事件の種は、もう初日のカヌー講習の時から蒔かれていた。
「これだけは覚えといて・・・もしなんらかのことがあって、流木とかにぶつかっちゃったら、体をそっちの方へ向けること。」
熊谷さんが、唯一真剣な表情で言った言葉だ。
「・・・逆に向けたら、一発でもう・・・」
言いながら熊谷さんは、手に持った木切れを勢いよくひっくり返した。
その木切れは、言うまでもなく2人が乗るカヌーだ。
2人のカヌーは、熊谷さんの手で、あまりにもあっけなく、そしてえらく急回転でひっくり返った。
それを見ていた大泉さんは、さすがに表情がこわばった。
しかし気丈にも、自分でもしっかり種つけすることを忘れていなかった。
「それやったら危ないよ!って言われたことは、だいたいやるぞ・・・前フリでしかないからね、こんなの」
「やんなくていいよ」
「当たり前だ。今回ばかりは無理だぞ・・・」
さすが「天才」は、きれいな前フリをビシッと決めていた。
その日。
彼は、それまで順調に後方でカヌーを操舵していたミスターに代わり、
「首が痛いのもあって・・・今日は私が後ろで舵取りを・・・」と宣言した。
さすが天才は、「首を痛めた」という自分の不幸を利用して、「さらなる不幸を呼び込む」というニクイ演出を、惜し気もなく我々の前に披露した。誰にも不自然さを感じさせることなく、しかし着実に「不幸に向かって邁進する」高度なテクニックだ。
そして、タイタニックは、船出した。
実は、事件の前に「カットしたシーン」がある。
初めて舵取りをする大泉さんに、当然のことながら熊谷さんはレクチャーを事細かにしていた。そして大泉さんは、わりと上手に操舵していた。
練習をひとしきり行った後の「それじゃぁ、行きますよぉ!」という私の言葉から、放送した場面につながっていく。
カヌーの行く手には、中島があり、川は左右に流れを分断していた。
ピートの指示は「レフト」だった。「左側の流れに向かえ」と。
しかし大泉さんの艇は、なぜか右岸に寄せられて行った。強風も原因のひとつだった。
しかし一番大きな原因は、「まだよくわかんねぇなぁ」とパドル操作の方法を完全に把握していなかった「すずむしの脳ミソ」にある。
それでも彼は、なんとか左へ向こうと努力した。しかし、強風が艇を右へと押しやる。
結果、カヌーが選択した道は、「じゃ、まっすぐ行きます!」という最悪な選択だった。
そういうお膳立てが整ったところで、
「あっ・・・前方に丸太があります・・・気をつけてください!」
中島の突端部、艇の進行方向に、「流木群」が現れた。
「いよっ!待ってましたッ!」
来ましたよう!「ぶつかったら危ないぞ!」と言っていた「流木」が!それもたんまりと。
カメラは、迫り来る流木群を映し出す。
「あれにぶつかんないようにしてください!」
「・・・。」
「・・・大泉さん、休んでると危ないっすよ!」
とっさにカメラは、ファインダーをカヌーに戻す。
と!さすが「天才」!
いつのまにやら艇は「後ろ向き」転回し、「これで行きますッ!」と、あまりにも無防備な突入態勢を、我々に見せつけた。
「大泉さん・・・危ないですよ!」
言ったって無駄だ。「天才」にあざとい計算はない。
もう頭の中は真っ白になっているのだ。
今や「脳ミソ」は、すずむしより小ちゃくなっている。
それが証拠に鳴くことも忘れ、ひとっこともしゃべらない。
いよいよ我々にも「危機感」が募ってきた。
「あぁ・・・!」嬉野くんがうわずった声をあげた。
しかしその時、我々以上に「危機感であふれかえっていた男」の存在を忘れてはいけない。
「泳げない男」。
しかし、「迫り来る事態を、先頭で見守る男」。
ミスターである。
「これ危ないって!マジで危ないって!」
いい顔だ。
「これ・・・ぶつかるって!」
いいですよぉ。
「あぁあぁ・・・」
嬉野くんも、いいですよぉ。
「ま・・・まっすぐ向かってないか!」
「む・・・向かってる!向かってる!」
ミスター最後の叫びだった。
「あぁッ!」
・・・天才にその身をゆだねてしまったミスターにとって、それは自分自身の力など断じて及ばない、まさに「天災」であった。
「体を向けてッ!体を向けてッ!」
まさか熊谷さんも、本当にその言葉を出す場面に出くわすとは思ってもみなかっただろう。
甘いのだ。
我々は「実践派」なのだ。
そして、きっちりと「あなたの言うことは正しかった」と証明してみせたのだ。
おかげで艇は安定した姿勢でドドドドッと流木群に突っ込んで行った。ヘタに操作して逃れようとすれば、急激な流れと誤ったパドル操作のはざまで、艇は、どんなに危険な選択肢を取ったのか、その結論は見えている。
しかし・・・だ。
まぁ、実際のところ、衝突場面は、たいしたことなかった。
それが証拠に、衝突直後のテープには、私と熊谷さんの笑い声が、きっちりと収録されている。
衝突場面の映像を思い出していただこう。
「ドドドドッ」と衝突したミスターのアップ映像のあと、流木群に翻弄されるカヌーの映像には、それまで無かった「激しい水音」がかぶせられている。熊谷さんの「体を向けてッ!体を向けてッ!」の後の我々の声がいっさい聞こえない。
つまり、放送では、我々の声を消したのだ。笑ってんだもん。
本当は、
「体を向けてッ!体を向けてッ!・・・体を・・・ぷっ・・・」と、あのひとは吹き出したのだ。
つられて、
「ぬはははは!」と、不謹慎に笑う私の声がきっちり収録されている。
「それほど事態が深刻でもない」ということに、いち早く気付いた安堵の笑いだが、VTR的には、ちと早い。
ということで、「ぬはははは・・・だ・・・大丈夫だねアレ・・・」という私のセリフの後半部から使った。
「大丈夫!大丈夫!」
見ると、カヌーは、後部を流木にぶつけた後、そのはずみで、見事に脱出ルートに舳先を向けた。
あとは、もう力任せに漕ぐだけで、簡単に流木群から逃れられる。
しかし、注目すべきは「天才すずむしくん」のその後の行動だ。
「大丈夫!ミスターの方から出てっちゃえばいいよ!」
言いながら、カメラがサッとロングに引く瞬間、「サングラスをかけたすずむし」が「ぽか~ん」とした表情で、こっちを見たまま「かたまりたおしている姿」が一瞬映る。
その表情は、あまりにも脱力感にあふれ、
「大泉洋28歳、きょうもぼくはバカです」
と、無言ながらに宣言しているような、そんな顔である。
「大泉さんも漕がないと・・・」
そうなのだ。まだ激しい流れの中、後方には流木群が口を開けて待っている。のんきにかたまっている場合ではないのだ。
「大泉さんも漕いで!休むなコラァッ!」
ヒゲに半分怒られながら、カヌーを漕ぎ出した大泉さんは、しかし考えて見れば不憫だ。
「これは、ぼくの夢だったんです」かなんか言われて、カナダくんだりまで連れてこられて、流木に激突したあげく、「漕げ!休むなコラァッ!」と怒号を浴びせかけられる。
「出ましたかぁ?」やっとこさ出た言葉がそれだった。
「出た!出た!出た!・・・」
「こーわかったぁー!なまら、こわかったぁー!」
彼はのちに、あの時の状況をこう語った。
「ぼくはねぇ、ピートの言った言葉をずっと繰り返していたよ・・・」
REDSIDE DOWN!(赤い方を下に!)
・・・彼はカヌーの基本を忘れていなかった。
彼にとって、それは一番大事なことだったのだ。
その後の大泉さんは、ご覧の通り小さくなっちゃって、「オレはなんて不器用なんだ・・・」と失敗を心から悔いていた。
「私には、ユーコンがとても狭く感じます」
おそらく、あの大河を下った者の中で、そう言ったのは大泉さんだけだろう。ちょっとでも操作を誤れば、カヌーはあっけなく危険地帯へと向かっていく。
しかし彼はそのあと、パドルの操作方法を積極的に質問し、納得するまで練習を繰り返していた。
おかげで、最後にはミスターよりも上手になったのではないだろうか。
最後のキャンプ地に到着し、夕食後、雨が降り出した。
その雨の中、我々は最後の釣りにでかけ、グレイリングを1匹だけ釣った。
それを大泉さんが、焚き火で焼いて、4人で一口づつ食べた。
「うまいねぇ・・・」
夜中の12時。
ガイドのふたりは、それぞれテントに入ってもう寝ていた。
4人でしばらく、焚き火を囲んで最後の夜を過ごしていた。
「これでもう、ユーコンに思い残すことはないね・・・」
大泉さんは、そう言った。
「明日はもう帰るんだ」という安心感と、少しだけの寂しさが、いつもの旅にも増して感じた。
翌朝。
最後にミスターは、やってくれた。「天災の天才」は、大泉さんだけではなかった。
「どうですか!」
ミスターは「顔を変形させる」という捨て身の荒業で、ユーコンを締めくくりにかかった。
前日に、いいだけ唇を腫らせておいて、最終日は「目」だ。さすがビジュアル系だ。
びっくりしたぞ。
このページで以前、「嬉野くんの惨状」について言及し、「それは最終夜に見れるかもしれない」と書いたが、それは「嬉野くんのお顔そのもの」を見せるのではなく、「人間、蚊に刺されるというだけで、どんだけ顔が変わるか?」という「見事な実例をお見せする」という意味でございました。
嬉野くんのお顔を期待していたみなさま、ごめんなさい。
でも基本的に、「目が腫れた人」の顔は「誰も似たような人相」になる。
だから、彼の顔を想像するのは難しいことではない。ミスターの目が、両方腫れたら、それが嬉野くんの顔である。
そうして、我々のユーコンは、終わりを迎えた。
メアリーは我々がゴールする、その時間にちゃんと川岸に立っていた。
聞けば、11時からずっとその場に立って、待っていてくれたらしい。
それが彼女の役目だから、当然のことではあるが、でも、我々の旅の中で、そのゴールに「待っている人」がいたのは初めてのことだ。
素直に「ありがとう」と言いたい。
我々は、ゴールした後、メアリーが用意してくれたランチをゆっくり食べて、みんなでボートを引き上げて車に載せ、そしてホワイトホースへと帰った。
カヌーで6日間かかった道のりを、たった2時間半でホワイトホースへと帰り着いた。
ホテルに帰ると、思う存分シャワーを浴びて、ぼーっとベッドに横たわった。
テレビはクイズ番組をやっているようだが、何を言ってるのかわからない。
でも、じーっと見入ってしまう。
ぼくにとって、それは、なにより一番幸せな時間である。
ロケが無事に終った、その安心感。次に何をするのか、何も考えなくてよい時間。
嬉野くんと、ぽつりぽつり話をしながら、たばこを吸う時間。
とても個人的なことだけれど、この安心感を得るために、すべてがあるような気もする。
翌日は、「万が一の予備日」としてとってあったので、ホワイトホースで1日過ごした。
それぞれお土産を買いに行ったり、ホテルでゆっくりしたり。
夜は、熊谷さんといっしょに、ホテルでやっている「コメディー・ショー」をみんなで見に行った。
ゴールドラッシュ時代の人々の騒動を、歌と芝居でコミカルに見せる、というもので、そこに出て来たのが「バンジョー」だった。
オチが(と言っても、ほとんどわからなかったが)決まると、ジャカジャカ賑やかなバンジョーをかきならし、踊りが始まる。やけに盛り上がって、楽しいショーだった。
「ふたりも、トークショーで、バンジョーぐらい弾きなさいよ。」
そう思ったのが、まぁ「バンジョー兄弟」のきっかけだ。
そして次の日、我々はようやくホワイトホースに別れを告げた。
空港へ行く前、メアリーと熊谷さんが、「これでもか!」と言わんばかりに「最後のユーコン」を見に連れて行ってくれた。
「どうです?きれいでしょ?また来たくなるでしょ?」熊谷さんは言っていたが、
「そうですね・・・。きれいですね。」とだけ、大泉さんは答えていた。
帰国後、熊谷さんからメールが届いた。
「これまでホームシックにかかったことはなかったけれど、今回は『水曜どうでしょうシック』にかかってしまいました。あれからみなさんの顔を思い浮かべ、番組のホームページを見たりして、少しでも気分をやわらげています・・・本当に楽しかった」というようなことが書かれてあった。
そして最後に、
「来年も、ユーコンのほとりでお会いできることを楽しみにしています!」
と結ばれていた。
「来年も・・・か・・・」
「もう思い残すことはないね・・・」
ユーコン最後の夜、大泉さんは言ったが、ひとつだけやり残したことがあった。
「3分でテントを立てる」という、どうでもよいが、どうしてもやっておきたい目標であった。
最終チャレンジ。
我々は、綿密なミーティングをかさね、「ポール組み立て班」「ペグ打ち班」など、作業を細かく分担し、3分の壁に挑戦した。
放送ではカットしたが、放送したところで、ちっともおもしろくないほど、それは真剣だったのだ。
「よーいスタート!」の合図で、「ポール班」のミスターと嬉野くんは、ポールに突進し、「テント本体班」の大泉さんと私は、見事な連携で、テントを広げた。
「ゴウッ!ゴウッ!ゴウッ!」という掛け声は、もうすっかり忘れて、ほとんど無言。見てても、ちっともおもしろくない。
そして最後、嬉野くんがペグ打ちに多少てこずったものの、驚くべきスピードでテントは立ち上がった。
「終了ッ!」
「ミスター!時間は!」
「くっ・・・3分・・・2秒ッ!」
「くわーッ!」
なんとも中途半端な「2秒」・・・。「やった!」とも喜べず、「ダメだっ!もう一回!」と再チャレンジする気にもなれず・・・。
ユーコンで思い残すことがあるとすれば、まぁそれぐらいだ。
「良い旅でした」。
そう言っていいんじゃないかな。
追伸。
現在発売中の「BE-PAL」12月号に、「熊谷芳江さん」が出ています。我々がユーコンを訪れたあと、熊谷さんは、野田知佑さんとともに、ユーコンの近くの川を下ったそうです。
「ユーコンのヨシ」といえば、かなり有名なお方なのです。