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歴史

戦争のつめ跡(写真5枚)

16世紀ごろ
ラッコを始めとする海獣の良質な毛皮を求めて日本、ロシア、ヨーロッパの国々が進出
1643
オランダの航海士、ド・フリースが東インド総督の命令で現在の北海道東岸を航海、エトロフ・ウルップ2島を発見、ウルップ島をカンパニース・ランドと命名。千島列島の存在が世界に知られるようになる。
1792
ロシア・ラクスマンの交易使節が根室に来航
1811
ロシア海軍少佐ゴロヴニンが千島を精測して南下、国後島で抑留される。 ゴロブニンが帰国後作成した地図により千島列島は初めて全貌をあらわす。
1854
日露通商友好条約(プーチャチン提督) エトロフとウルップの間を日露の国境線と画定
1891
片岡侍従による千島調査
1893
郡司成忠海軍大尉の「千島報效義会」による北千島移住計画
1905
日露戦争後のポーツマス条約により、南樺太が日本領に
1929
北洋漁業の隆盛
日本軍シベリア出兵 5年間にわたり北樺太を占領
1945
ヤルタ協定

ソビエト、対日参戦の条件として戦勝後の南樺太と千島列島の引き渡しを要求
同年8月18日
ポツダム宣言受託後にソビエト軍は中立条約を破棄してシュムシュ島に上陸~以降、千島全島を占領
1951
サンフランシスコ平和条約
日本、千島列島を放棄(譲渡先は明記されず
※日本政府は「歯舞・色丹」はそもそも北海道の一部であり、一度も外国の領土となったことのない「国後・択捉」は千島列島に含まれないと主張
1956
日ソ共同宣言
平和条約締結後に「歯舞・色丹」を引き渡すとする


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