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水曜どうでしょう祭 9th UNITE2005

嬉野 | 2005/10/19(Wed) 19:25:45

第一回『水曜どうでしょう祭』は三日間の会期を無事に終え、その幕を閉じました。

祭関係スタッフも全員日常に戻り通常業務を始めています。
祭り会場にお越しになった藩士のみなさんも、もうそれぞれの日常の場に戻り、いつもの生活が始まったころでしょうか。

そんな中、来たくても来れなかった藩士のみなさんが、会期中の祭会場の雰囲気を垣間見るよすがにでもなればと、ぼくと藤村くんが書き残してきた日記をこのウラ話のページに残すことにしました。

祭初日、朝8時ころまで札幌には、まだ日差しがありました。
その頃、ぼくはタクシーでアリーナに向かっていましたが、会場周辺には既に大勢の人影があり周到なる藩士たちは早くもその時間から並び始めていたのです。

初日の開場時刻は12時。
大鈴両名は11時入りでメークを開始。
直前に「アリーナを見ておきたいなぁ」という大泉先生の要望でミスターと僕と大泉先生の3人は車でアリーナへ向かいました。

大泉先生とミスターは、到着後アリーナ会場の各所に落書きをし、記念撮影をしておりました。所用7分程度でした。

メイン会場のオープンスタジアムへ戻る車の中からどうでしょう藩士を大量に乗せたバスが続々と会場へ向かう光景が見えました。
その光景を見ているフロントガラスに雨がパラパラと落ち始めてきました。

その後雨は止まず、開場時間は15分繰り上がって11時45分となりました。

こうして幕を開けた祭初日は、けして弱くない雨の降る中、昼の部のトークショーを迎えることになったのです。


10月14日金曜日 雨 夜の日記です

嬉野です。
祭初日は先程終りました。

さて本日、朝8時ころから祭会場周辺には早くも人が集まり始め、午前11時頃、会場前には見たこともない長蛇の列。人人人の延々の並び。
しかし、お昼前、予報どおり雨が降り出しました。
最初はぽつぽつと降っていた雨も昼のトークショーが始まるのにあわせるかのように降り方を強めてきました。

オープンのスタジアムで雨の祭。

会場には全員が雨宿り出来るだけのスペースも無いのです。

この降る雨の中、お客さんは濡れながら2時間も立ったままトークショーを聞いていられるのだろうか。
いくら祭に集まるほどの「どうでしょうバカ」エリートの方々とはいえ、この濡れ濡れ冷え冷えギュウギュウの状況は耐え難いであろう。
ぼくは、楽屋でそう思っていたのです。

やがてトークショーの時間になりフロアディレクターが僕らを呼びに来ました。
楽屋を出ると雨はいよいよ強くなっているのが分かりました。
しかし、ぼくは登った舞台の袖から物凄いものを見てしまったのです。

それはスタジアムいっぱいに本当にぎゅうぎゅうに並び立つ人、人、人です。

その人たちは全員コンビニで買ったであろうカッパを着て雨の中に立っていました。
そしてトークショーが始まるのをただ待っているのです。

けれど、その人たちの顔は幸せに満ちていたのです。

雨の中に立つ、12000人にも及ぶ幸せな顔を見てしまったぼくは、おかしな話かもしれませんが、ひとりで舞台の袖で泣きそうになっていたのです。

自分でもよく分からなかったのです、なんでここでこみ上げてくるのかが。
でも堪えよう堪えようとしてもこみ上げてくる感情は消し去れないのです。
ぼくは、そばにいたミスターに言いました。

「いやぁミスター、オレこういうの見てると、なんかこみあげちゃってだめだ」

ミスターは、突然ひとりだけ泣き出しそうになっているぼくに気づいて、ちょと笑っていましたが、すぐ微笑みながらこう言ってくれました。

「でも、嬉しいですよね。こんなにしてまで待っててくれるって」

そうなんです。
ミスターの言うとおりだったんです。
嬉しかったんです。

立ち見で2時間というトークショーが始まるのを雨に濡れながら、それでも待ってくれている人たちがこんなにもいる。
「水曜どうでしょう」という番組は、こんなにも愛してもらっているのかということを、ぼくは、いきなりこの目で見てしまったんです。それが堪らなく嬉しかったのだと思います。

それだけの事なんです。

でも、ぼくにとってはそのことが一番嬉しいことだったのでしょうね。

ところで、現在となりでしゃべってる藤村くんの声が、かすれちゃって、かすれちゃって…。
とにかく恐ろしくかすれてます。
初日ということで大泉さんも藤村くんもそうとう今日のトークショーで飛ばしたのでしょう。
この分では明日、いったいどのような声になっているか。
それだって明日祭に来る皆さんにとっては興味のあるところ。

初日の締めは、夜空に炸裂する1000発の花火でした。
あれだけの数の花火を真下から見る、
そんな経験をするのは初めてでした。

会場を埋めていた12000人のみなさんも初めての経験だったと思います。

そして、花火を見上げる人の顔が、あんなに幸せそうだということを、僕は今夜、舞台の上から初めて見ました。

良い一日になってくれたかな?

そうであれば良かったな。
関係者全員、今、そう思っていると思います。

明日は午前10時開場です。

祭の状況を伝えるというよりは、自分の精神状況を伝えるので精一杯だったという日記でしたが、それもまた祭の状況の一面には違いないということで本日は御勘弁いただきたいと思います。

それではみなさま、明日もまた幸せな一日になりますように。

ぼくらは全員、本当に幸せですよ。
ありがとう。


藤村でございます。

祭り初日が終了いたしました。

午後1時ごろから雨が降り出し、そんな中、カッパを着込んだ藩士諸君が、午後2時のトークショーめがけてステージ前に続々と集合。
ツアーバスの到着が遅れたため、トークショーの開演が15分繰り下がる。
我々は舞台ソデで出番を待つ。私の目の前には、なまはげの面をかぶった大泉がいる。思わず吹き出してしまう。
ソデの隙間に目をやると、超満員の客席が見える。
雨はまだ降っている。
その時、突然、嬉野先生が「あぁ、こんなに雨が降ってるのに、みんな待ってる・・・」、そう言って、涙ぐんだ。
私がなまはげの面に爆笑している横で、嬉野先生が、「みんな雨の中で、じっと待ってる・・・」、そう言って、開演直前に、涙目になってしまった。

「遅れましたが、間もなく開演です!」

その声を合図に、今度は、黄色い着ぐるみの中にいた安田さんから、うめき声が漏れた。

「うぅっ・・・」
「どうした!安田さん」
「ふくらみません」
「なにが!」
「onが」

着ぐるみのonは、電気で空気を送り込み、膨らむ仕組みになっている。
「スイッチを入れても・・・ふくらみません」
開演2分前になって、着ぐるみがふくらまないことが判明。
「広報部が、最近調子悪いって言ってたもん」
「直前にチェックしなかったの?」
「してない」
「コードはちゃんとつないでるかい?」
「つながってますね」
「バッテリー充電してなかったんじゃないか?」
「ヤバイな」

すぐに背中のチャックを開けて、バッテリーをチェック。

「っていうか・・・・バッテリー、入ってないもん」
「あ・・・」

バッテリーを持って来て入れたら、onはいつものように「ぶわぁー」っと音をたてて勢いよく膨らみ始めた。

水曜どうでしょう祭り。

開演直前の舞台裏では、なまはげの面に爆笑する者、客の姿に涙ぐむ者、着ぐるみの中で慌てる者と、様々な人間模様が入り乱れて、あわただしく幕を開けた。

初日のステージイベント内容。

昼の部(午後2時15分開演)。

祭り開催記念式典。
司会・小野優子(HTBアナウンサー)

式次第
一、 鈴井貴之、藤村忠寿、嬉野雅道入場。
二、 ご来賓のonちゃん様入場。
三、 祭りイメージキャラクター・なまはげ様入場。
四、 番組オープニング曲斉唱
五、 ご来賓のonちゃん様より、祝辞
六、 テープカット、くす玉割り
七、 「祭り桜」記念植樹
八、 なまはげ様より、万歳三唱

その後、4人によるトークショー(約1時間半)
(最後に「イチオシ!」の生中継あり)

ユメチカライブ(午後5時30分開演)
出演アーティスト・OILMAN(安田&藤村による前説あり)

夜の部(午後6時開演)

鈴井貴之による聖火点灯式

第一回どうでミー賞・名企画部門ベスト10発表

樋口了一ライブ

会場全員のカウントダウン&キュー出しで、大花火

2日目は、午前10時開幕。
明日も楽しみだ。
声は初日でかれてしまったけれど。




こうして初日は雨にもかかわらず和やかなうちに終了。
二日目は祭終了後の日記を書かずにぼくも藤村くんも自宅に帰りました。

明けて最終日の朝、藤村くんは早めに出社して祭初日と二日目の会場内での藩士諸君の楽しむ顔を樋口さんの歌声に合わせて編集、大エンド用のVTRを作りました。

ぼくは、二日目をちょっと振り返った日記を書いて祭り会場へ向かいました。
天候はやっと快晴。誰もが待ち望んだ天候でした。

10月16日日曜日 晴れ

嬉野です。

さて、祭最終日を迎えて本日の札幌は快晴です!

ぎりぎり好天が最終日に間に合いました。
この天候であれば緑の濃い会場周辺は和みます。
この日を待っていたのです!

本日おみえになる方は、ラスト一日を溢れる日差しの中、のんびりとお過ごしくださいませ。

さて、昨日のステージも濃かった。

お昼のステージには、驚きのゲストが登場!
いったい誰かといえば!
なんと大泉さんの御両親!

15000人のどうでしょうバカエリートのみなさんを前にミスターを始め藤村・嬉野そして成り行きで安田さんまでがステージ上で大泉さんに対する日頃からの非礼を御両親にお詫びして土下座!

そして、その場に今度は会場内で「小倉トースト」を焼いていた藤村Dのお母様まで登場!
しばしステージ上は親子会の様相を呈しておりましたが、そこへ舞台袖から「小倉トースト」までもが乱入!

期せずして魔人VSミスターの「小倉トースト対決」となり会場大盛り上がり!

夜の部では、なんとリーダー森崎くんが晴男として飛び入り参加!
そして新作第1話の特別上映会もありました!
新作を見ながら会場内には15000人の爆笑が大きく波を打つ!

上映後、観客は新作に関する情報一切につき固く口封じをされネタバレ防止を徹底!

そのあと、新作の公開枠撮りがステージ上で行なわれました。

最後にはいつものように樋口さんのライブで全員で6分の1を合唱し、再び真駒内の夜空に1000発の花火が炸裂いたしました!

ということで、本日最終日。
事故のないようにきちんとマナーを守って楽しんでくださいませね。

それでは、後ほど。



こうして始まった祭最終日は、お昼のトークショーで新作2夜目の先行上映が行なわれ、その後、13000人の藩士たちをバックに公開枠撮りがステージ上で行なわれました。

夜は、「どうでミー賞」名セリフ部門とミスター名ダジャレ部門の発表で会場は異常なまでの盛り上がりをみせ、大泉さんのセリフ「おい、パイ食わねぇか」を会場の1万3000人の藩士たちが期せずして大合唱する場面もあるなど『どうでしょうバカ』のみなさんが一同に会したイベントだったことをその場に居合わせた全員が目の当たりに実感したのでした。

最後にはミスターによる、聖火消灯式が執り行われ、それを切っ掛けに樋口さんの6分の1の大合唱、そして月へ向かって放たれたように1500発の花火が炸裂。

こうして全ての祭行事は終わり、どうでしょう班4人それぞれが、ステージ上から最後にみなさんへ向けて締めの言葉を述べさせていただき、祭は終りました。

その時、会場の外にも、チケットを持たない藩士たちがどこからともなく集まり、暗がりの中、会場内から聞こえてくる声だけを頼りに耳を澄ませながら祭に参加しようとしていた光景があったと言います。
なんとなく三々五々に会場周辺に集まってきた藩士の数は、最終的に60名ほどになっていたと言います。

翌日、藤村くんはHTBに出社して日記を書きました。



ありがとう。

皆の衆、ありがとう。

今、祭りから一夜が明けて、この日記を書いております。

この3日間の出来事を、いったい、どう表現すればよいのでしょうか。

私は昨日、朝早く、ひとり編集室で、祭りの様子を撮影したテープを見ておりました。そこに映る、バカ野郎どもの顔、バシッと化粧をしてるくせに、無防備に大口をあけてバカ笑いする女子どもの顔、そういう顔を見て、グッと涙が出そうになりました。笑い顔を見て、なんでか知らんが涙が出そうになりました。

最後のステージ。

4人であいさつをし、手を振り、そして祭りを終えました。

私はソデに入る直前、メガネを取り、涙をぬぐう仕草をしたけれど、「おまえウソ泣きだろ!」と大泉洋が叫んだとおり、あれはウソ泣きでございます。

だって私はその日の朝、ひとり編集室で、みなさんの笑顔にもう充分やられてましたから。

大泉洋は、ずっと涙をこらえておりました。
「今日はおれが泣いてはいけない」そう思って、ずっとこらえていたそうです。

嬉野先生は、最後のステージも感極まって、相変わらず涙を浮かべておりました。

その顔が画面に映るたび、みんなは、「うれしー!泣くなー!」なんて声をかけていました。

でも、みんなは知らないだろうけれど、

一番、泣いていたのはミスターです。

嬉野先生ではなく、ミスターです。

ミスターは、ステージの上では、こらえていました。

でもステージを終えると、ひとり、足早に楽屋に飛び込んで行きました。

誰もいない楽屋で、イスに座り、顔を手でおおい隠して、嗚咽が漏れるのを我慢しようとしていました。

でも我慢できずに、あの人は、やがて声を出して、泣いていました。

ベトナムでも泣かなかったミスターが、あのミスターが、誰よりも泣いていました。

泣かしたのは、おまえらです。

おめぇらの、バカみたいにデカイ歓声と、バカみたいにうれしそうな笑顔を見て、ミスターは、声を出して泣きました。


今、空港で、自分の町に帰ろうとしているバカ野郎ども。

ありがとう。

もう、現実の生活に戻って、仕事をしているバカ野郎ども。

ありがとう。

またいつものように、子供たちの世話に追われている奥さん連中。

ありがとう。

おれらがステージからいなくなっても、おめぇらがBGMの「1/6」に合わせて、誰も頼んでないのに、最後までバカみたいに大声で大合唱していたのを、みんなで舞台のソデから見ていたよ。

幸せだった。

もう一度、ステージに出て行ってお礼を言いたかったけれど、バカやろう、おまえらがミスターを泣かすから出れなかったじゃねぇか!

ありがとう。

ありがとう。

そして、祭りに参加できなかった諸君。

祭りは、すごかったよ。

あの空気は、すごかったよ。

バックスタンドの最後列のやつらまで、大声を張り上げて笑う、あの空気は、すごかったよ。

主役はおれらじゃなく、間違いなく、全国から集まったバカ野郎たちだったよ。


祭り、楽しかった。

やってよかった。

よかった。

ありがとう。



この日記がアップされてから、翌日僕がお昼に出社してみなさんの書き込みに目を通し終わるまでに4000件の書き込みがありました。
日付は変わろうとしていましたが、掲示板に寄せられる書き込みがいつまでも続きました。
ぼくがこの日、日記を更新して帰ったのは日付が変わった後でした。


10月19日水曜日

さて、日付が変わってしまいました。
嬉野でございます。

何から書けばよいのでしょうか。
頭の中がとっ散らかっておりますので思いつくままにだらだらと書かせていただこうと思います。

そうそう。
最初に思っていたこと。その辺りから書きますか。

祭を開催したい。来たいやつが全員、好きな時に来れて、好きなだけその場所にいれる、そんなゆるい縁日のような祭をやりたいという思いから生まれた祭でした。

ところが、期せずして「来たいやつが全員来れる」という肝心のところが、実現できませんでした。

しかしそれでも3日間の会期中、延べ4万人もの藩士達がやってくるのです。
毎日1万5000人ほどの藩士を祭り会場でおもてなししなければならない。

そのことを想定した時、「果たしてゆるい祭にできるのだろうか?」という不安が今度はスタッフの脳裏をよぎりました。

そんな巨大な規模の人間が集まった時、ゆるゆると出来るほどの余裕を人は生み出すことが出来るのだろうかという不安です。

藤村くんのお母さんの「小倉トースト」「大泉君のスープカレー」「アラスカで大泉君が作ったスパゲッティ」
みんな食べたいだろうけど、とても全員には行き渡らない。

それに、なにをするにも、何を買うにも行列になるだろう。
何時間も待たされて、人はゆるゆる出来るものだろうか。

心配は尽きませんでした。

そしてもし雨が降ったらどうする。
1万人を越える藩士たちが雨宿りする場所は用意できないのです。

しかし祭初日の天気予報には雨マークが出てしまいました。
そして実際、祭初日に雨は降ったのです。

それでも、結果として、祭は「ゆるい和やかな祭」になったのです。

そのことに誰もが驚き、そして誰もが感動し、誰もが何かに感謝したのだと思うのです。

けれど、どうしてそんな奇跡のようなことが起きたのでしょう?

正確には謎です。

でも、ぼくも、藤村くんも、ミスターも、大泉くんも、四宮Pも、店長も、とにかくみなさんを迎え入れる側のスタッフ全員、今、信じていることがあります。

それは、祭に訪れてくれた延べ4万人の人たちの心の中に、一様に「水曜どうでしょう」という番組に寄せてくれる暖かい思いやりの気持ちが出来あがっていたからだという確信です。
それは、来たくても来れなかった藩士のみなさんの心の中にも同じようにあるはずの優しさだと思うのです。だからみなさんも分かりますよね。ぼくらの根拠のない確信が。

その優しさは「水曜どうでしょう」という番組を愛してくれている人全員が、いつの頃からか持ち合わせてくれた共通の想いだと思うのです。

カッパを着て立ち見のまま、降る雨に濡れながら、まるで雨に濡れていることすら忘れているかのように顔を輝かせて僕らの出を待っていてくれた1万2000人の藩士のみなさん。
あなた達が寒くなかった筈はないのです。10月の北国の雨が冷たくなかったはずはないのです。それでもあなたたちは僕らを待ってくれていた。

藤村くんのお母さんの「小倉トースト」が食べたくて、大泉君の「スープカレー」が食べたくて、大泉君の「スパゲッティ」が食べたくて、二日目、行列は、アリーナを一周したそうです。

午前10時から出来始めた行列に食事がいきわたった時、時計の針は午後2時を差していたそうです。
既に、お昼のトークショーが始まる時刻になっていたのです。
最後尾には4時間待たされて結局食べられなかった人もたくさんおられたそうです。
それでもその人たちはね、
「えぇっ!もう無くなっちゃったんですかぁ?そうなんだぁ…。でも、しょうがないですよね」
そう言って、小さく笑ってトークショー会場まで走って行かれたそうです。
そんなお客さんを間近にして、感動しないスタッフはいないと思います。

スタッフみんなが、あなた達の気持ちの暖かさに当てられていたのです。
あなた達の優しさがぞくぞくと周りの人間に感染して行ったのです。

そして、その思いに当てられたのはスタッフだけではなかったようです。

今日、こんな書き込みがありました。

『すべての人に…柊@留萌
2歳児を連れての参加。何度も何度もぶつかってしまいます。しかし、そのたびに「オレ、子供好きだからなんでもないよ」「ごめんね、子供の後ろ歩くんだもん気をつけなくちゃね」など、涙がでるほど暖かい言葉をいただきました。警備さんには「小さいお子さんがいます、ゆっくりと進んでください」もう、誰もかれもが優しいんです。この場でお礼を言わせ下さい!お祭りに関わったすべての方達に!幸せな時間をどうもありがとう』

こんなお話がいっぱい掲示板に届いているんです。

長く祭り事務局で電話番をしていた元HTB制作庶務だった「あっちゃん」は祭当日はインフォメーションの係りでした。
そのあっちゃんから聞いた話です。

「うれしのさん。8000どう落としちゃた方がいたんですよ。でもですよ、その8000どう、ちゃんとインフォメーションに届けられて落とし主に返ったんですよ」

今日の書き込み読んでたら、まさにその人からの書き込みがありました。

『祭のお礼さち@福島
この場を借りて、ひとつだけある方にお礼が言いたいのです。
最終日に私は8000どう交換し、ポケットに入れてウロウロしていたのですが、ふと気づくとその交換したばかりの8000どうがポケットから紛失していました。
縁日を歩いている途中、どこかに落としてしまったんです。
会場を一通り探すも見つかりませんでした。
一緒に居た彼が「見つかるわけないよ。財布じゃないんだから。使っちゃうって」と言うのを尻目に私は、「そんなはずない。どうでしょうファンはそんなことしない。」と半分泣きそうになりながらインフォメーションに行きました。
インフォメーションには、無事8000どうが届けられていました。
本当にありがとうございます。
何よりも、届けてくれた気持ちがとってもうれしかったんです。ありがとう。


その8000どうを拾ってインフォメーションに届けたのはスタッフだったそうです。

誰かが発した暖かい気持ちに、みんなが当てられていたんだと思います。

警備の人たちはみんな「あんなにマナーの良いお客さんを知りません」と口をそろえて言っていたそうです。

藩士のみなさんは「あんなにやさしく丁寧に誘導してくれる警備の人、見たことない」と掲示板に書き込んで来ます。

そんな優しい思いにさせられる光景があちこち自分の身近で起きて、それを目にするのがとても新鮮だったと書き込んでいる人もいました。

どうでしょうのお祭だから、マナー良くしなければいけないという規則はないのです。規則はやがて窮屈なだけの枷(かせ)になるばかりでしょう。そんなことではなくて、みんなが他人に対して優しい気持ちを持てた自分自身を喜んだのではないでしょうか。

いずれにしても、ありえない規模のありえない思い遣りの気持ちに満ちた祭になったのだと思います。

こんな人たちが「水曜どうでしょう」という番組を支えてくれている。そのことを僕等は誇りに思います。

祭に来れなかった人も来れた人も、全員にありがとうを言います。

みなさんのお陰で、ぼくらの理想通りの祭になったのです。

ほんとうにありがとうございました。

これからもよろしくね。

最後になりましたけれど、祭り会期中三日間、来場したどうでしょう藩士に熱烈なる対応をしてくれたボランティア藩士のみなさん!
この場を借りてもう一度お礼を言います。
ありがとうございました!
あなた方の熱意に感謝された藩士のみなさんからの書き込みも多数届いております。御疲れさまでした。そして本当にありがとうございました。ほんと、ありがとね。それしか言えなくてごめんよ。

それと、企業ボランティアの皆様も御疲れ様でした。
ほんとうにありがとうございました。




最終夜のステージを、ステージ正面の照明・音声ブースから見ていたHTBアナウンサーの佐藤麻美は、こう言っていたそうです。

『ストレートに感動しました。ステージ正面のブースからステージを見ていて、
 なんだかぐっと来て泣けちゃいました。
 何かこみ上げるものがあり、身震いを感じました。
 ただただ「すごいなぁ・・・」と・・・。
 誇らしくなりました』

どうでしょう班4人が最後の言葉を述べる時、インフォメーションでステージを見ていた元HTB制作庶務の「あっちゃん」はこう言っていたそうです、

『スタジアムいっぱいに1万3000人もの人がいるはずなのに、その時、人の気配がしなかったんです。物音ひとつしなかったんです。私語する人もいなかったんです。あんなに大勢の人が一緒に集中することがあるんでしょうか。それが今も不思議でしょうがないんです。会場が一体になるって、あぁいうことを言うんでしょうか』

僕らを初めとする、あの場に居合わせた関係者全員の心に、これまでに経験したことのない胸騒ぎが残ったのです。
それが何だったのか、未だに誰も説明することができないでいるのです。

ただ、全員が、計り知れないほど大きな感動を受けたことは間違いのない事実だと思います。

あの祭会期中、関係スタッフそれぞれが、それぞれの持ち場で感じた熱い何か…。
それが、いったいなんだったのかを、ぼくらは全員、これから長い時間をかけて考え続けるのだと思います。