「真っ黒い波がどっと…」震災15年、岩手県の20代男女が北海道の同世代記者に託した思い
2026年 3月16日 19:48 掲載
東日本大震災から15年。
岩手県で生まれ育った被災者が、北海道出身の同世代の記者に伝えてくれた教訓とは。
大きくへこんだ車体。
東日本大震災が起きたとき、この消防車は津波が来る直前まで避難指示を呼び掛けるのに使われていました。
あのときの私は、小学4年生。当時の出来事について記憶は残っていますが、多くはテレビなどを通して伝え聞いただけでした。
この場所で同世代はどんな体験をしたのだろう。あの日から15年。
教訓を学び、伝えるために。私は岩手県で震災を経験した同世代を訪ねました。
岩手県宮古市。
漁業で有名なこの街も津波に襲われました。関連死を含めた死者と行方不明者数は570人となっています。
このマチで相談支援員として働く菊池眞悠子さん26歳。
15年前、菊池さんは私と同じ小学生で、岩手県盛岡市で震災を経験しました。
加藤諒也記者(25)
「東日本大震災が起きたときは、どんな状況でした?」
菊池眞悠子さん(26)
「当時小学5年生で教室で授業を受けていた。先生の指示を受けて机の下に隠れて、校庭に避難したけど雪が降っていて寒かった」
震災からひと月後。菊池さんは元々予定していた沿岸部の宮古市に移り住みました。
津波を直接経験していないからこそ、被災者としての生活にもどかしさを感じたと言います。
菊池眞悠子さん(26)
「津波を見ていなくて、ほかにつらい思いをしている人が居る中で、同じように支援物資をもらっていいのかという葛藤がありながら過ごしていました」
時間が経つ中で様々な震災の記憶を学んできた菊池さん。各地の被災者の経験も、幅広く知っていくことが大切だと考えています。
菊池眞悠子さん(26)
「いろんな方の話をきくのを大切にしている。自分の経験だけでは補いきれない経験がある」
加藤諒也記者(25)
「東日本大震災の記憶、教訓を私たちの世代でどう残していくか考えはありますか?」
菊池眞悠子さん(26)
「伝えていくところもそうですし、当時の自分の近い思いを話していくことが大切なのかなと思いました」。
次に訪れたのは岩手県陸前高田市でした。
このマチでは関連死を含めた死者と行方不明者数が1807人に上ります。
市の職員として働く黄川田麻人さん、26歳。あの日、黄川田さんは所属していた少年野球チームの練習に向けて着替えていたところでした。
黄川田麻人さん(26)
「真っ黒い波がどっとおしよせてきているような感じで。
上にいれば大丈夫じゃないかと思っていたけど、念のため山の方に急いで逃げて行った」はじめて津波を経験した黄川田さん。
夢中で高台の避難所に駆けこんだあの日から一夜。
家族と一緒に自宅へ戻る際に、変わり果てたマチを目にします。
黄川田麻人さん(26)
「あたり一面がれきの山で、道路とかは住んでいる人が手分けして作業して、通れるようになっていたけど、昔見慣れた光景ではなかった」
黄川田さんの母校には1階まで津波が押し寄せました。
子どもながらに「だめだ」と絶望した記憶は、今でも鮮明に残っています。
だからこそ、強く訴えたい願いがありました。
加藤諒也記者(25)
「同世代の人に何を考えてほしいですか?」
黄川田麻人さん(26)
「まず何かあったときに自分の命を最優先にして守るところから考えてほしい。
過去にあった災害とかと自分が経験することになったらどうなるかと考えていただくことが結果的に後世まで教訓として伝わると思う」。
加藤諒也記者(25)
「この先の15年を考えると、私たちの世代が震災を知る最後の世代になると思います。
そのあたりの黄川田さんの思いは?」
黄川田麻人さん(26)
「どうしても記憶として風化していくのは避けられないと思います。
少しでもそういった歴史を風化させずに・・・誰も犠牲になってほしくないので、そういったところを私が伝えることで助かる命があれば、頑張って伝えたい」。
あの震災で同世代が身をもって学んだ「命を守る行動」の大切さ。
教えてくれた願いや葛藤を胸に、改めて災害への備えを伝えていきたいと思いました。



























