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きくちャンネル

2022年03月07日(月)

東日本大震災から11年

昨年末、2年ぶりに帰省しました。

コロナ禍でなかなか帰省できない現状にやきもきしましたが、

きっと同じような感情を抱いている方は少なくないと思います。

これまで1年に一度のペースで地元・岩手県釜石市に帰っていましたが、

久しぶりに訪れてみると、街の雰囲気がまた変わっていました。

ハード面の復興は、この10年でかなり進んだと感じます。

先日写真の整理をしていると、7年前の釜石の写真が目に留まりました。

震災直後はこの現実を直視したくないという思いから

写真に収めることを避けてきたのですが、

震災後4年が経った2015年に撮影したものを改めて見ると、

2015年3月釜石市中心部④_R.JPG

街の中心部にはまだ重機がありました。

現在はこの場所にホテルが建っています。

海からわずか500m足らずの近距離にもかかわらず、

児童・生徒約570人が迅速に避難し、

押し寄せ得る津波から生き延びることが出来た

のちに「釜石の出来事」と呼ばれるようになった

鵜住居町の小学校・中学校は

2015年3月鵜住居小&東中建設予定地_R.JPG

山を切り崩し、新たに高台に建てられました。

災害時の避難場所の機能も併せ持っていて、

高台から鵜住居の街並みを一望することができます。

そして、震災前に小学校と中学校があった場所には、

釜石鵜住居復興スタジアムが作られました。

2019年3月_R.jpg

この場所で2019年にラグビーのW杯も開催されました!

港はというと、地震発生から4年が経ってもご覧の状況でした。

20150308祖父の家の近くの漁港①_R.JPG

津波の破壊力を感じる一枚です。

11年前の3月11日、故郷釜石を襲った津波は、

ビルの高さにして2階以上でした。

それを目に見える形で残しておこうと、

市内至るところにこのような掲示があります。

20150308祖父の家近くの「釜石湾港合同庁舎②」_R.JPG

あの時、保育園に通っていた姪や甥は中学生になり、

時の流れを感じます。

津波に襲われた街は時間をかけながら、復興してきました。

あの時「まさか」と思った大震災。

北海道も道東を中心に巨大地震が発生する確率が高くなっています。

いざという時に大切な命を守るために、

今週を「HTB防災ウィーク」とし、

イチオシ!!、イチモニ!などで皆さんに知っておいてほしい情報を

お伝えしていきます。

一緒に防災・減災について考える機会にしませんか。