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 「学校に野球部が無くても…」諦めなかった3年間 知的障害ある高校球児が独立リーグのプロ選手に

 知的障害を抱える高校生が野球の夢を諦めず、自ら掴んだ選手としての道。野球部のない支援学校で、たった一人諦めなかった高校生が、独立リーグという夢舞台に異例の挑戦。
ひたむきに過ごした3年間を振り返り、いま彼が語る言葉とは。

網走市の日本体育大学付属高等支援学校。

 全校生徒76人のこの学校には、軽度の知的障害や発達障害などを抱える生徒たちが通っています。高校3年生の工藤琉人さん。
3年間決して諦めなかった夢がこの春、叶います。

■工藤琉人さん:
「なんか揃えてなきゃ、こういう所とかも落ち着かないんですよ。全部飲んだやつを並べなきゃ落ち着かない。」

 3年前、入学と同時に厚岸町の親元を離れ、寮生活を送ってきました。
こだわりがあり、几帳面な性格だという琉人さん。

■工藤琉人さん:
「冷蔵庫とか共同で使う所あるんですけど、俺こっちに」
Qそんなところに!斬新!
「ここ(窓辺)冷えるんで」
そして部屋には、ずらりと並んだグローブやボールが。

■工藤琉人さん:
「こうやってたまにはめたりして。グローブ触ってないと落ち着かない時もあるから。」
 
 小学2年生から野球を始めた琉人さんは好成績を残し続け、夏の高校野球釧根支部予選の決勝では3年連続で始球式を務めました。
1年生で126キロだった球速は、3年生で140キロと大きく記録を伸ばしました。

■工藤琉人さん:
「こういうまとめたのとか、試合何打席立って、打点なんぼついたとか小学生の時の新聞とか、お母さんが作ってくれて。」

琉人さんが生まれ育った釧路の厚岸町。
息子の活躍を誰よりも応援してきた母・香織さん。

■琉人さんの母・香織さん:
「小学校に入って勉強についていけないって聞いて、病院に行ったら学習障害と知的障害があるよって。琉人ができること、琉人が楽しめることをさせてあげたいっていう気持ちで育ててきました。」

3人兄弟の真ん中に生まれた琉人さんは、8つ離れた兄・啓斗さんに憧れ、野球を始めました。

■琉人さんの母・香織さん:
「生まれた時にはお兄ちゃんが野球をやっていたので、もうおんぶして連れていっていたので、2歳くらいになったときにはもうお兄ちゃんの試合を見て『俺はいつ出れるんだ』みたいな感じで。」

兄・啓斗さんの背中を追いかけるように小学生の頃は地元の野球チームへ。中学生になると野球部で釧路の選抜メンバーに選ばれるほどになりました。主に外野手、時に投手として活躍。野球一筋の日々を過ごしてきました。

■琉人さんの妹・萌瑠さん:
Qお兄ちゃんの活躍はどう?
「かっこいい!」

■琉人さんの兄・啓斗さん:
「自分のあとを追いかけてくれる弟、やっぱり可愛いなと思うのもあって、小学校入って野球一緒に始めてからキャッチボールしたりしてたんですけどもう追い越されてしまいましたね流石に」

クラスでは、輪の中心でムードメーカーの琉人さん。

■片岡悠斗さん:
「真面目かつなんかバカみたいな感じのキャラですね。いつもふざけてばっかなんですけど、やるときはやる存在ですね。」

大好きな野球を高校でも続けたい思いがありましたが、多くの特別支援学校には、野球部はありません。琉人さんは高校生活で、陸上部を選びました。
■陸上部顧問・工藤拓也さん:
「ソフトボール投げで、もうフィールドを越えるんじゃないかっていうくらい、100m近く投げるという記録を出しまして。なかなか逸材の子だと思います。」
野球を通して培ってきた身体能力。
琉人さんは、1年生の新人戦から頭角を現します。北海道障害者スポーツ大会では、ソフトボール投げでは97m越えを記録しました。
3年生になるとキャプテンを務め、チームを引っ張りました。

■工藤琉人さん:
「自分の活かせることってなんだろうって考えた時に肩に自信があったから、陸上にいってやり投げをしようと思って。」

自分の強みを活かし、陸上競技でも活躍した琉人さんでしたが、それでもやはり野球を諦めることはできませんでした。

■工藤琉人さん:
Q今のはどこを鍛えていた?
「手首です。やっぱり野球はスナップが必要だから、手首を鍛えるように先生に教えてもらって。」

■担任・照井数哉さん:
「腐ることなく自分で努力して、寄宿舎に帰ってきて一人で素振りしたり。本当に将来の自分の夢を叶えるぞっていう強い意思があり、そうやって一日いちにちを頑張って3年間を過ごしましたね。」

そうして迎えた高校生活最後の夏。
琉人さんは、甲子園に出場が叶わなかった3年生を対象に個人参加型で行われる「リーガサマーキャンプ」に参加。打率2割7分8厘、長打率5割、5打点をマーク。その活躍が、ある人物の目に留まりました。

■士別サムライブレイズ球団代表・菅原大介さん:
「チームの関係者から、凄い高校生がいるという話を聞いて。凄くハツラツとして、そのプレーする機会を凄く楽しんでいた姿が印象的でしたね」
士別市を拠点とする独立リーグの士別サムライブレイズから琉人さんはプロ選手としてスカウトされることになったのです。
障害のある選手との契約は、球団としても初めてのことでした。

■工藤琉人さん
Q球団から声がかかったときどう思った?

「びっくりしました正直。自分のやってきたことは間違ってなかったんだなって思います。」

幼いころから色あせることが無かった野球への想い。
独立リーグ入団に家族は。

■琉人さんの母・香織さん:
「自分で3年間(野球を)やれないっていう覚悟で行ったんですけど、やっぱりできなくて『やりたいやりたい』って帰ってくる度に言っていたので。嬉しすぎて一人で泣きました。」

決して野球を諦めなかった3年間。仲間とともに過ごした高校生活も、卒業を迎えます。最後に琉人さんが卒業文集に記した言葉は、「努力」でした。

■工藤琉人さん:「みんなに勇気とかを与えられる選手になりたいと思っています。」

この春からいよいよ選手として、新たな道が始まります。

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