2020年05月19日(火)
祈
自由に旅ができていたある日。
京都に住む友人に、
「観光客が少なくて、静かでオススメの場所はどこ?」
と、聞いたことがある。
そうしたら、オススメのポイントつきで
丁寧にいくつもリストアップしてくれて
とっても感激したのだけれど、
その中に "大徳寺・高桐院 (こうとういん)" があった。
ここには、戦国武将・明智光秀の娘 "細川ガラシャ" の墓所がある。
京都駅からはいくばくか離れていた。
列車で北大路駅まで行き、バスに乗り換えて大徳寺前で下車。
歩いて5分ほどのところに佇んでいる。
竹林の小径を歩くと、茅葺き屋根の建物があって
さらに奥に進むと入り口が見えてきた。
なるほど、たしかに、人が少ない。
座禅をする時みたいに感覚を研ぎ澄ますと
風の音・鳥の鳴き声が、大音声で聞こえてくるかのようだ。
茶室もあって、ここでガラシャの夫・細川忠興 (ただおき) が
仲間の戦国武将たちに薄茶をもてなしたのかと思い巡らせると、
なんだか無性にワクワクした。
数ヶ月後 ー
旅好きな私は、まだ雪の残る陽春の候、北海道・旭川市にいた。
一番の目的の場所は、三浦綾子記念文学館だった。
館内には、小説の誕生秘話などが書かれたパネルや
ご自身が執筆の際に使っていた椅子などの道具が展示されている。
綾子さんの夫・光世(みつよ)さんがご存命の時で、
入り口では、当時館長だった光世さんが
「どうぞごゆっくり」と柔和な表情で出迎えてくれた。
何の気なしに、受付で販売されている著書が並ぶ書棚に目を移す。
北海道が舞台の代表作『氷点』や『塩狩峠』などが並んでいたのだが、
私は、一冊の本の背表紙に釘づけになってしまった。
タイトルは 『細川ガラシャ夫人』
家に帰ってすぐに読み始めた。
ページをめくる手が止まらなかった。
涙なしには読めなかった。
戦国の世に生き、夫から深く愛され、
美貌で、人望熱く、身分も高かった、ガラシャ。
周りからみたら恵まれた環境で生活していたものの
父・光秀が羽柴秀吉によって殺められると、一変。
山奥の小屋のような建物に何年も幽閉された。
幼子と離れ離れになった。
ようやく夫・忠興の元に戻っても、その美しさゆえに
嫉妬深い夫から、外に自由に出歩くことを禁じられていたという。
この小説などによると、ガラシャは、数奇な運命を辿る中で、
気高く、凛と、強い心で生き抜いた。
時代も、身分も違うけれど、
不可抗力により、自由に外出できない今だからこそ
胸に響いてくる彼女の姿や言葉がある一冊だと思う。
先に書いた三浦綾子記念文学館には、
著者が、本を執筆し終える度に
夫・光世さんに書いたメッセージの数々が掲示されている。
読み進めていくと、頻出する言葉がいくつかあることに気づいた。
"愛" "感謝" "ありがとう"
これは、三浦さんの描く細川ガラシャの生き方に、色濃く反映されている。
* * *
はてさて、突然に始まったコラムに
おつきあい頂き、どうもありがとうございます。
今、書き留めておきたいという
強い気持ちが芽生えたので、つづってみました。
事態が収束することを、願いながら。