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2008年7月7日(月)

嬉野でございます。

さてさて、ここの日記を更新するのも久しぶりでございます。
ドラマ「歓喜の歌」の撮影も上首尾に終わり、今週から監督は編集であります。

手ごたえ充分と申しておりましたから、
今から完成が楽しみであります。

HTB開局40周年記念ドラマ「歓喜の歌」。

放送は9月7日(日)午後2時からであります。

テレビ朝日をキーステーションに全国放送でございますので、皆様のお家でもご覧になれますな。

なにとぞ皆様、その日ばかりはテレビの前で休日をお過ごしくださいまして、視聴率アップに御協力くださいますよう(笑)。

さて、わたくし本日を持ちまして、またひとつ年をとりました。
もう49歳でございます。

どうでしょうと共に12年。
ですが、あの頃がずいぶん昔のような気がひとつもしないのは、なぜでございましょうか。
いつまでたっても、始まったのは、つい昨日のような気がいたしますばかり。

チーム40も今年まで。
来年からは50の坂を下り始めて、愛はまぼろし。
てなもんでございましょうか。

いずれにしたところで私の人生もあと10年。
それもまた、短いような長いようなでございます。

じゃ、またあした。

諸氏のお気遣い、ありがたく思います。
今後ともよろしくであります。

嬉野雅道






(14:47 嬉野)

7月8日火曜日。

こちらの日記に戻ってまいりました、藤村でございます。

ドラマ「歓喜の歌」の撮影が終わって一週間が経ち、ようやく少し落ち着いたところでございます。

撮影直後は、「一日置いたビーフジャーキーみたい」と揶揄されるほどの干からびようで、実際体重も減りましてですね、さらに家へ帰ってからも寝付きが悪くて目を閉じれば撮影現場が脳裏に浮かび、思わず「本番!よーい!はいぃッ」なんて枕元で口走る始末。

撮影中もですね、4日目ぐらいでしたか、朝起きたら突然左足のふくらはぎがつりましてですね、早朝のベッドでひとりのた打ち回るということもございました。

足がつる、なんてことは学生時代にもなかったことです。

その2日後には右足もつりましてね、四十三のおっさんの足がバレリーナのごとくピーンと伸びきりまして、男藤村パンツ一丁、伸び放題の足をひーひー言いながらさすっておりましたよ。

現場は実に楽しく和やかに進行しておりましたが、やはり初の本格的カントク業、2週間近い撮影期間で、精魂使い果たしておったのでありますなぁ。

しかし、それほどまでに、そこまでのめり込んでしまうほどに、この「歓喜の歌」という作品は面白かったんです。

立川志の輔さんの傑作落語を、チョン・ウィシンという脚本家が台本にした。

その台本は、実に「含みがある」というか、読み方によって幾通りもの演出が可能だったのであります。

例えば。

「これ、ダンナが作った健康ジュース。はっきり言ってまずいわよ」

田中裕子さんからそう言われて渡された青汁を大泉さん演ずる主任が飲む、というシーンがあります。

台本には、「いただきます」と言って飲む、とだけ書いてあります。

どんな顔をして、いつ飲むのか、書いてない。

田中さんのセリフは、実にしんみりとした、いいセリフが続きます。

台本を読む限り、泣けるシーンです。

でも、どっかのタイミングで、まずい青汁を主任が飲む。

きっと、「まずい」という顔をするでしょう。

これ、タイミングを間違えば、いいセリフを殺してしまう。

普通に考えれば、まず青汁を飲んで「まずい」という顔をし、お互い顔を見合わせて笑い合って、しんみりした話に入っていく・・・というパターン。

でも、単純に「笑い」の後に「しんみり」したくはなかった。もっと何か違う演出はないだろうかと考えた。で、大泉さんと話しをして、飲むタイミングを決めました。

さらにどうだ?いっそのこと1回ではなく、2回飲んで「笑い」の部分をもう少しねばってみようかと。

結果、ただしんみりするだけではなく、おもしろカナシイような、私の好きなシーンになりました。


全編通して、チョンさんの描く話は、ただ悲しい、ただ泣ける、という終わり方はしていない。必ずどこかに「おかしさ」を隠している。

それを嗅ぎ取って、演技に盛り込んでいくのがカントクと役者の作業であり、それが実に楽しかった。

ドラマ「歓喜の歌」。

映画とも落語とも違う、泣いて笑って、ほっとする、もうひとつのお母さんたちの物語が、ちゃんと出来上がったと思います。

さぁ、今週から編集です。

実に、実に!楽しみでありますよ。

(16:56 藤村)

2008年7月11日(金)

嬉野です。

今日、札幌は久々にまとまった雨が降りました。

そう言えば、ドラマの撮影が全て終わった翌日から天候が下り始めて本日に至るわけですが、それを思えば実に天候に味方されたチームだったと思いますね。

初日、ロケ地の小樽に移動した日だけ、かなり雨が降りまして、
それ以降はまったく降らず、晴れっぱなし。
だから撮影には支障なし。

珍しい組ですよ。

さて、本日から監督も編集室に入り(今回はドラマの編集に慣れた外部の編集者との作業です)順調に繋いでいるようです。
さっきメール来ました。

みなさまは、如何お過ごしですか。

では、本日はこれまで。

またね。


(18:47 嬉野)

2008年7月17日(木)

嬉野であります。

むかし、ネコを飼っていました。

「だからどーした!」

とまぁ言われればね奥さん、
そらぁそれまでの話ですがね、

しかしながらね奥さんね、

さすがにこのタイミングでそんな突っ込んだことを私に言ってくる人は居ないというかね、私の耳には届かないということでね、
かまやしねぇなとばかりにですね、
わたしゃ、どんどんと書いていけるわけですよ。

まったくね奥さん。
双方向性じゃないということはすばらしいね。

ということで、
ネコの話を続けますよ。

飼ってたんですよ、ネコをね。

飼っていたというか、居ついていたというのかね。
まぁ一緒に寝起きしていたんです。

あれは結婚するずっと前のことでした。

東京でひとり暮らしをしていた頃でね、
22歳くらいでしたよ私は。
いやぁ若い。

ある晩のことね、
部屋に居るとずいぶん近くでネコが鳴くのです。

ニャーと。

その鳴き声があまりにも近くてね、
まず驚いたの。

東京という街は、その頃、野良猫がいっぱい往来で生活していたからね、ネコの鳴き声なんてぇものは日常茶飯のことだったから、鳴き声じたいはさぁ、聞こえてきたところでね、何の問題も無かったのですけれどね、

鳴き声があなた、近すぎる気がしたわけですよ。

ホラーめいていたわけ、ニャーの音量が。

どこで鳴いてるんだよ!

みたいなね、ことですよ。

したらまた鳴いたの、
その大音量で、
ネコが。

その時、数人着ていた友人の一人が言ったね。

「廊下で鳴いてるんじゃねぇか」と。

その時、ぼくが住んでいたのは木造モルタル二階建てのアパートでね、風呂無し、トイレ共同、みたいなところでしたよ。

アパートは、商店街に近い、わりとにぎやかな通り沿いに建ってましてね。

通りに面してむき出しにあるコンクリの階段を上がると狭い廊下にそのままつながって、突き当たりに共同トイレがありました。

二階には部屋が三つあってね、ぼくの部屋は、階段を上がってすぐのところにある角部屋だったですね。

往来から、階段を上がってすぐがオレの部屋。
確かに迷いネコが来やすい場所だったかもしれない。

ドアを開けたらね、
すぐ足元に居ました、鳴き声の主が。

ちょこんと座ってぼくを見上げてました。

そうしてそいつはなんの躊躇もなく、ぼくの足元をすり抜けて部屋の中へ入ってきたわけです。

ネコなんか飼ったことなかったからね、とりあえず何か食わすかということでね、スルメを食わしたわけですよ。
ネコはずいぶんガツガツ食ってましたが、やがて、身悶えたようにひっくり返りヒクヒクしだしたんでありますよ。

居合わせた友人たちは全員、これは病気のネコだったに違いない、そいつがこれからいよいよ死ぬのだ、だからこの部屋を死に場所に選んでドアを開けろと鳴いたに違いない、ネコの死に目に立ち会うようなそんな不吉なことには巻き込まれたくない、ということでね、どんどん帰っていくわけですよ。

残ったのは、ぼくとネコだけでね。
ぼくは痙攣するネコを見守りながら、死ぬならおめぇ、なるたけ早く楽に死ぬほうが好いよと覚悟を決めて見守っておりましたらね、そのうちケロッとして、むっくり起き上がると、普通に部屋の隅までトトトと歩くとまた戻って来て、あぐらかいて座っていたぼくの膝に乗るなり丸くなって寝始めたのでした。

そういういきさつで、そのネコは、ぼくの部屋に住み始め、ネコにスルメは好くないよという話は、それからもっとずっと後に聞きました。

そいつはね奥さん。
呼ぶと走って来るネコでしたよ。
風変わりなの。

公園で遊ばせといても、呼べば、ぼくのところへ一目散に走り寄ってくるネコでした。

実に可愛い。
あっという間に情が湧きましたね。

寝る時には、横になっているぼくの胸の上に勝手に上がって来て、そこで丸くなって寝るのでした。

すっかりやられてしまいました。

ぼくが夕方、バイトから帰って来ると、通りのどこにいたのか、
もの凄い勢いでぼくの前を疾走する影がある。

そうしてアパートの階段をそのまま駆け上がると、ぼくが階段を昇り終えるのを待ち構えるようにちょこんと座っているのです。

そうやって晩飯の催促をするの。

そんな風に暮らすうちに、そのネコの持つどっか呑気な性格とぼくは相性が合ったようで、ぼくは、そいつに「若だんな」とい名前をつけて、昼間は表で遊ばして、夕方になると何処からともなく走り寄ってきて一緒に部屋へ入り、そのまま一緒に寝起きするという、実に幸せな暮らぶりをしていたわけでありますよ。

ところがね、
ある日のことです。

いつものようにバイトから戻っても、ぼくの姿を待って勢いよく階段を駆け上がる影がなかったのです。

しばらく呼んだけど応える声がない。

結局その晩、とうとう帰って来ない。

ノラ猫を飼ったことのある人には経験あることだと思います。
あんなに仲良く暮らしていたのに、ある日を境にそのままふっつりネコが姿を現さなくなるという日がくるのです。

そういう時に限って夜に雨が降り出すのです。
本降りの雨が降る。
ざぁざぁという雨音を立てて。

何処かで濡れてるんだろうとかと、同居人は俄かに心配になる。

どうにかしてあいつの足音がしはしまいかと、耳をそばだてるけれど、そのまま何の音沙汰もなく、結局、朝になってもネコは帰らず、翌日も帰らず。

こっちもね、心配ですっかり気落ちして、あんまり、めしも喉を通らず、ため息ばかりをついている。

寝ても醒めても居なくなったネコのことばかり思い出して、
もしかすると今夜こそ帰ってくるかと遅くまで起きていたりしている。

それから三週間くらい経ったある日、友人が「若だんなを見た」と言うのです。

その町は少しばかり遠くの町でした。
そうして言うのです。

「あいつ、二階家を見上げていたよ」と。

長雨が続き帰り道が分からなくなったのかと思いました。
でも、またすぐに、こうも思いました。

うちが二階家だからといって、うちを探しているわけでもないのかもしれない。だってあいつは迷い込んで来た時、すでに首に鈴を着けていたから。
どこかで可愛がられて飼われていたネコだったはず。

その、もとの初めの飼い主の家が、二階家だったのかも知れない。

そこを何かの弾みでおん出てしまったあいつは、
爾来、その二階家を捜し求めて、いろんな二階家の住人のもとを渡り歩いているのかも知れない、と。

そう思って諦めることにしました。

辛い別れでしたよ奥さん。

二人はてっきり分かり合えていたと思っていたからね。

ぼくのもとから去って行った理由が知りたかったね。

それから一年ほどして、
また誰かが、ぼくの部屋にネコを持ち込みました。

そいつは仔猫でね。
公園に連れて行くと草や花を熱心に見つめるのでね、植物学者の牧野富太郎先生のお名前を頂戴して、「富太郎」と名づけました。

富太郎は器量良しでね、写真を撮らせて欲しいとかいう人が出たり、公園でも若い女の子に可愛がられたりしてましたね。

そいつも半野良で飼っていたんですが、
ある晩、うちのアパートの下の歩道で遅くまで遊んでいました。
首に着けていた鈴が、富太郎が走り回るたびに揺れてチリンチリン鳴っていました。

もう夏も終わり、東京は11月になっていました。

夜遊びをする陽気でもないから早く戻って来ればいいのにと部屋で書き物をしていました。
たまに窓を開けて様子を見ると、近所のスナックのおねぇさんに何やら餌をもらっている様子でした。

「ばるほど、あれだけきれいどころに熱烈なる饗応を受けているのであれば、男子としてはなかなか帰る気にもならないだろう」

と、妙に納得して窓を閉めました。

それからどれくらい時間が経ったのか。

不意に気づくと鈴の音がしなくなっているのです。

富太郎もまた、行くへ知れずになってしまったのかと思ってぼくは階段を下りて外へ出ました。

いつの間にか、スナックのおねぇさんたちの姿もなくなっていました。

ひょっとしたら、おねぇさんが連れて行ったのかなとも思いましたが、すぐそれは違うということが分かりました。

富太郎は、歩道から少し離れた車道の上にいました。

横になって、体から血の流れた跡がありました。
血の跡は夜の明かりに照らされて、アスファルトの道の上で黒い墨のように光っていました。

触ると、もう体は冷たく、死後硬直が始まっているようでした。

そのまま富太郎のそばにしゃがみ込むと、11月の木枯らしが地を這って吹いているのが分かりました。

猫たちの世界には、もう冬が近づいていたのかと、その時始めて気づきました。

富太郎の体を拾い上げようとした時、
ぼくは妙な光景を見ました。

富太郎の体から、隊列を組んで車道に降りてくる一列縦隊の小さな影があったのです。

それはノミの隊列でした。

ノミの列が、死んだ富太郎の体から、規則正しく行進をしながら車道へ降りてくるのです。

そのままノミたちは、隊列を崩すことなく、11月の木枯らしの中、次の宿を求めるように夜の闇へと消えていくのでした。

後にも先にも、そんな光景を見たのは初めてのことでした。

ぼくは、硬く冷たくなった富太郎の小さな体を抱えて立ち上がりました。

車のヘッドライトがぼくを照らすと、車道にたたずむ非常識な男に罵声を浴びせながら走り去っていきました。

なんだか、ネコのことを思い出したので、
だらだら書いてしましましたが、許しなさいよ奥さん。

じゃ、また。

解散!















(20:47 嬉野)

2008年7月22日(火)

嬉野であります。

今週の土曜日ですか、7月26日にですね、
水曜どうでしょう「オリジナル・オルゴール」が発売になりますよ奥さん。

別に買ってくださいという話ではないですよ、何かと諸物価高騰の折ですから、家計も苦しいわけですよ、どのお宅も。
ただですね奥さん。
私も行きがかりじょう、あのオルゴールとは係わりが無いわけではないのでね、書いてますよ。

私とこのオルゴールの間にどういう係わりがあるのか、

御存知の方は御存知でしょうし、
知らない人は知らない、
忘れた人は忘れてね、しまわれたでありましょうし、
言われても思い出さなかったり、思い出したり、ですよ。
はかないものでございますよ。

かいつまんで言いますとね奥さん。

このオルゴールにはマスコットフィギアが二体入っております。

つまりタコ星人のミスタさんと校長の洋さんがフィギアになってオルゴールのメロディーに合わせてくるくる回る仕掛けですよ。

手が込んでます。
石坂店長こだわりのオルゴールですよ。

で、そのこだわりのオルゴールの箱をパカッと開けますとね、
これも石坂店長こだわったところの、二体のマスコットフィギアが、うやうやしく新聞紙にくるまれて入っているわけです。
そばには、くしゃくしゃっと丸められて、クッション代わりにされてる新聞紙も見えますよ。

この、「新聞紙でこだわりのマスコットをくるむ」とか、「新聞紙を丸めてクッション代わりにする」という雰囲気も石坂店長のこだわりだったわけでね、わたしゃ、ここでこのオルゴール制作と係わるはめになったわけですよ奥さん。

話し、よく見えないでしょ。

あれですよ奥さん。
私がこだわりの新聞紙でこだわりのマスコットフィギアをくるんだ係りでした、とか、そういうことじゃないですよ。
間違えちゃだめですよ。

こだわりのくるみ方とか、そういう発想は一切ないですから。

とにかく奥さんねぇ。
店長はねぇ、こだわりのかたまりのような男なんですよ。
つまりねぇ、こだわった仕掛けのオルゴールを作って、くるくる回るマスコットフィギアにもこだわった挙句ですよ、そのフィギアをくるむ新聞紙にもこだわったらしいですよ。

この新聞紙もオリジナルなものにしなければいけない。
そうだ、どうでしょう新聞でくるもう!
そうだ!それがいいぞ!
そうすればタコ星人現る!とか見出しに踊って盛り上がるじゃないか!
じゃ誰が記事を書くんだ?
そうだ!嬉野のおっさんに頼めば好いや!
みたいなことなんですよ。多分。

最初、私、言ったんですよ彼に。
その話をされた時ね。

「やだ」って。

したら奥さんもうね、ごり押しですよ。

それでね、私も根負けしてね、書くことにしましたよ。
で、改めて聞いたんですよ、

「何文字書けばいいの?」って。店長に。

したら店長が言うんですよ。

「いっぱい」って。

私は驚きましたよ。

「いっぱいってなんだよ」
「へっ」
「大人がそんな頼み方しないだろう普通よう」
「いや、多いほど好いんですよ。字数制限なしです」
「やだよ、はっきり数字にしてくれよ、字数制限してくれよ。こっちだってもう帰りたいんだからさ。」
「いや、適当にいっぱい書いてくれれば好いんですよ」
「レイアウトしたんでしょ」
「しました」
「だったら数えれば分かるでしょ、何文字書けばはまるか」
「はい」
「じゃ、数えてよ」
「数えます」

「数えました」
「お。で?何文字だったの?」
「8千文字です」
「はっ…せん…」
「8千文字です」
「まじで」
「まじです」
「そんなべらぼうな文字数ないだろう!新聞だろ!」
「新聞です」
「一冊作る気か」
「いえ見開き一枚です」
「どんなレイアウトしたんだよ!」
「これです」
「なんだよこれ!明治時代の新聞じゃあるまいし、写真とかまるで入らないのかよ!」
「あぁ、写真」
「おかしいだろう!写真も入らないで字ばっかりで、それこそ新文ぽくないだろう!」
「そうかなぁ」
「そうかなぁじゃないよ!新聞広告とかあるでしょ普通!今時文字しか並んでない新聞なんて見たこと無いよ!何こんな夜更けに8千文字とか依頼してんのよ!あんた!」

「多いですか」
「多いに決まってるだろ!べらぼうだよ!」

まぁそんなこんなのやり取りがあってね、でも結局、またゴリ押しされてね、押し問答してる時間すら惜しくなってきてね、とりあえず書かないと帰れないと思いましたのでね、書きましたよ。

その時の憤りをそのままに、書いてやりましたよ私は!

そんな係わり方をね、したわけですよ、私は。
このオルゴールとね。

でね、そのオルゴールがこの度目出度く完成しましてね。

だけど完成したって、私には感慨もなにもないですよ。
ただね、どんな風にくるまれているのかしらんと、
新聞紙の出来が気になりましたのでね
フタを開けてみましたよ。

したら奥さん、
いきなりくしゃくしゃに丸められた新聞紙が見えましてね、

「あぁこれか」と。私は思ってため息をつきましたね。

このくしゃくしゃと丸められるために、おれはあの晩残業になったのかとね、思いましたらね、別の意味で感慨もひとしおでしたよ。

でね、くしゃくしゃした新聞紙を、こう手でほぐしてね、
読もうとしたんですけどね、もうね、悲しいかなどっから読んでいいのかわからないようなレイアウトになっていてね、もうね、更にがっかりですよ。誰も読まねぇよ。こんなもん。

とね、悲しんだわけですよ奥さん。

よく分かんなかったでしょ。話の中身がね。

買っていただくとよく分かるんですよ。

ね。

買ってください。
ね。

じゃ、また明日。

オルゴールの発売は今週の土曜日。

ね。

解散!




(13:48 嬉野)

7月23日水曜日。藤村でございます。

ずいぶん留守にしておりました。

この間、東京と札幌でドラマ「歓喜の歌」の編集作業に立ち会っておりました。

あらためて思いますが、ドラマというのは奥が深い。

出来上がるまでには、幾多の過程と、幾多の人々が関わっている。

立川志の輔師匠の頭の中で、落語として生み出された「歓喜の歌」という物語。

それを、脚本家がドラマに書き起こした。

書き起こされた段階で、それは志の輔師匠の口で語られるイメージの世界ではなく、「現実のもの」「映像に映されるもの」となる。

登場人物の住む「家」、「職場」、彼らが歩く「道の一本」に至るまで、落語ではサラリと語られる部分でも、「現実のもの」としてカタチにしなければならない。

探すわけです。

ロケハンと称して、現実の町の中から、この物語に合う家、職場、道、景色を探し出すわけです。

なかなか見つからない。ようやく見つける。その繰り返し。

そうやって、すべての舞台を探し出す。

そして、そこに「人」が入る。

役者さんです。

役者さんが入って、動いて、はじめて物語が始まる。

始まったら、今度は、それをカメラで撮る。

ありのままを撮る・・・だけではなく、シーンに合わせた効果的な照明があり、シーンによって工夫された録音技術があり、効果的なカメラワークがある。

撮り終わったら、編集。

編集によって、バラバラに撮られていたシーンをつなぎあわせる。

つなぎ方によっても、物語の印象はずいぶん変わる。

シーンをつないだら、そこに音楽を付ける。

音楽もこの物語に合わせて、新たに作曲される。

音楽によって、物語の印象はまたガラリと変わる。

効果音も付ける。

足音、ドアの閉まる音、車の走る音、町の雑踏・・・

これら効果音が付けられてはじめて、町の空気をまとった現実味を帯びた物語となる。


志の輔師匠の頭の中にあった物語が、幾多の過程を経て、ドラマというカタチになる。

「ゼロ」から作る、作り出す。

そこには、何人もの人の力が加わる。

手間も時間も人手もかかる。

ドラマとはそういうものだ。

それがよくわかった。

そして、この「ゼロから作り出す尊さ」は、なにものにも変え難いものだと、わたくし、実感したのであります。


現在、編集作業が終わり、東京で音楽の制作中であります。

そして来週、出来上がった音楽と効果音を付けて、ドラマ「歓喜の歌」が完成であります。


(16:18 藤村)

7月24日(木)

嬉野です。

昨日の夜の地震で、ニュースが入りましてね、どうでしょうクラシックも放送が飛んだようなことになってしまいましたのでね、来週改めて再放送させていただいた上で、順次放送を進めさていただこうと思っておりますが、よろしいですか。
よろしいですね。
では、どうぞよろしく。

取り急ぎ御報告まで。



7月23日水曜日。藤村でございます。

ずいぶん留守にしておりました。

この間、東京と札幌でドラマ「歓喜の歌」の編集作業に立ち会っておりました。

あらためて思いますが、ドラマというのは奥が深い。

出来上がるまでには、幾多の過程と、幾多の人々が関わっている。

立川志の輔師匠の頭の中で、落語として生み出された「歓喜の歌」という物語。

それを、脚本家がドラマに書き起こした。

書き起こされた段階で、それは志の輔師匠の口で語られるイメージの世界ではなく、「現実のもの」「映像に映されるもの」となる。

登場人物の住む「家」、「職場」、彼らが歩く「道の一本」に至るまで、落語ではサラリと語られる部分でも、「現実のもの」としてカタチにしなければならない。

探すわけです。

ロケハンと称して、現実の町の中から、この物語に合う家、職場、道、景色を探し出すわけです。

なかなか見つからない。ようやく見つける。その繰り返し。

そうやって、すべての舞台を探し出す。

そして、そこに「人」が入る。

役者さんです。

役者さんが入って、動いて、はじめて物語が始まる。

始まったら、今度は、それをカメラで撮る。

ありのままを撮る・・・だけではなく、シーンに合わせた効果的な照明があり、シーンによって工夫された録音技術があり、効果的なカメラワークがある。

撮り終わったら、編集。

編集によって、バラバラに撮られていたシーンをつなぎあわせる。

つなぎ方によっても、物語の印象はずいぶん変わる。

シーンをつないだら、そこに音楽を付ける。

音楽もこの物語に合わせて、新たに作曲される。

音楽によって、物語の印象はまたガラリと変わる。

効果音も付ける。

足音、ドアの閉まる音、車の走る音、町の雑踏・・・

これら効果音が付けられてはじめて、町の空気をまとった現実味を帯びた物語となる。


志の輔師匠の頭の中にあった物語が、幾多の過程を経て、ドラマというカタチになる。

「ゼロ」から作る、作り出す。

そこには、何人もの人の力が加わる。

手間も時間も人手もかかる。

ドラマとはそういうものだ。

それがよくわかった。

そして、この「ゼロから作り出す尊さ」は、なにものにも変え難いものだと、わたくし、実感したのであります。


現在、編集作業が終わり、東京で音楽の制作中であります。

そして来週、出来上がった音楽と効果音を付けて、ドラマ「歓喜の歌」が完成であります。


(16:02 藤村)

7月25日(金)

嬉野です。

このところ札幌は蒸しますよ。

なんてなことを書きますと、道外の皆様に怒られそうですが、
なにしろ蒸すといってもね、札幌は気温26度なもんで。

つまり、道外出身者の私としては、
ほどよく夏を感じているわけです。

日差しの中を歩くと暑くて汗かくけれど、日陰に入れば気持ち好い風が吹くし、夜になれば涼しくなる。

「あぁ、40年くらい前の子供時代の夏って、九州だってこんな感じの暑さだったよなぁ」ってなね、ことでして。

懐かしく子供時分の夏を、北の大地で思い出しておる余裕のある今日この頃。

みなさんのところは猛暑でしょうに。
すんませんね。

でまぁ、先日のことですがね、
うちの奥さんと札幌の老舗デパートへ行きましてね、
そこのレストランで昼飯を食べました、二人でね。

嬉野さんの子供時分なんてなぁねぇ奥さんさぁ、デパートのレストランで家族が食事をするというのは晴れの日のことでね、
いや、お天気の話じゃないのよ。
ほれ、晴れ着とか言うじゃないのよ。
あの晴れ。

特別な日って感じ。

あんまりないことだったのよ外で食事することなんて。
お父さんたちにお金なかったからね。
お金が無い時は今だって家でご飯作るほうがなんぼ安いか、
ねぇ奥さん。

だからそんなめったに出かけないところへ行く時はさぁ、
特別の日だからね、子供らは「よそ行きの服」というものに着替えさせられたものでしたよ。

晴れ着に対する普段着という言い方も、
いつの間にか無いものね。

しかしまぁ、あの時代から40年も経てばね、すっかり様子もかわるのでね、老舗デパートのレストランもふつうにラフなレストランだったね。あたりまえだけど。

なんでそんなとこで夫婦してお昼ご飯を食べたかというと、そのデパートの金券を誰からか三千円分いただいたからでして。

で、夫婦で豪遊!ということでね、行きました。

その帰りのことです。

エスカレータで一階上の催事場へ行きましてね、
そしたら世界のお菓子見本市みたいなものが実にコンパクトに催されておりましたね。
家の奥さんはそこを覗きたかったらしくてね、
私も並んでエスカレータに乗りましたよ。

で、その催事場を二人で歩いていた時にね、
私のこの目に擦り寄ってくる景色があったのよ。

それを不意に見て、私の体中の細胞がホッとしてる気がしたの。
そのホッとしてるの程度が半端じゃなく、もの凄くてね、
ずいぶん長い間こんなにホッとしたことはないというか、
ずいぶん長い間このホッとした感を感じることが出来なくて、なんだか喉の奥に小骨が刺さったままのような薄いストレスを感じていたのだなぁオレは、ということまで思ってしまうほどで。

その原因はこれだったのかと意外に思うほどだったのよねぇ。

いや、でまぁ、私が何を見たかというと、
盆提灯でしてね。

お盆にほら、仏間とかにあった盆提灯。

あれ?

拍子抜けしました?
「なんだよぉ」みたいなあれですか?
「なにそれ?」みたいなかい?
盆提灯自体を知らない人が大勢居る、みたいなあれかしら。

でも私はそのフロアの隅に地味に飾られているお盆の提灯の群れを久々に見てね、もの凄く心がリラックスしていくのが分かったのですよ、その時。

嘘でなく。

久しぶりにまったく忘れていたチャンネルに繋がった気がした。

そこから自分の中で処理できなかったものが流れ出て行った。
そしてホッとした。
そんな安心感の気持ち好さ。

そうだ、そういえばこんなチャンネルがあった。
忘れてた。
なんで忘れてたんだろう。

みたいな。

見た瞬間は、分からなかった。
嬉野さんの実家はお寺だから、お盆になったらお盆の準備をしていたから、そういう郷愁、懐かしさを盆提灯を見て瞬間的に感じたんだろうなと、その時は思った。

でも、それだけではないとどうしても思えた。

60年前の戦争で、人がたくさん死んだ。
そういう記憶が、日本の社会にはずっとあって、
その戦争が終わったのが8月15日で、
それは、たまたまお盆の最後の日でもあった。
暑い夏の日だった。

お盆というのは、死んだ人が帰って来る日。
自分たちの成り立ちの元になっている、
御先祖様という昔生きていた人たちが帰って来る日。

あの世から、人ならぬ者たちが戻ってくる日。
一年に一度、この世とは違うもうひとつの世界と繋がる日。

盛夏という、一番生命が躍動する季節に、死の世界とこの世がつながるのだというドラマチックな舞台装置。

その象徴が、亡者の道しるべとして、お盆の闇を照らす盆提灯。

そんな物語へ現実の自分が通じていく、あの世への入り口。

それ、それ。

「あの世の入り口を見た」。

多分、私はそう思ったのだと思います、奥さん。

久しぶりに盆提灯を見た懐かしさなどではなく、
私は、久しぶりにあの世の入り口を見たのです。

ここに入り口があったんじゃないか!

自分は、それを実感したと思うのですよ、あの瞬間。

ここから、あの世へ分け入って行ける。
行けるじゃないか。

そう思って、私はホッとしたのではないか。
今はそう思うのです。

いや、別に奥さんね、あの世というのはさぁ、
死んだ人の世界とかいうそんなホラーめいて怖そうなところではなくてね、この世とは価値観のまったく違う、もうひとつの世界が、本当はあるのだと認識することだというね、ことを言っておるんですよ。私はさ。

ほら、奥さんが毎日覗かれる鏡ね。

あの鏡を覗くとさぁ、覗くたんびに綺麗な御婦人が鏡の中に毎回見えると思うんですけどね、その方の後ろにね、左右が反転したもうひとつの世界がありますでしょう。

あれって、見るうちにもうひとつの世界がその中に広がっているようだって子供の頃に思いませんでした?

じっと見てるうちに、なんだか水に飛び込むようにその鏡の中の世界へ分け入っていけるのではないかしらん、てなことをね、思いませんでした?子供の頃に。

奥さんさぁ。

今、「さぁ」とか言いました?

いや、ここでね、
「そーです!思いました!」というね、
力強いお返事が欲しいんですよね。

お感じになりませんでしたか?奥さん!鏡の中に!
確かなイメージの広がりを!

…。

ま、感じたことにしてください。
先に進めませんからね。

そういうことでね、ここにとどまらず、別の世界へイメージを広げていけてしまう能力が、実は人間にはあって、この世で虜になったように暮らす者でも、そうやってイメージを広げながら、人は自分の中で鬱積していくこの世で背負わされた重荷を解放する場所を得て生きていた。

わたしゃそう思うんですよ。

けど、鏡に映った世界は、たんなるこの世の照り返しですよと、誰かに教えられてしまった瞬間からね、もうひとつの世界へとぼくらを解放してくれるはずのイメージの力も嘘のように力を失い、ぼくらはまた閉ざされた世界の囚われ人のようなね、ことになる。そんな気がするのです。

「…」

いや。ぼくはね。
するのよ奥さん。

奥さんはしなくても好いの。

好いの好いの。

だから、水木しげる先生の妖怪の世界も、怪談話も、お盆という日本中を巻き込んでいた壮大なイメージの舞台装置も、迷信も、宗教も、地獄も極楽も、狐や狸の化かし合いも、たどっていくと、みんなどこかで繋がっているような、巧妙な仕組みを千年以上の時間を掛けてぼくらが豊かに生きるために、日本人がこつこつと作ってきた、ぼくらのための生命維持装置だったような気がするですよ。

なんとなくね。
思い付きですけどね。

でも、とにかく、これみんな、昔の日本の人は信じていた。
それは、事実ですからね。

みんなが代々伝えられたルールとして無視できないでいた、そういう時代がほんの数十年前まで脈々とあったというこの事実。

そのことは事実なのよ。

そうして、壮大な時間を掛けてこつこつ形作ってきたルールをみんなして把握してた。否定しにくいものとしてね。

で、これをずっぽし、全部、壊しちゃいましたね。
今やね。

だからまた、イメージを解き放つために、あの世へ繋がるルールが欲しければね、
もう一度、一から、構築していかなきゃならないんだなぁと、
思いましたよ奥さん。

あぁ、いらなきゃ好いんですけどね。
すんませんね。ぼくは、いるような気がねするからね。

ま、人それぞれ、ね。
ありますから。

ね、足並みをそろえるのも大変な時代なわけですよ(笑)。

でもルールというのは足並みが揃わないとね、これはなかなか出来にくいね。

ささ、ということでね、本日はこれにて終了!
また来週!

解散!




















(15:18 嬉野)

いやおい、長げぇなぁ。

なにがって、う先生の日記ですよ。

今さっき読みましてね、「おい長げぇよ」とまず思いましたよ。

そして「すごいなぁこれは」と思いましたよ。

なにがすごいって、これほどまでに躍動する、と言いますか、話が飛躍する展開はないですよ。

いいですか。


>7月25日(金)。嬉野です。

>このところ札幌は蒸しますよ。

まずは天気の話ですよ。このところ札幌は暑いと。

>「あぁ、40年くらい前の子供時代の夏って、九州だってこんな感じの暑さだったよなぁ」・・・

先生、このところの暑さから昔を思い出したんですね。

>でまぁ、先日のことですがね、

ハイもう終わりですね。暑さの話は終わり。夏の思い出を語るわけじゃなかったですね。

>うちの奥さんと札幌の老舗デパートへ行きましてね、そこのレストランで昼飯を食べました。

メシの話ですよ。

>嬉野さんの子供時分なんてなぁねぇ奥さんさぁ、デパートのレストランで家族が食事をするというのは晴れの日のことでね、いや、お天気の話じゃないのよ。

わかってますよ。んなこと。

>ほれ、晴れ着とか言うじゃないのよ。あの晴れ。

わかってますって。いいからメシの話しなさいよ。デパートのレストランで?何があったのさ。

>なんでそんなとこで夫婦してお昼ご飯を食べたかというと、そのデパートの金券を三千円分いただいたからでして。

あーそう。よかったじゃないの。

>で、夫婦で豪遊!ということでね、行きました。

おー。それで?

>その帰りのことです。

なんだよ!レストランの話じゃねぇのかよ!

>エスカレータで一階上の催事場へ行きましてね、

レストラン終わりかよ!

>そしたら世界のお菓子見本市みたいなものが実にコンパクトに催されておりましたね。

菓子の話かい!世界の菓子の話かよ!

>で、その催事場を二人で歩いていた時にね、

おー。

>私のこの目に擦り寄ってくる景色があったのよ。

なんだよ。珍しい菓子でもあったのかい。

>それを不意に見て、私の体中の細胞がホッとしてる気がしたの。

なんだよオイ!あんたの細胞を揺さぶる菓子ってなんだよ!

>そのホッとしてる程度が半端じゃなく、もの凄くてね、

どんなスゲェ菓子なんだよ!

>ずいぶん長い間こんなにホッとしたことはないというか、

もったいぶんなって!早く教えろ!

>でまぁ、私が何を見たかというと、

おー!


>盆提灯でしてね。


あ?

かっ!菓子じゃねぇのかよ!

おめぇーさっき「世界の菓子見本市」に行ったって言っただろ!

チョコの話じゃねぇのかよ!チョーチンの話かよ!

>あれ?拍子抜けしました?

うるせぇー。拍子抜けじゃねぇよ。怒ってんだよ!

>私はそのフロアの隅に地味に飾られているお盆の提灯の群れを久々に見てね、もの凄く心がリラックスしていくのが分かったのですよ。

あーそうかい。

なんだ?結局あんたはレストランでもなく、世界の珍しい菓子でもなく、チョーチンの話がしたかったんだな。だったら早く言えよ!

>でも、それだけではないとどうしても思えた。

チョーチンでもないのかい!

>60年前の戦争で、人がたくさん死んだ。

せ・・・戦争の話か。

>お盆というのは、死んだ人が帰って来る日。

そーだな。

>あの世から、人ならぬ者たちが戻ってくる日。

ん?お化けの話か?

>その象徴が、亡者の道しるべとして、お盆の闇を照らす盆提灯。

おー!チョーチンの話だやっぱり。

>あの世への入り口。

>それ、それ。

>「あの世の入り口を見た」。

>多分、私はそう思ったのだと思います、奥さん。


・・・あ?


>久しぶりに盆提灯を見た懐かしさなどではなく、
>私は、久しぶりにあの世の入り口を見たのです。
>ここに入り口があったんじゃないか!

・・・デパートの催事場に?あの世の入口が?すごいこと言うなぁ。

>ここから、あの世へ分け入って行ける。

行ける・・・のか。

>行けるじゃないか。

いや行けねぇーだろ。

>いや、別に奥さんね、あの世というのはさぁ、死んだ人の世界とかそんなところではなくてね、

あ、違うのかい?

>この世とは価値観のまったく違う、もうひとつの世界が、本当はあるのだと認識することだというね、ことを言っておるんですよ。私はさ。

・・・?

>ほら、奥さんが毎日覗かれる鏡ね。

あー鏡?

>あの鏡を覗くとさぁ、覗くたんびに綺麗な御婦人が鏡の中に毎回見えると思うんですけどね、

余計なこと言わんでもいい。

>じっと見てるうちに、なんだか水に飛び込むようにその鏡の中の世界へ分け入っていけるのではないかしらん、てなことをね、思いませんでした?子供の頃に。

んー・・・まぁ・・・わからんでもないけど。

>いや、ここでね、
>「そーです!思いました!」というね、
>力強いお返事が欲しいんですよね。

いや、んなゴリ押しされても。

>お感じになりませんでしたか?

んー・・・そんなには感じないねぇ。

>奥さん!

奥さんじゃねぇし。

>鏡の中に!

いや・・・

>確かなイメージの広がりを!

いや!ねぇな。まったく無い。

>ま、感じたことにしてください。

いや感じてねぇんだって!

>先に進めませんからね。

強引だな。あんた。

>そういうことでね、ここにとどまらず別の世界へイメージを広げていけてしまう能力が実は人間にはあって、この世で虜になったように暮らす者でもそうやってイメージを広げながら人は自分の中で鬱積していくこの世で背負わされた重荷を解放する場所を得て生きていた。

・・・もうね、こうなると半分以上意味がわかりませんもんね。

いや、おれだって努力はしましたよ。「蒸し暑い」→「デパートのレストラン」→「世界の菓子」→「チョーチン」→「第二次大戦」→「お化け」→「鏡」と、躍動感あふれる話の展開になんとかついてきましたよ。

しかしやっぱり、強引なんですよ。

奥さん!そう思うでしょう!そういうことにしてください!そうでないと先に進めません!と。

この強引さが、論理を跳躍させる原動力なんですね。でなきゃ普通は破たんしますもの。

私はね、それがスゴイと思うんですよ。

人に何かを伝えるとき、まず「理屈が通っていること」「簡潔なこと」が必要であると、誰しもが思ってるわけです。

これは間違いじゃない。

しかしですね、理屈と簡潔さだけの文章など、実は人の心に伝わらない。

理屈も簡潔さも備えない、「どーですか奥さん!」「そーでしょう奥さん!」「ね、奥さんそーいうことで」という強引な話の展開にこそ、人は惹かれるものなのであります。

そういう意味で、私は、昨日の日記はスゴイ!と、心から思ったのであります。

結局、なにが言いたかったのかわからなかったにしても!です。


さ、ドラマ「歓喜の歌」。明日から音楽や効果音を付ける作業をし、いよいよ今週、完成の予定であります。

というわけで本日はここまで。

では。

藤村でした。





(16:31 藤村)

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