのぐらいなら・・・」
 「じゃ、お願いします」

 ビジービーさんは、注意を怠った。この段階で、大きな失態を犯したと言わざるをえない。

 「何枚ですか?」

 一番大事な質問を忘れていた。聞かれなければ、先生は絶対に答えない。ビジービーさんは、ぬかった。

 その日から先生は、印刷が終った写真を山のように毎日ビジービーさんに送りつけた。A4の用紙一枚に4枚程度の写真が印刷されている。これを一枚ずつの写真に切り分けて、厚紙でウラ張りをする。あまりにも手間のかかる作業である。

 誰も「1500枚」も作らされるとは思っていなかっただろう。

 ビジービーの部屋では毎晩「今日で終わりかなぁ」という言葉が空しく響いていた。

 そして、担当者の手が腱鞘炎になりかけた頃、ようやくその荒行は終了した。

 
 2月初旬。

 ようやく先生の前に、「写真集2」の候補写真「1500枚」がカードとなって山積みされた。

 編成部とビジービーの犠牲の上に、いよいよ先生の実作業が始まったのである。

 先生はスケッチブックにカード写真を貼りながら、レイアウトの試行錯誤を繰り返し、1500枚の候補作をさらに絞り込んでいった。四宮さんには「400枚程度」と言ってある。1500枚をおよそ1/4に絞り込まなければならない。先生は熱くなった。

 (これは捨てがたい・・・うぬ!これも!)

 先生の熱気溢れる作業は続く。

 (うーぬッ!全部いい写真じゃないかぁッ!全部一流じゃないかぁッ!)

 熱気は絶頂へと達し、先生は錯乱した。 

 (誰が400枚にしろと言ったんだ!そんなのは無理だろうがぁッ!)

 先生のレイアウト作業が終了したのは、2月末日のことであった。

 その日、先生は青い表紙のスケッチブックを、とても大切そうに抱えて、私のところへやってきた。
 
 「藤村くん、できました。」

 先生の顔は充実感に満ちたものであった。

 「できましたか。」
 「できました。」

 それはとても、おごそかな儀式のようであった。

 先生は、ゆっくりと私にスケッチブックを手渡した。

 「見ていいですか。」
 「どうぞ。」

 私は一枚一枚、ゆっくりとページをめくっていった。懐かしい瞬間が、ページをめくるごとに現れた。

 写真は、ある程度「企画ごと」に並んでいるものの、でも決して「年代順」に並んでいるわけではなかった。古いものと新しいものとが混在していた。でもそれは、まさしく「どうでしょう」であった。まさしく「4人の旅路」がそこにあった。

 写真に、余計な説明はいらない。

 「どうでしょう」を撮り続けてきた先生の視点は、すなわち、視聴者の視点である。その視点は、やはり一番素直に「どうでしょうの姿」を映し出していると思った。

 充実した気持ちでスケッチブックを1冊見終わると、先生はまたスケッチブックを持ち出した。

 「1冊じゃ収まりきらなかったんで」
 「まだある・・・」

 スケッチブックは結局4冊あった。私は時間をかけて、じっくり「どうでしょう」を見た。

 そして、最後のページの写真を見た時、この写真集全体が、とても「心地のいい」ものとなって、ぼくの胸に温かいものを残した。

 「どうですか。」
 「いい。」
 「そうですか。」

 先生は満足そうに微笑んだ。とてもいい写真集だった。

 でも、ひとつ気になることがあった。

 「これ・・・スケッチブックは結局、4冊もあるけどさ」
 「あぁ・・・」
 「写真は、何枚あるの?」
 「600枚」
 「あっ・・・」

 ぼくの頭の中で、四宮さんの、力ない笑い声が響いた。

 (ははは。400枚って言ったじゃない・・・ははは)

 
 結局、先生が選んだ写真の数は「603枚」。となるとページ数は500ページをゆうに超え、堂々「国語辞典並み」の厚さになった。

 
 「でも、まぁ、ページ数も決まって良かったよ。それに、写真のレイアウトも嬉野さんが作ったスケッチブック通りにやればいいわけだから、あとは簡単でしょう」

 四宮プロデューサーは、自分を納得させるように言った。

 しかし、嬉野先生の「熱きコダワリ」は、まだ終っていなかった。この時、もっと重大なコダワリが、彼の胸の中で沸々と煮えたぎっていたのである。

 そして四宮さんは、1週間後「とんでもない決断」を迫られることになるのである。

 次回!「写真集にかける熱きコダワリ~最終章~」

 印刷屋さんも驚いた!「ここまでする写真集はないですよッ!」の巻。お楽しみに!