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―2015年放送―

2015年08月18日
2012/08/21掲載 「消えた故郷」
西山文子(当時78歳・主婦)=札幌市西区

 終戦の5日ほど前のことです。
ソ連軍が迫ったために、その頃住んでいた樺太南部の塔路(とうろ)という町から住民が一斉に引き揚げることになり、突然、深夜の大移動が始まりました。

小学6年生だった私は弟2人の手を引き、
母の腕にはまだ生後4、5日の妹がいました。

 ふと見上げると、真っ暗な空には
ほうき星のような幾筋もの光が、冷たく輝いては消えていきます。
これからどうなってしまうのかと、
寒々とした思いでしばらく立ち尽くしてしまいました。

 大平(たいへい)という町に着くまでは、何度もソ連の飛行機が低空で迫り、
その度に地面に突っ伏しては、生きた心地がしないまま朝を迎えました。

そこで引き揚げの輸送列車の出発を待っていると、
義勇隊として町に残ったはずの父が現れてこう言うではありませんか。

 「同じ死ぬなら家族一緒に死のう」

 結局私たちは、逃げることをやめ再び塔路の家に戻ったのです。

しかしその2日後の8月16日未明、ソ連の爆撃機がやって来て、
たった2発で町は火の海に包まれました。
私は、山腹の防空壕(ごう)から、自分の故郷が燃えてなくなっていくさまを
ただただながめているしかありませんでした。

 幸せだった塔路での少女時代を思い出すと、今も胸が熱くなります。
戦争は二度とごめんです。
今の平和がとてもありがたく、ずっと大切にしたいものだと思います。

何より心残りなのは、小さなみかん箱に入って塔路の地に眠っている
生後1カ月ほどで亡くなった妹のお墓参りができないことです。
                               〆