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道内ゆかりの元プロ野球選手たち “ミスタープロ野球”長嶋茂雄さんを偲ぶ 

3日に亡くなった「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん。長嶋さんとゆかりがある道内の元プロ野球選手が思い出を語りました。

4日、肺炎のため89歳で亡くなった長嶋茂雄さん。選手として、監督として、多くの道民を魅了してきました。

■元巨人・二宮至 星槎道都大学監督(71)
「長嶋さんが真ん中、私がこれ」

北広島市にある星槎道都大学の硬式野球部、二宮至監督です。
二宮さんは1975年にドラフト外で長嶋監督が率いる巨人に入団しました。

■元巨人・二宮至 星槎道都大学監督(71)
「ファンあってのプロ野球、ファンあっての選手という、とにかくファンを大事にするというのが私の長嶋さんのイメージ」

1979年シーズンをBクラスで終えた巨人。再び常勝軍団にするため長嶋監督が行ったのが、「地獄の伊東キャンプ」と呼ばれた秋季キャンプでした。

■元巨人・二宮至 星槎道都大学監督(71)
「秋のキャンプっていうのはまだどこもやってなくて、初めての試みだったと思う。伊東キャンプで厳しく鍛えられて、その成果が2年後に優勝という形に出るんですけど、それから秋季キャンプが全球団に浸透してきたという経緯はあります」

長嶋さんを偲ぶ声は、対戦相手だった札幌出身の元プロ野球選手からも。

■元中日・谷木恭平さん(79)
「長嶋さんは格別ですよ。非常にプレーなんか見ていると、派手だし、みんなが憧れる選手だった」

こう話すのは谷木恭平さん。北海高校では外野手として1963年のセンバツ高校野球に出場し北海道勢初の甲子園決勝に進出。立教大学などを経て、1972年のドラフトで中日に入団しました。

1974年10月14日、後楽園球場で行われた長嶋さんの引退セレモニー。谷木さんは相手選手としてあのスピーチを聞きました。

■長嶋茂雄さん)
「私はきょう引退をしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」

■元中日・谷木恭平さん(79)
「感動しました、すごかったですね。ああいう場にいれただけでも野球やっていて良かったなと思いましたね」

対戦相手との会話はご法度とされた時代。選手時代に長嶋さんと話したことはありませんでしたが、引退後に中日のコーチを務めていた95年、巨人との試合前に監督だった長嶋さんに呼ばれ会話を交わしたといいます。

■元中日・谷木恭平さん(79)
「ちょっと来いと言われて、グラウンドの中で。(成績不振で)そのとき中日って大変だよなって。大変だよなって言われました。そうですよねとしか言いようがない。正直顔をまともに見れなかった。いまだに長嶋さんは神様みたいなもん。また天国行っても野球やってんじゃないですか。周りが明るくなる人だから」

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