2018年8月1日水曜日。
しばらく旅に出ます。
どうでしょう班。
【前回の日記】
2018年7月29日(日)
嬉野です。
みなさん。HTBはこの9月、札幌の南平岸の地を去ります。HTBはこの南平岸の高台で50年、テレビ電波を出し続けてきました。
50年とひとくちに言いましても、それは長い長い時間です。
若い男女が出会い、夫婦となり、やがて子を生み、一家を成し、懸命にその地に生活の礎を築き、子を養い育て、その子を成人させ、今度は、大人になったその子が異性と出会い一家を成す。そして、あんなに若かった夫婦もいつか年老いて、その子に看取られながらこの地の土に還ってゆく、それほどの時間です。
今から50年前、HTBが札幌のテレビ局としては、ただ一局だけ、札幌の中心地から遠く離れたこの南平岸の高台にポツンと社屋を建てたとき、周囲は果てなく茫々と広がるりんご畑だったといいます。そんな牧歌的な風景の中、当時のHTB関係者は毎日局舎までの坂を登り降りして、この南平岸の地に根づいて来たのです。
HTBというテレビ局の出発点にあった、その「のどかな雰囲気」が、「呑気な根性」「鷹揚な寛容さ」「牧歌的な適当さ」をそこで働く者たちの胸にはぐくみ、いつか刷り込み、それが今に続くHTB人の根底を流れる文化となったはずと、私は強く信じる者です。
思えば、テレビ番組も人の手によって成されるもの。それを思えば農作物と同じはず。その土地の恵みと、その土地に根付く者と、その土地を包み込む風景から醸されてくる香りとで織り成す文化であるはずです。
「水曜どうでしょう」というテレビ番組は、そのような文化に守られ、この地にやっと実った果実であることは言うまでもないことと私は思う者です。
それなのにHTBはこの地を去るのです。
この、ようやく掴んだ南平岸という土地と、そこに隣接する高台公園という、毎年、四万人もの人が訪れるという名状しがたい場所を捨てて、HTBはどこへ行くというのでしょう。
もちろん私は、50年前のHTB局舎周辺に広がっていたという牧歌的な風景を知る者ではありません。
しかし私は、あえてこの牧歌的な南平岸の高台に根を下ろすことを決意したHTBの先人たちと、この南平岸という土地の恵みに感謝する者です。
この地にHTBが根付かなければ「水曜どうでしょう」という果実もまた、おそらく実らなかった。
それを思えば、本当にありがとう。
ありがとう南平岸。
とりあえず、引っ越しが始まる前に、私はそれだけは言いたかったのです。でも、まさか、その私の字がキャラバンの最中に社屋を飾る懸垂幕になっているとは思ってもみませんでした。
でも、そうです。こういうところがHTBの文化なのかもしれませんね。
つまり、うっかりと、リスクを勘定に入れることも忘れてやってしまう「牧歌的な適当さ」と「鷹揚な寛容さ」の発露なのかもしれません。
だから、やっぱり、
ありがとう南平岸。