写真集にかける熱きコダワリ〜番外編〜

藤村 | 2003. 4/ 3(THU) 13:22


 嬉野先生コダワリの「どうでしょう写真集2」。前回までは、メインである「写真」についてお話したが、最後に「番外編」として写真集に付属する「文章」についてお話しておこう。

 3年前に発売した「写真集1」は、写真はもちろんのこと4人それぞれが書き下ろした「文章」にも重きを置いた。代表的なものは、大泉さんとミスターの「北欧ロケ日記」。特に大泉さんは、ロケ中の出来事を事細かに書いていた。ロケ写真とともに、それはとても興味深いものであった。

 今回の写真集も、4人それぞれが、なにかしらの文章を寄稿しようと考えていた。ところが嬉野先生は、「今回は文章が必要ないような気がする」と言い出した。「なんでだ?」と、これまた私は疑問を拭いきれなかった。

 視聴者の皆さんは、普段ホームページではお目にかかれないミスターや大泉さんの文章も期待してるはずである。「彼ら二人は、どんなことを思ってるんだ?」とか。

 確かにそうなんだけど、でも、今回の写真集に関しては、それは必要最小限にとどめたい。「どうでしょう」は、確かに我々が作っているものだけど、でも、実は「見る人によって」、それぞれ「自分なりのどうでしょう」がある。今回の写真集では、それを大切にしたい。だって写真ってのは、文章やVTRと違って「ある一瞬を切り取ったもの」で、その前後のストーリーは、それを見た人が感じ取るものなんだから。

 嬉野先生は、そんなことを言った。さすが「哲学が趣味」と言うだけあって、わかったようなわからんような理屈である。

 サービス精神旺盛な私としては、写真の合い間合い間になにかしらの文章があった方が楽しんで見ていただけるだろうと思っていた。

 しかし、先生から例の「スケッチブック型写真集の原型」を見せられた時、私には先生の言わんとしていることが、ハッキリと理解できた。

 「確かにこれは、途中に文章はいらんね。いや、絶対にない方がいい。」

 これは、なかなか言葉では説明しづらい感覚である。しかし敢えて言葉にするなら、先生が先に言った理由が、やはり的を得ている。写真を一枚一枚めくりながら、その人なりの「どうでしょう」をなぞっていく。そのひと時が、心に温かいものを残していく。

 「それにね、余計な説明を入れない方が、じっくり写真を見ちゃうんだよね。だから、細部までしっかり写し出す必要があったわけ」

 なるほど!だから「ネガ直接方式」にこだわったわけだ。なるほど。なるほど。

 「でも、1枚1枚の写真に、ある程度の情報は書き込もうと思ってます。撮影場所と日時。それから、ちょっとしたメモ。」

 「あぁ写真の下とかにね。よくあるね、そういうの」
 
 「いや、写真の下じゃなくて、写真集の最後の方に索引みたいな感じで、メモだけずらーっと並べます」

 「なによ。どうせなら写真の下に付けなさいよ。見にくいじゃないの」

 「それがいいんです。まず、固定観念なしに写真だけをゆっくり見てもらう。その後にメモを見てもらって、『あぁあそこの写真か』とか、『なるほど、そんなことがあったのか』と知ってもらえばいい。とにかくぼくらが邪魔をしない」

 なるほど、なるほどぉ。だからわざと最後のページに並べるわけね。「写真の情報を知りたければ、最後の索引を見ろ」と。さすが先生、考えてらっしゃる。

 「でもね。603枚目の最後の写真のあとには、4人の文章を載せようと思ってます。」

 「書きますか」

 「藤村くんは、最後の写真を見て、なにか思ったことはないかい?」

 「実はね・・・あの企画は自分の中では忘れられない企画なんだよね・・・」

 今はまだ明かさないが、実はある企画で、私は「自分の信念を曲げてしまった」たことがる。それは自分の中では、「ひとつの大きな決心」だった。

 「そうかい。実は、ミスターにも聞いたんだけど、あの人もこの企画ではいろいろ考えてたらしいんだよね。」

 「ミスターも?」

 「そう。だから、大泉さんにも何かあるんじゃないかと思ってね。それでみんなそれぞれに思うところを書いてもらおうかと・・・」

 ・・・そしてこれは実際、大変興味深い文章となった。実に4人のキャラクターというか、番組に対する考え方が表れている。私も他の3人の文章を読んで、初めて知りえた事実もあった。

 「今回の写真集で、皆さんの文章はこれひとつ。でも、だからこそ渾身の文章をお願いしますよ」

 先生は、プレッシャーをかけるようなことを言った。それだけ、最後の文章に「重き」を置いていたのだろう。これもまたコダワリのひとつだ。

 その時の先生の「気持ち」「意気込み」が、見事に表れた一文がここにある。

 遅筆で有名。ご存知「すずむし」大泉洋さんに原稿を依頼した時のメールである。9・25の最終回に寄せた原稿依頼の際にも、大泉さんに対し「へりくだった脅迫文」を送った嬉野先生。

 今回もスゴイお願い文書を送りつけております。

 最後にこの一文を皆さんにお読みいただき、写真集にかけた熱き男の物語、幕としたいと存じます。

 ※一部ネタバレ防止のため「××××」と伏字をしてあります。

 【嬉野先生の大泉さんへのメール】

先生!
昨夜もお見かけ致しましたが、
まずもって御健勝のことと存じ上げ、喜ばしきこと限りなしでございます。

先生、制作部へお越しの際は、去り行かれます先生の後ろ姿に誰彼と無く手を合わせ、
「あれを行かれるが大泉様よ、生き神様よ」と、誰ゆうとなく合掌念じるのが、
HTBでは、いつの頃からかの慣わしとなっております、ありがたや。

まことにもって今や世間に先生の御威光の当たらぬ所なく、
ひなたあっても、日陰なし!
あたかも天空に二つの日輪が昇ったようでございます、ありがたや。

この混迷の時代にあって先生ばかりが上げ潮調子。

その上げ潮の先生に不肖嬉野、執筆を依頼せんと本日メールをした次第で御座います。

手前ども、この度、「どうでしょう写真集第2弾」発刊いたしますことに相成りまして、
写真選択、写真構成、ひとまず終えたところで御座いますが、
やはり出版物には、文章を載せたい。
それも、名文に限ります。駄文ではいけません。

そうなれば思いつくのは先生のことばかりで御座います。
大泉先生といえば名文家としての誉れ高く、
その行間から溢れ出る感動の渦に、再三四読、なお飽くことを知らず!
読者をして感激の淵に追い落としむるばかりの文章家!

どうして、執筆を御依頼しないことがあろう、いやない。

というわけで、
今回の写真集は、基本的に第1弾の後を受け、
第1弾で発表しなかった「北欧」の写真からラスト・ランの「ベトナム」まで。

写真集に掲載する写真の数はおよそ600カット。
ページ数にして、約500ページ。

これは、おそらく縦にすれば、本が自立して立つ厚みで御座います。

写真の流れは、必ずしも時間軸通りではなく、ところどころで企画の順序は前後します。
それもこれも、第1ページから開き見て、飽きの来ない構成を目指したゆえの結果で御座います。

因みに、写真集の最後は、「××××」。

写真集の巻頭には、この写真集の見方に関する文章をわたくし嬉野が書きます。
その後、怒涛の写真構成600カットが続き、この間に文章を差し挟むことはせず、
写真だけを見せて行きます。

写真の一齣一齣にも説明文は付けず、「1999年高知」程度に留め、
写真そのもの一枚一枚を見てもらをうと考えています。

説明文をつけ面白く写真を見せるという手も当然ありますが、
それをすると、それ以外の見方を人はしなくなるようです。
入りやすく、飽きやすい。

それより、なんの説明もせず、写真だけを提示したほうが、
人は、久しく想像力をたくましゅうして写真を見つづけるもののようです。
また、その視線に耐えうる「良い写真」のみを厳選したつもりで御座います。

前述しましたが、写真集のラストは「××××」。

そして、ラストカットは、×××××××。

これは、実に気に入ってる写真でありまして、
チャップリンの「モダンタイムス」のラストカットのように、
「何故か希望に溢れた」カットなので御座います。

この写真を、今回の写真集の最後にもってまいります。

そのあとに皆さんの文章を載せるわけで御座います。
ですから、皆さんのお書きになる文章は、
そのラストカットの持つイメージを受けた文章であってほしい。

では、その文章とはなにか?

昨夜、嬉野は来局しておられたミスターに、写真集に載せる文章のことについて相談してみました。
写真集に文章を掲載したいが、テーマが今ひとつ見えない。見えないのですがミスター、なにか文章を載せたいのです。

すると、ミスターは言いました。

「どうでしょうに関する極私的なことでもいいのですよね。」
「そら、結構です、ミスター。」
「ぼくあの、例の××××の頃、密かに×××××だったんですよ。」
「どういうことですか?」
「いや、ぼくはね・・・(※以下、削除)」

不肖嬉野、ミスターのその話を聞いて、
今回の写真集に載せる文章のテーマが見えました。

それは、これまで6年の長きに渡り旅を続けてきた「どうでしょう班」4人の、
番組を続けて行く上での、
番組と関わって行く上での、
番組に対するひとりひとりの個人的な思いです。
いろんな感情です。

それを、巻末に掲載して写真集を終えようと考えるにいたりました。

当然藤村くんにも文章を依頼しました、

ぼくも書きます。

先生にもお願いします。

締めきりは2月26日で御座います。
2月27日の早朝までに、わたくし嬉野へメールして下さい。

先生!
この期に及んでごねる事のありませぬよう、くれぐれもお願い申し上げます。

先生が御執筆になる内容が思いつかれましたら、
恐れ入りますが、嬉野まで一報願いたく。

それでは先生、おやすみなさい。
良い夢を…。



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