12月15日水曜日。HTBには、1ヶ月ぶりの帰国となった鈴井貴之氏とともに、東京から帰札したばかりの大泉洋氏の姿があった。氏は、2005年1月より放送となるCX系のドラマ「救命病棟24時」への出演が決定し、慌しい撮影スケジュールを縫ってのHTB来訪。
全国ネットの連ドラ初出演。2005年、更なる飛躍が期待される大泉洋氏に、本誌記者が肉迫した!
―どうも大泉さん。
おやおや!ミスターだけでなく、わたくしにもお話を聞いていただける!
―もちろんです。まずはお写真一枚よろしいですか?
はいはい。
―いきますよ(本誌記者、いきなり肉迫)。
いやいや、寄り過ぎじゃないですか?
「カシャ!」
いやいや・・・。
―さて、というわけで大泉さん。なんでもフジテレビのドラマにご出演なさるとか。
おやおや!ドラマの話を聞いていただける!系列も違うのに!
―もちろんじゃないですか。
いや、うれしいなぁ。
―撮影の方はいつから?
ずいぶん前から始まってますねぇ。もう何度、東京と札幌を往復したかわかりません。
―いかがですか?その・・・著名な俳優さんたちに混じっての撮影というのは?
華やかですね。中でも一番派手だったのは皆さん勢揃いしての「ポスター撮影」。
―例の、大泉さんが失禁したという。(オフィスキューHP「キューダイアリー」参照)
そうです!そうです! 思わずチビってしまったという・・・
―その「失禁事件」の顛末を詳しく聞かせていただけませんか?
あれはですね、味の素スタジアムという所で撮影がありまして。
―サッカーの。
そうです。広いスタジアムに着きましたらですね、ズラーッとこう、テントが並んでおりましてですね、大スターの皆さんたちがもうもう・・・
―テントに大集合!
そうです。お茶を飲みながら、楽しげに談笑をなさっておるわけです。私はもう、怖くて近寄れなかったですねぇ。
―なにをおっしゃいますか!「談笑」と言ったら、なにをおいてもあなたの出番じゃないですか!
もう全然無理です。
―さすがの大泉洋も、そこまで多くの皆さんを目の前にしたら、怖くて近寄れなかったと?
隅っこの方にいるのがせいぜいでしたね・・・ただ!私は江口さんと・・・会話を交わしました。
―おやッ!江口洋介さんと!
はい。
―それは・・・大泉さんからお声をかけたのか、それとも・・・
江口さんの方から、声をかけてきましたね。
―おやおや!
今回の撮影はこう、ズラッと出演者の皆さんが、そのスタジアムに並ぶんですね。前の方には大御所の皆さんが並んで・・・後ろの方にはエキストラの皆さんなんかもいましてね。
―ほうほう。
まずはエキストラの皆さんがスタンバイしまして、「それでは!俳優部の皆さんもお願いしまーす!」なんて声がかかるわけです。
―大御所の出番だ。大泉さんもそれに混じって・・・
私なんてのは、もちろんペーペーですから、誰よりも早く!ダッシュで!その場に走って行きましたね。
―ダッシュで!
どぅわーっと走って行って。そりゃもう、エキストラの皆さんからも、笑い声が漏れ聞こえるほどの全速力で。
―全速力で!そりゃ「味の素スタジアム」だ。三都主がサイドをオーバーラップするが如く!
もちろん。誰よりも早くビターッと立ち位置に着きまして、カメラをグッと見据えて、私がひとりでまず立ちましたですね。
―男らしい!
で、次にスタンバイなさったのが・・・江口さんでしたね。
―おやおや!主役の江口さんが早くもいらっしゃった!
私の前に、スッと入って来まして・・・でもさすがに、我先にとダッシュしてカメラを睨みつけている私が気になったんでしょう。
―そりゃ気になる。
ふっと振り返って、私に声をかけてきましたね。
―なんと・・・おっしゃいましたか。
「今日も、札幌から来てるのかい?」と。
―うむむ!そこらへんの事情を江口さんもご存知!
もちろん。
―それに対して大泉洋は・・・なんと答えたッ!
「はいッ!きのう札幌からやって参りましたッ!」と。
―力を込めて!
ビシッと。すると彼は、私にこう言ったんだね。
―なんと・・・
「住まいは、ないの?」。
―ほう。
まぁもちろん「東京に住まいはないの?」という意味だったんでしょう。でも私はとっさに思いましたね。「なんだ?人をホームレスのように言うじゃないか」と。
―あははは!なるほど。
だから言ってやりましたよ。
―うむ!
「いえッ!住まいはございますッ!」と。
―言った!
言いました。そんな、人に家がないようなことを言われては困りますと。「札幌に住まいはございます」と、そうビシッと言いました。
―なるほどなるほど!
そしたら、私のこのウィットに富んだ切り返しに彼は思わず、フフッと笑みを漏らしまして・・・
―笑った!
眩いばかりの微笑をたたえながら、私にこう言ったんです。
―なんと言った!
「だよね」。
―「だよね」と!江口さんが!
「だとね」とおっしゃいまして、彼はまたスッとカメラの方に向き直って、りりしく立っておられました。
―さすがだ!カッコいい!
わたくしはもうあまりのカッコ良さに、己の体内からほとばしり出るものを止められず、その場でじょーじょーと!
―失禁!
あとはもう、顔を押えてその場に座り込むばかり。
―大泉洋!「だよね」で失禁!と。
完敗です。
―それほどやはり、スターというのは華があると。
ハンパじゃありません。
―なるほど。実際のドラマ撮影の方はどうでしたか?そちらもかなり緊張なさった?
最初は緊張しましたね。しかし、現場の方がとても優しくしてくれまして、私にたいそう気を使ってくれました。監督なんか私のことを「洋ちゃん」と呼ぶんですよね。
―親しみを込めて。
親しみを込めてなのか、半分「外タレ」扱いなのか。
―うははははは!
とにかく優しくしてくれて、監督はもう、出番のなかったシーンにまで私を呼んでくれましてですね。
―すごいですな!
もちろん出番がないシーンですから台本もありません。監督がその場で、2つ3つ私のセリフを足していきまして・・・
―監督自ら!
しまいには、「いいかい?洋ちゃん、この最後のシーンでね。なんか・・・なんかこう、おもしろいことを言って、落としてほしい」と。
―オ・・・オチを言えと!
もう、大喜利のような要求を私に・・・
―うははははは!
「相手がね、こう言うから、洋ちゃんはなにか、なにかひとこと言って最後落として下さい」
―「歌丸でした」と!
もうもう、演技というよりオチを考えるので手一杯になりまして・・・
―そりゃそうだ。
いろいろ考えた挙句、本番で言った言葉がですね・・・
―うん!
どうも、破廉恥だったらしく。
―な!なんと言ったんですか?
どのシーンとは詳しく言えませんが、最後に一言、「床上手(とこじょうず)!」と叫びまして・・・
―いやいやいや!
そしたら、無線で「床上手はNGです」と言われまして・・・。
―ぶはははは!そして思わず大泉洋!失禁!と。
いやいや!
―大泉洋!「床上手」で2回目の失禁と!いうことですね?
いやいや、失禁はしてないですけど。
―なるほどなるほど。本日は貴重なお話どうもありがとうございました。では、これからの益々のご活躍を期待しています。
いや、失禁はしてないですから。
・・・大泉洋氏は初の連ドラ出演で、「2度も失禁をした」という赤裸々なエピソードを本誌に明かしてくれた。それだけ緊張したということであろう。しかし、心優しいスタッフと出演者に見守られて、氏は充実した日々を送っているようである。
実はこの取材の数週間前、本誌記者は、氏が初めて東京へと収録に向かうその日、「今、まさに千歳空港を飛び立とうとしている」という本人から電話を受けた。その中で氏は、「これまで経験したことのない、最大の緊張感を味わっている」と語った。バラエティーでも、歌番組でもなく、演技・芝居の仕事で、たったひとりで東京へ行く。それが、「たまらなく緊張するんだ」と。
その気持ちは、よくわかる。
大泉洋はこれまで、「演劇をやっている」という事実を精神的支柱に据えることで、バラエティーなり、歌なりを、「違うフィールドで羽を伸ばす」と位置付けて、自分の中で精神的な安定を保ってきた。それが彼にとって一番力を発揮できる精神状態を作り出していたのだ。
しかしながら今回、その「精神的支柱」であったはずの演技・芝居の分野で、たったひとりで東京に行かなければならない。「違うフィールドで羽を伸ばす」という、これまでの「精神的安定の図式」が成り立たなくなったのだ。不安になるのも仕方がない。
ただ、私は今回のこのドラマ出演を、「良い選択だ」と思っている。こと「演技・芝居」に関しては、これまで経験したことのない、東京の華やかなドラマの世界の方が、大泉洋にとって、実は一番力を発揮できる場所だと感じるからだ。
今はもちろん、失禁するほどの緊張感が彼を包んでいるが、やがて有名な俳優さんたちの中で、彼は器用に自分の居場所を見つけるだろう。すると、これまでとは異次元な「違うフィールド」を楽しむ余裕が生まれてくるに違いない。華やかな大スターに囲まれることで、逆にプレッシャーから解き放たれて、伸び伸びと泳ぎ回るように演技をする大泉洋の姿が目に浮かぶ。
演技・芝居に関して、これからは「北海道」「チームナックス」が、彼の精神的支柱となり、「東京」「華やかなドラマの世界」というのが、彼にとって「羽を伸ばせる違うフィールド」となり得るのではないか。これによって彼は初めて、芝居における「精神的安定の図式」を得られるのではないか。その世界が華やかであればあるほど、彼は伸び伸びと力を発揮するのではないか。そんな期待がある。
ただ、彼がこうして東京での仕事をすることに、まだ「寂しい」とか「複雑な心境」とか思う向きもあるようである。彼自身も「北海道に根ざして」という言葉を、何度となく口にしている。
でも、思えば「水曜どうでしょう」のはじまりは、「北海道」とか「ローカル」とか、そんな「しばり」を受けたくないからこそ、予算のすべてを交通費につぎ込んで、遠くへ行ったのだ。
大泉洋は、今年31歳。
「水曜どうでしょう」を始めた年、まさに私が31歳であった。
ヤツもようやく、あの時の私と同じ年齢になったのだ。
「北海道に根ざして」とか、そんなことを言うのはまだ早い。
本誌記者は、そう思うのである。