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めぐみ横丁

2015年04月15日(水)


みなさんこんにちは(^^) いかがお過ごしですか?

ご覧のブログ・めぐみ横丁で、去年2月からスタートした、 
「もらったお題=漢字1字」をテーマに
ゆる~く、断続的に、コラムを10回執筆する企画。

前回が1月14日と、間が空いてしまいましたがっ、今回は第9弾です! 


0100.jpgママ・マルシェ MC 森さやかアナウンサー 

森さんは、1歳と4歳のお子さんのお母さんです。 

仕事復帰して、この春で丸1年。

「一か月一か月、生活が変わっていき、子どもと一緒に成長した。 
入学や転勤などで、成長を感じる時期なので
"育"の一文字にした」 と話してくれました。  

*         *         *


「育」    

 てくてく。てくてく。  
あぜ道を歩いていく。
黄金色に輝く稲穂が頭を垂れて、四方八方にこんにちはしている。

てくてく。てくてく。
お豆腐屋さんが見えてきた。
「おじちゃん、おはよう!」と元気に挨拶する。

てくてく。てくてく。
さらに進んだ先は、二股に分かれている細い坂道になっていて、
左手に曲がり、大きな栗の木を横目にぐんぐんのぼっていくと、
街全体が見渡せる小高い丘に辿り着く。 
その丘の上に、私が通っていた小学校がある。

  子どもの足で家から片道50分かかったこの通学路を、
今年の初め、実家に帰省した時に、
同じくらいの時間をかけてゆっくり辿ってみた。 
稲穂は刈られていて、どこか哀愁漂うあぜ道を歩きながら、
私はひとりの先生のことを想った。

小学3年生の時の担任の先生。名取先生。愛称はなとちゃん。
大学を卒業し、初めての赴任地が私たちの学校という男の新米先生だ。
目鼻立ちがはっきりしていて、くるくるの天然パーマ。
お世辞にもカッコいいとはいえないけれど (失敬!)、
優しさと強さ、絶対的な安心感を兼ね備えたなとちゃんは、みんなから慕われていた。
熱い想いが、表情だけでなく全身から滲んでいて、
その熱血漢ぶりは、おそらく、松岡修造さんと肩を並べるくらいだと思う。 

なとちゃんは、クラス33人全員に、とことん真剣に向き合ってくれた。
叱る時は、心ある言葉で厳しく叱る。
男の子同士でケンカが始まると、クラス全体の問題と捉え、
机をコの字にして、溜飲が下がるまで徹底的に言葉を重ねる。

授業も前のめり。とにかく熱かった。
国語では、グラウンドの芝生に寝そべって空を眺めながら俳句をつくり、
社会科では、自分の住む街を歩き回って地図をつくったりもした。  
教科書に印字された活字を追うだけでなく、
自分で何かを経験したり、考える力を育むことを大切にしてくれていた気がする。 
休み時間になると、みんな自然となとちゃんのまわりに集まった。
なとちゃんはギターが得意で、
自作の曲をよく柔らかな音色を響かせてくれた。

  小学3年生の2学期。夏休みあけ。学級歌をつくることになった。
タイトルは、「ぼくらのクラスは史上最強のクラス」。
作曲はなとちゃん。作詞はクラス全員。
みんなで、紙に好きな言葉を書き連ねる。 
その言葉の中から、なとちゃんが選んだものをつなげ、
ギターで4拍子のメロディーをつけてくれた。 
教室のうしろ側に一列に並び、みんな、割れんばかりの大きな声で歌った。  

  あれから、幾年ものの歳月が過ぎ、私は大人になった。
成人式の日。地元の市民会館に、当時のクラスメイトが集まった。
小学校卒業以来、はじめて顔を合わせる人もいた。 
当時のクラス委員が、「なとちゃんからです」と、
全員にプレゼントを渡してくれた。 
心の中であっと感嘆の声をあげた。あの学級歌が入ったCDだったのだ。 

  夜、仲間との再会の余韻浸りながら、家に帰ると、
真っ先にラジカセにCDをセットした。 
タイムカプセルを開ける時みたいに、心臓の鼓動が速くなる。
イントロが流れてきた。懐かしい。
歌詞はおぼろげだけれど、メロディーはすぐに思い出された。
小学生らしい、元気で明るい歌声。
ポップで、音程が少しふぞろいで凸凹しているのも、良い。
小さく口ずさんでみる。
当時の出来事が、走馬灯のように頭をぐるぐる駆け巡った。

  さらに幾年もの歳月が過ぎ、私は30歳になった。 
あの歌を録音した日から、丸20年くらい、だろうか。 
普段は本棚にそっとしまってあるけれど、
落ち込んだ時や、立ち止まった時、
手に取って眺めては、部屋でひっそりと聴いている。 
そして、今でも毎年なとちゃんから届く年賀状には、
ふっと、背中を押してくれるひと言が添えられていて、
CDをかけながら瞼の裏に文字が焼きつくくらい何度も読むと
不思議とパワーが宿るのだ。

あの頃はたぶん気づいていなかったけれど、しみじみと感じる。
誰かに、想いやメッセージを託すことの大切さを。

今まで私が活力をもらってきたように、
私は誰かの力になれているのだろうか。 
まだ誰かに甘え、周りの人の教えを享受しているだけではなかろうか。 
これからすべきことが、明確になってきた気がした。

 
 こうして、なとちゃんを想いながら歩いた通学路。
片道およそ50分の過去への旅は、終わった。 
家に着く頃には、トンネルの向こうに
光がさすかのように、心持ちがすっきり晴れ渡っていた。 


0200.jpgあの頃の通学路から見える風景 


*         *         *

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。 

コラム企画、次回がいよいよ最終回。

ふふふ。お楽しみに。