さて、前回までは「運命の9月25日」、その前後数日間の動きを、我々ディレクター陣中心に追ってきたわけだが、当然、みなさんも気になっていることがあるだろう。
主役のお二人、ミスターと大泉さんは、「その時を、どう迎えたのか?」。
先日、そのうちの一人、大泉洋さんにお話を伺う機会があったので、
「大泉洋の9・25」
その激動の一日を、ここにつぶさに記録しておこう。
9月25日。
大泉洋は、朝から執筆活動に追われていた。内容は定かではないが、とにかく原稿の締め切りは、目前。
彼は前夜も徹夜であったという。
そこへ「どうでしょう」から、例の「最終回に寄せて気合いの入ったメッセージを」との依頼も加わり、彼の頭の中は、かつてない混乱を極めていた。
「いったい、どうしたものか・・・」
髪を振り乱し困惑の表情も色濃い。
そりゃぁ、普段からたいして機能しないカラッポ頭。
いくら振ったところで、「カラカラ」と乾いた音を立てるのみである。
それでも彼は、そのカラッポ頭でカラカラと考え、とりあえず「本日の放送まで」に書き上げねばならない「どうでしょうメッセージ」にとりかかった。
25日正午。
「笑っていいともをね、見ながら、書き始めましたよぉ」
彼の証言である。カラカラカラ・・・。
そんな彼も、書き始めこそ、相当悩んだらしいが、あとは、正直な気持ちを素直に書き綴った。
それを読んだ私自身、「名文であった」と思う。
当のご本人様も、満足のいく出来だったらしく、
「もおね、書きながらですね、どぅわぁーっと涙が出て来てきましたよぉ。」
書きながら「号泣した」らしい。
自分の文章で。しかも「放送前」に。
幸せな男である。
25日、夕刻。メッセージを嬉野くん宛てに送信。
泣き疲れた彼は、別件の執筆活動もあったが、一休みすることにした。
メシを食い、そしていよいよ放送時間の迫った「午後10時」。
彼は、ひとり静かに、自宅のテレビの前で、その時を待っていた。
待ちながら、彼の脳裏に「6年間の出来事」が走馬灯のように蘇ってきた。
同時刻、私も帰宅を急ぐ車の中で、同じように「6年間の出来事」を少なからず思い出していた。
会社にひとり居残った嬉野くんも、きっとそうであったろう。
ミスターも、多分そうであったと思う。
場所こそ違え、4人それぞれが、同じ思いで「その時」を待っていたのだ。
中でも大泉洋は、特にその思いが強かった。
彼にとって、この6年は、まさに「人生を大きく変えた6年」であった。
大学3年、23歳の青年期から、30歳になろうかという現在まで。「水曜どうでしょう」という番組を発端に、彼の人生は、あまりに大きな変革を迎えた。
その「激動の6年を締めくくる放送」まで1時間あまり・・・。
彼は、その時間を、いと惜しむように、ゆっくりと目を閉じた。
そして、まぶたの裏に浮かぶ「懐かしい場面」、そのひとつひとつに、身をゆだねた。
あんなこともあった・・・こんなこともあった・・・。
思い出すうち、
できれば「最後の時」が、永遠に来なければいいのに。
そんなことを考えていたかもしれない。
しかし、目の前にある時計の針は、着実に「その時」に向かって時を刻んでいく。
チックタック、チックタック・・・。
チックタック、チックタック・・・。
そして・・・遂にその時が来た。
彼は、ゆっくりと・・・ゆっくりと、まぶたを開いた。
目の前の「時計の針」が、彼の視界に入った。
午前・・・。
(午前・・・)
1時。
(1時・・・あっ・・・)
彼は混乱した。
「午前1時って!どういうことだ!」
カラッポ頭が、急速に事態を整理しようと「カラカラカラッ!」と激しい乾音を轟かせて、急回転した。
(午後10時に、オレは「もうすぐ始まるな」って思って、ゆっくり目を閉じた。)
カラカラカラッ!
(そして、目を開けたら、午前1時・・・)
カラカラ・・・。
(寝ッ!・・・)
カラッ。
「寝ちゃったのかッ!オレ!」
カランカラン・・・。
そして・・・彼の脳波は完全に停止したという。
テレビの中では、マシューが陽気な顔で笑っていた。
そうなのだ。
大泉洋は・・・「運命の9月25日」、あの放送を、
いいか、寝過ごして、いいか!「寝過ごして!」だぞ、
「見てない!」のである。
・・・今回の「ドキュメント」執筆にあたり、私はメモを片手に、彼の「その日」を取材した。
その時、彼は明らかに、「何かを隠そう」としていた。
明らかに何かを「言いよどんで」いた。
そして、ようやく彼が重い口を開き、語り出したのが、こんな話だった。
「あのね、10時ごろだったかなぁ、もうそろそろだな!って思って、ベッドに寝っ転がったわけ」
「ほう・・・寝っ転がった、と」
「そうすると頭ん中に、こう、思い出が、次々と蘇って来るわけ」
「走馬灯のように・・・」
「そう!まさしくその通り。そうして、こう、ぐっとまぶたを閉じてね」
「まぶたを閉じて・・・」
「ハッと、目が覚めたら、午前1時」
「ごぜ・・・午前1時っておまえ・・・」
「びっくりしました」
・・・びっくりしたそうである。
今回、私がこのようなものを書かなければ、彼は、
「一生黙っておこう」
そう心に決めていたらしい。
当たり前だ。
こっちも「聞かなきゃよかった」と思っている。
で、その後、この「バカ」は・・・(たぶん今回は、どう書いたって、ヤツからクレームが入ることもなかろう)、
その後、あの「すずむし」は・・・(今回は、なにを言ったって文句を言われる筋合いはない)、
その後、あの「バカ泉洋」は、急いで録画ビデオを巻き戻し(このへんの準備だけは、昆虫並みの脳ミソでもぬかりなかったらしい)、慌てて「最終回」を見たという。
「・・・まぁ放送では、泣きませんでしたけどね」
当たり前だ。んな失態を犯しといて泣けるかよ。
そして、すぐさま、ホームページを見たという。
日記を見ると、
【さぁ、ウラを押してみてください。
ミスターと大泉さんからメッセージが届いています】
そう、書かれてあった。
言われるがままに、ウラを押し、ミスターと、そしてテメェのメッセージを読んだ。
そのとたん、
「どわぁーっ!と涙が出ましてね。もう、顔なんかぐしゃぐしゃで、いやぁ!やられましたね。オレの文章に。」
真夜中に号泣したらしい。
またしてもテメェの文章で。
幸せな男である。
その後、皆様からの書き込みを見て、またまた「号泣」し、泣き疲れて、そして、その日は気持ちよく寝てしまったという。
明けて9月26日。
大泉洋は、再び混乱していた。
遅々として進まない別件の原稿に再び頭を悩ませていたのだ。
彼はこの日、芝居の稽古もあり、「ヒマタレント」ながら(文句はなかろう)、忙しい一日であった。
そこで、バカはバカなりに考え(文句ないな)、誰もいない静かな稽古場に朝イチで駆けつけ、まずは「原稿にケリをつけよう!」と、気合充分、執筆活動を開始した。
彼は、こういう「気合い」が必要な場面、自ら厳選した「気合いの入る歌マイベスト集」とかいうオリジナルテープを作り、そいつをヘッドホンで聞きながら、執筆をするらしい。
バカの考えそうなことだ。(いいだろ?)
さて、昼を過ぎ、やはり昆虫並みの微細脳では(いいよな)、良いアイデアも浮かばず、「ならば気分転換!」とばかり、再び「どうでしょう」のホームページを覗いてみることにした。
(そういえば、嬉野さんは、徹夜したのかなぁ・・・)
ふと、そんなことを考えながら、日記を開くと、私がこんなことを書いていた。
【9月26日(木)】
嬉野くんは、私が出社する直前に、帰宅したようである。
がんばり過ぎだ。朝9時過ぎまで。ほんと、がんばり過ぎだ。
読んだとたん、また彼の涙腺は弛み始めた。
(嬉野さん、「朝9時まで」って・・・う、嬉野さんッ!ぐっ!)
とっさに、こみ上げそうになった嗚咽を手で抑えた。
(嬉野さん・・・ほんと、がんばり過ぎだよ)
やや時を置き、こみあげたものを落ち着かせ、彼は、なおも日記を読み進んだ。
私の文章が続いている。
【ボロボロになった嬉野くんの最後の日記を残しておく・・・】
・・・昨夜、嬉野くんが書いた日記を、私はそのまま後半部に残しておいたのだ。
言われるがままに、大泉洋も、「昨夜の嬉野日記」を読み進む。
【6年におよぶ、どうでしょうの旅は、今、終わりました。
みなさんがこれまで番組に寄せてくれた想いのひとつひとつに、深く感謝いたします。】
大泉洋の喉元に、熱いものが突き刺さってきた。
【本当に、ありがとうございました。】
堪えきれなくなった彼の、鼻をすする音が、誰もいない稽古場に、静かに響き渡った。
【さぁ、ウラを押してみてください。
ミスターと大泉さんからメッセージが届いています。】
(メッセージが・・・ぐっ!)
もはや自らの感情をコントロールすることはできなかった。
昨夜もさんざん読んだはずなのに、溢れ出る涙を拭いながら、彼は、言われるがままに、またウラを押して、メッセージを読み始めていた。
ミスターのメッセージ。
そして大泉さんの・・・というか「テメェの書いたやつ」を再び読み始めた。
その時!
彼のヘッドホンの「マイベスト集」から、「一番のお気に入り」、松山千春の「♪君を忘れない」が流れ出した。
その瞬間!チー様の歌声が、怒声となって大泉洋のむなぐらを鷲づかみにし、彼が心の奥底でこらえていた感情を、一気に噴出させた。
そして、
「また、どぅわーッ!と涙が出てきましてね。もう、これ以上ないっ!てぐらいの号泣をね・・・」
したそうである。
「・・・ひとりで?」
「ひとりで」
「まっぴるまから?」
「まっぴるまから」
「自分の書いたやつで?」
「自分の書いたやつで」
「号泣・・・」
「号泣」
「何回目よ」
「3回目」
幸せである。
その後、チー様がうわんうわん歌い上げる中で、テメェの文章を読み、そして皆様の書き込みも読んで、そしてうわん!うわん!泣いたそうである。
・・・いや、みなさまの中にも「泣きました!」「普段は泣かないけど、あれにはやられました!」なんて方、ずいぶんいらっしゃいましたが、いやもう「あのバカ」ほど泣いたやつはいないんじゃないだろうか。
おれだって、そりゃ恥ずかしいほどの号泣をしたけど・・・「2日で3回」って・・・。
それも、テメェの書いた文章で。
「9・25 水曜どうでしょう感動のラスト・ラン」
あの放送を、この世で、最も堪能した人物、
それは、間違いなく「あのバカ」である。
【ドキュメント9・25~完~】
・・・さて、4話に渡り連載を続けた「ドキュメント9・25」は、これをもって一応の「完」ではあるが、「ひとり」、忘れ去られた男がいる。
そう。「ミスターどうでしょう・鈴井貴之」はどうなったのか?
当然、気になるところではある。
しかし、先日取材したところ、
「いやぁ・・・なんか皆さん、それぞれにあったみたいで・・・」
「ミスターだって、当然なんかあったでしょう?」
「それが、特にお話するようなコトもなく・・・」
普通に、家で見てたそうである。
「そうですか・・・」
あからさまに、私が落胆の色を浮かべると、そこは鈴井貴之、「つまらない男」と思われては、その名がすたる。
「いや!・・・いや!あれです・・・」
慌てた様子で、なんか「おもしろい話題を提供しよう」と必死になった。
「私は・・・」
「どうしました?」
「私は、見ました。」
「なにを?」
「嬉野さんを。あの朝。」
「おっ!あの、徹夜明けの朝ですか!」
「はい。」
「それは、貴重な証言だ!」
・・・あの夜「死闘」を演じた嬉野くんの「実際の姿」は、誰も見ていない。
早速、取材態勢に入った。
「ぼくね、朝7時ごろここに来たんですよ。」
「朝7時と・・・それで?どんな様子でした?」
「まぁ・・・少し疲れた感じでしたけど」
(あ?なんだよ・・・そんだけかよ)
私が、再びつまらなそうな顔をすると、鈴井貴之はいきり立った。
「いや!・・・いや!もうね、頬がげっそり。ゲッソリですよ!だってね、ぼく、わかんなかったですもん!嬉野さんだって。なんかこう・・・そうだ!たった今!たった今ジャングルから帰って来ました!って感じの・・・もう『小野田さ~ん!』って叫びたくなるようなそんな・・・」
明らかに、ウソである。
だいたい一晩徹夜したぐらいで、頬がげっそり、衣服もボロボロの帰還兵「小野田さん」を当てはめるのに無理がある。
ひとりだけ「普通の9・25」を過ごしてしまった鈴井貴之は、その焦りから、ウソを言っていた。
「いやぁ!嬉野さんの顔、スゴかったなぁ!」
(だいたい、『小野田さ~ん』ってネタも古過ぎて、ウソにしたってわかりづれぇよミスター・・・。)
「でね、最後なんか、ぼくね、『嬉野さ~ん!』って、日の丸を振りましたよ!」
(わかった。わかった。)
ひとり盛り上がるミスターの横で、私は「ドキュメント9・25」の取材メモを、パタリと閉じたのであった。