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1950年7月1日 |
秋野豊・小樽市入船にて生まれる (姉2人、兄2人、弟1人) |
1963年【12歳】 |
小樽市量徳小学校卒業 |
1967年~69年 |
北海道小樽潮陵高等学校・柔道部にて活躍 |
1969年【18歳】 |
高3のとき「プラハの春」に衝撃を受ける。
北海道小樽潮陵高等学校卒業・同志社大学に入学するもなじめず |
1974年【23歳】 |
早稲田大学政経学部卒業・北海道大学法学部学士入学 |
1974年【24歳】 |
結婚(妻・洋子) |
1976年【25歳】 |
北海道大学法学部卒業・北海道大学大学院法学研究科に進学。
国際政治学を専攻、とくにチェコスロバキア問題に関心 |
1977年【26歳】 |
長女・さやか誕生 |
1978年【27歳】 |
北海道大学法学研究科修士課程修了・博士課程に進学 |
1979年8月~
81年【29歳】~【31歳】 |
家族同伴でロンドンへ留学・ロンドン大学スラブ東欧学研究所で
東欧を中心としたソ連圏とヨーロッパとの関係を研究 |
1981年【31歳】 |
帰国・北海道大学法学部助手・スラブ研究センター研究員を兼務
次女・ひかる誕生 |
1983年【33歳】 |
北海道大学法学博士号取得 |
1983年~1985年【35歳】 |
在ソ連邦日本大使館(モスクワ)専門調査員に家族を同伴して出向
長女・さやか【5歳8月】次女・ひかる【1歳9月】 |
1985年【35歳】 |
帰国後、北大助手に復帰 |
1986年【36歳】 |
筑波大学社会科学系講師として勤務・家族とともにつくば市に移住 |
1988年【38歳】 |
筑波大学社会科学系助教授に就任 |
1992年~94年【44歳】 |
米国東西研究所・在プラハ欧州センターのプロジェクトに大学の授業のかたわら参加、頻繁にチェコに出向く |
1997年【47歳】 |
日本国際交流センターによる「ロシア・中央アジア対話ミッション」に講師として参加、小渕恵三外相らと面識を得る |
1998年4月25日【47歳】 |
外務省に入省、4ヶ月間の予定で国連タジキスタン監視団(UNMOT)政務官としてタジキスタン・ドゥシャンベに赴く |
1998年7月20日【48歳】 |
反政府指導者との交渉を終え帰る途中、ドゥシャンベ東方170キロの山岳地帯で何者かに銃撃され、3名の国連関係者とともに最後を遂げる |