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2007年10月1日(月)

10月になりましたね。
みなさんお元気でありましょうか。

BBS祭りで徹夜をして以来、自堕落な生活をしております嬉野でございます。
どうにも夜更かしというのはいけませんね。
した後の生活態度が堕落します。
気をつけないといけません。

さて、先程、グッズ店長石坂が新潟へ向け出発いたしました。
明日から10月8日まで、三越新潟店7階催物会場で行なわれます「第30回北海道大収穫祭」へ、我がHTBグッズショップを出店いたしますためでございます。

幸いにも明日から新潟市内は、お天気もよろしいようでございます。ぜひ、お時間のある方は会場まで足をお運びいただき、汗っかきの店長を激励して下さいますようお願いいたします。

そして明日は、我がHTBの女子アナ、佐藤麻美も会場に登場するとのことでございますので、あわせて激励してやってくださいませ。食べる事が大好きな立派な女でございます。

なお、詳細はHTBのホームページで店長が運営しております「夢見る工房」を熟読くださいませ。曜日によりまして、終了時刻が若干、異なるようでございますよ。

さて奥さん、札幌は秋深く。
少しずつ、白い冬が偲び寄って来そうなムードでございますよ。

秋の北海道も好ござんすよ。
ぜひ、お出かけくださいまし。
もうすぐ紅葉も始まるのではないでしょうか。

紅葉はやはり北国のものでございますよ奥さん。

まっ青に澄んだ空を背景に、小高い山々が赤や黄色に燃えるのであります。うっとりでございます。
何処からとも無く木枯らしが吹き、川面に向けて黄色い葉がひらひらと散りますと、舞い散る葉が西日に映えて、まるで金貨のようにキラキラ光ながら落ちていく光景は、実に美しいですね。

そういう光景が、今年も、もうすぐ見れるのでありましょうか。

それではみなさん、本日も元気に乗り切ってくださいませ。
そしてまた明日、お会いいたしましょう。

それまで、そこそこお元気に。


追伸。

今回、御開帳はございません。
手配を忘れました。
まことに申し訳ございません。
訳ござ申しいません!

許して!



(18:03 嬉野)

2007年10月2日(火)

はい、こんちわ。
嬉野でありますよ。

TOPのどうでしょう寺も秋の紅葉に燃えておりますよ。
美しいですね。

さて、本日から新潟三越さんで北海道物産展が始まっております。
楽しんでいただけておりましたら嬉しいですネェ。

ということで、本日のダラダラ話。

江戸っ子の代表的な信条のひとつに、
「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」というセリフがありますな。

江戸っ子は気風が好いですから、今日稼いで得た金は今日のうちにきれいに使いきってしまうわけです。間違っても稼いだ金が夜を越して翌日になっても手元に残るようなことはない。そんなことしてたらおめぇ金が貯まっちまうだろうというわけです。
そんな奴は江戸っ子じゃねぇぜ、というわけです。

お金を貯めちゃいけないんですね江戸っ子の人は。
つまり貯金をしないんです。

あたりめぇだろう。貯金?なんだよそれは。気持ち悪いなぁ、です。
だっておめぇ酒も飲まずに遊ばずに、ちまちま金を蓄えているだけの奴がいたら不気味だろうと言わんばかりのセリフなのだと思います。
そういえば、守銭奴という言葉はこの頃死語ですな。金の亡者というのも死語です。
どうしてかしら。使いどころがありすぎるからでしょうか、わかりませんが。

でまぁ、だったら江戸っ子の人は貯金もせずに毎日買い物に日銭を使っていたのだろうかというと、そらまぁ買い物ではなかったような気がしますね。ブランド品や家電品をやたら買って宵越しの銭を残さねぇと啖呵切ってる江戸っ子というのはあまり想像できないし、尊敬も出来ないですものね。

おそらく美味い物を食う。美味い酒を呑む。仲間と連れ立って花見に興じる。好い女と酒を酌み交わす。博打をする。そういうふうに、なんだか、主にパァッと遊んで楽しむだけのことに金を使ってしまっていたのじゃないでしょうか。
それが江戸っ子の綺麗なお金の使い方。
おそらく江戸っ子の人のお宅には、布団くらいしか無かったんじゃないでしょうか。
わかりませんが。

とにかく、「どうして金を蓄える必要があるんだよ」というのが、江戸っ子の人の考え方なんでしょうな。明日の生活費は、また明日稼げば好いだろうがよ、という安易な生活態度が江戸っ子です。

しかしそこには、腕に職を持つ職人さんは、今日の稼ぎをすっかり使い切っても、明日また現場へ出かけて一日仕事をすれば必ず日銭をもらえるという、まずその安心感が社会にあったから言えたセリフなのだと思うのです。

もちろんそこには自分の腕一本で食べていく職人の自負心もあるのでしょうな。
要するに腕に覚えのある職人としてのプライドですよ。
だって自分の腕が見込まれていて、世間が自分を必要としている。そして仕事は毎日ある。だから稼ぎをみんな使い切ってもまた明日、自分が仕事をしさえすれば金は入る。困る事はないんだ。だからそんな自分が宵越しの金を残す必要がどこにあるだろうか、いや、ない、という自信ですね。

そして事実、この言葉がカッコ好いセリフとして世間に広く受け入れられたということは、このような安易な生活態度は誰でもが出来る芸当ではなく腕に覚えのある職人だけに許された特権だった、ということになるのでしょうかな。
そして、他人に養われているのでなく、自分の腕で稼いでいるんだという自立した江戸っ子のイメージに世間のみなさんも憧れた。
あぁ、オレもあぁいう男になりたい。

昔、時代考証家の方が、テレビで言っておられたのを聞いたことがあります。
江戸時代というのは、みんなそんなにあくせく働くようなことはどうもしなかったようだと。そうすると周りがそんな人ばかりですから、ちょっとでも計画的な頭で人生設計をすれば、つまり目標を具体的に持って、そして「働いてはせっせと蓄えて」を3年ばかり続けていれば、誰でも割りと簡単に小さな個人商店くらいは構えられる資金は貯められたそうなのですな。でもそういう人はあまりいなかった。

ようするに真面目に仕事しない人が多いから競争相手が少なかったということでしょうか。

落語の裏長屋に住んでる大工の熊さんやら言う人は、そもそもそんなに働いているような気配が感じられません。きっと彼だって毎日毎日きちんきちんと働いてたら、かなり立派な暮らしが出来たんじゃないでしょうか。それをしないからいつまでも裏長屋に住まなければならなかった。

そこには、ひょっとすると、それで好いじゃねぇか、働くのなんか面倒くさいよという意識が働いている。でもニートではなかった。熊さんはニーとではなかったわけでね。そのへんが今と違います。

とにかく好い年をした大人が割りとプラプラしてる。ある日これでは家族が食べていけないということになって初めて、おかみさんが大家さんとか頭領とかいう人のところへ相談に行って意見してもらう。
説教ですね。それで熊さんも、改心して働き出す。

で、やる気になれば、かなりまともな生活ができた時代だったのだと思いますから、いつからだってやり直しが出来た社会だったのだと思います。好いですねそういう社会。
やる気にさえなれば社会が受け入れてくれる。困っても、誰かに相談すれば、割りと簡単に解決策が見つかる。要するに楽天的になれる社会だったんでしょう。
社会がそんなに楽天的な社会ですから「江戸っ子」と言われるような人種を育て上げる事が出来たのではないでしょうか。

それにね、お芝居とか、落語の人情話とかには、忠義一本やりの生真面目な手代さんとかが出てきますね。この人は、勤勉で正直で小心で心根が優しい。こういう性格の人にも江戸の人は割りとスポットライトを当てる。こういう生真面目な仕事振りをする人にも、江戸の人は共感を寄せている。こういう人は大体、悲劇を背負って物語に登場しても、最後に幸せになりますからね。大事にされているわけです。ということはね、こういうタイプの人もあまり世間にいなかったのかもしれないですな。そのこともやっぱりプラプラしてる人が多かったという裏づけになるような気がね、するわけですよ。

みんなが、ある程度慢性的に貧乏だから、貧乏がそれほど苦にならない。
みんなが、それなりに悲惨な生活をしているから、悲惨がそれほど悲惨に見えてこない。
で、ますますあせることが無いからますますプラプラしてる奴が多い。
なかなか結婚しない人ばかりの環境にいると、結婚に焦るということがないのと同じですな。

でもね奥さん。だったら平成の日本人は、お金持ちになる事だけを第一に考えますけど、江戸時代の人は、何を第一に考えたんでしょうねぇ。

「あぁ、好い心持だ」というセリフを落語とかで聞くことが多いですね。
彼は酔っているわけです、しかしヘベレケに酔ってはいない。ちょっとだけ酒が入ってる。で、気持ちが嬉しくなっている。それでうちへ帰るのか、またぞろどこかへ遊びに行くのか、とにかく夜道を歩いている。そこへ柔らかい春の夜風が吹いてくる。気分が好い上に気分が好い。その幸福感の中で「あぁ、好い心持だ」という言葉が自然と出てくる。

昼日中の明るいうちから茶屋の二階に上がって酒を呑んでいる。どれほどの部屋の広さかは知れないけれど、おそらくほんの小さな部屋だったろう。でもちょっとした高台にある店だったら二階の窓からでも高層ビルのなかった江戸の町は一望に見渡せたかもしれないし、江戸湾までも見えたかもしれない。清々する見晴らしだ。表通りから少しでも入っていれば町の喧騒も遠くに聞こえる。そばでは馴染みの女が三味線を引いてくれている。男はまたまた気分が好くなって来る。そして端唄や小唄を歌いだす。
「あぁ好い心持だ」

こう考えていくと、もちろん単なる嬉野というバカの思いつきですが、江戸の人が金で買っていたのは時間だったような気がしてくるのです。
ゆったりと流れる幸福感に包まれた時間。そんな時間を過ごすために江戸っ子は、金を使っていたのではないでしょうか。
それも激しく気分が好いではなくて、ほんのちょいと気分が好い程度。そしてそのほんのりとした幸福感の中で時を過ごすことを無上の喜びとしていたのではないでしょうか。

そこが時間を売って金を稼いでいる感の強い、我々現代人と大きく違うところのような気が不意にしたわけです。思い付きです。お笑いください。

いったい江戸時代というのは、どんな社会だったのだろうというのがこの頃気になります。
どう考えても、今の社会にタイムマシンで江戸っ子を呼んできても、「宵越しの銭は持たねぇ」なんてなセリフは言えないような気がするわけです。
そんな呑気を保証してくれる社会ではないですからね。

やっぱり人柄は、社会が作るんでしょうな。

じゃぁその社会というものは、一体、誰が作ってるんでしょうか。
そのあたりが、ぼくにはよく分からないのです。

まぁ江戸時代も、そんなにのんきなばかりの社会ではなかったとは思いますが、それでも、悲惨をそれほど悲惨と受け取らずに済んだ社会ではあったような気がするのであります。
いろんな意味で。

いやぁ、また長々とたいして為にもならない事を書き連ねてしましましたよ奥さん。
お気を悪くされませんように、また明日もお越しくださいませ。

じゃまた明日。
解散!


(15:36 嬉野)

10月3日水曜日。藤村でございます。

昨日より新潟三越さんにおきましてにぎにぎしく開催されておりますところの物産展「北海道大収穫祭」に、北海道名物HTBショップが出店いたしております。

昨日は名古屋から出撃したバカものが前夜12時から並んだのを先頭に、開店までにおよそ200人の行列。

本日も50人ほどがお並びになったとのこと。誠にもってありがたき幸せ。

しかしながら昼を過ぎますれば人もまばら。意気込んで出陣した店長も、もみ手で客にすり寄ってセールスに勤しんでおるとのこと。

新潟のみなさまにおかれましては、並ぶことなく会場に入れますので、どうぞ遠慮なくお越し下さい、いや来て下さいと、店長が申しております。

北海道のテレビ局員が新潟に出張して物産展で物を売っている。なかなか見られる光景じゃありません。

新グッズ、普段使いにもちゃんと着れる「どうジャー」。私もすでに愛用しております。いいものであります。ただ、少しお高い。購入は財布の中身とよく相談してと。欲張ってはいけませんと。新潟のみなさんは、いろいろたいへんだったんだから。ね、店長。

「北海道大収穫祭」、会期は来週月曜日8日まででございます。

さて、私は次回DVD第10弾の作業を進めております。

記念すべき10本目ということで、いくつかスペシャルなことを考えております。その作業にもずいぶん前から着手し、ようやく今カタチになろうとしております。そのうち、小出しにお話しいたします。

DVD第9弾の方はみなさま、ひととおり見終わって、あとは「シークレット映像」といったところでありましょうか。

ヒント出しておきましょう。

DISC1です。メニュー画面です。ボタン押します。

ある画面が出てきます。あとは運次第。

ではみなさん、また明日!






(19:13 藤村)

2007年10月4日(木)

札幌地方、昨日に続き、本日も午後に物凄い雨が降りまして、
雨上がりに、大きなきれいな虹が空にかかっておりましたよ。

嬉野でございます。
みなさま、御機嫌如何でございましょうか。

そして、新潟三越さんの物産展会場へ起こしの皆様方、いかがでございましょうか。
実は、あさって10月6日から8日までの土・日・月の3日間。
美術ビジービーの浜田社長が新潟三越会場へ顔を出させていただきます。

今回物産展会場に並べております「朗らか書体のCD」を、お買い上げの皆様に「一筆入魂」させていただきたいというのが趣旨でございます。
なにぶんビジービー商品が物産展に並びますのは今回が初めて。
社長の意気込みを受けていただければ幸いと存じます。

ということでね、本日もダラダラ話でございます。

昨日、うちの奥さんが旅から戻りまして、さっそく写真の整理を始めましたね。

2700枚も撮ってきたと申しておりました。
えらいものでございます。
うちの奥さん、フィルムカメラの頃は、なかなかシャッターを押せなかったのに、デジカメではパシパシシャッターを切っている様子。

銀塩と付き合う、デジタルと付き合う。
双方のシステムの間にはものすごい人格の差があるのでしょうか。

ひょっとすると銀塩さんはわりと無口なんでしょうかね。

「これ、撮っておこうかな。この構図で。どうだろ。どうだろ」

銀塩さんは、ひと言も答えてくれません。

「撮るかな?とりあえず。好い写真になるかな?パシャ」

銀塩さんは終始無言ですね。

で、旅から帰って来て、写真屋さんへ持って行ってね、翌日辺りにようやく答えてくれる。

『あんまし良くないっスよ』みたいなね。

今更言われてもなぁ、という後戻りの出来ない段階で、あっさり否定されちゃう。
言われてこっちは、

「なんだよ?こんな風に写っちゃうのかよ?」

と、出来上がった写真を見ながらガッカリするばかり。
で、現像料金どっさり、みたいなね。

そこへいくとデジタル君はおしゃべりなんでしょうな。

「これどうかな。これ撮っておくかな?」
『はいはい。これをお撮りになりますとこういうふうに写りますぜ、旦那』
「あぁ、こういう風に写る。ほぉほぉわりと好いネェ、じゃ撮るか。パシャ」

みたいなね。ことなんでしょうか。分かりませんが。

とにかく撮影量が段違いで増えましたから、やっぱりなんか気安い気安くないがあるんでしょうね。
道具とそれを使う人。相性というのは双方に性質にあるのだと思いますね。道具というのは、そういうものでしょうからね。

道具と言えば奥さん、「歯ブラシ」というやつ。
あれはかなり重宝いたしますね、お掃除に。

なんでしょう、窓サッシのね。
あそこのレールの部分なんか放っておくと、どろどろに汚れませんか奥さん。

とにかく窓を開けておくと風と一緒に入ってくるのか砂ボコリで、あれでもって部屋のいたるところがザラザラになりますでしょう。札幌なんかはそうなんですよ。

そんな感じですからね、そこへ雨が振り込んだりしますと泥みたいになりましてね、知らずに放っておくとオゾマシイ事態になっておりまして、もう手を加えるのも憚られるみたいなありまさまで、そこへカビなんかはえますともう最低。
それでもって寒冷地は二重窓でございますから最低の面積が倍増するわけですよ。
わかります?

そういう最低という状態に我が家の窓サッシは全てなっておったのでございますよ奥さん、お立会い!

ところがね、そういう状態になっていても、見慣れるというのは怖いものでね。見て見ぬ振りというのが人間は出来るのですね。
気にはなるが、気にしないみたいなことをするわけです。

そうしたところへこの夏。うちの家内が旅へ出まして。
8月20日から出かけましたからあなた、
昨日でかれこれ一月半の留守。
でもって9月の3連休ですよ奥さん。
これが二週続けてあったでしょう。
もうね、掃除に明け暮れましたね、わたしゃ。

ここでね、歯ブラシの登場→大活躍→私は大満足。
という展開でしてね奥さん。

とにかく、あやつは細かい所にもどしどし入っていきますから、汚れが取れる取れる。

泥汚れ、カビ、もうね、ごしごしすると隙間から真っ黒な汚れが出てきて一網打尽!
タイミングよく、捨てようと思っていた下着もたくさんありましたからボロ布にも事欠かず、汚れをどんどこ拭き取れたわけであります。
これが奥さん、拭き取りますと驚きの白さでね。いやぁ気持ちが好い。どんどん綺麗になるのです。

ところがですね。
いえね。最初はほんの出来心だったんですよ。
そんな連休いっぱいかけて掃除するつもりなんかありませんでしたよ正直言って。
ところがですね。
この歯ブラシとボロ布という道具の充実と、その道具の量の充実でもって、思いつきだった掃除が思いの外の快進撃を続けまして、で、仕上がりの美しさも予想外で、やればやるほど問題ヵ所が増えてくる。

いやようするにね、気にしてなかったはずなのに、一ヵ所掃除して綺麗になってしまうと、掃除してないところの汚さを無視できなくなってしまったのでありますよ。

なるほどなぁと私感心いたしましてね。
と言いますのもね、問題というものは、気にしないでおけばいつまでも問題とも思えず気にならないけれど、一旦、自らの手で介入し、で、介入することで問題が解決し始めると、介入して解決した部分と手付かずのままの部分との差違が際立ってね、いままであれほど気にしなかったのに、すべてが問題視されてきて、そこも掃除せねば!あそこも掃除せねば!と問題がどんどん立ち現れてくる、当方もこれにどんどん立ち向かっていくわけです。

これで掃除が止められなくなってしまったのであります。

なもんでね、これを連休中毎日やっておりましてね、サッシは全てピカピカ。
台所周りも、風呂場も、風呂場の天井のカビも、もう開けても暮れても歯ブラシ片手に磨き上げましてね、私、妙な充実感を覚えてしまいまして、すっかり嬉しくなってしまいましたですね。

掃除に追われて、自分のやりたい事が出来ないという状態は嫌なものですが、自らその気になって掃除してる分には、家事というのは好いものでありますよ。

案外、仕事ばかりでなく、やらなきゃいけない家事に追われてね、やりたい事をやりたいなぁと、思うくらいの方が、人間の精神衛生には好いのかも知れませんな。

テスト勉強しなきゃならない時に限って、あれもやりたい、これもやりたいと思ってしまったような懐かしい気が甦りますたね。

ま、それだけのことでして、大した話じゃありませんでしたよ。

あ!それと奥さん。

明日は我々またすても出張で留守をいたしますが、どうぞ気を確かに持たれまして週明けまでお過ごしくださいませよ。

じゃ!解散!






(17:50 嬉野)

10月9日火曜日、藤村でございます。

札幌は一気に秋の気配が濃厚となってまいりました。

朝の散歩も寒いですよもう。

10月。テレビの世界では改変期。

新番組のスタートにはずみをつけよう、ウチの局は面白いことやりますよー!と、2時間3時間の大型スペシャル番組でアピールすることしきりのテレビ各局であります。

好きでしたね、この華やかなスペシャル番組が。昔は。

今は、あんまり見なくなりました。騒々しくて。テレビ好きなのに。

そんな中で楽しみにしていたのが、とんねるずさんの「細かすぎて伝わらないものまね」。

たとえおもしろくない素材(ネタ)でも、編集(=落とすタイミング)によっておもしろくしてしまう。

あの場合、「床が割れて下に落とす」という実際の行為をスタジオでやるわけですから、「編集」という言葉は当てはまりませんが、実はあれこそが「編集の真髄」なのであります。

編集は単純に言えば、2つの行為によって成り立ちます。

素材を切る、つなげる。

そのうちの「切る」という行為は、単に「簡略化する」のではありません。

例えば2時間のトーク。長い。そのトークを5分に編集する。

どこを切ってどこを使うか。

これは単に短くするという機械的な行為ではなく、「選択する」「抽出する」「クローズアップする」という編集者による感覚的な行為であります。

この感覚によって、実際は誰も聞いていない2時間のトークが、「おもしろかった!」という印象にも、「つまらなかった」という印象にもなる。

「細かすぎて伝わらないものまね」。これは本来、「誰にも理解できないものまね」であります。

理解できないから、ネタの途中でスパッと切る。途中で切ることによって、客は、ネタの中身ではなく、「わかんねぇよ!」という外部の意思表示を笑うことができる。途中で切られてなおさら理解できないことが、逆に奥深さを生んだりもする。また、「もっと見たかった」という欲求をも生む。

意思を持って切る。これによって、つまらない小ネタであっても大きな意味を持つ。

簡略化ではなく、編集者の意思を加えて物事をクローズアップする。

編集の真髄であります。

とはいえ、「細かすぎて~」は、だいたい「長くできないが、短かったらおもしろい」ネタの集合体でありますから、編集者というより、演者の「ここで切ってくれ」という意思が大きく働いているんでありましょうな。

で、今回の優勝は、アップダウンの阿部さん。札幌吉本出身。タカ&トシとともに、札幌から東京へと旅立っていった芸人さんであります。

関西の押しの強い芸人さん。ひな壇でにぎやかな関東の芸人さん。そんな中で、あんまり前へ出られない、北海道の人の良さそうな芸人さんが、もしかしたら求められているのかもしれないと、騒々しいスペシャル番組を見ながら、思ったりもするのであります。

よしよし、じゃあまた明日。

(19:42 藤村)

2007年10月10日(水)

嬉野であります。

なんでしょう、うちの奥さんと結婚する直前の頃にね。

だからあれだ、もう19年くらい前の頃にね。

だからぼくもあれですよ、29歳とかでしたね、奥さん。

嬉野さんも20代。今はもう48歳。
ねぇ。どうなるんだろう今後のわたし。

そんな昔の、とある秋の暖かい昼下がりにね。

だからまぁ、ちょうど19年前の今頃ですよ。

ぼくが、仕事だったか休みだったかは忘れたけど、新宿駅の総武線のホームへ向かって階段を上がろうとした時にね。
ひとりのお母さんに呼び止められましてね。

あのお母さん、あの時、38歳くらいだったろうか?

いや、もっと若かったかな?

まぁいいね。
とにかく呼び止められたから振り返るとね、そのお母さんは、女の子連れでね。

女の子は車椅子に座っていてね。
その子、12歳くらいかなって思ったね。

ぼくを呼び止めたお母さんは、

「娘の車椅子をホームまで上げていただけませんか」
とぼくに言うわけです。

「あぁ、じゃぁお母さん、もう少し助っ人を探さないと二人で上まではきっと無理ですよ」とお母さんの体力を心配して言いましたらね、

「いえ、車椅子だけでいいんです、この子は自分でホームまで上がれますから」。
ということだったのです。

「あら、それならお安い御用ですよ」
と言いますとね、それを聞いたお母さんのホッとした笑顔の奥の車椅子の上にもね、ホッとして笑顔になっている女の子が見えましたよ。

女の子は、お母さんに助けられながら車椅子をおりてね、総武線のホーム目指して階段をゆっくりゆっくり自分だけの力で上がって行きました。
もちろん階段の手すりにすがってね。

ぼくは、女の子が降りて軽くなった車椅子を抱えてね、そのまま階段を上がりましたよ。
ぼくの仕事量は、それだけ。

女の子は手すりにすがりながら、ホームまで、ゆっくりゆっくり上がって来て、ホームでまたお母さんに助けられながら車椅子に座りました。

しばらくすると轟音と共に黄色い電車がホームに入って来てね、母娘は、それに乗ってするすると千葉方面へと去って行きましたですね。

その時のことを未だにね、ぼくは覚えていて、忘れられない。

で、ここに書いたわけですが、
まぁ、良い事をしたんだぜという自慢話じゃないですよ。

ただ忘れられない思い出になっているのよ奥さん。

あの日。
ぼくが、総武線のホームに上がろうとした時。
お母さんから呼び止められて。
娘の車椅子をホームまで上げていただけませか?
と言われてね。
好いですよって引き受けた時に。
見せてくれたその女の子の笑顔がね。
ずっと忘れられないのよ奥さん。

いきなりホッとしたような。
胸のつかえがスッと晴れたような。
なんかそんな好い笑顔だったから。

最初ね。
呼び止められて。
お母さんがお願いしますってぼくに言ってる時。
女の子の表情は、ほんの少し曇っていたから。
曇った顔で斜にぼくを見ていたからね。

それはそうだよね。
女の子には全部見えるんだよね。

頼んでいるお母さんの後姿の向こうに。
お母さんから頼まれている通りすがりの男の表情が。
ずっと見えているんだもの。
その女の子にはね。

お母さんの声は聞こえないけど。
お母さんの顔を見ていた男の目が。
次に自分に注がれる。
値踏みするようにチラッと自分を見おろす。
その時の男の表情がまる見えに見えるんだもの。
少しでも嫌な顔されたら心が痛むだろうと思います。

で、ホームの上で別れるまで。
その子の笑顔がずっと続いていたから。
あぁ、あの子。
ひょっとして嬉しかったのかなと、ぼくには思えてね。

もしかしたら、あのまま家に帰りつくまで、あの女の子は喜んでくれるのかなぁと思ったらね。
なんだか忘れられなくなりました。

ぼくは、その日一日、温かい気持ちが続いてね。

そして20年近く経っても思い出すのです。
好い思い出です、ぼくにとって。

車椅子をホームまで上げるという簡単なことで。
他人がこんなに喜んでくれるというのが。
ぼくには、眩しくてね。
そうやって喜んでくれた女の子の心根が眩しくてね。

いつまでも、あの日の事が心に残ったままなのですよ。

それでこの年になっても、あの日のことを覚えてる。

つまり忘れたくないから、あれから折に触れ、記憶を反芻してきたということなのでしょうね。
だから、あの日の事は、多分死ぬ時まで忘れない。

不思議なことです。

あの女の子は、もうとうに忘れたろうにね。

もうしばらく続くだろうぼくの人生の中で。
戻れることなら戻ってみたいひと時のひとつが。
あの日の総武線の階段でのひと時なのです。

すんませんね。
それだけのことなんです。
怒らんでください。

じゃ、奥さん。
お気を悪くされませんで、また明日お会いしましょう。

解散!


(17:56 嬉野)

2007年10月11日(木)

嬉野であります。

今日の昼下がりにね。
カリスマ・スタイリストの小松さんがHTBに来られましてね。

いやぁ、相変わらず活発な様子でね。
幾つになられましてもオーラがありますね。カリスマは。

ちょっと前から見かけねぇなぁと思っておりましたが。
カリスマは、実家の方にしばらくお帰りだったらしくてね。
なるほど、それで久しく会えなかったんですな。

実はカリスマの実家には、犬がおりましてね。
今年6歳なんだそうですな。
なんでもカリスマの母ちゃんが飼ってる犬だそうでね。
可愛いのだそうですよ。駄犬だそうですがね。

この頃はあれなんですね奥さん。
携帯でも動画というのを撮れるんですね。

「うれしーさぁ、アタシが撮ったの見る?」

そう言ってね。
カリスマが実家でお撮りになって来たね。
実家の駄犬の動画を見せようとなさるわけですよ。
嬉しそうに。
私にね。

私も書き物をしてはおりましたが、
そこはまぁ、言ってもカリスマですから、
むげにはできませんでね。

「あら。小松さん家の犬かい?」
「そうなの。可愛いの」
「そら可愛いだろうけどね」
「見るでしょ?」
「いや。見るけどさ」
「可愛いの。見せてあげるから」
「そうかい?」

ということで見ましたね。その動画。

ところが奥さん。
あの女は、あなどれませんよ。

カリスマに見せられた動画。あれは傑作です。
私、驚嘆しました。

動画に映っていたのはね。
どこにでもいそうな、
でもこの頃はパッタリ見なくなった、
情けない顔した駄犬でしたよ。

全身茶色でね、
鼻周りが黒くてね、
シェパードが堕落したような顔の駄犬でしたね。
実に情けない顔でしたよ。

で、その見せられた動画の中身というのがね。
最初から最後まで、そのカリスマの実家の駄犬が映ってるだけでね。
その駄犬の情けない顔に、被せるようにカリスマの声がする。
それだけの構成なの。

ようするに実家で酒呑んでね。
酔っ払って好い気分になった女がね。
夜中にヒマだったもんだからね。
てめぇんちの飼い犬に携帯向けてね、
からんでるだけの動画なのよ。

しかしながらこれが秀作。
笑ってしまった。

ぐだぐだ、ぐだぐだとね、酔っ払った女が、犬に嫌がらせし続けるだけの内容なんですよ。
ですが私は、食い入るように見ましたよ。
そんで、涙流して笑いましたよ。
バカバカしくて。

だって、この女がねぇ、くどいの(笑)。
犬が気の毒なくらい。

いやぁ、実にね。
酔っ払って寝る前に、くだ巻いているだけの価値の無い女とね。
その女が飼っている価値の無い犬の間にね。
ぐだぐだと繰り広げられるだけのどうしようもない時間の中にね。
怖ろしいほどの価値が生まれているのよ、奥さん。

その事実に、カリスマはまだ気づいていないね。

カリスマはそのことに気づかず、
へらへら笑いながら、
油断しきった後姿で帰って行きましたけどね。

あれは私ね奥さん。金払ってでも見たいものだったよ。

あの女は、おそらく天才だと思うよ。
あの女の人格がもう娯楽番組なのだと思うから。

カリスマ・スタイリスト小松さん。
多才です。

なんでしょう、あの方。金には縁が遠そうですが。
目が離せません。

じゃ、また明日。

すんませんね。意味不明で。


(18:40 嬉野)

10月12日金曜日。藤村でございます。

わたくしは現在、DVD第10弾の編集作業を中断して、他番組の仕事に借り出されております。

北海道内で放送されております、やまだひさしさん、離目音尾先生司会の深夜番組「素晴らしい世界」。その中のドラマのコーナーの来月分を、私が作ることになったのでございます。

来年は大型ドラマに挑むことだし、その中で試してみたい撮影方法もあるし、その予行演習として、ということでお引き受けした次第。

「素晴らしい世界」のドラマコーナーは、1話5分×4週分(1ヶ月)で完結というショートドラマ。

主演は常に離目音尾先生。共演者には、これまで神木龍之介くんをお呼びするなどたかがローカル深夜のミニドラマとしては意外と豪華。

その来月分の作品を来週、3日間の予定で撮影することになっております。

お話の内容はというと、とある田舎道にあるバス亭が舞台。

そこにたたずむ初対面の男女ふたり。

彼らは、ある理由からそこにとり残されてしまった・・・という、バス亭だけで展開するワンシチュエーションドラマ。

タイトルは「残された2人」。

もう撮影前から、ずいぶん言っちゃってるけど、まぁたかがローカル深夜のミニドラマだからいいだろう。

最初に脚本が上がった段階では、音尾先生演ずる主演の男は気弱そうなどこにでもいる等身大の30代の男。ただ離目先生の魅力というのは、その確かな演技力とともに存分に存在感を主張するその類まれなる奇天烈な顔面。

あの顔面をもってして等身大の男などもったいない。

男のキャラクターを多少、変人にしてほしいと注文したのであります。

しかしまぁ、話の筋はすでに出来上がってるわけだから、そこをいきなり「主役を変人に」と言ったって、基本的なストーリーは変えられない。もともと変人の話ではないのだ。

ならば「見栄えだけでも変わった男に」ということで、奇人変人のスタイリングを得意とするカリスマスタイリスト小松氏を昨日、お呼びしたのであります。

こちらのおおまかな要望を伝えると、カリスマはその場ですべてのスタイリングを決定し、メモを片手に「じゃもうわたし買いに行ってくる!」などと、颯爽と「登山用品店」へと向かいました。どんな格好で登場するのかお楽しみ。

このドラマ。舞台は「田舎道にあるバス亭」ということで先週、札幌近郊のそれらしいロケ地を探しに出かけておりました。

北広島、恵庭、千歳、早来、長沼・・・このあたりは、田園風景あり、山あり川あり、牧場もありということで、「どこだって撮れるだろう」という場所。しかし、いざ探してみると交通量が多かったり、飛行機の騒音があったりで、なかなか決まらない。

走り回った挙句に「おぉ?ここ意外といいんじゃないの?」と、決めたロケ地は、なんと会社から15分の札幌の町の中。

「田舎道にあるバス亭」を、会社から15分の町中に作り上げる。

もう撮影前からこんなネタバラシもしちゃってるけど、まぁいいや、たかがローカルのミニドラマ、こんな前フリがあったっていいだろう。

果たしてあのロケ地が見事「田舎」に見えるのか!

主役のキャラクターにしても、ロケ地にしても、どうなるのか、撮影当日まで楽しみであります。

作ってる側からして、どうなるかわからない楽しさ。

ドラマというものは、脚本やカット割りというちゃんとしたレールがあり、そこに沿って、想定外のものは極力排除する。それがスタッフの使命であり、そのための撮影システムも構築されています。

だから視聴者はバランスの取れたドラマを、何も考えずに見ることができる。

でも、いつしかドラマを見なくなってしまったのはなぜだろう。
あとに残らなくなったのはなぜだろう。

もしかしたらそこに、妙な人間くささや、アンバランスさ、必死さ、のようなものが、見て取れなくなったからじゃないんだろうか。

いや、システムが発達したってドラマの現場にはどこも葛藤や苦労はあり、みんな必死にやっている。

でも作り手は最終的なバランス、言い換えれば「わかりやすさ」のようなものを、すべての念頭に置いて作品を仕上げていないだろうか。

「わかりやすさ」という親切心は、時に、「いいよ!わかってるよ」という反感を生む。

逆にわかりにくさ、言い換えれば「アンバランスさ」や「危うさ」は、見る者の注意を引き、だから理解しようとつとめる。客はバカじゃない。

でも、そういう意味での危うさのようなものが、今のドラマには感じなくなってしまった、ということではないだろうか。

幸いにも、というか、たかがローカルのドラマでは、どうがんばったって最終的にバランスの取れたものなんかできやしない。危うさやもろさを隠し切れない。「バランスが取れてるように見えるもの」は作れるだろうけど、そんな浅はかなものは、視聴者にすぐ見抜かれる。

だったらいさぎよく、アンバランスでいいではないか。

どうなるか楽しみだ、ぐらいの危うさでいいではないか。

そう思えばたぶん、ローカルでも無理なくドラマは作れると思うんだけど。

ドラマというのは手間と金がかかります。でもそれに見合う視聴率はなかなか取れない。同じ1時間なら手間のかからない情報番組やバラエティーの方が費用対効果はいい。

ではなぜドラマを作るのか?

一言で言うなら、それは「テレビ局の最後の意地」、じゃないでしょうか。テレビがクリエイティブであるための、最後の意地。

これを捨てたらテレビは、特にローカル局は、数字と効率だけを追い求める電波塔になっちゃうような気がする。

でも北海道では、NHKさんも、老舗のHBCさんも、uhbさんも、このところ単発ドラマを作っております。

他局ながら、北海道のためにも、お互い意地を張っていきましょうと、思うのであります。

ささ、いろんなこと言ったけど、

結局、今一番の気がかりは、来週の天気。

雨降ったらアウトだな。

オール外ロケだからな。

考えるのやめよ。晴れるに決まってるから。

じゃぁみなさん、よい終末を!(久しぶりに言った)




(18:23 藤村)

10月16日火曜日。藤村であります。

本日、ピンチヒッターで担当している「素晴らしい世界」のドラマコーナーの衣装合わせと本読みがございました。

何度も笑った。おもしろくなりそうです。

音尾先生はやはりいい。

明日から撮影。

しかし天気予報は雨。

まぁ予報はハズレてバンバン晴れるからいいけども、だ。

明日は早朝からなので本日は早じまい。

諸君。また!


(17:31 藤村)

2007年10月17日(水)

本日、藤村先生、ミニドラマのロケ。

やっぱり晴れました。いまやバカ晴れ。
天気予報ハズレ。

秋、真っ盛り。

じゃ、また明日(笑)。

(15:02 嬉野)

2007年10月18日(木)

藤村先生のミニドラマも、本日で撮り終えるとのことです。

したが札幌地方、本日早朝より濃霧。
視界わずかに200メートル。
朝から晴れてはいたんですが、天気晴朗なれど霧深し。

あれでは、霧が晴れるまで撮影できなかったのではと、チト心配。

秋深き北国の日は、つるべ落としなのよ奥さん。

朝は8時より撮影開始でね。
午後は3時頃までが日の具合としては限界だそうでございますよ。
ですので、昨日は夕方4時過ぎには撮影隊の皆はHTBに戻ってまいりましたが、本日はいかがにあいなりましょうかねぇ。

撮りこぼせば、また明日も、お出かけになりましょう。

撮影は快調とのことです。
ただ、昨日は「モーレツに寒かったぞ」と、関係者全員、体の芯まで冷えましたのか、顔面蒼白の体で帰ってまいりました。

チラッと撮影済みの映像を局で覗き見しましたが。
音尾さんが、恐るべきメイクをされたお顔で、バスの窓いっぱいに、へばりついておられました。

わが社には、カリスマは、スタイリストだけにあらず、メイクにもカリスマがおるのであります、オソロシヤ。

じゃ、今日もこの辺で終わりますよ奥さん。

また明日も、きっと来るのよー!

すんませんね、愛想なしで(笑)。



(16:29 嬉野)

10月23日火曜日。藤村でございます。

現在、「素晴らしい世界」のドラマを超特急で編集中であります。

本日も多忙。

すんません、愛想なしで!





(14:45 藤村)

2007年10月24日(水)

嬉野です。

今日は札幌地方快晴でしたよ。
おまけに、今ちょうど街は紅葉してるのよ奥さん。

紅い葉、黄色い葉に日が当たってね、燃える秋なわけさ。
ロマンチックなのよ。

来月は、紅葉も終わってね、寒くなってね、雪もまだだしね。
観るもんないからね。札幌ツアーは安いよ。

さぁ、そんな今日。
大泉先生、声で主演!
我々ディレクター陣二人も声で出演!

させていただきましたところの!

高坂希太郎監督のアニメ作品!

「茄子・スーツケースの渡り鳥」が!

DVDとなりまして本日より発売でございます!

自転車レースのアニメですのよ奥さん。
自転車レースのごちゃごちゃしたところを、どーやって一枚一枚絵にして行ったんだろうと思うとね、気が遠くなるね。
レースのシーンの迫力は凄いよ。

さて、主役のぺぺに大泉さん。
チームの監督に藤やん。
監督である藤やんが運転する車の後部シートで常に控えてるメカニックに私。

藤やんは、もろわかりの声で映画の冒頭から絶叫出演。
セリフ多数。
嬉野さんは、力む、転ぶ、叫ぶ、といった、セリフ以前の声を熱演。

「藤村さん、声優なみのセリフでしたねぇ!」
「嬉野さん、どこでしゃべってました?」

みたいなことですよ。

興味のある方は、ぜひ御覧下さいませ(笑)。

じゃ、奥さん。また明日!





(16:46 嬉野)

2007年10月26日(金)

お勤めのみなさん。
本日もお仕事、終わりましたでござんしょうか?
今日も御無事でなにより。
御無事でなくとも、そこはなんとか乗り切って。

奥様方も、無病息災でありましたでしょうか。

そして、お子たち。
お子たちも、健やかでありましょうか。
傷ついちゃったことでもありましたでしょうか。

なんとしてでも乗り切っていただきたいものでありますよ。

嬉野でございます。

さて、今朝のことだすが。
うちの奥さんが、ファックスの巻紙を切り取っていましたのさ。

なんだか、使わなくなって中途半端に残ったファックス用紙だったのでしょうねぇ。
たいした紙の量ではありませんでしたからね。

つまり、余ったファックス用紙を再利用しようとね。
なんでもね、
メモ用紙にするのだということでね、
サイズを決めてね、
定規を使って、
カッターで切りそろえてね、
熱心にパンチ穴を開けていましたよ。

で、ひとしきり紙を切りそろえることに熱中した後にね、
巻き芯だけが、ころりと残りましてね。

ほら、あのダンボール紙で巻き締めたように固い紙の芯ですよ。
あれが、ころりとテーブルの上に残りましてね。

うちの奥さん、それをじっと見てね、

「これ。何かに利用できないのかしら」。と、

恨めしそうに言うのでしたよ。

私もそれを聞きましてね、
口には出しませんでしたがね、

「わかる」。

と、心の中で同意しましたね。

私もかねてより、あの巻き芯の出来には舌を巻いておりました。

触ると実に頑丈でございましょう。
実際、なかなか容易に折れそうにない堅固な穴あきの棒に仕上がっているのですよ。

捨てたくない。
手元に置いておきたい。

ファックス用紙の巻き芯ごときにフェバリットを感じさせることができる日本の技術力。
すばらしい!
あんな、さりげないところにも、高い技術力を見せ付ける、
日本の工業力の凄さを感じますよね。

あのフニャフニャしない、ビシッとした固さの出来具合に、
製品の強い自己主張を感じてね、声なき声がするのです。

「オレを捨てていいのか」。と、

なんだか、巻き芯が言っているような気がするのですね。

「こんなに出来の好いオレを、捨てていいのか」。
「それでいいのか。日本!」。と、

だもんだから、つい、奥さんの口から言葉が漏れ出てしまうのでしょうね。

「これ、なにかに利用できないかしら!」と。

こうして、巻き芯と、うちの奥さんは、しばし見詰め合うのです。
巻き芯は、期待のこもったまなざしでうちの奥さんの瞳を見上げますね。

しかしね。
使い道がない。思いつかない。

と、なりますとね、
女の方の、割り切りは、お早いようでね。
あっさり巻き芯をゴミ箱に捨てましたね。

かくして巻き芯はね、
「これでいいのか。日本!」と、

我が家のゴミ箱の中で叫びながらね。
来週の燃えるゴミの収集日までね。
ブー垂れることになったわけでありますよ。

と、いうことでね奥さん。
つまんない話で悪かったわね。

でも、また来週も、
これに懲りずに、
きっと来るのよー!

では解散!

追伸

たくさんの方が「茄子スーツケースの渡り鳥」を御覧になったんですねぇ。掲示板の書き込みに、その記事が多ございましたよ。
他にも、掲示板の記事、ちゃんと読ませていただいておりますですよ。ご心配なくね。



(18:23 嬉野)

10月29日月曜日。藤村でございます。

来週月曜日から始まる「素晴らしい世界」でのミニドラマ、全四話分の編集が先ほど終了いたしまして、ようやくこちらに復帰でございます。

全話あわせて30分にも満たない小さなドラマでしたが、大いに勉強になり、また楽しく作業できました。いよいよ来年の大型ドラマが楽しみになりました。良いものを作りたいと思っております。

さて、土曜日に「たけしの教育白書」なんていうスペシャル番組をやっておりまして、中で「テレビの責任」というテーマで真面目に討論するコーナーがございました。

小倉さんは、「テレビはどんどん自粛、自制をしている」と言いました。

久米さんは、「自粛するのではなく、やめる覚悟で発言しなければ健全なものは作れない」と言いました。

ビートたけしさんは、「今のテレビは人に配慮することを良しとしているが、もともとお笑いなんて人に配慮などしないものだ」「配慮したらおもしろくなくなる」。

そして、「もうちょっと視聴率を気にしないでテレビを作れないものか・・・」と言っておりました。

大きくうなずいておりました。

今、テレビは決して良い方向に進んでない。自分たちで自分たちの首をしめている。作りづらい方向に進んでいる。テレビ局自身がそう思ってるからこそ、こんな討論を企画したのでありましょう。

爆笑問題の太田さんは、「テレビは社会の規範となるような高尚な立場にいるべきなのか、それとも、もっと低い立場にいるべきなのか、どっちですか!」と言いました。

私は、テレビは、もっと人間的なものになるべきだ、正しくは、立ち返るべきだと思います。

人間というのは、良いも悪いも、主体性を持って生きるもの。

高尚な立場に立ちたい人もいれば、低い目線でいいかげんに生きたい人もいる。善人もいれば悪人もいる。

でも、そこにあるのは、こう生きたいという主体性。こうしたいという主体性。そして、これを伝えたいという主体性。

主体性がないと、周囲に流される。自分がなくなる。

あれがいいと言えば、いいと言い、あれは悪いと言えば、悪いと言う。

今のテレビに主体性はあるでしょうか。

もしも、「テレビ」という人間がいたら、あなたは彼の友人になりたいでしょうか。彼の言うことを聞きたいでしょうか。

テレビはいつのまに、こんなにあてにならない友人になってしまったんでしょうか。

理由は・・・長くなりそうです。



さ、夜になりました。

札幌は今、赤と黄色に彩られて近所の公園もきれいです。

2007年の短い秋はまもなく終わり、冬を迎えます。

今夜は、嬉野先生と2人で、懐かしい方に会いに行ってまいります。

何年ぶりの再会でありましょうか。楽しみであります。

では行ってきます。また明日。



(19:29 藤村)

10月31日水曜日、藤村であります。

月曜日の夜、遠来から懐かしい人が札幌へやってきました。

カナダ、ユーコンのヨシ、熊谷さんであります。

相変わらず押しが強く、元気で明るい人でありました。

いろいろな話をしました。

ユーコンのほとり、ホワイトホースに住んで12年。

カナダの良いところ、いいかげんなところ、離れてみてわかる日本の良さ、悪さ、中でも興味深かったのが、カナダから見た北海道のこと。

北海道は人がいい。とても親切。

北海道に着いたらほっとした。景色も空気もカナダに似ている。美しい。

でも、決定的に違うところがある。

小さな町に若者がいない。みんな外へ出て行ってしまうんでしょうか。

ホワイトホースは人口2万の小さな町だけど若者が多い。いったん外へ出て行っても町に帰って来る。

なぜ帰って来るのか。

大学へ進学する若者に町は補助金を出す。外の大学で知識を得た学生がやがて就職時期を迎える。役場は町出身の学生の役場への就職を優遇する。

就職口があれば、若者は町に戻ってくる。補助をしてもらった恩義もある。町への愛情も強くなる。

役場に若者が増える。小さな町で役場のステイタスは絶大。役場の若い感覚が町を活性化する。

ホワイトホースの産業ってなんですか?役場以外に就職口はあんの?

観光だけ。町の方針はハッキリしてます。だから田舎なのにシャレたお店もたくさんあるんですよ。北海道にも多いですよね。小樽なんかにもたくさんありました。でも、北海道の町の人に、この町はなにをやってるんですかって聞くと、あんまりハッキリしない・・・。

日本の場合、それはほとんど個人レベルだから。小樽のおしゃれなバーも、郊外のファームレストランも個人レベル。すばらしい感性を持った人間による個人レベルの表現。

いつしか日本の役場は、ステイタスを失ってしまった。本来、町で一番知識を持ち、感性豊かな若者たちが役場に就職し、町の将来を設計すべきなのに、今の日本で公務員は、ムダ使い、非効率の元凶としか思われてない。田舎に帰って公務員になりたい若者なんて、悲しいかなほとんどいないんじゃないですか、給料も少ないし。

おかしいですね。

おかしいです。


でも、あの、あの旅はほんとにおもしろかったですね。

あはははは!

わたし、あんっなに笑った1週間なんて人生の中でないですもん。

あはははは!そう?

そうですよ。懐かしい・・・

熊谷さんは、日本に帰りたいとか、ないんですか?

ないです。だって、ユーコンにいるから、わたしの存在価値があるんですから。日本の中でできることはわからないけど、ユーコンでなら、わたしにできることがある。

迷いがないねぇ。

またユーコンにいらしてくださいよ。

そうだね。

ほんっと、サイッコーにいいですから!

そうだねぇ。

ほんとですよ!サイッコーですから!

うーん、相変わらず押しが強いねぇ。


あの大自然に囲まれたユーコン

蚊だけはたっぷりいるユーコン

時間もたっぷりあるユーコン

それ以外、なにもないユーコン

・・・まぁ、行かないこともないと思います。

そのうち行くこともあるかもしれません。

可能性はゼロじゃないです。

と、いうことを言っておきますよ。

ミスター。




(15:48 藤村)

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