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朝までN天

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2011年12月6日(火)

どーも奥さん、嬉野です。

なんですか、
たいへんな御無沙汰をしておりましたが、
みなさま、お変わりありませんでしたでしょうか?

ねぇ、
あいすんません。

日記を書かないにもほどがあるだろうが!と、
今回ばかりは、奥ゆかしい奥様方も
歯噛みされておったかも知れませんが、

掲示板に怒号の書き込みが来るでなく、
相変わらずの奥ゆかしい書き込みばかりの賑わい。
ありがたいかぎりでございます。

ねぇ奥さん。

実はね、
今回、この札幌にね、

「ヨーロッパ企画」(京都の劇団ですよ)さんを丸ごとパックで向かい入れてね、市内某スタジオに1週間こもり、
毎日楽しげな撮影をしておったのでありますよ。

その撮影が本日、爆笑の内に終わりまして、

やっとのことで、
こうして会社にも立ち寄ることができまして、
このように久方ぶりの日記を書いておるのでございます。

まぁまぁ詳しいことは「おいおい」お話しするとして、
またしても素晴らしいものを皆様にお見せできることになったですよと、とりあえずの御報告をさせていただきましょう。

ということでね、

本日は、嬉野さん、これにて退散つかまつります。

明日からまた、各自の持ち場で奮闘してもらいますよ。

それでは、解散。


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(18:21 嬉野)

12月7日水曜日。1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。

昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。

「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。

我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。

「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。

「いやいや!そこ行く?」みたいな。

テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。

そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。

ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。

例えばね、こんな短編の芝居がありました。

放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。

バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。

もうひとつ、こんなのもあります。

テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。

いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。

それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。

芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。

出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。

放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!

早く笑ってほしいなと思っております。


【昨日のう日記】

2011年12月6日(火)

どーも奥さん、嬉野です。

なんですか、
たいへんな御無沙汰をしておりましたが、
みなさま、お変わりありませんでしたでしょうか?

ねぇ、
あいすんません。

日記を書かないにもほどがあるだろうが!と、
今回ばかりは、奥ゆかしい奥様方も
歯噛みされておったかも知れませんが、

掲示板に怒号の書き込みが来るでなく、
相変わらずの奥ゆかしい書き込みばかりの賑わい。
ありがたいかぎりでございます。

ねぇ奥さん。

実はね、
今回、この札幌にね、

「ヨーロッパ企画」(京都の劇団ですよ)さんを丸ごとパックで向かい入れてね、市内某スタジオに1週間こもり、
毎日楽しげな撮影をしておったのでありますよ。

その撮影が本日、爆笑の内に終わりまして、

やっとのことで、
こうして会社にも立ち寄ることができまして、
このように久方ぶりの日記を書いておるのでございます。

まぁまぁ詳しいことは「おいおい」お話しするとして、
またしても素晴らしいものを皆様にお見せできることになったですよと、とりあえずの御報告をさせていただきましょう。

ということでね、

本日は、嬉野さん、これにて退散つかまつります。

明日からまた、各自の持ち場で奮闘してもらいますよ。

それでは、解散。


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(15:08 藤村)

2011年12月8日(木)

嬉野です奥さん。

今日は朝晴れていてね、
気分が好いなぁと思ったら、
出掛けにいきなり吹雪いてきて、
あっという間に大荒れだなぁとびびっておりましたところ、
ウソのように今またスコブル好いお天気になってて、
斜めの陽が札幌の町並みに美しく差しておりますよ。

北国の西日は儚い光でキレイデス。
冬の日向には平和なニオイガシテマスネ。

みなさんのお住まいの辺りは、
本日はどのような感じでありましたろうか?

本日も各自の持ち場で奮闘願います。

解散



【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。

昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。

「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。

我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。

「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。

「いやいや!そこ行く?」みたいな。

テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。

そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。

ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。

例えばね、こんな短編の芝居がありました。

放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。

バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。

もうひとつ、こんなのもあります。

テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。

いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。

それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。

芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。

出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。

放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!

早く笑ってほしいなと思っております。


【昨日のう日記】

2011年12月6日(火)

どーも奥さん、嬉野です。

なんですか、
たいへんな御無沙汰をしておりましたが、
みなさま、お変わりありませんでしたでしょうか?

ねぇ、
あいすんません。

日記を書かないにもほどがあるだろうが!と、
今回ばかりは、奥ゆかしい奥様方も
歯噛みされておったかも知れませんが、

掲示板に怒号の書き込みが来るでなく、
相変わらずの奥ゆかしい書き込みばかりの賑わい。
ありがたいかぎりでございます。

ねぇ奥さん。

実はね、
今回、この札幌にね、

「ヨーロッパ企画」(京都の劇団ですよ)さんを丸ごとパックで向かい入れてね、市内某スタジオに1週間こもり、
毎日楽しげな撮影をしておったのでありますよ。

その撮影が本日、爆笑の内に終わりまして、

やっとのことで、
こうして会社にも立ち寄ることができまして、
このように久方ぶりの日記を書いておるのでございます。

まぁまぁ詳しいことは「おいおい」お話しするとして、
またしても素晴らしいものを皆様にお見せできることになったですよと、とりあえずの御報告をさせていただきましょう。

ということでね、

本日は、嬉野さん、これにて退散つかまつります。

明日からまた、各自の持ち場で奮闘してもらいますよ。

それでは、解散。


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(14:49 嬉野)

2011年12月9日(金)

嬉野です。

思うにね。
世間には気持ちの好い場所というものがあり。

いや、奥さんね、
気持ち好い場所と言ってもね、
マッサージしてもらえて気持ちが好いとこ、
とかっていう意味ではなくてよ、そうではなくして、

「あぁなんだろう、ここってなんだか、こうやって座っているだけで和むなぁ、なんだかホッとする、ホッとするってこんなに気持ちが好いのね、いやぁこのままいつまでもこうやって居たいなぁ、って、思っちゃうってなんだろう、うーむ、この感じ…」とかって思ってリラックスしてしまう場所という意味ですよ。

どっかのお寺の静かな座敷に座って、
縁越しに妙に趣のある枯山水の庭を眺めた時のような状況よ。

もちろん自分の部屋が一番気持ちが好いということもあるので、
まぁそれはそれで好いんだけど、

でも人間には、感受性というか、感応力というか、
周りからいろんなものを受け取って初めてリセットしてもらえる部分があるのでね、リセットしてもらいに出掛けてみるもんですよ。

つまり奥さんねぇ。
人間にはねぇ、この世界にある、いろんなものが放出しているだろうところの、きわめて微量な、目に見えない物質をね、受けとめ味わうことの出来る能力があると私は思っているのですよ。

あれよ奥さん、人を好きになるというところにもね、このような科学的根拠が実はあってね、彼の人が放出しているだろう極めて微細で微小で微量な、なにものかをね、思わず知らず受け止めてしまう鍵穴を持ってる人はね、彼の人から放出されている物質に、まんまと扉を開けられちゃってね、「いやぁ好いわぁ」となってしまうわけですよ。反対にね、違うカギ穴を持つ人は、開かないものだから「え?あの人?いや、私は別に…」みたいな反応にしかならないとかね、あると思うの。

いや、まぁ勿論、口から出まかせですよ。
あたり前じゃないですか。ねぇ。
私が、信憑性のあることなんか言うはずがない。

でもね、
人間ってこの世界にあるいろんなものを、
実際に受け止める機関が能力の中にあるから、
ひょっとしたら受け止め受け止めしながら生きてきたんじゃないですかと、ある日、怪しんだわけです。

そう考えれば、
もう片一方では、あらゆるものは、
知らずの内におのれから微量な物質を放出しているのだという事実があることにできる。

いや、そうに違いない。
というか、そういうことにしてしまいたい。
いや、してしまえ。
じゃぁもう裏づけ無しで!

とかっていうね、
まぁそういう流れですよ。

でまぁね、
そういう感受性を持っているのに、
ずいぶん前から使ってない部分が、
こりゃもう相当な領域でね、
存在するのじゃないのかなぁって思うのです。

背中だって腰だって、
手のひらだって、足の指だってね奥さん、

普段、刺激を受けてない部分ってあってね、
そういうところを、
さすったり、押してもらったりすると、
驚くほど気持ち好いことってありますからね、

それが、場所にもある、という、ことですよ。

それを感じに行くことは、
ある意味、精神のマッサージ効果を生み出すことでもある。
つまり気持ち好くなるということですよ。

だからまぁそれはね、
大自然の中に身を置くのでも好いのだろうけれど、
案外と、人が作った庭園などね、
作った人が、作りながら気持ち好さを確認しいしい作り上げたろう場所にね、行った時の方がね、
より多くの何ものかを、
受け取った気持ちになれそうな気がしますね。

ということでね、
まぁ現代人がやんなくなったことがあるんだからね、
思い立って、居心地の好い場所を求めて、
ふっと、出かけて行って、味わおうやっ、ていうことですね。

さぁ、ということでね、
分かったような分からない気持ちのままにね、

本日もどーか皆様が皆様の持ち場で、それぞれに奮闘くださいますことを祈念いたしまして今週は終了。

解散。

また来週おこしくださいませ。

【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。

昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。

「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。

我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。

「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。

「いやいや!そこ行く?」みたいな。

テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。

そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。

ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。

例えばね、こんな短編の芝居がありました。

放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。

バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。

もうひとつ、こんなのもあります。

テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。

いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。

それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。

芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。

出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。

放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!

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(16:25 嬉野)

2011年12月12日(月)

嬉野です。

水曜どうでしょうを始めたのは、1996年でしたから、
もう15年の時間がここに横たわっているわけでね。

でも、そうかといって、
振り返るとそんなに時間が経過している気がしない。

15年という時間は、生まれたばかりの赤ん坊が、
中学三年生になってしまうという時間ですから、
膨大なもののはずですが、
大人にとって15年前というのは、
さほど昔のことではない。

ということは、大人の私にとっては、
この先、15年後というのも、
きっとあっという間なのだと思うのです。

先ごろ、脚本家の市川森一さんが亡くなられましたが、
70歳だときいています。

70歳といえば、かつては「古希」と言っていたそうで、
「70歳まで生きることは、古来、希(まれ)なこと」だった
そうで、ですから「古希の祝い」などをするのだそうです。

その70歳まで生きるのは「古来、希なり」という感覚が、
今また戻ってきたのかもしれませんね。

男子の寿命も、この頃は、70歳の峠を越せないことの方が多くなってきたように思えるのです。

70歳の坂を越えれば、
その先は1年1年無事であることを喜ぶ時間に入ることになるのかもしれない。

そうして、みんな、いつか死を体験することになる。

私にとっても、
自分終了のチャイムが鳴るのは、
もう、SF的時間領域の果てにあるものではないのだなぁ、
というのが、漠然とながらも実感としてうすぼんやりとある、
今日この頃です。

こういうことを書くと、昔から、

「なにか悩み事があるのではないですか?」
「どうやら最近元気がないのですね?」と、

必ず心配されるかたがおられますが、

こういうことを書くのは、自分に必ず死が訪れるということが、リアルに思えてきたとき、そのリアルが、とても不思議に思えるからなのです。

そのことが不思議だし、でも、身に迫るという実感もある。
そのことの不思議をなんだろうと思い、
共有したいという欲求の表れだとおもうのですね、
こういうことを書くのは。

死は遠いものではないはずなのですが、
語ることは好まれないもののようです。
だから死と危険は遠ざけられて、
話題にもされないこととなっている。

そしていつの間にか、自分と自分の生きている領域と、
危険やら死やらは、関係の無いもののように刷り込まれる。

そうだからこそ、ぼくは、
自分に死が訪れるのだということが、
リアルに感じられるに従い、
そのリアルが不思議に現実離れしたことのように思えてしまう。

しかし、死が遠いものでないと知るからこそ、
この先の生が、少しでも穏やかであることを祈る、
そんな気持ちにもなるのだと思うのです。

この掲示板に毎日のように書き込んでくれていて、
ある日を境に書き込めなくなったそのことを、
書き込めなくなってしまった人も、
おられるのだろうと思うのです。

この先に、どんな時代が待ち受けているかは分かりませんが、
きっと、それほどぱっとしたものではないだろうと、
多くの方が漠然と思われていることでしょうが、

どんな時代の風にあおられようと、
最後まで、爆笑はしていきたいものだと思います。

それでは諸氏。
いかなる状況にあろうとも、
本日も諸氏の持ち場で爆笑しながら奮闘いたされますよう、
願いあげ奉ります。

解散。

また明日、来るのよ。

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【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。

昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。

「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。

我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。

「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。

「いやいや!そこ行く?」みたいな。

テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。

そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。

ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。

例えばね、こんな短編の芝居がありました。

放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。

バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。

もうひとつ、こんなのもあります。

テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。

いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。

それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。

芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。

出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。

放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!

早く笑ってほしいなと思っております。


(18:49 嬉野)

2011年12月14日(水)

嬉野でございますよ奥さん。

さて、掲示板に以下のような書き込みがありましたので、
ご紹介しておきましょう。
(まぁ、ここに転載するんでなくて掲示板を更新すればいいだけなんですがね、件数が多いものですからついつい。)

●こんばんはm(__)m
えいみー@愛知
いつも楽しく拝見してます!!
掲示板を見てたら、なんか書きたくなってしまってこんな夜中に書いています(*^^*)

私は来年から保育士として就職することになりました(^^)
今の時代で就職をできたことに有り難みを感じ、
感謝しつつも、周りの子は公務員試験に受かる子も半数ほどおり、公務員試験に落ちた私はなんか少しだけもやもやした気持ちになってしまいます…。

努力と笑顔と運が足りなかったと思って前に進もうと思うけど、なかなか割り切れず子どもだなあ…と思いつつも、
試験に受かってたらお母さんをもっと喜ばせてあげられたのに…などと考えてしまいます…。

でも、こんなこと話せる人もいないし、
夜中に目が覚めるとふといろいろ考えてしまったり…

私はしあわせだなー…と、よく感じる方だし、
ポジティブ(適当なだけかも…(-_-))

3%くらい自分で生まれてきてよかったと思うのですが、
珍しくこんな気持ちをどうしたらいいかずっと消化できずにいます…どうすればいいのでしょうか?
文章のまとまりがなく、読みづらくてすみませんm(__)m

★ということでね。
ここからは再び嬉野さんでございます。

運というべきものはね、
あると思うんです。

だから、運が悪いなぁと言うしかない時もあるでしょうし、
その運の悪さが重なれば、

「私ばかり、どーしていつもこう運が悪いの」

そう言って嘆くしかない時も確かにあるような気がするのです。

でも、その「運」の良し悪しを振り分けているのは、
ひとえにタイミングだけだとおもうのです。

つまり、自分が人生を今、毎日こう歩いているでしょ。
で、歩いているその途中でね、
突然「偶然」が自分に交差してくる、
そのタイミングだけだと思うのです。
「運」が良い方向に向くか、悪い方向に向くかはね。

ほら、自動販売機にお金を入れたら缶コーヒーが出るというのは、あれは偶然ではないですね、

でも、今にも雨が降りそうな空模様を見上げて、
降りだす前に帰り着こうと、
慌てて走って帰る途中の草っ原でね、
うっかり何かにつまずいて前につんのめって、
思いっきり地面に倒れて、したたかに肘を打ってすりむいてね、

「痛っ…」
って思ったその時に、

転んだ自分のその顔のすぐ先で、
野の花がぽつんと咲いていたら。

そして鼻先で咲いている、その小さな花を見て、

「あれ、こいつは、なんてきれいなんだろう…」

って思ってその花に共感してしまう瞬間があったら。
それは、偶然がもたらした出会いと言えますよね。

このような出会いを「運命」というのだなと、
ぼくは思っていてね。

つまり、「偶然」が自分と交差することが無ければ、
とうてい出会うはずのなかった者たちと出会うことです。

そうした「偶然」による出会いを、昔から「運命」と言っていたのではないかなぁと、ぼくは思うのです。

全部タイミングだけで良し悪しが決まってしまう「偶然」という名の「運命」ですから、
傍目には運の良いと人悪い人が当然出てしまっても、そのことはもうしょうがない。

そういう具合に、仕事や人間関係だって、いつもきまって好い方には転がらないから、その時は、

「この上手くいかなさが、オレの星だなぁ」と、

思うことにしています。

「あぁ、やっぱり上手くいかないわ。やっぱオレって、そういう星なんだなぁ」って、自分で自分の不手際に感心することにしているわけですね。

「やっぱ、こういう星なんだな、オレはな」って、

そう思うと、なんだか自分の人生に愛着が持ててくるのです。
どしてなんだろう。
ぼくの場合、不思議とそうなんです。

自分のことを必要以上に可哀想がらないと、
なんだか、だんだん自分に興味が持ててくるんです…。

「この人、こういうことで、この先どうなるんだろう?」って。

そう思ってると客観的に自分に愛着が持てていく。

多分ね、必要以上に「自分が可哀想」って思うことって、
イコール他人にばかり、周りにばかり、気がいっちゃってる状態でもあるから、周囲の人に気持ちがべとべとひっついちゃってるので、いつまでもその鳥もちにからまって、自分の身体が前に進めないんでしょうね。

だから、自分は人と比べてぱっとしないなぁと思いがちな時ほど、
「オレって、やっぱそういうぱっとしない星なんだな…」
って自分で思ってやる。

「大変なんだなオレって…」そう思う。

夜空には、もの凄い数の星があるけど、
その中にひとつだけ自分の星があってね、
その星が天体の運行に支配されながら動いているものだから、
自分の人生は、どーしてもその星の影響を受けてしまう。

つまり、「星の定め」というのがあってね、
ぼくらの人生は、その星の定めによって決められていく。

でも、決めてるその根本にあるのは「偶然」だから。
つまり、大した物ではない。
だから、気にする価値も無い。

でも、星が、ぼくらの人生を定義しているのだから、
その星に定義された人生を歩くことの中におそらく自分の役割があるのです。

多分、そういうことなんだろなと、
いつの頃からか、ぼくは思うようになりましたね。

おそらく運命は、ぼくらそれぞれに、
それぞれの役割を果たさせることで、ぼくらを何処かに導こうとしているのではないでしょうか。
そういうふうに思います。

だから、ぼくらは、
それぞれ果たすべき役割が違っているのです。

別名「偶然」という名の「運命」が、
ぼくらといつどこで交差するのか、
そのタイミングのズレだけで、
ぼくらは、思いもしなかった場所に連れていかれる。

だけど、
何処に連れて行かれたとしても、
連れて行かれた先々で、ぼくらは、
自分に出来ることをするだけです。
だって、できることしかできないからね。
当たり前だけど。
だから、できることだけをする。

だから、自分に出来ることは何かなって考えて、
自分には出来ないことが多いと分かっても、
そういうことでは嘆かないで、
出来ることだけをやろうとする。

(まぁ、長続きすることや、興味を持てることや、なんだかやってしまえることが出来ることなんだろうなとは思うけど)

それだけでいいと思うんです、人生って。

そして、望まない方向へ流されても、都度都度、
「はぁ、どうもこういうのがオレの星なんだな」って、
思ってみるだけでいいのです。

どんどん思いがけない方向に押しやられて悲しくなっても、
「これがオレなんだなぁ…」って思ってみて、
その時その時、自分に出来ることだけをやり続ける。

人生は、それで充分というか、
それで精一杯だと思います。

そうして、いつか、
星の導くところが見えてくる…。
ま、それは私が信じるだけのことですがね。

とにかく人生は、自分に出来ることだけをする、です。

それが、それぞれの人間が、違う役割を果たす、
ということに、自動的になるのだと思います。

そういうことだから、
人生はそれほど難しいことではないし。
それほど大変なことではないです。

ということでね、
多少わけのわからんところは、
好いように受け取っていただければと思います。

では。

本日も各自の持ち場で奮闘くださいますよう!

解散


★ただ今、電撃オンラインで!
「藤やんうれしーの悩むだけ損!」が好評連載中です!
くじらさんもイラスト書いてくれてますの!

http://news.dengeki.com/premium/suidou/

【12月7日水曜日ノ日記】
1週間ほど留守をしておりました。藤村でございます。

昨日の嬉野日記にありました通り、我々は、京都の劇団「ヨーロッパ企画」の演出家・上田くんと地味な男役者連中8人とで、札幌のスタジオにこもり、短編作品を撮影しておりました。

「短編作品」・・・という言い方が正しいのか、それとも「バカバカしい小芝居」というのか、「コントじみた芝居」というのか、とにかく「笑えるモノ」を作っておりました。

我々とヨーロッパ企画との付き合いは、もう5年ほどになりますでしょうか。彼らの芝居を初めて観に行ったときに、彼らが醸し出している「笑いの方向性」というのが、「自分にとても近しいものだ」と感じたんです。

「えっ?そんな小さいとこにスポットを当てんの!」みたいな。

「いやいや!そこ行く?」みたいな。

テーマに一直線に進むのではなく、そこに行くまでの道程に散りばめられた「些細な右往左往にこそ面白さがある」、という。

そんなヨーロッパ企画の連中となんか作りたい、という思いがここ数年ずっとありまして。でもそれは「どうでしょうみたいなバラエティー番組を一緒にやるとか、そういうことではないなぁ」と思いつつ、「じゃあ何をやれば彼らの面白さが人に伝わるだろう?」とずっと考えてて・・・。

ヨーロッパ企画は、いわゆる「本公演」と言われる長尺のお芝居のほかに、イベントなんかで披露する5分とか20分とか、少し力を抜いた感じの小さな芝居も作っておりまして。で、実は、「そんな短い芝居にこそ彼らの笑いの方向性というのが凝縮されている」ということがわかったんです。

例えばね、こんな短編の芝居がありました。

放課後、学校の職員室で先生たちが寄り集まってなにごとか相談している。来週に迫った体育祭、男子生徒61人が全員出場する組体操の最大の見せ場は「人間ピラミッド」。4段のピラミッドを作るなら、10人の生徒でひとつのピラミッドを作って、それが6つできる。でも、それじゃあ生徒がひとり余ってしまう。5段のピラミッドなら、15人で4つ。いやいやこれもやっぱり、ひとり余ってしまう。どうしましょう・・・保護者の手前、ひとりだけ余ってしまうのはまずいでしょう・・・みたいな話を先生たちが延々と話し合うという「苦悩のピラミッダー」という20分ほどのお芝居。

バカバカしいです。あまりにもテーマが小さい。しかし、たまらなく面白い。

もうひとつ、こんなのもあります。

テレビの情報番組で紹介された美味しいカレーパンのお店。そこに行列を作って並ぶ人たち。でも、ひょんなことから、その行列がふたつに枝分かれしてしまう。どっちの行列が正しいのか・・・こっちですよ!いやこっちの列です!・・・みたいな、どーでもいいけど、でも当人たちはせっぱ詰まっているという「カレーパン」というお芝居。

いずれにしても「えっ?そんなトコにスポット当てんの!」みたいな。でも、そんな小さい状況の中で、真剣に右往左往する人たちの面白さっていう。それこがヨーロッパ企画のお芝居のエッセンスの大事なひとつではないかと、思ったわけです。

それで今回、彼らが過去に演じてきた短編の中から、名作と言われているものを集めて、それをみなさんにお見せしようと。

芝居・・・でもあり、コント・・・でもあり、その中間、という不思議な短編。それを今回は、思い切って8つ、スタジオにこもって撮り続けました。上に挙げた「ピラミッダー」も「カレーパン」も、もちろん撮りました。

出来映えは、かなりいい、と思います。彼らの芝居を初めて見るスタッフ連中も、ずーっと笑ってましたから。そして最後には、あの地味なヨーロッパ企画の面々のファンになってましたから。

放送日もなにも、まだ決まっておりませんが、とりあえず、いいモノが撮れました!

早く笑ってほしいなと思っております。


(12:17 嬉野)

12月16日金曜日。

DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」を年内に完成すべく、再び編集室にこもっておる藤村でございます。

全八夜の本編の編集を終え、現在は「特典映像」の編集をしております。

どうでしょう班にとっては初めてとも言えるADとなった佐野くん(20代にしてすでに3人の子持ち)にDVD編集のコツを教え、今や彼は、中高年に突入してしまった我々にとって、かなりな戦力になっておりまして、今回の「特典映像」には彼の発案による「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」なるものが入っております。

北欧を旅する中で、唐突に始まった連続テレビ小説「フィヨルドの恋人」。その撮影の裏側で交わされていた、放送されていない会話をオリジナルテープで見てしまった彼は、「これは面白いです!ぜひDVDに入れて下さい」と進言し、それを受けて私は、「じゃぁ自分なりに編集してみたら」と、彼に編集を任せてみたのでありました。

そりゃぁまだまだね、つかみきれてない部分もあって、手直しはいろいろしましたけど、「目の付けどころはいいぞ」と思ったのであります。

「特典映像」にしてはかなり長尺の「20分」に迫る「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」。これは必見であります!

DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」は、ただ今!絶賛予約受付中!

今回の予約特典はなんと!

「メルヘン街道の朝に少しだけ窓が開いていた車のドアのフィギュア」

という、どうでしょうバカには「おっ!それは欲しいっす!」という垂涎のシロモノ!しかし、一般的には「なんすかそれ」という嘲笑のシロモノ。

さぁさぁ!予約受付数にも限りというものがございます。

DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」、ただ今!絶賛予約受付中でございむぁーす!

また来週!


【嬉野日記メモリアル】


2011年12月14日(水)

嬉野でございますよ奥さん。

さて、掲示板に以下のような書き込みがありましたので、
ご紹介しておきましょう。
(まぁ、ここに転載するんでなくて掲示板を更新すればいいだけなんですがね、件数が多いものですからついつい。)

●こんばんはm(__)m
えいみー@愛知
いつも楽しく拝見してます!!
掲示板を見てたら、なんか書きたくなってしまってこんな夜中に書いています(*^^*)

私は来年から保育士として就職することになりました(^^)
今の時代で就職をできたことに有り難みを感じ、
感謝しつつも、周りの子は公務員試験に受かる子も半数ほどおり、公務員試験に落ちた私はなんか少しだけもやもやした気持ちになってしまいます…。

努力と笑顔と運が足りなかったと思って前に進もうと思うけど、なかなか割り切れず子どもだなあ…と思いつつも、
試験に受かってたらお母さんをもっと喜ばせてあげられたのに…などと考えてしまいます…。

でも、こんなこと話せる人もいないし、
夜中に目が覚めるとふといろいろ考えてしまったり…

私はしあわせだなー…と、よく感じる方だし、
ポジティブ(適当なだけかも…(-_-))

3%くらい自分で生まれてきてよかったと思うのですが、
珍しくこんな気持ちをどうしたらいいかずっと消化できずにいます…どうすればいいのでしょうか?
文章のまとまりがなく、読みづらくてすみませんm(__)m

★ということでね。
ここからは再び嬉野さんでございます。

運というべきものはね、
あると思うんです。

だから、運が悪いなぁと言うしかない時もあるでしょうし、
その運の悪さが重なれば、

「私ばかり、どーしていつもこう運が悪いの」

そう言って嘆くしかない時も確かにあるような気がするのです。

でも、その「運」の良し悪しを振り分けているのは、
ひとえにタイミングだけだとおもうのです。

つまり、自分が人生を今、毎日こう歩いているでしょ。
で、歩いているその途中でね、
突然「偶然」が自分に交差してくる、
そのタイミングだけだと思うのです。
「運」が良い方向に向くか、悪い方向に向くかはね。

ほら、自動販売機にお金を入れたら缶コーヒーが出るというのは、あれは偶然ではないですね、

でも、今にも雨が降りそうな空模様を見上げて、
降りだす前に帰り着こうと、
慌てて走って帰る途中の草っ原でね、
うっかり何かにつまずいて前につんのめって、
思いっきり地面に倒れて、したたかに肘を打ってすりむいてね、

「痛っ…」
って思ったその時に、

転んだ自分のその顔のすぐ先で、
野の花がぽつんと咲いていたら。

そして鼻先で咲いている、その小さな花を見て、

「あれ、こいつは、なんてきれいなんだろう…」

って思ってその花に共感してしまう瞬間があったら。
それは、偶然がもたらした出会いと言えますよね。

このような出会いを「運命」というのだなと、
ぼくは思っていてね。

つまり、「偶然」が自分と交差することが無ければ、
とうてい出会うはずのなかった者たちと出会うことです。

そうした「偶然」による出会いを、昔から「運命」と言っていたのではないかなぁと、ぼくは思うのです。

全部タイミングだけで良し悪しが決まってしまう「偶然」という名の「運命」ですから、
傍目には運の良いと人悪い人が当然出てしまっても、そのことはもうしょうがない。

そういう具合に、仕事や人間関係だって、いつもきまって好い方には転がらないから、その時は、

「この上手くいかなさが、オレの星だなぁ」と、

思うことにしています。

「あぁ、やっぱり上手くいかないわ。やっぱオレって、そういう星なんだなぁ」って、自分で自分の不手際に感心することにしているわけですね。

「やっぱ、こういう星なんだな、オレはな」って、

そう思うと、なんだか自分の人生に愛着が持ててくるのです。
どしてなんだろう。
ぼくの場合、不思議とそうなんです。

自分のことを必要以上に可哀想がらないと、
なんだか、だんだん自分に興味が持ててくるんです…。

「この人、こういうことで、この先どうなるんだろう?」って。

そう思ってると客観的に自分に愛着が持てていく。

多分ね、必要以上に「自分が可哀想」って思うことって、
イコール他人にばかり、周りにばかり、気がいっちゃってる状態でもあるから、周囲の人に気持ちがべとべとひっついちゃってるので、いつまでもその鳥もちにからまって、自分の身体が前に進めないんでしょうね。

だから、自分は人と比べてぱっとしないなぁと思いがちな時ほど、
「オレって、やっぱそういうぱっとしない星なんだな…」
って自分で思ってやる。

「大変なんだなオレって…」そう思う。

夜空には、もの凄い数の星があるけど、
その中にひとつだけ自分の星があってね、
その星が天体の運行に支配されながら動いているものだから、
自分の人生は、どーしてもその星の影響を受けてしまう。

つまり、「星の定め」というのがあってね、
ぼくらの人生は、その星の定めによって決められていく。

でも、決めてるその根本にあるのは「偶然」だから。
つまり、大した物ではない。
だから、気にする価値も無い。

でも、星が、ぼくらの人生を定義しているのだから、
その星に定義された人生を歩くことの中におそらく自分の役割があるのです。

多分、そういうことなんだろなと、
いつの頃からか、ぼくは思うようになりましたね。

おそらく運命は、ぼくらそれぞれに、
それぞれの役割を果たさせることで、ぼくらを何処かに導こうとしているのではないでしょうか。
そういうふうに思います。

だから、ぼくらは、
それぞれ果たすべき役割が違っているのです。

別名「偶然」という名の「運命」が、
ぼくらといつどこで交差するのか、
そのタイミングのズレだけで、
ぼくらは、思いもしなかった場所に連れていかれる。

だけど、
何処に連れて行かれたとしても、
連れて行かれた先々で、ぼくらは、
自分に出来ることをするだけです。
だって、できることしかできないからね。
当たり前だけど。
だから、できることだけをする。

だから、自分に出来ることは何かなって考えて、
自分には出来ないことが多いと分かっても、
そういうことでは嘆かないで、
出来ることだけをやろうとする。

(まぁ、長続きすることや、興味を持てることや、なんだかやってしまえることが出来ることなんだろうなとは思うけど)

それだけでいいと思うんです、人生って。

そして、望まない方向へ流されても、都度都度、
「はぁ、どうもこういうのがオレの星なんだな」って、
思ってみるだけでいいのです。

どんどん思いがけない方向に押しやられて悲しくなっても、
「これがオレなんだなぁ…」って思ってみて、
その時その時、自分に出来ることだけをやり続ける。

人生は、それで充分というか、
それで精一杯だと思います。

そうして、いつか、
星の導くところが見えてくる…。
ま、それは私が信じるだけのことですがね。

とにかく人生は、自分に出来ることだけをする、です。

それが、それぞれの人間が、違う役割を果たす、
ということに、自動的になるのだと思います。

そういうことだから、
人生はそれほど難しいことではないし。
それほど大変なことではないです。

ということでね、
多少わけのわからんところは、
好いように受け取っていただければと思います。

では。

本日も各自の持ち場で奮闘くださいますよう!

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(13:03 藤村)

2011年12月19日(月)

嬉野です。
このところ激冷えの札幌であります。

激冷えだから道路も歩道もつるっつるであります。

そのガッチンガチンの身も凍る札幌へ、
本日もたくさんのみなさんがお出でになっておるもようで、
HTBにも高台公園にも賑やかに遠来のお客さんが、
お見えのようでございます。
さて掲示板を覗きましたら以下の伝言がございました。

★嬉野さんへ
苺@東京
こんにちは。
昨日から、オフィスキューさんのイベントで
札幌に姉妹で来ました。
ご多分に漏れず、HTBさんにも公園にも伺い、
姉妹で公園で遊んだりもしました。
その後12時前に嬉野さんを南平岸駅近くでお見かけしました。
電車で札幌へ戻ろうとしたところ、駅のホームで事件が起きました。
妹が携帯を無くしたというのです。
公園の様子を写真で撮り、自分のブログにアップしたのを最後に
無くしたらしいです。
おそらく、あの厚く積もった雪の中だと思われます。
気がついてすぐに戻ったので、
落としてから20分無いくらいなのですが
携帯はありませんでした。

内地の我々では歩くのもままならない中
30分近く公園を探索しましたが見つからず、
HTBさんにも伺いましたが届いておらず、
交番にも届いておらず…
もしかしたら、優しい方が拾って届けてくださるかもしれませんが…

私としても、妹の大切な携帯を見つけてあげたいのですが
なにぶん、飛行機の時間もありますので
諦め、ただいま新千歳空港へ向かう電車の中です。
大切な携帯とどんどん離れ離れになる妹の気持ちを思うと
いてもたってもいられず
こちらにお送りしている訳です。

嬉野さん藤村さん、
本当にちょっと気が向いたらでいいのです。
時間があるときに
忙しくないときに
暇つぶし程度でいいので
思い出した程度でいいので
公園を探索してもらえませんか。
場所は、ファンの方々がいつも撮影している
公園の入口付近、道路上のゴミ置き場付近です。
携帯はau、白と黒のツートーン、横にスライドするタイプです。

よろしくお願いします。

ご迷惑なことは重々承知です。
本当に申し訳ありません。

●ということでね、
ひまじゃなかったんですが、
あいにく忙しくも無かったので、
ひょいと腰を上げましてね
宝探し的に公園へ行ってみましたよ。
今さっき、16時頃。

結論から言いますとね、
見つかりませんでしたね。

いや、見つけられなかったと書くべきか。

私なりに探してみたんですけどね。
探し方が足りなかったかもしれないんですけどね。
いや、あきらかに足りなかったんですけどね。

ついに雪の上にスボッと埋まっているところを見つけることは、
できませんでしたね。

ひじょうに残念ですね。

ひまじゃなかったんですよ。
行きましたけどね。
でも、ありませんでしたの奥さん。

なんだろう。
これでは、ひまな上に、
探し出すことも出来なかった男という感じかしら、
今の私。
ねぇ奥さん。
そんなことはないよねぇ。

でも、善意も実を結ばなければ、
役立たずですから。

えぇということですからね、
これから事件現場のお近くへお越しになる皆さん。
発見されましたらHTBさんへお届けください。

見つかるもんなら、見つかって欲しいのでね。

さぁ、ということでね。
本日も各自の持ち場で奮闘願います。

そして、くれぐれも携帯は落とさないようにしましょうね。
ガッカリしますから。
どうぞこの妹さんを教訓にして、
同じ事故を二度と繰り返さないように、
携帯はしっかり携帯した上で持ち歩きましょう。

解散


【12月16日金曜日の藤村先生の日記】

DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」を年内に完成すべく、再び編集室にこもっておる藤村でございます。

全八夜の本編の編集を終え、現在は「特典映像」の編集をしております。

どうでしょう班にとっては初めてとも言えるADとなった佐野くん(20代にしてすでに3人の子持ち)にDVD編集のコツを教え、今や彼は、中高年に突入してしまった我々にとって、かなりな戦力になっておりまして、今回の「特典映像」には彼の発案による「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」なるものが入っております。

北欧を旅する中で、唐突に始まった連続テレビ小説「フィヨルドの恋人」。その撮影の裏側で交わされていた、放送されていない会話をオリジナルテープで見てしまった彼は、「これは面白いです!ぜひDVDに入れて下さい」と進言し、それを受けて私は、「じゃぁ自分なりに編集してみたら」と、彼に編集を任せてみたのでありました。

そりゃぁまだまだね、つかみきれてない部分もあって、手直しはいろいろしましたけど、「目の付けどころはいいぞ」と思ったのであります。

「特典映像」にしてはかなり長尺の「20分」に迫る「メイキング・オブ・フィヨルドの恋人」。これは必見であります!

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今回の予約特典はなんと!

「メルヘン街道の朝に少しだけ窓が開いていた車のドアのフィギュア」

という、どうでしょうバカには「おっ!それは欲しいっす!」という垂涎のシロモノ!しかし、一般的には「なんすかそれ」という嘲笑のシロモノ。

さぁさぁ!予約受付数にも限りというものがございます。

DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」、ただ今!絶賛予約受付中でございむぁーす!

また来週!


【嬉野日記メモリアル】


2011年12月14日(水)

嬉野でございますよ奥さん。

さて、掲示板に以下のような書き込みがありましたので、
ご紹介しておきましょう。
(まぁ、ここに転載するんでなくて掲示板を更新すればいいだけなんですがね、件数が多いものですからついつい。)

●こんばんはm(__)m
えいみー@愛知
いつも楽しく拝見してます!!
掲示板を見てたら、なんか書きたくなってしまってこんな夜中に書いています(*^^*)

私は来年から保育士として就職することになりました(^^)
今の時代で就職をできたことに有り難みを感じ、
感謝しつつも、周りの子は公務員試験に受かる子も半数ほどおり、公務員試験に落ちた私はなんか少しだけもやもやした気持ちになってしまいます…。

努力と笑顔と運が足りなかったと思って前に進もうと思うけど、なかなか割り切れず子どもだなあ…と思いつつも、
試験に受かってたらお母さんをもっと喜ばせてあげられたのに…などと考えてしまいます…。

でも、こんなこと話せる人もいないし、
夜中に目が覚めるとふといろいろ考えてしまったり…

私はしあわせだなー…と、よく感じる方だし、
ポジティブ(適当なだけかも…(-_-))

3%くらい自分で生まれてきてよかったと思うのですが、
珍しくこんな気持ちをどうしたらいいかずっと消化できずにいます…どうすればいいのでしょうか?
文章のまとまりがなく、読みづらくてすみませんm(__)m

★ということでね。
ここからは再び嬉野さんでございます。

運というべきものはね、
あると思うんです。

だから、運が悪いなぁと言うしかない時もあるでしょうし、
その運の悪さが重なれば、

「私ばかり、どーしていつもこう運が悪いの」

そう言って嘆くしかない時も確かにあるような気がするのです。

でも、その「運」の良し悪しを振り分けているのは、
ひとえにタイミングだけだとおもうのです。

つまり、自分が人生を今、毎日こう歩いているでしょ。
で、歩いているその途中でね、
突然「偶然」が自分に交差してくる、
そのタイミングだけだと思うのです。
「運」が良い方向に向くか、悪い方向に向くかはね。

ほら、自動販売機にお金を入れたら缶コーヒーが出るというのは、あれは偶然ではないですね、

でも、今にも雨が降りそうな空模様を見上げて、
降りだす前に帰り着こうと、
慌てて走って帰る途中の草っ原でね、
うっかり何かにつまずいて前につんのめって、
思いっきり地面に倒れて、したたかに肘を打ってすりむいてね、

「痛っ…」
って思ったその時に、

転んだ自分のその顔のすぐ先で、
野の花がぽつんと咲いていたら。

そして鼻先で咲いている、その小さな花を見て、

「あれ、こいつは、なんてきれいなんだろう…」

って思ってその花に共感してしまう瞬間があったら。
それは、偶然がもたらした出会いと言えますよね。

このような出会いを「運命」というのだなと、
ぼくは思っていてね。

つまり、「偶然」が自分と交差することが無ければ、
とうてい出会うはずのなかった者たちと出会うことです。

そうした「偶然」による出会いを、昔から「運命」と言っていたのではないかなぁと、ぼくは思うのです。

全部タイミングだけで良し悪しが決まってしまう「偶然」という名の「運命」ですから、
傍目には運の良いと人悪い人が当然出てしまっても、そのことはもうしょうがない。

そういう具合に、仕事や人間関係だって、いつもきまって好い方には転がらないから、その時は、

「この上手くいかなさが、オレの星だなぁ」と、

思うことにしています。

「あぁ、やっぱり上手くいかないわ。やっぱオレって、そういう星なんだなぁ」って、自分で自分の不手際に感心することにしているわけですね。

「やっぱ、こういう星なんだな、オレはな」って、

そう思うと、なんだか自分の人生に愛着が持ててくるのです。
どしてなんだろう。
ぼくの場合、不思議とそうなんです。

自分のことを必要以上に可哀想がらないと、
なんだか、だんだん自分に興味が持ててくるんです…。

「この人、こういうことで、この先どうなるんだろう?」って。

そう思ってると客観的に自分に愛着が持てていく。

多分ね、必要以上に「自分が可哀想」って思うことって、
イコール他人にばかり、周りにばかり、気がいっちゃってる状態でもあるから、周囲の人に気持ちがべとべとひっついちゃってるので、いつまでもその鳥もちにからまって、自分の身体が前に進めないんでしょうね。

だから、自分は人と比べてぱっとしないなぁと思いがちな時ほど、
「オレって、やっぱそういうぱっとしない星なんだな…」
って自分で思ってやる。

「大変なんだなオレって…」そう思う。

夜空には、もの凄い数の星があるけど、
その中にひとつだけ自分の星があってね、
その星が天体の運行に支配されながら動いているものだから、
自分の人生は、どーしてもその星の影響を受けてしまう。

つまり、「星の定め」というのがあってね、
ぼくらの人生は、その星の定めによって決められていく。

でも、決めてるその根本にあるのは「偶然」だから。
つまり、大した物ではない。
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でも、星が、ぼくらの人生を定義しているのだから、
その星に定義された人生を歩くことの中におそらく自分の役割があるのです。

多分、そういうことなんだろなと、
いつの頃からか、ぼくは思うようになりましたね。

おそらく運命は、ぼくらそれぞれに、
それぞれの役割を果たさせることで、ぼくらを何処かに導こうとしているのではないでしょうか。
そういうふうに思います。

だから、ぼくらは、
それぞれ果たすべき役割が違っているのです。

別名「偶然」という名の「運命」が、
ぼくらといつどこで交差するのか、
そのタイミングのズレだけで、
ぼくらは、思いもしなかった場所に連れていかれる。

だけど、
何処に連れて行かれたとしても、
連れて行かれた先々で、ぼくらは、
自分に出来ることをするだけです。
だって、できることしかできないからね。
当たり前だけど。
だから、できることだけをする。

だから、自分に出来ることは何かなって考えて、
自分には出来ないことが多いと分かっても、
そういうことでは嘆かないで、
出来ることだけをやろうとする。

(まぁ、長続きすることや、興味を持てることや、なんだかやってしまえることが出来ることなんだろうなとは思うけど)

それだけでいいと思うんです、人生って。

そして、望まない方向へ流されても、都度都度、
「はぁ、どうもこういうのがオレの星なんだな」って、
思ってみるだけでいいのです。

どんどん思いがけない方向に押しやられて悲しくなっても、
「これがオレなんだなぁ…」って思ってみて、
その時その時、自分に出来ることだけをやり続ける。

人生は、それで充分というか、
それで精一杯だと思います。

そうして、いつか、
星の導くところが見えてくる…。
ま、それは私が信じるだけのことですがね。

とにかく人生は、自分に出来ることだけをする、です。

それが、それぞれの人間が、違う役割を果たす、
ということに、自動的になるのだと思います。

そういうことだから、
人生はそれほど難しいことではないし。
それほど大変なことではないです。

ということでね、
多少わけのわからんところは、
好いように受け取っていただければと思います。

では。

本日も各自の持ち場で奮闘くださいますよう!

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(16:38 嬉野)

2011年12月20日(火)

嬉野です。

この前会社の帰りに裏の車道を渡ろうと足を踏み入れたところ
スッテンコロリンと転びまして、したたかに肘から着地。
その衝撃で手にした携帯は私の手を離れ、車道に落下、
裏ブタは吹き飛びバッテリーは飛び出すという、
私ひとりがえらい騒ぎですよ。

辺りは暗いし、そのこは車道!
ゆっくり転んでて大丈夫なとこじゃない。

私は慌てて携帯を拾うと歩道へ戻る一歩を踏み出し、
また滑りそうになる。

まだ車道にはバッテリーと裏ブタが落ちたままですが、
ここは身の安全が第一ですから、私は命からがら歩道へ逃げる、
そこへ、ヘッドライトを眩しく照らしながら走り来る車が、
1台2台。

車にバッテリーと裏ブタを踏まれてなるものかと思いつつ、
車が走り去るまで車道に落ちたバッテリーと裏ブタを見つめておりました。

おかげさまで破損もなく、
全て事なきを得まして、
携帯は今も無事に機能しております。
ありがたや。

どーぞみなさま、札幌の冬道は恐いですから気をつけて。

あぁヤだヤだ、冬はヤだ。転ぶし痛いしだから

それでは、
本日も各自の持ち場で奮闘ください。解散。

★ただ今、電撃オンラインで!
「藤やんうれしーの悩むだけ損!」が好評連載中です!
くじらさんもイラスト書いてくれてますの!

http://news.dengeki.com/premium/suidou/

(14:17 嬉野)

2011年12月22日(木)

嬉野です。
昨日はDVDの副音声の録音日でしたから、ミスタさんと録音ブースで藤やんと三人で語らいました。

ミスタさん、風邪引いたのか鼻をかみながらのトークとなりましたが。

聞けばミスタさん、この頃はアウトドア的な人になったのだそうで、今ならユーコン川リベンジも辞せず的な話でありましたよ。行きたくはないけど、行けなくもない。そういうことらしいですね。

さて皆さん、年末ですね。

もうすぐ今年も終わるのですが、いつもながらそんなに年末気分が世間にあるわけじゃなく、このまま、年末気分も盛り上がらず正月気分も湧かないままに新年を迎えるのだろうなと思いながらも、今年はね、とうとうそういうことにも反応しなくなったと言うか、年末年始ムードが世間にないからといって別に不思議でもなく、いや、そういえば、そんなことは殆ど気にならない身体に自分はなってしまっているなということに気がついたわけでしてね。


あぁこうやって人は、頭がからっぽになっていくばかりなんだなぁと、思いました。

こうした時代にはね、昔編まれた文化人類学的な民俗学的な書物を読むのがいいのではないでしょうか。

日本人だってこの列島に長い歴史と文化を持っているんだから、日本がこうなる前の日本人に興味を持って調査せずにはおれなかった学者さんたちの残された本というのがあるわけで、そういう書物をこんな空っぽな時代には読むがいいだろうね。

思えばですよ。これまでも、そしてこれからも、人間は必要に迫られ立ち働き、切実な気持ちの中で文化というものを作り上げ受け継いできたのだろうから、

生きている環境が変わってしまえば、誰もが当たり前に感じて受け継いで愛着を感じてきた文化も、だんだん継承するのが辛くなってくるのは仕方がないよね。

だって雪国にあるかまくらという風習だって気候が変わって雪がまったく降らなくなったら、続けていくためにはなんらかの方法で雪を大量に作り、雪の溶けないように温度管理できる室内に作り続けるしかないから、それは相当お金も掛かるし、というか、そこまでのことになっていくと、気分的にも続ける意味がだんだん見いだせなくなっていくだろうから、その風習に付随して培われてきた精神的な文化もムードも消えて無くなっていくことは、いたしかたない当たり前の流れなのだと思うよね。

からっぽになっていく時代の中で、そういえばどうして昔は空っぽじゃなかったのかを考えるのも、意外と頭が気持ちいいことになるのにつながるんじゃなかろうかという予感がありますですね。

人類は、こんなに空っぽでいられる時代をかつて経験したことがないはずだから、この先いったいどこまで空っぽでいられるだろうかという、つまり現代日本と言う世間は、実験の場でもあるのだろうね。

こういう時代にはね、自分の周りだけでいいから、人との付き合いを大事にしたいなと思い努めて、周囲と付き合うことをした方がいいような予感がします。

ひょっとするとこの先、何をしても時代は好い方向には進めないのかもしれませんよね。

誰が指導者になっても上手い具合に世の中は改善されてはいかないような気もします。とうとうそんな時代なのかもしれません。

時代は坂を転がり落ちていっているとしても、人と人が仲良くしていればそれで人生は充分楽しいのだから。空っぽに負けず、仲良くできる人を大切に思って、朗らかに和やかに生きていくのが得だと私は思います。
だから諸氏。
この先もずっと、我々は仲良く呑気にまいりましょう。

では、本日も各自の持ち場で奮闘ください。

解散


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(10:02 嬉野)

12月22日木曜日。藤村でございます。

DVD第17弾「ヨーロッパ・リベンジ」の編集を、先ほどすべて終えました。

「特典映像」には、未公開シーンもたっぷりとございます。

発売は年明け3月。予約はすでに受付中!でございます。

今年も残すところ10日ばかり。しかしまだDVDの大泉さん分の副音声収録があり、また、京都で劇団「ヨーロッパ企画」の短編のエンディングを撮影しなければならず、年末ギリギリまでお仕事の藤村、嬉野でございます。

今年のクリスマスは、3連休となりました。

春、関西へと旅立った長女が、明日帰省してまいります。

回転寿司に行きたいだの、鍋が食いたいだのと言っております。

札幌は、すっかり雪景色。

みなさま、一足先に、

「メリークリスマス」。



2011年12月22日(木)

嬉野です。
昨日はDVDの副音声の録音日でしたから、ミスタさんと録音ブースで藤やんと三人で語らいました。

ミスタさん、風邪引いたのか鼻をかみながらのトークとなりましたが。

聞けばミスタさん、この頃はアウトドア的な人になったのだそうで、今ならユーコン川リベンジも辞せず的な話でありましたよ。行きたくはないけど、行けなくもない。そういうことらしいですね。

さて皆さん、年末ですね。

もうすぐ今年も終わるのですが、いつもながらそんなに年末気分が世間にあるわけじゃなく、このまま、年末気分も盛り上がらず正月気分も湧かないままに新年を迎えるのだろうなと思いながらも、今年はね、とうとうそういうことにも反応しなくなったと言うか、年末年始ムードが世間にないからといって別に不思議でもなく、いや、そういえば、そんなことは殆ど気にならない身体に自分はなってしまっているなということに気がついたわけでしてね。


あぁこうやって人は、頭がからっぽになっていくばかりなんだなぁと、思いました。

こうした時代にはね、昔編まれた文化人類学的な民俗学的な書物を読むのがいいのではないでしょうか。

日本人だってこの列島に長い歴史と文化を持っているんだから、日本がこうなる前の日本人に興味を持って調査せずにはおれなかった学者さんたちの残された本というのがあるわけで、そういう書物をこんな空っぽな時代には読むがいいだろうね。

思えばですよ。これまでも、そしてこれからも、人間は必要に迫られ立ち働き、切実な気持ちの中で文化というものを作り上げ受け継いできたのだろうから、

生きている環境が変わってしまえば、誰もが当たり前に感じて受け継いで愛着を感じてきた文化も、だんだん継承するのが辛くなってくるのは仕方がないよね。

だって雪国にあるかまくらという風習だって気候が変わって雪がまったく降らなくなったら、続けていくためにはなんらかの方法で雪を大量に作り、雪の溶けないように温度管理できる室内に作り続けるしかないから、それは相当お金も掛かるし、というか、そこまでのことになっていくと、気分的にも続ける意味がだんだん見いだせなくなっていくだろうから、その風習に付随して培われてきた精神的な文化もムードも消えて無くなっていくことは、いたしかたない当たり前の流れなのだと思うよね。

からっぽになっていく時代の中で、そういえばどうして昔は空っぽじゃなかったのかを考えるのも、意外と頭が気持ちいいことになるのにつながるんじゃなかろうかという予感がありますですね。

人類は、こんなに空っぽでいられる時代をかつて経験したことがないはずだから、この先いったいどこまで空っぽでいられるだろうかという、つまり現代日本と言う世間は、実験の場でもあるのだろうね。

こういう時代にはね、自分の周りだけでいいから、人との付き合いを大事にしたいなと思い努めて、周囲と付き合うことをした方がいいような予感がします。

ひょっとするとこの先、何をしても時代は好い方向には進めないのかもしれませんよね。

誰が指導者になっても上手い具合に世の中は改善されてはいかないような気もします。とうとうそんな時代なのかもしれません。

時代は坂を転がり落ちていっているとしても、人と人が仲良くしていればそれで人生は充分楽しいのだから。空っぽに負けず、仲良くできる人を大切に思って、朗らかに和やかに生きていくのが得だと私は思います。
だから諸氏。
この先もずっと、我々は仲良く呑気にまいりましょう。

では、本日も各自の持ち場で奮闘ください。

解散


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(19:16 藤村)

2011年12月31日(土)

嬉野です。

今日は大晦日です。

今年も今日で終わるのです。

少し昔までは(いや、少しでも無いね、昭和の頃だね)
年の瀬といえば、スーパーだって12月30日までで営業を終えてしまい、新年は3日が初売りだったりしましたから、

年末はその間の食料を買出しに出なければならず、
勢い市中は奥さん方と荷物運搬役のお子さんたちとで大賑わい。

家に帰れば、正月三が日までを食いつなぐための保存食(おせち料理ね)を作らねばならないのだと思えば家族総出で一致協力してこれを作り、

正月をきれいな環境で迎えなければ気分が悪いという刷り込みが日本人には伝統的にあったために、

出来るだけきれいにして正月を迎えなければ病気にでもなりそうな気がするもんですから家族手分けして大掃除をして、

なんとか31日の日暮れ前までには各員が全てを片付けて、

「あぁ、終わった終わった!」と
肩の荷が下りたような、華やいだような気分になって、
炬燵に入ってみんなで晩ごはんを食べ、

夜には年に1回しか放送のない特殊な番組
「紅白歌合戦」を見るという段取りでしたね。

そのあと「行く年くる年」を見て、除夜の鐘が突かれるまでの時間を繋いでくれるNHKのアナウンサーさんの厳かなナレーションを聞きながら、やがて鳴る百と八つの梵鐘の音に「ほんとに一年が終わるのだなぁ」と訳も分からず神妙な気分になり、

その後も、大晦日の夜ばかりは、テレビは夜通し面白そうな番組を放送していたので、未成年の小学生の身の上で、夜更しという「非日常的」な行為に挑戦しても、この日ばかりは親からのおとがめも無く、わくわくとする特殊な日だったような気がします。

そんな年の瀬のムードも、正月のムードもウソのように無くなり、ここ数年は、そのことを嘆いていたりしていましたが、

今年はついに、そんなムードが無いことにすら、なんの違和感も感じなくなっている自分がおり、

「うーむ見事に空っぽになっていくものよのぉー」と思いつつ、

それでも、大晦日の本日、

「あぁ今日で今年が終わるなぁ」という、

神妙な感慨だけはまだあるところを見れば、

「年が終わり」「新たな年が訪れる」というイメージは、

世間の賑わいやムードに関係なく、
この先も無くならずあるのだろうなと予感いたします。

やっぱり「古い年は去り行き、新しい年が訪れ来るという、1年ごとにリセットしていくのだ」というこのイメージは、時代がここまで変わっても、人間が生きていく上で、まだまだ有効なイメージなのだだということの証なんだなぁと改めて思いました次第。

さてみなさま。
今年もお世話になりました。
2012年も変わらずよろしくお願いをいたします。

そうして本年も各自の持ち場で、
みなさまよく奮闘なさいました。

ほんとうにお疲れ様でした。
ご苦労さまでしたね。

やっぱり、きちんとしたことは言えませんので、
これで終わりにします。

新年は4日からの仕事始めでございます。


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(17:59 嬉野)

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