now onair

NEXT

青いツバメ

タジキスタン共和国とは?

タジキスタン共和国地図正式名称:タジキスタン共和国(Republic of Tajikistan)

国旗:国旗
面積: 143,100K㎡ 北海道の約1.8倍
人口: 631万人(2004年)
      ※14歳以下の人口が全体の51%を占める
首都: ドゥシャンベ(タジク語で月曜日の意)
      人口58万人(2004年)標高860m
通貨: ソモニ 1$=3.033ソモニ(2004年8月)
民族: タジク人79.9%、ウズベク人15.3%、ロシア人1.1%、その他(パミール系諸民族、
      ヤグノーブ人、キルギス人)3.7%
言語: 公用語はタジク語。ロシア語も広く通用する。
宗教: イスラム教スンニー派80%、シーア派5%、その他15%(ロシア正教など)
日本との時差: -4時間(GMT+5)
日本大使館: 02年1月 在タジキスタン大使館開設

地理と気候:
東部をパミール山系が走り、平均3,500~4,500mで、最高峰は、7,495mのイスマーイル・サーマーニー峰。国土の9割が山岳地帯にあるため、冬場の冷え込みはかなり厳しい。

政治背景:
旧ソ連時代は、経済的に豊かで中央との結びつきの強いホジャンドを中心とする勢力が権力を握っていたが、ソ連崩壊後、南部の諸勢力はそれぞれ政党を結成して北部の権力の独占を阻止しようとした。その結果、北部を基盤とする政府側と民主派やイスラム派を主とした反対派連合間の激しい対立を生み、92年9月に両勢力の武力衝突から内戦へと発展した。
96年12月、ラフマーノフ大統領と反対派連合のヌーリ代表との会談が実現し、両社は平和的解決で合意するに至る。97年6月にはモスクワで和平と国民理解に関する協定を締結し、92年以来続いていた内戦に一応の区切りがついた。

経済状況:
旧ソ連での共和国の中では最も貧しい国。 経済の中心は、アルミニウムの一次加工、電力業(水力)、綿花である。ソ連解体前、タジキスタンはソ連の全アルミニウムの15%、同じく綿花の11%を産出していたが、ソ連解体の打撃に加え、92年以来続いた内戦によってタジキスタン経済は激しく落ち込んだ。経済改革の実施は立ち遅れ、民営化のスピードも遅く、生産は低下を続けているものの、97年には、内戦締結による和平ムードの中で輸出入や小売取引が活発化。独立以来初めてGDPがプラス成長を記録した。和平が継続し、主力の綿花とアルミニウムの生産が上向きに転じれば、回復に向かう可能性も出てきた。

国内情勢:
大規模な内戦は終結したものの、大小の政治勢力の抗争が今も続いており、国内情勢は不安定なままである。但し、現政権側が支配しているホジャンド、ペンジケントといった北部は安定しており、他の中央アジアの国々と治安はさほど変わらない。また、首都ドゥシャンベ周辺、山岳バダフシャーン自治州も危険な地域ではない。
一方、危険な地域は中部のガルム市を中心としたカラテギン地方とガルム地方で、いまだに現政権と反政府勢力の和解に反対する反政府勢力の一部が活動を続けている。秋野豊氏が殺害されたのもこの地方である。




Copyright © HTB All Rights Reserved.
「青いツバメ」トップへ