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どうでしょう祭り開催地決定!

藤村 | 2005/05/18(Wed) 14:18:14

 「どうでしょう祭り」なるものが、我々と皆さんの間で語られ始めたのはいつ頃からでしょうか。
 DVDの受け取り日に、嬉野先生が夜を徹して掲示板の更新作業をするようになって、それを「BBS祭り」と呼ぶようになった。

 「嬉野先生!今夜は祭りをやるんですか?」
 「うれしーのBBS祭り楽しみにしてます!」

 それがいつのころからか、本当のイベントとしての「祭り」を開催したいと、我々も皆さんも、自然に思い始めた。特に誰がリーダーシップを取ったわけでもなく、あくまでも自然に。

 昨年9月に再販された「写真集1」で、嬉野先生が祭りのことについて書いています。

 ――――――

 天幕團やトークショーなど、チケットが15分で売り切れたりして、
 結局見たい人が全員見れない。
 来たい人が全員来れない。
 だったらこの際どでかいイベントを開催するしかないだろう。

 それは素朴で、来たいやつは全員来れる。
 帰りたくないやつは、いたいだけその場にいることができる居心地の良い空間。
 それはどっから始まってなにが終わりということもなく、ダラーっとしていてかつ桁外 れに規模のデカイ、やたら包容力のある、ゆるゆるにゆるいイベント。

 それは結局のところ「祭り」なのであろうというのが、今現在の「どうでしょう班」と 関係者全員の観測である。

 ――――――


 「祭り」。

 子供の頃、祭りがいつも楽しみであった。ちゃんとした行事があって、踊りがあって、皆がそれを見に寺の境内に集まって来るが、本当はそんなものを見物するより、友達と夜遅くまで遊べることが楽しみであった。
 「祭り」は、あくまで「口実」でしかなく、法被を着て、友達と爆竹を打ち鳴らし、自転車で走り回り、臨時に支給されたお小遣いで買い食いできることが、なにより楽しみであった。

 「祭り」とはそういうもの。そういう「祭り」を開催したい。

 決して「ショー見物」ではなく、皆がてんでに集まってきて、勝手に盛り上がって、「じゃぁまた来年!」と帰っていく。

 そういうものをやりましょう!

 「わかりました。では2006年、どうでしょう10周年の年に、大々的に祭りを開催しましょう!」

 四宮Pは、そう力強く言った。

 「いやしかし四宮さん、2006年では遅いんです。皆さんはもう2年以上も祭りの開催を待っている。来年やりましょう。2005年の秋にやりましょう!」
 「でも、それでは十分な準備ができないよ」
 「いいんです。それでも来年やらなきゃいけないんです!」

 そう言って我々が無理やり話しを押し込んだのが、昨年の夏のこと。

 「とにもかくにも、来年2005年に開催することが大事なのだ!」

 そんな直感めいた感情だけで、我々は祭りの開催に向け、走り出したのであります。

 まずは「開催場所」。
 今や全国にファンが散らばる「どううでしょう藩」。皆様のことを考えれば、集まりやすいのは「東京」でしょう。いや、もっと皆様のことを考えれば、全国数ヶ所で開催するのが親切というものでしょう。
 しかしながら、それでは「祭り」本来の意味を失い、「コンサートツアー」もしくは「相撲巡業」のようになってしまう。

 開催場所は一か所。それも、地元「北海道」がふさわしい。

 そこで我々は、開催地にふさわしい場所を求めて、道内各地の視察を始めたのであります。これが昨年の秋のこと。
 まず手始めに「札幌」でいくつかの場所を当たりました。しかしながら我々には、「やはりお膝元の札幌で」というコダワリはありませんでした。それよりも「空間」として、我々が目指す「祭り」にふさわしい場所であること。交通の便であるとか、宿泊施設であるとか、そんなものも二の次。なんなら「離島であってもいい」ぐらいの心構えでありました。

 そんなとき、ふと四宮Pが口にしたのが、道南のある田舎町。四宮Pは、その町がとても好きで、「こんな町こそ、どうでしょうにふさわしい」と言ったのです。
「そんなに良い所ですか」。我々はすぐにその町へと向かいました。

 いいところでした。

 静かで、自然が豊かで・・・私もいっぺんで気に入り、その週末には家族を連れて再びそこを訪れたほどです。
 しかし、あまりに好きになるというのは、「この町は、このままにしておきたい」「あなたは、いつまでも変わらないでいて」という妙な感情を呼び起こす。結果、我々の視察は「単なる観光旅行」に成り下がったのであります。

 「いいところでしたね」「いいところでした」

 しかし、「これではいかん」と思ったのか、再び四宮Pが口を開きました。

 「函館にいい場所がある」

 我々は即座に函館へと向かいました。そしてそこは、予想外に素晴らしい場所でありました。特に嬉野先生が気に入り、

 「ここしかないよ!ここしかないですよ皆さん!」

 と、早くもその場で「開催決定!」の断を下してしまったほどです。確かに函館であれば、東北からも近い。熱き東北の祭り野郎どもが、大挙して青函トンネルをくぐって押し寄せて来るだろう。

 我々の中で、一気に「函館」が開催場所として浮上しました。

 しかし、結論を出すのはまだ早い。「だってまだ、道内も旅行したいし」ということで、我々はいったん札幌へと戻り、次なる候補地を模索したのです。

 まず候補に上がったのは、「帯広」です。「北海道らしい」と言ったら、やはり十勝地方。大豆、小麦、乳製品など、甘味にも事欠かないお土地柄。
 そして、「旭川」というのも外せない。いやいや、どうせなら温泉地もいいでしょう。「登別」なんて、番組ゆかりの土地でもある。荒々しい鬼が「祭り会場はこっちだッ!」と指差し案内もしてくれる。
 
 我々は、列車を乗り継ぎ、レンタカーを借り、これらの候補地をひとつづつ訪ねました。
 しかしながら、視察した時期が悪かった。すでに秋も終わり冬へと突入したその時期に、帯広だの旭川だのに向かっては、寒さに弱い嬉野先生など思考力が一気に低下し、結果、帯広で菓子を食い、旭川で焼肉を堪能し、登別で湯に浸かって、

 「いやぁー、やっぱり北海道は寒いですなぁ」
 「こういう時期に祭りはやってはいけないねぇ」
 「そうだねぇ」

 と、冬の視察旅行を終えたのです。


 「函館でやりましょう」

 改めて我々はそう結論を出し、四宮Pが単身函館に向かい、実務作業へと入りました。しかし、結論を言えば、残念ながら函館での開催は、諸般の事情により断念せざるを得ませんでした。現実的な話をすれば、そこでやるには、あまりにお金がかかりすぎたのです。

 ダメか・・・。

 我々は、もう一度原点へと立ち返ることにしました。

 「とにもかくにも、来年2005年に開催することが大事」。

 そうであった。

 理想を求めればキリがない。それよりも今、我々が求められているのは、「祭りを開催する」という、その事実である。

 とにもかくにも、祭りをやる。それがすべてに優先する。理想は、これから少しずつ実現していけばいい。まずは、皆さんに祭りを体験してもらって、改めて意見を聞けばいい。


 そう考えて、決めました。


 2005年秋。

 どうでしょう祭り(仮題)は、お膝元「札幌」で開催いたします!

 
 日時、会場、チケット発売日など、詳細事項につきましては、6月1日に発表予定。

 祭りの主旨は、

 皆様が集える場所を提供すること。

 そのために我々が、どうでしょうの空気が満ち溢れた空間を作り出すこと。

 そして、チケット争奪などすることなく、誰でも気軽に来れること。


 本来であれば、年貢納入のお返しに、入場無料としたいところでありますが、会場設備等にかなりな予算が必要であります。申し訳ありませんが、トークショー程度のチケット代を頂くことになります。しかしながら、どうでしょう班4人、精一杯のサービスに努める所存にございます。


 皆の衆!いよいよ今年の秋、札幌で祭り!開催です!

 よーし!働け働け!勉強しろ勉強しろ!

 そして、秋には大いに楽しもうではないか!