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めぐみ横丁

2014年11月07日(金)


みなさん、こんにちは! 

めぐみ横丁で展開している、
「もらったお題=漢字1字」 をテーマに
ゆる~く、断続的に、コラムを10回執筆する企画。

今回は第7弾です。 

お題をもらったのは、
イチオシ!モーニングに一緒に出演している、この人。 

1.jpg

オクラホマの河野さん
 


*           *           *

『太』

 子どもの頃の記憶を辿る時、
頭の中の大部分を占める色がある。緑色だ。

朝起きて窓を開け、目に飛び込んでくる朝露をまとった草木。
徒歩40分の通学路に広がる田んぼや畑。
その田畑に生息するカエルや、カマキリ、ホタル。
栽培していたキュウリやカボチャ、インゲンマメ。
母の名前も「みどり」だ。

 その「緑色」を、生涯探究し続けた画家がいる。

後期印象派の、フランスの画家・セザンヌ。

りんごなどの静物画や風景画を数多く残し、 
のちにピカソなどが提唱したキュビズムに大きな影響を与え、
近代絵画の父と称されている。 



 2年前の初夏、 東京・六本木の国立新美術館で
「セザンヌ―パリとプロヴァンス」が開かれ、
オルセー美術館など世界各国からおよそ90のセザンヌの作品が集結した。 

展覧会のサブタイトルにもあるプロバンスは
セザンヌの故郷で、晩年を過ごした場所でもある。
セザンヌは、子どもの頃何度ものぼったという
サント=ヴィクトワール山を何作も描いていている。 

同じモチーフの、制作年が違う複数枚の絵。 
画面の半分くらいに描かれる、小高く緩やかな稜線の山、
その手前には畑や集落、木々が柔らかなタッチで描かれている。
どれも人物は描写されていない。 
絵の輪郭ははっきりしておらず、 
近くで見ると太い長方形の点が並ぶ幾何学模様のようで、
少し離れてみると、風景の全体像が見て取れる。
 
これらの連作、筆のタッチは似ているけれど、
画面から醸し出される雰囲気がまるで違う。 
ぼんやり眺めていて、穏やかに感じるものもあれば、
深く暗い闇の中に放り込まれたような気持ちになるものもある。
風合い? 画質? 構図? たしかに違いは多々あれど、
具体的に、本質の部分で何がどう違うのか、またなぜ違うのか、
はっきりした答えが皆目見当がつかない。 

 大きなヒントが、展覧会の最後の展示コーナーで見つかった。


ガラスケースの中に、晩年に使っていた
ごくシンプルな丸い形をした白いパレットが置かれ、
赤や黄色にならんで、チューブから出された緑の絵の具がのっている。 
解説文には、一語一句同じではないけれど、
大まかにこのような内容が記されていた。

セザンヌは緑色を好んで使っていた。 
深みのある緑から、新緑のようなカラー、
エメラルドグリーン・・・ 様々なみどり。
しかし、晩年は、わずか一種類の緑に絞り、表現したという。
その緑色が、パレットにのっていた深く濃い緑というわけだ。 

再び、目線を絵に移してみる。
たしかに、最晩年に描かれた山は決してカラフルではないけれど、
深い緑色の濃淡で表現されていて、シンプルかつ深みのある絵に感じられた。 



 私は、はたと思った。
セザンヌが緑を追求した思考回路は、"人生" と同じなのかもしれない、と。

人は、この世に生を受けてから多くの人や物と出会い、
知識を得たり経験したりして、心を耕し、
その幹を可能な限り太くしようとする。
太くなったら、少しずつそぎおとして、とりわけ大切なものが残っていく。

ピカソもゴッホもモネも、後世に名が残る画家こそ、
新しい画風を発表すると、必ずと言っていいほど批判されたし、
セザンヌも、認められたのは晩年になってからだという。
時代や人々の価値観に翻弄されながらも、
先達の影響を受け、自分自身の信じる真理を追求し、
緑色に故郷への想いを託しながら
最終的に一種類の緑にたどり着いたのではなかろうか。
あくまで、憶測でしかないけれど。 


 私は、来月30歳を迎える。
孔子は、著書『論語』に、「三十にして立つ」と記した。 
これからまだ出会うであろうたくさんの緑色が
どんなものなのか、考えただけでもワクワクする。
そしていつか、自分なりの一色を見つけ出すことになるのだろうか。 

22.jpg夜の国立新美術館 

*           *           * 


続いてのお題をもらいに向かった先は・・・ 


2.jpg第8弾へ続く