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「ドキュメント9・25」最終話~大泉洋の9・25~

藤村 | 2002.11/26(TUE) 12:45


 さて、前回までは「運命の9月25日」、その前後数日間の動きを、我々ディレクター陣中心に追ってきたわけだが、当然、みなさんも気になっていることがあるだろう。

 主役のお二人、ミスターと大泉さんは、「その時を、どう迎えたのか?」。

 先日、そのうちの一人、大泉洋さんにお話を伺う機会があったので、

 「大泉洋の9・25」

 その激動の一日を、ここにつぶさに記録しておこう。

 9月25日。

 大泉洋は、朝から執筆活動に追われていた。内容は定かではないが、とにかく原稿の締め切りは、目前。

 彼は前夜も徹夜であったという。

 そこへ「どうでしょう」から、例の「最終回に寄せて気合いの入ったメッセージを」との依頼も加わり、彼の頭の中は、かつてない混乱を極めていた。

 「いったい、どうしたものか・・・」

 髪を振り乱し困惑の表情も色濃い。

 そりゃぁ、普段からたいして機能しないカラッポ頭。

 いくら振ったところで、「カラカラ」と乾いた音を立てるのみである。

 それでも彼は、そのカラッポ頭でカラカラと考え、とりあえず「本日の放送まで」に書き上げねばならない「どうでしょうメッセージ」にとりかかった。

 25日正午。

 「笑っていいともをね、見ながら、書き始めましたよぉ」

 彼の証言である。カラカラカラ・・・。

 そんな彼も、書き始めこそ、相当悩んだらしいが、あとは、正直な気持ちを素直に書き綴った。

 それを読んだ私自身、「名文であった」と思う。

 当のご本人様も、満足のいく出来だったらしく、

 「もおね、書きながらですね、どぅわぁーっと涙が出て来てきましたよぉ。」

 書きながら「号泣した」らしい。

 自分の文章で。しかも「放送前」に。

 幸せな男である。

 25日、夕刻。メッセージを嬉野くん宛てに送信。

 泣き疲れた彼は、別件の執筆活動もあったが、一休みすることにした。

 メシを食い、そしていよいよ放送時間の迫った「午後10時」。

 彼は、ひとり静かに、自宅のテレビの前で、その時を待っていた。

 待ちながら、彼の脳裏に「6年間の出来事」が走馬灯のように蘇ってきた。

 同時刻、私も帰宅を急ぐ車の中で、同じように「6年間の出来事」を少なからず思い出していた。

 会社にひとり居残った嬉野くんも、きっとそうであったろう。
 ミスターも、多分そうであったと思う。

 場所こそ違え、4人それぞれが、同じ思いで「その時」を待っていたのだ。

 中でも大泉洋は、特にその思いが強かった。

 彼にとって、この6年は、まさに「人生を大きく変えた6年」であった。

 大学3年、23歳の青年期から、30歳になろうかという現在まで。「水曜どうでしょう」という番組を発端に、彼の人生は、あまりに大きな変革を迎えた。

 その「激動の6年を締めくくる放送」まで1時間あまり・・・。

 彼は、その時間を、いと惜しむように、ゆっくりと目を閉じた。

 そして、まぶたの裏に浮かぶ「懐かしい場面」、そのひとつひとつに、身をゆだねた。

 あんなこともあった・・・こんなこともあった・・・。

 思い出すうち、

 できれば「最後の時」が、永遠に来なければいいのに。

 そんなことを考えていたかもしれない。

 しかし、目の前にある時計の針は、着実に「その時」に向かって時を刻んでいく。

 チックタック、チックタック・・・。

 チックタック、チックタック・・・。

 そして・・・遂にその時が来た。

 彼は、ゆっくりと・・・ゆっくりと、まぶたを開いた。

 目の前の「時計の針」が、彼の視界に入った。

 午前・・・。

 (午前・・・)

 1時。

 (1時・・・あっ・・・)

 彼は混乱した。

 「午前1時って!どういうことだ!」

 カラッポ頭が、急速に事態を整理しようと「カラカラカラッ!」と激しい乾音を轟かせて、急回転した。

 (午後10時に、オレは「もうすぐ始まるな」って思って、ゆっくり目を閉じた。)

 カラカラカラッ!

 (そして、目を開けたら、午前1時・・・)

 カラカラ・・・。

 (寝ッ!・・・)

 カラッ。

 「寝ちゃったのかッ!オレ!」

 カランカラン・・・。

 そして・・・彼の脳波は完全に停止したという。

 テレビの中では、マシューが陽気な顔で笑っていた。

 そうなのだ。

 大泉洋は・・・「運命の9月25日」、あの放送を、

 いいか、寝過ごして、いいか!「寝過ごして!」だぞ、

 「見てない!」のである。

 ・・・今回の「ドキュメント」執筆にあたり、私はメモを片手に、彼の「その日」を取材した。

 その時、彼は明らかに、「何かを隠そう」としていた。

 明らかに何かを「言いよどんで」いた。

 そして、ようやく彼が重い口を開き、語り出したのが、こんな話だった。

 「あのね、10時ごろだったかなぁ、もうそろそろだな!って思って、ベッドに寝っ転がったわけ」

 「ほう・・・寝っ転がった、と」

 「そうすると頭ん中に、こう、思い出が、次々と蘇って来るわけ」

 「走馬灯のように・・・」

 「そう!まさしくその通り。そうして、こう、ぐっとまぶたを閉じてね」

 「まぶたを閉じて・・・」

 「ハッと、目が覚めたら、午前1時」

 「ごぜ・・・午前1時っておまえ・・・」

 「びっくりしました」

 ・・・びっくりしたそうである。

 今回、私がこのようなものを書かなければ、彼は、

 「一生黙っておこう」

 そう心に決めていたらしい。

 当たり前だ。

 こっちも「聞かなきゃよかった」と思っている。

 で、その後、この「バカ」は・・・(たぶん今回は、どう書いたって、ヤツからクレームが入ることもなかろう)、

 その後、あの「すずむし」は・・・(今回は、なにを言ったって文句を言われる筋合いはない)、

 その後、あの「バカ泉洋」は、急いで録画ビデオを巻き戻し(このへんの準備だけは、昆虫並みの脳ミソでもぬかりなかったらしい)、慌てて「最終回」を見たという。

 「・・・まぁ放送では、泣きませんでしたけどね」

 当たり前だ。んな失態を犯しといて泣けるかよ。

 そして、すぐさま、ホームページを見たという。

 日記を見ると、

 【さぁ、ウラを押してみてください。

 ミスターと大泉さんからメッセージが届いています】

 そう、書かれてあった。

 言われるがままに、ウラを押し、ミスターと、そしてテメェのメッセージを読んだ。

 そのとたん、

 「どわぁーっ!と涙が出ましてね。もう、顔なんかぐしゃぐしゃで、いやぁ!やられましたね。オレの文章に。」

 真夜中に号泣したらしい。

 またしてもテメェの文章で。

 幸せな男である。

 その後、皆様からの書き込みを見て、またまた「号泣」し、泣き疲れて、そして、その日は気持ちよく寝てしまったという。

 明けて9月26日。

 大泉洋は、再び混乱していた。

 遅々として進まない別件の原稿に再び頭を悩ませていたのだ。

 彼はこの日、芝居の稽古もあり、「ヒマタレント」ながら(文句はなかろう)、忙しい一日であった。

 そこで、バカはバカなりに考え(文句ないな)、誰もいない静かな稽古場に朝イチで駆けつけ、まずは「原稿にケリをつけよう!」と、気合充分、執筆活動を開始した。

 彼は、こういう「気合い」が必要な場面、自ら厳選した「気合いの入る歌マイベスト集」とかいうオリジナルテープを作り、そいつをヘッドホンで聞きながら、執筆をするらしい。

 バカの考えそうなことだ。(いいだろ?)

 さて、昼を過ぎ、やはり昆虫並みの微細脳では(いいよな)、良いアイデアも浮かばず、「ならば気分転換!」とばかり、再び「どうでしょう」のホームページを覗いてみることにした。

 (そういえば、嬉野さんは、徹夜したのかなぁ・・・)

 ふと、そんなことを考えながら、日記を開くと、私がこんなことを書いていた。

 【9月26日(木)】
 
 嬉野くんは、私が出社する直前に、帰宅したようである。 

 がんばり過ぎだ。朝9時過ぎまで。ほんと、がんばり過ぎだ。

 
 読んだとたん、また彼の涙腺は弛み始めた。

 (嬉野さん、「朝9時まで」って・・・う、嬉野さんッ!ぐっ!)

 とっさに、こみ上げそうになった嗚咽を手で抑えた。

 (嬉野さん・・・ほんと、がんばり過ぎだよ)

 やや時を置き、こみあげたものを落ち着かせ、彼は、なおも日記を読み進んだ。

 私の文章が続いている。

 【ボロボロになった嬉野くんの最後の日記を残しておく・・・】

 ・・・昨夜、嬉野くんが書いた日記を、私はそのまま後半部に残しておいたのだ。

 言われるがままに、大泉洋も、「昨夜の嬉野日記」を読み進む。

 
 【6年におよぶ、どうでしょうの旅は、今、終わりました。

 みなさんがこれまで番組に寄せてくれた想いのひとつひとつに、深く感謝いたします。】

 大泉洋の喉元に、熱いものが突き刺さってきた。

 【本当に、ありがとうございました。】

 堪えきれなくなった彼の、鼻をすする音が、誰もいない稽古場に、静かに響き渡った。

 【さぁ、ウラを押してみてください。

 ミスターと大泉さんからメッセージが届いています。】

 (メッセージが・・・ぐっ!)

 もはや自らの感情をコントロールすることはできなかった。

 昨夜もさんざん読んだはずなのに、溢れ出る涙を拭いながら、彼は、言われるがままに、またウラを押して、メッセージを読み始めていた。

 ミスターのメッセージ。

 そして大泉さんの・・・というか「テメェの書いたやつ」を再び読み始めた。

 その時!

 彼のヘッドホンの「マイベスト集」から、「一番のお気に入り」、松山千春の「♪君を忘れない」が流れ出した。

 その瞬間!チー様の歌声が、怒声となって大泉洋のむなぐらを鷲づかみにし、彼が心の奥底でこらえていた感情を、一気に噴出させた。

 そして、

 「また、どぅわーッ!と涙が出てきましてね。もう、これ以上ないっ!てぐらいの号泣をね・・・」

 したそうである。

 「・・・ひとりで?」

 「ひとりで」

 「まっぴるまから?」

 「まっぴるまから」

 「自分の書いたやつで?」

 「自分の書いたやつで」

 「号泣・・・」

 「号泣」

 「何回目よ」

 「3回目」

 幸せである。

 
 その後、チー様がうわんうわん歌い上げる中で、テメェの文章を読み、そして皆様の書き込みも読んで、そしてうわん!うわん!泣いたそうである。

 ・・・いや、みなさまの中にも「泣きました!」「普段は泣かないけど、あれにはやられました!」なんて方、ずいぶんいらっしゃいましたが、いやもう「あのバカ」ほど泣いたやつはいないんじゃないだろうか。

 おれだって、そりゃ恥ずかしいほどの号泣をしたけど・・・「2日で3回」って・・・。

 それも、テメェの書いた文章で。

 「9・25 水曜どうでしょう感動のラスト・ラン」

 あの放送を、この世で、最も堪能した人物、

 それは、間違いなく「あのバカ」である。

 
 【ドキュメント9・25~完~】

 ・・・さて、4話に渡り連載を続けた「ドキュメント9・25」は、これをもって一応の「完」ではあるが、「ひとり」、忘れ去られた男がいる。

 そう。「ミスターどうでしょう・鈴井貴之」はどうなったのか?

 当然、気になるところではある。

 しかし、先日取材したところ、

 「いやぁ・・・なんか皆さん、それぞれにあったみたいで・・・」

 「ミスターだって、当然なんかあったでしょう?」

 「それが、特にお話するようなコトもなく・・・」

 普通に、家で見てたそうである。

 「そうですか・・・」

 あからさまに、私が落胆の色を浮かべると、そこは鈴井貴之、「つまらない男」と思われては、その名がすたる。

 「いや!・・・いや!あれです・・・」

 慌てた様子で、なんか「おもしろい話題を提供しよう」と必死になった。

 「私は・・・」

 「どうしました?」

 「私は、見ました。」

 「なにを?」

 「嬉野さんを。あの朝。」

 「おっ!あの、徹夜明けの朝ですか!」

 「はい。」

 「それは、貴重な証言だ!」

 ・・・あの夜「死闘」を演じた嬉野くんの「実際の姿」は、誰も見ていない。

 早速、取材態勢に入った。

 「ぼくね、朝7時ごろここに来たんですよ。」

 「朝7時と・・・それで?どんな様子でした?」

 「まぁ・・・少し疲れた感じでしたけど」

 (あ?なんだよ・・・そんだけかよ)

  私が、再びつまらなそうな顔をすると、鈴井貴之はいきり立った。

 「いや!・・・いや!もうね、頬がげっそり。ゲッソリですよ!だってね、ぼく、わかんなかったですもん!嬉野さんだって。なんかこう・・・そうだ!たった今!たった今ジャングルから帰って来ました!って感じの・・・もう『小野田さ~ん!』って叫びたくなるようなそんな・・・」

 明らかに、ウソである。

 だいたい一晩徹夜したぐらいで、頬がげっそり、衣服もボロボロの帰還兵「小野田さん」を当てはめるのに無理がある。

 ひとりだけ「普通の9・25」を過ごしてしまった鈴井貴之は、その焦りから、ウソを言っていた。

 「いやぁ!嬉野さんの顔、スゴかったなぁ!」

 (だいたい、『小野田さ~ん』ってネタも古過ぎて、ウソにしたってわかりづれぇよミスター・・・。)

 「でね、最後なんか、ぼくね、『嬉野さ~ん!』って、日の丸を振りましたよ!」

 (わかった。わかった。)

 ひとり盛り上がるミスターの横で、私は「ドキュメント9・25」の取材メモを、パタリと閉じたのであった。